第一一話 魔法
二人の子どもが激しく木剣を打ち合わせている。
一人は黒髪黒瞳の平服の少年。どうという特徴もない平凡な顔立ちだが、今はその瞳にきらきらとした活力を宿して、そこだけが異彩を放っている。
もう一人は銀髪青瞳の男装の少女。整った目鼻立ちをした少女で、今はその瞳を鋭く細めて木剣を振るっている。
勝負は少年の方が優勢に進めている。少女の鋭い斬り込みや突きは、少年によってあるいは躱され、あるいは逸らされる。焦って剣の動きが大振りになったところを少年に付け入られ、首元に木剣を突き付けられる。
少女―――リーズフェルトが木剣を下して悔しそうに言う。
「一〇回戦って一〇連敗ってどういうことですか!?本当にあなた、剣を習って二か月余りなんですか!?」
「そう言われてもなぁ・・・・本当に二か月少しなんだよなぁ」
少年―――流人は息一つ乱していない。
「私、五歳の頃から剣を習っているのに・・・・・自信を失くします・・・・・」
リーズフェルトが肩を落とす。
流人はそんな少女のひどく落ち込んだ様子に対して慌てて言う。
「えぇと、ほら!リーズフェルトさんは氣を使えませんから。どうしたって動きに差が出てしまうんですよ」
「・・・・そのキといのはなんなんですか?私、聞いたことがないんですけど。魔法とは違うんですよね?」
「氣は生命力で魔力は精神力。両者は表裏一体の関係にある・・・・だったかな。
とにかく氣は氣息という呼吸法から生まれる生命エネルギーのことです。これを利用することで、人は超人的な力を得ることができるんですよ」
「・・・・私にもできますか?」
「勿論。俺にもできたくらいですからね。やってみますか?」
流人はリーズフェルトに氣息の仕方を教える。
「ほら、俺に合わせて呼吸してみて下さい。こうです」
「・・・・・こうですか?」
「そう、もっとゆっくり呼吸してみて下さい。・・・・力が溜まるのがわかりませんか?」
「・・・・体がぽかぽかしてきました。」
「そのまま、剣を握ってみて下さい」
流人に促されてリーズフェルトが下していた木剣を上げ、構えをとる。
「体の中にある温かい力を腕から先に集めるようにして・・・・振りかぶって・・・・振り下ろして!」
リーズフェルトが剣を振り下ろす。すると木剣は地面へと深々とめり込み、衝撃がそこから周囲へと波及して地表から盛大に砂ぼこりが上がる。ついでに木剣が衝撃に耐えきれずへし折れ、リーズフェルトが剣を中心にして半回転して背中から地面に落ちる。
地面に転がって痛みに悶えるリーズフェルトに向かって、流人は気まずげに言う。
「あー、えぇと、すいません。踏ん張りのことを考えてませんでしたね。いやぁ失敗、失敗」
リーズフェルトが無言で起き上がり、半ばで折れた木剣を頭上に持ち上げる。
「えぇと、その、人間、失敗はつきものというかですね、失敗を笑って許せる度量も時には必要というかですね。あの、聞いてます?その振り上げた棒をどうするつもりですか?まさか俺に振り下ろしたりしませんよね?あ、ちょっとやめて!ごめんなさい!本当にごめんなさい!勘弁して!許して下さい!!」
この後、流人がどうなったか推して知るべし。
「ふぅ、ひどい目にあったな」
流人はため息を吐いた。
「それはこっちの台詞です!危うく気絶するところだったんですよ!」
リーズフェルトの怒りはまだ治まらないようだ。
「で、どうでした?氣の力は?」
「確かに凄い力ですね。同時に取り扱いの仕方によっては、自分が怪我をすることも身をもって知りましたけど」
リーズフェルトが感想と一緒に恨み言を言うのも忘れない。
「体はどうです?疲れたりしてませんか?」
流人は、恨み言はきれいに聞き流して、リーズフェルトに体の調子を聞く。
「そういえば、体がだるいですね」
「その点も重要です。氣は使えば使うほど体力を消耗します。限られた体力の中でどんな時どれだけの氣を使うかの状況判断も重要になってきます」
