第一四話 黒幕たち
夜、深緑装束の男が街を走っている。
何かに追われるように時々後ろを振り返りながら、逃げるように走っている。
男はとある建物の前まで辿り着くと、安心したようにため息を漏らし、辺りの目を憚るように周囲を見回した後、建物の裏口に回る。
建物は聖堂であった。この世界では一般的な創造神コスモスを祭る教会である。
ここはバイデン公国首都カールスリーエにある大教会である。
男は裏口から素早く中に入ると、この教会を司る大司教の姿を探す。
大司教の姿は聖像の前にあった。聖像の前に跪き大司教は何やら一心に祈っている。
大司教は頭に髪が一本もないきれいな禿頭で、降り積もった年月が皺として顔に刻み込まれている。見かけは温和そうな老人である。
「・・・・もし、大司教様、大司教様」
男が声を潜めて呼びかけると、大司教は祈りを邪魔されたことを不快に思ったのか、声のした方をじろりと睨み付ける。
「こんな夜更けに私を呼ぶ者は誰だ?悪魔なら疾く去るが良い」
「・・・・悪魔ではありません。神罰隊の者です」
「神罰隊の者が私に何用か?姿を見せよ」
そう言われて男は物陰から明かりの下へ姿を現す。
深緑色の装束は所々ほつれている。頭巾で顔を隠しているが憔悴は隠し切れていなかった。
「一体どうしたことだ?神罰隊は今あの悪魔を討滅する任務にあるはず。それが、そんな姿でこんな時刻にこんな場所にいるとは、一体何があったというんだ?」
「・・・・・我ら神罰隊、一番隊から四番隊まで悪魔討滅の任務の途上にて、ことごとく壊滅いたしましてございます」
「何!?か、壊滅!?一体誰に壊滅させられたというのだ?まさかあの悪魔を護衛する騎士たちに敗れて捕縛されたというんじゃあるまいな!?」
「・・・・いいえ、あれとは別の悪魔に遭遇いたしました。凄まじい力を持っておりまして、我ら、なす術もなく壊滅させられた次第です」
「それで、その悪魔というのはどんな姿で何人いるのだ?」
そこで男はしばらく口を噤んだ。しばらく逡巡した後、絞り出すように言う。
「・・・・ローブを頭からかぶっており姿はしかと確かめられませんでした。・・・・人数は・・・・」
「・・・どうした。人数は何人だ?」
「・・・人数は・・・・一人でございました」
「・・・・何?今、一人と言ったのか?」
「・・・・・はい」
「・・・・一人に数百人からなる神罰隊が壊滅させられたというのか?」
「・・・・・はい」
「・・・・馬鹿も休み休み言え!精鋭からなる数百人の神罰隊がたった一人に壊滅させられるなど、あってたまるか!お前、戦いから逃げて来た言い訳に出鱈目を言っているのではあるまいな?」
大司教に責められると、男はきっとして言い返した。
「出鱈目など申しません!確かに神罰隊は一人の悪魔に壊滅させられたのです!」
男の迫力に大司教は気圧されたように後ずさった。
「・・・・・わかった。お前は逃げのびた神罰隊を一人でも多く糾合するのだ。まだやってもらうことがあるかもしれぬ故な。わしは城中のやんごとない方にこのことを知らせて来る」
そう言うと大司教は、男が入って来た教会の裏口から外へ出ていくのだった。
この一連のやり取りをまさしく影から聞いている存在がいることを、大司教も神罰隊の男も気が付かなかった。
「バルド様、大司教閣下がお見えになっておりますが・・・・・?」
「何?大司教が?・・・・すぐにお通ししてくれ」
バルドはそう張りのある声で答えた。
バルドは現在三四歳。男盛りである。顔に体にも精気が満ち満ちている。
今まで幾つもの養子縁組の話があったにも関わらず、その全てを蹴っている。
表向きは、領主である兄の助けることが弟としての自分の生涯の仕事だからと言っているが、見る者が見れば領主である兄の地位を簒奪しようとする野心があることは、一目瞭然である。
実際、自分より早く生まれただけの兄になど本気の敬心を払っていない。
バルドとはそういう男であった。
バルドの部屋に大司教が通される。バルドはすぐさまこの場からの人払いを命じた。
