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紅血奇譚 -bloody tales-  作者: 陣内山都
プロローグ
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プロローグ

 真っ白な雪原にいた。

 何をするでもなく、ただ、白い世界の真ん中に座っていた。白いノースリーブのドレスワンピース姿で、我ながらよく寒さを感じないものだ。

 そっと、膝元の雪を掬ってみる。柔らかい冷たさをもつそれは、くっつけていた両手を離すとさらさらと元の地面へ零れ落ちていった。

 ぽつりと、純白の中に一点朱が浮かぶ。何事かと思っているうちに、赤い点は、ぽつ、ぽつと、数を増やしていく。頭上を見上げると、同じ色の雫が空から落ちてきて、それはだんだん勢いを増してどしゃ降りになった。

 みるみる血の色に染まる風景を、ただ茫然と眺めていた。



「夢……」

目を覚まして、第一声はそれだった。酒木桃世は、深い溜息を吐いて額に手をあてる。

(もう……何なのよ、これ)

最近、ずっとこの夢を見る。雪原で血の雨に打たれる、ただそれだけの夢。誰かに殺されたり、事故に遭ったりといったようなものではないにせよ、血の雨が降るという夢は決して気分のいいものではない。しかも、雨の感触が妙にリアルなのだ。よけいに気分が悪くなる。今でこそ慣れてしまったが、最初は思わず悲鳴を上げて飛び起きてしまったものだ。

(夢は潜在的な願望を表すとか言うけど、あんなに大量の血を欲する趣味はないわ……)

頭を掻きながら枕元の時計に目をやる。起きるには少し早い時間だが、二度寝という気分にはなれない。桃世はベッドを降りて、1階のリビングへ向かった。


 リビングでは、母が食卓に皿を並べているところだった。

「母さん、おはよー」

「おはよう。最近早いのね」

「んー、まあね。何か手伝うことある?」

小さくあくびをしながら尋ねる。部屋を出ていきかけた母は、桃世の言葉にドアから顔だけを出してうーんと唸りながら思案する。

「そうねえ、じゃあご飯よそってもらえる? もう少しで炊き上がるはずだから」

「はーい」

気の抜けた返事をして、いったん洗面所へ向かう。冷たい水で顔を洗うと、少しだけすっきりした気分になった。

「おはよう、もう起きてたのか」

「あ、父さんおはよう」

顔を拭いていると、パジャマ姿の父が入ってきた。眠そうに大あくびをしながらシェービングクリームを手に取る。桃世が起きる時はいつも先に洗顔も済ませて食卓についている父が、今朝はどうやら少しだけ寝坊をしたようだ。

「父さんはちょっと遅かったんだね」

「ああ。どうも布団から出られなくてね。遅刻するぞって母さんに怒られた」

まいったよと頭を掻く父に笑っていると、炊き上がりを知らせる炊飯ジャーの音楽が聞こえた。桃世はキッチンへ向かい、味噌汁の鍋をかき混ぜる母の隣に立って湯気の立つ白飯をよそった。


 リビングのテレビからニュース番組が流れている。いつの間にか、父がつけていたのだろう。電車の人身事故の速報をアナウンサーが読み上げていた。

「えっ、やば……くないか、いつも乗ってる線じゃないんだ」

「まあでも、確かホームは一緒だろう? 混雑はしているだろうから注意しなさい」

「はーい」

運んできた朝食を並べながら、新聞を読む父と会話を交わす。

「電車だけじゃないわよ。最近色々と事件も多いし、本当に気をつけなさいよ、桃世」

おかずと湯呑の乗った盆を持った母が、テレビに目を向けながら溜息を吐く。番組では話題が変わり、つい最近起きたばかりの通り魔事件に対して論じるコメンテーターが映っていた。

「分かってるって、大丈夫だよ」

呑気に答え、「いただきまーす」と箸を持ち上げると、母は「本当に分かってるんだか」と、またもや溜息を零した。



 最近は物騒だし、女の子は気をつけろ。よくそういう風に言われる。確かにそれはそうだろう、世の中では一応、女性は色々な面で不利だから付け狙われやすいというのが一般的である。それに心配してもらえるのはありがたい。だからその度に「分かった」と返事をする。

 しかし、こんな平凡でどこにでもいるような、いやむしろ、危なそうな場所には近づかない、危険な時間帯には一人歩きをする習慣のないような模範的で目立たない女子高生が、何かの事件に巻き込まれることなんてあるのだろうか。いまいち自分ではピンとこない。派手に遊んでいるわけでも、目立つ格好をしているわけでもない。お世辞にも、歩けば周りの目を引くような顔立ちでもない。本当にぱっとしない、それこそ平均をとったような存在だと、桃世は自分のことをそう評価している。見知らぬ誰かの目に入ったとしても、「ああ、あの制服はあの高校の学生だな」程度で終わってしまうし、「酒木桃世」という意味のある存在として成立するのは、家族や親しいクラスメイトの中でしかありえないのだ。こうして朝になれば家族と食卓を囲み、人ごみにもまれながら学校へ行って、授業が終われば家へ帰る。何の面白味もない生活が、彼女の世界のすべてだ。

 そんな自分が、誰かの目に留まって狙いすましたかのように事件に巻き込まれるなんて、まったくもって想像がつかない。そんなことがあるとすれば、運悪くたまたま事件の首謀者の近くに居合わせていた「通行人A」となってしまった場合くらいのものだろう。テレビの中から聞こえてくる現実の事件は、桃世にとってはおとぎ話に近い何かにしか感じられなかった。

(ま、実際に巻き込まれても困るだけだしね)

吊革につかまりながら、窓に映る寝不足の顔を見つめる。面白味のない人生だとは思うが、不満だと感じたことはない。何事も、平穏無事に暮らすのが一番。それは自ら冒険することと同じくらい大変で、大事なことだとも思う。さとり世代? 大いに結構。自分の程度をわきまえて身の丈にあった人生を送るというのも一つの才能だ。


「桃世おっはよー!」

「あ痛っ! ……って、なんだ芽衣か、おはよう」

駅を出て学校へ続く道を黙々と歩いていると、後ろから肩を思いっきり叩かれた。振り返ると、クラスメイトの芽衣が悪戯っぽく笑って小首を傾げていた。肩辺りまで伸びたツインテールがぷらぷらと揺れている。

「なんかリアクション薄くない!? 桃世は朝いっつも元気ないよねー」

「あんたが元気すぎるだけでしょ。ったく、毎朝よくそんなに騒いでいられるよ」

「あ、佳織おはよう」

「おはよう桃世、ごめんねー朝からこのバカがうるさくて」

遅れて歩いてきた佳織が、芽衣のこめかみをぐりぐりと拳で刺激しながらにっこりと笑う。鉄拳制裁を受けている芽衣は、彼女の胸の前でぎゃあぎゃあと悲鳴を上げているが、どうやらそんなことはお構いなしのようである。気だるげな口調とは裏腹のとても爽やかなその笑顔に、桃世は思わず苦笑した。

(ほんと、平凡だけど平和な人生)


 こうして毎日普通に友達と騒いで、普通に進学し、普通に就職。その中で知り合った誰かと普通に結婚して、普通の家庭を築く。多少の変更点は出てくるかもしれないが、それが、この先に待っている人生だと、そう思っている。

 ……そういえば、そろそろ進路志望調査票の提出だったっけ。前を歩く友人二人が言い合う声をぼんやりと聞きながら、桃世は小さく欠伸をした。


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