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第2話 紅血

 わずかに開いた隙間から覗くと、その先には、見覚えのある後姿があった。

十七夜月(かのう)……君?)

ここで何をしているのだろう? さらにもう少しだけ大きく扉を開けると、突然視界から彼の姿が消えた。状況が飲み込めないまま、桃世が屋上に足を踏み入れる。

「きゃっ!」

それと同時に上空から黒い塊が落ちてきて、ドゴオッ、という爆音とともに、一瞬前まで紅亜が立っていたはずの場所にひびを作った。コンクリートの破片が、ぱらぱら桃世の方まで飛んでくる。咄嗟に顔を覆った後、ヒュッと風を切る音に、彼女は腕を外して目の前に視線を戻す。眼前すぐに迫ったギラギラと黄金色に輝く2つの目玉と対面した。


「……え?」


彼女が首を傾げた瞬間、その目玉が目の前からふっと消えた。代わりに、右の方から消えたはずの紅亜(くれあ)が現れる。一拍遅れて、左手の遠くからコンクリートの崩れる音が聞こえた。

「っ!?」

思わずそちらを見ると、不思議な生物がいた。真っ赤な肌に、筋骨隆々の四肢。そして、頭部から生える二本の突起。ちょうど、昔話の絵本でよく見る赤鬼によく似ている。

「何あれ? 着ぐるみ?」

呆気にとられていると、突然思いきり右肩を掴まれた。驚いて振り向くと、紅亜が眉間に皺を寄せていた。


「あ……十七夜月君」

「お前、何してるんだ」

苛立ちを滲ませた声で詰問する。彼の様子に怖気づきながらも「何って……」と口を開いた瞬間、鬼の着ぐるみが立ち上がるのが視界の端で見えた。


 紅亜は軽く舌打ちすると、桃世を背後にかばってそれと対峙する。

「行け」

鬼を睨みつけたまま、彼が呟く。訳が分からず、それでもおどおどと二者を交互に見る彼女に、しびれを切らして叫んだ。

「早く逃げろ! 死にたいのか!?」


 その瞬間、目の前の鬼が高く跳び上がって二人の頭上を越えてゆく。そのまま背後に回ったそれは、先ほど桃世が入ってきた扉を拳で殴りつけた。鉄でできているはずのそれは、飴細工のようにいともたやすくぐにゃりと歪む。

「ひっ!?」

「っ! あいつ……!」

苦々しく吐き捨てると、紅亜は桃世の腕を掴んで走る。咄嗟のことに桃世がよろけるのにも構わず扉のある場所とは反対の方へ回ると、そこに彼女を座らせた。

「ここにいろ。邪魔だ」

「ちょっと待ってよ! あれは何!?」


「説明は後だ。死にたくなければ絶対に動くな」

死という単語に桃世が息を詰まらせる。その時、ズン、ズンという足音を鳴らして、紅亜の背後に先ほどの鬼が現れた。先ほどまでの素早い身のこなしは幻だったかのように、その歩みはのんびりとしている。まるで、二人を嬲って弄んでいるようだった。


 彼は異形と再び向かい合う。空気が冷たく張りつめて、一瞬の空白が訪れる。


「来い」


 紅亜のその言葉を皮切りに、鬼がゴッという音を立てて向かってきた。それが振り下ろした拳は、しかし、再び屋上のコンクリートを割るだけだった。

「遅いな」

頭上から声が聞こえる。見上げると、屋上のさらに高い位置で、紅亜が表情一つ変えずこちらを見下ろしていた。一瞬前まで桃世の目の前にいた彼は、そこに設置された避雷針にもたれかかって立っている。


 ギリ、と鬼は歯ぎしりし跳び上がる。そのまま紅亜の頭を狙って真横に腕を一閃させるが、それを見切った彼は後ろに跳び退く。彼の代わりに、避雷針がバキッと音を立てて犠牲となった。


 鬼は悔しそうに雄叫びを上げながら紅亜に突進し、腕を振り回す。紅亜はその度に、左右に跳んでそれをかわす。次第に、鬼の動きに疲れが見えてきた。一瞬の油断をついて、紅亜はそれの攻撃をかわしがてら脇をすり抜ける。通り抜ける瞬間、突き出された鬼の爪が彼の髪をかすめ、わずかに切られた髪が2、3本ほど宙を舞う。鬼の背後に回った彼は、先ほど折れて鉄の棒と化した避雷針を拾い上げ、刀の要領でそれを構えた。


 生意気だと言わんばかりに苛立って吠える鬼。しかし、不意ににやりと口元を歪める。紅亜がその表情に気を取られた瞬間、鬼は彼の頭上高くを跳び越えて彼の背後へ消えた。



(――まさか!)

気づいた彼は、鬼の後を追って跳び下りた。





 頭上で戦いが繰り広げられている。その音を感じながら、桃世は震える自分の身体をぎゅっと抱きしめる。今のところ、物が壊れるような音しか聞こえていないから、紅亜はまだやられていないと思うが――。

(あれは、何?)

最初は放送部の撮影か何かかと思った桃世でも、さすがにあれが人間でないことくらい理解した。ただの着ぐるみが、鉄製の扉をあんなに簡単に壊せるはずがない。じゃあ、人間でないとしたらあれは一体何者なのだろう。


 化け物。おもむろにその単語が頭をよぎった。この現代において、そんな非科学的なことを考えたくはないが、だからと言って他に説明のつけようもない。そして、それと普通に渡り合っている十七夜月紅亜。彼もまた、化け物なのだろうか?