「・・・・それで、大司教閣下。こんな夜分にどんなご用ですかな?我々の協力関係についてはまだ誰にも秘密にしなければならない。こんな風に訪ねてこられるのは、今は困るんですがね?」
「・・・・不測の事態が生じた。悪魔を討滅するために派遣した神罰隊が壊滅した」
バルドは少し驚いた顔をした後、皮肉っぽく言った。
「・・・・おやおや、あれだけ自信たっぷりに言っておられた神罰隊が、我が領の騎士に蹴散らされたわけですか?もしかして、やられて捕虜になった者の尻拭いにここに来られたのですかな?そうなのでしたらご苦労なことです」
「・・・・違う。正体不明の輩に襲われて、壊滅したのだ。死んだ者は多数いるようだが、捕縛された者はいない」
「正体不明の輩ですか?どっちにしろご自慢の神罰隊は大したことはなかったようですな。これなら最初から私が手を回した方が早かったのでは?」
自分より三〇近く下のバルドにいいように嬲られて、大司教は屈辱に顔を青くする。
バルドは、これ以上大司教を嬲っては今後の関係に響くと考え、宥めるように言葉を継ぐ。
「ご安心下さい。ちゃんと万一を考え、捜索隊には私の息がかかった者を紛れ込ませてあります。彼らに一声かければ、あんな小娘などたちどころに始末できます。まぁ、見ていて下さい」
「・・・・だといいがな」
「私にとってあの小娘は当主の座を奪るのに邪魔。あなた方にとっては、あの小娘は既得権益を侵害するので邪魔。ほら、利害は一致しているではありませんか。今後も仲良く付き合っていこうではありませんか」
バルドはそう言って肩でも抱かんばかりに大司教の肩を叩く。
そう、あの小娘は邪魔だ。
エリザベートの父は大邦の領主として、無能とまでは言えなくとも平凡であった。
それ見て自分の方が領主に相応しいと考え、野望をたくましくしたバルドなのである。
ところが、エリザベートが生まれてからすべてが変わった。
エリザベートが助言することにより、領内はかつてない繁栄を築きつつある。
それらの功績は助言を採用したエリザベートの父に帰するところなのである。
これでは、領主の無能に非を鳴らして自分が当主の座を手に入れる計画が水泡に帰してしまう。
それにしても、この大司教を抱き込めたのは幸いだった。
あの小娘が病気の治療だの予防だの殺菌だのと言い出して、教会の病気平癒の祈祷をケチをつけてくれたおかげで、こんな味方を作ることができた。やはり九歳のガキには政治というものが根本的にわかっていないということだ。
「あの小娘がいなくなれば、我々の未来が開けるんです。今後ともよろしくお願いしますよ」
『―――というようなことを大司教と領主の弟で話し合っていたんだけどね』
そうケイオスは報告してきた。
「・・・・そうか、宗教勢力が絡んでるんじゃ、この状況、一筋縄ではいかなそうだな」
『・・・・僕としては、大司教と領主の弟をさっさと処理して、終わりにしたいんだけどな』
「・・・・あんたも意外にと言うべきか、物騒なこと言うな。こういうことにはきちんとした手順を踏まないといけない。無法な暴力に無法な暴力だけで対抗していたら泥仕合になるだけだ。正義はこちらにあるんだから、公権力を使って解決した方があと腐れがないよ」
『・・・・まぁ、君がしたいようにしたらいいよ。僕はまだ大司教と領主の弟にくっついていればいいかい?』
「・・・・ああ、そうしてくれ。俺たちもほどなくそっちに着く。そしたら一気に決着をつけよう」
『・・・・じゃあ僕は陰険な二人の陰謀を聞きにもどるとするよ。通信は僕からするから、くれぐれもそちらからはしないでくれよ。声がしたらさすがに気づかれる』
「・・・・わかった。よろしく頼む。・・・・通信終了」
流人は通信を切って空を見上げる。空にはこれから満ちようとする月が上っている。
月が表しているのは、あちらの陰謀が成就することなのか、それともこちらの策が成就することなのか。
それはこれからの自分の行動にかかっていると流人は思った。