「なるほど、闇雲にただ使えばいいというわけではないという点は、魔法と一緒ですね」
「さ、訓練はこれくらいにして家にもどりましょう。リザが待ってます」
「・・・・あの、一体何があってエリザベート様を愛称で呼ぶほど親しくなったんですか?個人的にも公的にも看過しがたいものがあるんですが」
「ま、何というか話してみたら意気投合しましてね。お互い堅苦しい礼儀はなしにしようということになったんですよ」
「・・・・・とにかく、公的な場でそう呼ばないよう、気を付けてくださいね。あなたの首が飛びますから。物理的に」
二人がそんなことを話しながら歩いていたところに、遠くから二人に近づいてくる影がある。
腰まで届く金髪の巻き毛。幼いながらに輝くばかりの美貌。今、丁度話題になっていた少女エリザベートである。
「お、噂をすれば影が差すとはよく言ったもんだ。リザが来ましたよ」
流人はいち早くエリザベートのことに気づく。
「おーい!二人とも、訓練は終わったのー!?」
エリザベートはまだ距離があるなか、大声で二人に声をかける。
「おう!リザ、今丁度終わったところだぞー!」
流人が大声で答える。
「流人くんにお客さんが来てるよー!?」
エリザベートがそんなことを言ってくる。
しかし、流人に来客とは誰だろうか。心当たりは一人しかいない。
流人はエリザベートに駆け寄り、来客について聞く。
「俺に客って言ったけど、どんな客だ?」
「えぇとね、頭からすっぽりローブをかぶってて顔はわからないの。でも、ドゥークさんの大親友で、流人くんの第二の生みの親だって言ってるんだけど・・・・」
「ああ、もう誰かわかった。ありがとな。呼びに来てくれて」
やはり自分に来客といったら、この世界では一人しかいない。
(この面倒事がやってきているところに、更に面相事を持ち込まないでくれよ。ケイオス)
流人はそう願わずにはいられなかった。
ドゥ―クが町へと出かけて二日目の昼のことであった。
「師匠は今いないぞ。一体どんな用事なんだ?」
流人は、扉を開けてすぐ、開口一番にそう言った。
言葉を向けた先には一人の男がいる。頭すっぽりローブをかぶり顔は見えない。その体つきからかろうじてその人物が男であるとわかる。神出鬼没、怪しさ満点の男、ケイオスである。
「ああ、流人君、ご無沙汰して悪かったね。君の改造から色々思いつくことがあって、ちょっと別の実験をしていたんだ。ドゥークがいないことは、さっきそちらのお嬢さんに聞いているよ。僕は流人君に用事があって来たんだ」
「一体何の用事だ?」
「そう急くこともないじゃないか。ここも僕がいない短い間にずいぶんと雰囲気が変わったよね?女の子が二人もいるなんて、前には考えられないことだ。一体何があったんだい?」
「ああ、それは―――」
言いさして、リーズフェルトとエリザベートの二人に話してもいいか目で問いかける。
リーズフェルトは首を横に振っている。エリザベートはリーズフェルトの陰に隠れている。
「ちょっと事情があって預かることになった子たちなんだ。こっちの銀髪の子がリーズフェルトさん。あの隠れてる金髪の子がエリザベート」
要するに、事情があるから詳しいことは聞くな、と言ったも同然だった。
二人は流人の紹介にめいめい自己紹介する。
「どうも、ご紹介に預かりました、リーズフェルト=アウデンリートです」
「どど、どうも・・・・・あの・・・エリザベート・・・・です」
「いやぁ、これはこれはご丁寧に。僕のことは、ケイオスと呼んでもらいたい」
ケイオスの方は、流人が詳しい事情を話さなかったのに、それを気にした様子もない。
特別二人の事情が気になったわけではなく、それに対して流人がどう反応するか見たかったようだ。
その証拠に自己紹介が済むと、二人には全く関心を示さず、流人のみを見て話しかけてくる。
「それで流人君、約束の魔法の実験に付き合ってほしいんだ」
「ああ、そういえば、そんな話を最初してたな。どんなことをするんだ?」
「今回は君自身が魔法を使うと、どんな現象が観測できるかやってみたいんだ」
