恋心
僕はもう一度彼女の無邪気な寝顔を見下ろした。
好きになってしまったのだ、と心のなかで呟く。
もちろん彼女にとって僕は便利な道具でしかないことは承知している。
けれども仕方がない……好きになってしまったものは。
昨日、眠りにつくまえに彼女は僕の背中に手をまわしながら言った。明日は7時に起こしてね、と。彼女はお見合いをするのだ。今日はその打ち合わせに行く。裕福な家の彼女が僕のようなどこの馬の骨ともわからないようなやつと結婚する気なんかないことは知っていた。
なのに、彼女の鞄から飛び出していたお見合い写真を見て、僕は動揺した。彼女はなにも言わなかったけれど、まんざらでもない様子だった。けれどもなぜか文句は言えなかった。それが彼女の幸せにつながるのならば。
6時58分。
約束の時間まであと2分だ。
ふいに、誰かが僕のなかから囁いた。
起こさなければいいんだよ。
駄目だ。
そんなこと思ってはいけない。素直に行って欲しくないと言えばいい。
けれども言えないのだ。僕では彼女を幸せにできないのだから。
59分50秒。
僕は沈黙した。彼女を起こさないようじっとしたまま、彼女と、彼女の眠りを静かに抱きしめた。
愛しているんだ……。
『ごっめーん、ママ。待った?許して、目覚まし時計が鳴らなくてさ。急いだのよ、これでも。え?やだー、止めてないって。本当に鳴らなかったの。寿命ならもういらないかなあ。スマホがあるし!』