崖っぷち青年(笑) 視点:トム
平日の昼下がり、目についた酒場に入って1人だけで酒を飲む。
自分史上最高の贅沢とは裏腹に、気分はこれ以上なく最悪だった。
「あーこれは、間違いなく詰んだな」
《スノーバニー亭》。
可愛らしい名前とは違い、中々落ち着いた雰囲気がある喫茶兼酒場。
そこのガラガラのカウンターに腰掛けて、チビチビ呑んでいた為かぬるくなりかけたビールを眺めながらひとりごちた。
本来なら、こんな所にいるべきではない。
まだ顧客の家を何軒か回らなければならないし、会社に戻って問題は解決しなかったと言う内容の報告書を書いて提出しなくてはならないし、茹でたタコの様に赤くなった社長に怒鳴られてあと3日でクビにならなければいけない。
いやまぁ、最後のやつは義務ではないけど。ほぼ確定事項だからなぁ。
あー胃が痛い。
とかなんとか思いながらビールを飲んだら、炭酸が抜けてしまっていつもより美味くない。
やらなければいけない事があるのに、何故こんな所で油を売っているのか。
それはまぁなんと言うか、人材を掃いて捨てるような今の社会と社長への抵抗…と言ったら聴こえは良いが、ただ単に怠けたいんだよなぁ。
良いじゃんたまには。
どうせこれが最初で最後だ。
「お客さん、冴えない顔してどうしたの」
不意に声をかけられて、見てみれば隣にウェイトレスが座る所だった。
こう言う場末の酒場は、大体おばさんのウェイトレスしかいないものなのに、この娘は若い。
23、4位かな。
ここの制服なのか、ウサギの耳のカチューシャを付けていた。
キツめの美人…うん、タイプ。
「えーと、いや、色々あってね。…落ち込んでたんだ」
とてもじゃないが、あと3日で無職になるとは言えん。プライドにかけて。
「色々? ふーん。良かったら聴いてあげるけど」
と、頬杖をついてこっちを見た。
ウサギの耳と、明るい茶色の髪が揺れた。
えー、聴いてくれるの?じゃあ言っちゃおうかなー、なんて気軽に話すのは無理。
やっぱり恥ずかしいし、会社の内情を言いふらす訳にいかない。
更に変な噂が流れたら大変だし、特にこの問題は対応が難しい。
嗚呼、自分の愛社精神に拍手を送りたい。
「いやごめん。言えないんだよね。ちょっとしたトラブルなんだけど」
「ふーん、お客さんに解決できるの?」
あーそれは、それは聞かない約束でしょ君。
「で、できないことはないことはない……みたいな?」
「何それ、解決できないことになってるわよ」
「うう…」
そうなのだ。
確かに俺には解決できない。
正直言ってお手上げ状態。
と言うか今の会社には、この事件に的確な判断を下せるやつはいないだろう。
何しろこんなのは前代未聞だし、原因不明で対処のしようがない。
ハゲ社長の、『3日以内になんとかしないとクビだ‼︎』と言った怒鳴り声を思い出して更に落ち込んできて、俺は頭を抱えた。
「ローズちゃん、お客さんを虐めないでね」
「はーい、店長」
見上げると、店長と呼ばれたお爺さんが皿を拭いていた。
あったかい雰囲気だなぁ。
田舎の親父を思い出すよ。
只、こっち(店長)には髪があって向こう(俺の親父)には無いけど。
「でも私虐めてないですよ。お客さんが勝手に落ち込んだだけ。なんか、解決しづらい問題抱えちゃったみたい」
店長の手が止まった。
そのまま近づいてきて、俺の前で少し屈む。なんだよ急に。
俺に気があるのか?