「・・・・俺って魔法なんか使えるのか?」
「理論上、人間は最低一種類の魔法が使えるはずなんだ。それは君も変わらないはずだよ」
流人は異世界人の自分に魔法が使えるのか、という意味で聞いたのだが、ケイオスはこの世界の一般論で返した。
この場にはまだリーズフェルトとエリザベートの二人がいる。ケイオスが二人は異世界などの事情を知らないと考えてフォローしてくれたのだ。これは流人の明らかな失敗だろう。
「とにかく、君がどんな種類の魔法を使えるのか、まず確認しよう」
そう言ってケイオスは、懐から巻物を取り出して広げる。
巻物には図形と文字が配された不思議な文様―――魔法陣が描かれている。
魔法陣の一番外側に描かれた円形に沿ってケイオスが小さな燭台のようなものを置いていく。燭台の灯りを灯す部分にはそれぞれ親指の先ほどの大きさの魔石が置かれている。
円周部分に沿って合計六個燭台のようなものを置き終わった後、ケイオスが口の中で小さく何事か呟くと合計六個の魔石が青白い光を放つ。流人の目には、円形の青白い障壁のようなものが魔法陣に沿って構築されていくのが見えた。魔法陣もその文様が赤い光を放っているのが見える。
「さあ、これで準備は整った。流人君、魔法陣に手を翳してみてくれ」
「・・・・わかった」
流人は魔法陣に手を翳す。
すると、魔法陣から赤い触手のようなものが伸びてきて、流人の手に絡みつくのが見える。流人は咄嗟にそれを振り払う。そうすると赤い触手は千切れ飛ぶ。流人は慌てて手を引っ込める。
「あー、もしかして、また何か見えたのかい?その魔法陣の効果は害のあるものじゃないから、抵抗せず受け入れてくれないかな?」
「・・・・本当だな?」
「・・・・えぇと、その魔法陣は魔法属性鑑定のために広く使われているものです。私も使ったことがあるので、間違いありません。害は本当にありません。大丈夫です」
リーズフェルトからそんな説明が入る。
そう言われた流人は、再び魔法陣に手を翳す。
すると、また魔法陣から赤い触手が伸びてきて、流人の手に絡みつく。今度は抵抗せずそのままにしていると、流人の手から何かが触手に絡みつかれて引きずり出されていくのを感じた。
引きずりだされた何かが魔法陣に触れると、それが光へと変わる。
視界いっぱいに光が広がった後、そこには小さな黒い点があった。
黒い点は、小さな穴だった。空中に小さな穴ができているのだ。そこから空気が吸い込まれていくのを感じる。
「ふむ、時空間魔法か。・・・・これはまた興味深いね」
「時空間魔法?それはどんなものなんだ?」
流人は今一つぴんとこないのか、ケイオスに聞く。
「その名のとおり時空間を操る魔法さ。今君は魔法で時空に穴を開けている。その穴はこことは全く違う時空に繋がっているんだよ」
「・・・・それって凄いことじゃないか?」
「凄いことだよ。時空間魔法を極めれば、どんなところにでも一瞬で移動できたり、自分だけの異空間を作り出してそこに自由に出入りできたりするんだ。
時空間魔法は適性がある者は少ない。魔法の点でも君は異才があるということだね」
「・・・まぁ、詳しい理屈はわからないけど、便利そうなものだってことはわかった。で、この穴はどうしたらいいんだ?」
「そのままにしてれば、いずれ時空の修正力が働いて自然に消えるよ。・・・・ああ!その前に是非やってもらいたいことがあるんだ!」
急にケイオスが叫びだす。
「おわ!急に大声を出してどうしたんだ?」
「その時空にあいた穴に触れてみてくれないか?」
「え?・・・・吸い込まれて手首から先が無くなったりしないか?」
「大丈夫だよ。そんな吸引力はないから。君の使える魔法の種類はわかった。ついでに魔法の結果生じた現象にまで君の魔法を打ち消す力が効くか実験したいんだ」
「・・・・わかった。触ってみる」
流人は慎重に空間に生じた黒い穴に触る。
触れることができる。なにもない空間に確かに穴が開いている。
