感情移入という幻想を上手く操る事ができない
相手の立場に立つ視点、立って見て気付いたが、
これは相手が、等身大の存在として居ないと、難しい。
どれだけ想像力が豊かでも、視点としての相手が居ないと、圧倒的に情報量が不足する。
不確かな視点では、瑞々しく刺激的に情報が想像創作できない。
また感情移入する相手が、刺激的な存在じゃないと、感情移入しても、心が動かされないのだ。
逆に感情移入する存在が刺激的じゃ無くても駄目で、感受性が腐っていると、これも何も感じず、心動かさない。
解決法は、他者の過大評価に、自己の自我を増大させるのだ。
幻想を操る事ができなければ、いけない。
これが、弱者は小説が上手く書けない本当のわけだ。
それがコレよって話。
つまりは、相手の立場に真の意味で立つ事ができない弱者は小説すら書けない
現実において、他者に感情移入して生きる事ができないって事は致命的。
老人のように、他者に感情移入すると、死ぬしかないからな。
さらに言えば、弱者は弱者にすら優しくできない。
それと比べて、強者は圧倒的よ、何でもできる。
弱者の立場に成る事もできる、だが逆は無理だ、
弱者は強者に成れないからだ。
俺は強者だから、だから何でもできる。
こういうのが、自我の肥大化って奴なのか?
そして、お前にはできるよって、そんな風に嘘でも言ってればいいのか?
確かに、励ましてやれば、相手は頑張るだろうって、俺の相手に対する期待値は、僅かでも上がりそうだが。
どうするか?
俺は感情移入したい、それのみがしたい。
相手の立場に立ってみたい、そして俺がどうするのか知りたいのだ。
例えその結果が、冷たくても暖かくても良い。
俺が善人なのか悪人なのか、それを知る為には、俺が何者か知る為には、そういう機会が必要なのだ。