「問題って…どんな?」
普通に違った。いやその方が良いんだけど。
「や、ちょっと…ここでは。会社の事だし」
「会社の事? 解決出来るの?」
は? なんなんださっきから。
もしかして: 怪しい人。
「店長? もしかしてあいつら勧める気?」
ローズさんと言うらしいウェイトレスが口を開く。
眉を寄せて、なんか不機嫌っぽい。
反対に店長はニヤっとした。
うわー、気になる。何あいつらって。
「何かあるんですか?」
俺の言葉に、店長は少しだけ悩む素振りを見せた。
「いや、知り合いにね、個人や企業の抱える問題を解決したりするのが生業の人がいるんだ。良かったらどう?」
「ああ、そう言うのですか。悪いけど、探偵になんとか出来る問題じゃ無いですよ。確かに普通の現象ではないけど」
あぶねー、変な人達教えられるかも。
最近は探偵とか言って近づいて、情報と金だけ取って消える、なんて輩が多い。
でも店長は引かなかった。
「や、それでは無いんだよ。 なんだっけ、ほらあれ」
「便利屋」
ローズさんが口を挟んだ。
「そうそう。探偵みたいに人を探したりもするけど、基本的には人を助けるのが仕事でね。秘密厳守、親切丁寧がモットーらしい。もし本当に困ってるなら、頼ってみない?大丈夫、信頼できるから」
秘密厳守、親切丁寧か…。
しかも、店長さんからの『大丈夫』とのお墨付き。
その台詞は謎に俺を安心させた。
さっきはテンションが変に上がってた所為か、やたら開き直ってたけど、そんな風に言われて心が動いたかも。
何しろ未練がないわけない。
どうせ駄目元だし、良いかな。
「あの、じゃあ、頼めますか。出来れば今すぐに」
何度も言うがあと3日だ。
それ以内になんとかしないとクビ、急がなければ。
グッと残りのビールを飲み干した。ぬるい。
藁をも掴むってヤツか。
やってやろうじゃないか。
「それじゃあ電話するから待ってて」
そう言って店長は奥に消えた。
頼んだ直後にアレだけど、本当に大丈夫かな?ローズさんに訊くか。
「ローズさん? あのさ、本当に大丈夫かな」
ローズさんは口をへの字に曲げている。
「ま、腕は確かよ。なんか胡散臭いけどね。便利屋って色々しそうなイメージあるけど
、あいつら本当になんでもするわよ。犬の散歩から、臨時のバイトから、ボディーガードとか。なんか前は刑事来てたし」
刑事。驚いたけど警察に関わりがあるのなら、ちょっと安心かな?いやむしろ逆か?
「おーい、お待たせ」
店長が戻って来た。
「今からも大丈夫だって。30分後にサウスミドル8番通りのソーイング・スレッド劇場まで来てくれって」
おお。あそこならここから歩いて30分かな。
ソーイング・スレッド劇場は150年前に建てられたらしい、歴史のある劇場だ。
規模が大きい訳じゃないけど内装や雰囲気が心地良くて、人気がある。
人情と市場で賑わうサウスシティの、名物の一つ。俺も時々行く。
「入口の右側のベンチに座っているらしいから。いってらっしゃい」
「はい。どうもありがとうございました」
お代を払って店を出た。
乗り合い馬車があったけど、お金勿体無いし乗らない。
幸い良い天気だから散歩気分で行くか。
ああなんだか、年甲斐も無く(いやまだ28だけどね)ワクワクして来た。
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ソーイング・スレッド劇場には、約束の五分前に着いた。
思ってたより遅くなったのは、途中で強面のお兄さんに声をかけられるというアクシデントが発生したからだ。
怖かったが、道を訊かれただけだった。
「さて、右側のベンチねえ…」
入口のすぐ脇、白いベンチ。
まだ来てないのか誰も座ってない。
少し離れた所で屋台の果物が売っている。
あーなんか小腹空いたし、買おうかな。
なんて呑気に眺めていたら、屋台でリンゴを買った人影が、ベンチに座った。
おお! もしかしてあの人…?