それは物凄い違和感であった。
「ふむ、魔法の結果生じた現象は無効化できない、か。やはり彼の能力は魔法が発生するそのプロセスを知覚、干渉して魔法を無効化するもののようだな。だとすると彼は―――」
ケイオスは自分の思考の中に没入しだす。
「おーい、もういいのか?手を離すぞ?」
「あ、ああ、もういいよ。ありがとう、大変興味深かったよ」
「これで、実験とやらはもう終わりか?」
「いや、まだまだこれからだよ。君に実際に魔法を使ってみてもらわないとね」
ケイオスがそう要望する。
「実際に使うって、どうやるんだ?」
「魔力を込めて呪文を唱えればすぐに発動するよ」
「呪文・・・・か。難しい言葉を覚えるのは苦手なんだがな」
「そう難しくないよ。まず基本的な共通魔法からいこう。魔力を込めて《明かり》と唱えてみてくれ」
魔力―――さっき魔法陣に引きずり出された自分の力のことを意識する。それは確かに自分の中に息づいている。その魔力を意識して流人は唱える。
「・・・・・《明かり》」
空中にオーラのようなものが流人の手から放たれ、凝縮し、ぱっと光の玉が点る。しかし、すぐ消える。
「明確な明かりのイメージをしていなかったからだね。もう一度、今度はちゃんと明かりをイメージして唱えてみて」
ケイオスがそう助言する。
「《明かり》!」
今度はさっき見た光の玉のイメージして唱えてみる。
すると、さっきと同じ過程で空中に光の玉が生まれ、それが消えずに空中を浮遊している。
できた。
流人の体に感動が広がる。
そんな流人を二人の少女が見ている。
リーズフェルトは微笑ましいものを見る目で見ている。
エリザベートは、うんうん、わかるわかる、という風に頷いている。
「次は時空間魔法の方をやってみようか?呪文は《次元穴創造》だ」
「・・・・イメージはどうすればいいんだ?」
「そうだな・・・・とりあえず、君の目の前と部屋の端をつなぐ穴を作るイメージでやってみてくれ」
「・・・わかった」
流人は、自分の目の前と部屋の端を結ぶ穴を空間に開けることをイメージしながら呪文を唱える。
「《次元穴創造》!」
流人が唱えると、流人の手からまたもオーラのようなものが放出され、目の前に凝縮し、空間に人差し指が通るほどの穴が、周りに電撃を迸らせながら開く。見てみると部屋の端にも同様の穴が開いている。
流人は試しに人差し指を穴に通してみる。すると、指先が目の前の穴に入るのと同時に部屋の端の穴から指先が出てくる。
二人の少女から拍手が響く。二人も流人と同じ感動を共有したようだった。
「まだ、周りの空間への負荷が大きいし、なによりつながった穴も小さいけれど、初めてならこんなものかな」
ケイオスもとりあえず、流人の使った魔法の結果には満足したようだ。
「今はいちいち呪文を唱えないといけないけど、熟練するにしたがって無詠唱で魔法が使えるようになるよ。イメージと魔力だけで魔法が使えるようになるんだ」
何となく流人がイメージしている魔法と違うが、まぁ、便利になるならそれに越したことはない。流人はそう考えることにした。
「それで、どうかな。実際に魔法を使ってみて。何か気づいた点などはあるかな」
ケイオスがそう質問する。
「魔法使うたび、オーラのようなものが手から出てるのが見えるな。やっぱりあんたには見えてないのか?」
「ふむ、僕にはやはり見えない。魔法という現象がそう見えているのか、魔法を使う際放出される魔力がそう見えているのか特定できないな。試しに手に魔力を集中させてみてくれるかい?」
言われた通りに手に魔力を集中させてみる。しかし、何も見えない。
「何も変わりがないように見えるな」
「ふむ、だとすると魔力が見えているわけじゃないのか。魔法という現象そのものが見えているのか?うんうん、なかなか興味深い話だよ。ありがとう。とりあえず実験は終了だ」
ケイオスの中で何事か手応えがあったようだ。
ともかく、こうして流人は、異世界で魔法使いとしての一歩も踏み出したのだった。