 ぐるぐると混乱する思考に眩暈がしてくる。駄目だ、今は何も考えず、この場から生きて帰ることだけを考えよう。桃世は己を落ち着かせようと、掌で顔を覆った。


 突然、近くでドスンという音がした。紅亜だろうか。彼女が恐る恐る顔を上げると、ぎらつく1対の目と対面した。それは、桃世の姿を認めると、にんまりと三日月の形に歪む。


「――っ!」

喉からひきつった音が漏れた。逃げろ。本能が警鐘を鳴らす。死ぬぞ。早く立ち上がれ。しかし腰が抜けてしまったのか、彼女は立ち上がることができない。力の入らない足は、コンクリートの床を無様に掻いて泳ぐだけだ。


 そうしているうちにも、鬼はのっしのっしとこちらへ近づいてくる。少しだけ身をかがめて桃世の顔を覗き込んだ化け物は、下卑た笑みを浮かべた。歪めた口角から、黄ばんだ鋭い牙と真っ赤な舌がちらりとのぞく。


『オマエ、ウマソウ』


 おしまいだ。桃世はぎゅっと目を閉じた。暗闇の中で、家族や友人の顔が次々と浮かんでは消えていく。ドスッという鈍い音がすぐそばで聞こえた。



 ……しかし、襲ってくるはずの衝撃は一向にやってこない。不思議に思った桃世は、固く閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。


「!?」

そこには紅亜がいた。彼の背中から、化け物の鋭い爪が見えている。腹を貫通した腕を、左手でがっちりと握って押さえ込んでいた。彼の足もとには、傷口からどくどくと流れる血が赤黒い水たまりを作っていた。


「十七夜月君!!」

桃世が叫ぶと、返事の代わりに開いた彼の口から血が溢れだす。それに構うことなく、彼は渾身の力を込めて、捕えられた腕を引き抜こうと目の前でもがく化け物の胸めがけて、持っていた鉄の棒を突き立てる。


『アアアアアアアアアアアア!!』

化け物が苦悶の雄叫びを上げる。紅亜は歯を食いしばり、化け物の腕を押さえていた手を離して両手で鉄の棒を持ち直すと、ぐっと捻じりながらそれをさらに奥深く押し込む。途端、化け物はビクッと痙攣し、『ア……ア……』と喉の奥からひきつった声を漏らした。


「……終わりだ」


 勢いよく棒を引き抜く。胸にぽっかりと空いた穴から、赤黒い血が噴水のように吹き出して二人の顔を染める。ぐらりと傾いで倒れていく巨体を、桃世はただ茫然と眺めていた。


「……っ」

次いで、糸が切れたかのように、紅亜もどさりと血だまりの中に倒れる。そこで我に返った桃世は、四つん這いで彼に近づき、恐る恐る震える手を彼に伸ばす。


「か、十七夜月君……」

肩を揺さぶっても、何も反応がない。このままでは死んでしまう。

「そんな……嫌だよ……。目を覚まして、ねえ……」

自分ではどうすることもできない。助けを呼ぶべきか。誰に? 担任? 保健室の先生? 呼んだとして、この惨状をどう説明するのか? 混乱していた桃世は、壊れた人形のようにただ「十七夜月君、十七夜月君」と呼びかけその身体を揺さぶり続けた。


 突然、紅亜がかっと目を見開いた。驚いた桃世は、思わず手を離し後ずさる。その足首を、血まみれの手が掴む。強い力で引き倒された彼女は、背中をしたたかに打ち付けた。呼吸が止まったその一瞬のうちに、紅亜は桃世の手首を床に押し付け、彼女の上に覆いかぶさる。

「十七夜月く……」


「お前、美味そうだな」

「……っ!?」


 化け物が発したのと同じ言葉に、背筋に冷たい衝撃が走る。逃げなきゃ、と直感的に感じ取り、何とかして彼の下から抜け出そうともがくが、ぐっと体重をかけられさらに押し付けられる。コンクリートの上を滑っていた足の間に膝を割り入れられ、いよいよ身動きがとれなくなった。


 ゆっくりと降りてくる血に染まった唇の間で、白い牙が光ったのが見えた。


「いや! やめて、十七夜月君!」

桃世はなおも必死に抵抗する。しかし、彼女が首を振るのにあわせて栗色の髪が床に散らばるだけで、紅亜の身体はびくともしない。

 白い牙が、嬲るように一瞬首筋にそっと触れ、それからぐっと押しつけられて皮膚を突き破った。


「――っあ!」

噛みつかれたところに鈍い痛みが走り、血液を押し出すように傷口がどくどくと脈打つ。あふれ出る温さを一滴も零すまいと、肌の上をぬるりと舌が這う。


「……っん、く……はあ……、甘い……」


 紅亜は、夢中で喉を鳴らしながら彼女の血を啜る。合間に少し唇を離しては、甘い、甘いとうわごとのように繰り返した。


「あ……あぁ……」


 頭の中が真っ白になり、言葉を発しようとしても意味をもたない声が喉の奥から漏れるばかりだ。血が足りなくなってきたのだろう、指の先が冷たく痺れ、だんだんと力が抜けていく。



 ここで死ぬのか。そう悟ったのを最後に、桃世の意識はふっと闇の中へ沈んだ。




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