ドキドキしながらなるべくさりげなく近づく。
……ところが、そこに座ったのは、さっきの酒場の店長より更に老け込んだお爺さんだった。
丸メガネをかけて、背中も随分曲がっている。
そのお爺さんは手をぷるぷる震えさせつつ、緩慢な動作で紙袋からリンゴを取り出すとシャリっと音を立てて齧った。
うわあ…。 あの人では無い。絶対。
きっと偶然だろう。ウンウン。
「でも…参ったなぁ」
俺は懐中時計を見た。
もう約束の時間だ。
なのにそれらしい人物はいないし、待ち合わせのベンチにはどこかのお爺さんが居るし、どうしたものか。
いや、考えてても仕方ない。待つか。
そろそろとベンチの前まで行った。
お爺さんはすっかり腰を落ち着けている。
「あの…すみません」
「……! どうかしましたか?」
受け答えは割と明瞭で、内心ホッとした。
相変わらず手はぷるぷるしてるが。
「ちょっと待ち合わせしてて、お隣よろしいですか?」
「ああ、もちろんですよ。どうぞ」
にこやかに片側に寄ってくれたものの、退く気は無いらしい。
ええい、知らね。
ありがとうございます、と言ってから座った。
ああなんか、疲れたな…。
「待ち合わせとは、どなたと?恋人ですか」
お爺さんはニコニコとこちらを向いた。
恋人…2年前から募集中だよ。ちくしょう。
「残念ながら違います。えーと、仕事関係で」
「おや、そうでしたか。大変ですねぇ」
お爺さんはゆっくりリンゴを齧る。
食べるペースは遅いのに、もう半分近く食べ終わっている。
することもないからバレない程度に観察していると、突然顔をしかめた。
え? 何? 歯槽膿漏? 大丈夫かな?
とか思っちゃったけど違った。
「これはちょっと酸っぱいなぁ。5番通りの市場なら、良く熟れたのが売っているんですがね。ところで貴方、リンゴは甘いのと酸っぱいの、どちらが好みですか?」
なんだこの人、やたら話しかけて来るなぁ。
ああアレか。良くある話だ。
仕事は引退し、妻には先立たれ、息子達は自立して、楽しみと言えば土いじりくらい。
でも土は返事をしてくれない。
だから時々、こうして誰かと喋りたくなる…。
やばい、目頭が熱く…。
なんとも失礼な考えを隠すように、明るく応える。
「私は、リンゴは甘い方が好きですね。田舎の庭になってて、それがまた美味しいんです」
お爺さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「おやおや、そうですか。いやね、知り合いにリンゴは酸っぱい方が好きと言う酔狂な奴がいまして。自分も甘い方が好きなので良かったです。いや、貴方とは気が合いそうだ」
「そうでしたか。どうも」
「相性が良いか否かは、信頼関係を構築する上で非常に大切ですからね。うん、人柄も良さそうだし、今回は相手に恵まれたかな」
ニコニコ話すお爺さんに、返事ができなかった。
信頼関係?人柄?今回は…?
何を言い出すんだこの人は。
俺が困惑していると、お爺さんはイタズラっぽく笑って、立ち上がった。
ただ、先程とは様子が違う。
背筋はまっすぐ伸びて、体の震えも無い。
そして徐にこちらに向き直った。
「この度はご利用いただき、誠にありがとうございます。秘密厳守、親切丁寧、迅速対応。貴方の為に全力で尽くしましょう」
その声はさっきまでのしわがれた、老人らしい声では無かった。
良く通る、少し低めの、しかし確実に若者の声。
お爺さんは恭しく礼をすると、首元に手をやった。
そしてそのまま、顔を剥いた。
一瞬時が止まったのかと錯覚した。
バリッと音を立てて老人の顔のマスクを外すと、出てきたのは、若者どころか明らかに少年と思われる人物。
年の頃は15、6か、正直言って美少年だ。
陶器のような白い肌、切れ長の目、形のいい唇、すらりとした鼻筋。
空を思わせる青い瞳と、染めたものでは無い天然の綺麗な金髪。
男の俺でさえ見惚れた。
まるで人形みたいだ。
「改めてまして。便利屋アンサー、代表取締役社長、ルーク・ガルシアです。よろしくお願いします」
ルークと名乗った少年は、にっこりと笑った。
「まずは依頼内容をお伺いします。さて、行きましょうか」
書きためたやつです。