(90)
最終回です。
少女はいま、これを読んでいるのでしょうか。
少女はまだ、私のあげた本を持っていてくれているのでしょうか。
私は作家を辞めた。
依頼されていた新作も蹴ってしまった。
それ以来出版社からの連絡には対応すらしていない。業界から逃げる様に音信を断った私を根気よく追い続けた人間も僅かにいたけれど、それも次第に消えていってしまった。だからこれは最後の執筆作ということになるのだろう。私はすべてを語り終えるつもりだ。
手帳に記載されていたURLとパスワードはRiHの機能をフル活用して、人類が編み出してきたすべての本を読んだ結果、というものを私に付加するシステムを起動するための鍵だった。どういうことかと言うと、ようするに私はすべてのフィクションを読んだのだ。電子書籍の天下であり、全書物の電子化が達成された現代だからこそ楽しめる文字通りのフルコース。不思議と脳が容量オーバーでパンクすることもなく、ただ宙を舞うようなふわふわした感覚だけが私を包んでいた。
どうして私が作家を辞めたのか、理解しえぬ方もいるだろう。むしろ理解した人がいることを期待していない。今回の文章は私の内心を吐露するためのものであって、誰かに読ませるような代物ではないからだ。読者に優しい文章を書く気力が残っていれば、私はまだ作家を続けていたことだろう。
作家を辞める直接のきっかけは、忠島氏がURLに仕込んだ、RiHへの干渉システムを起動させてしまったことにある。
すべての物語を読んだ私。
その瞬間から頭の片隅を掠めていた一抹の不安が、そこで顕現されてしまったのだ。干渉によって新たにRiHへ備わった機能は、詩宮伝承が見ていた景色を実体験する機能だった。すなわちそれは、数字の羅列を可視化する機能。
さてここで、RiHによる読書最適化を思い出してみよう。
「この本を読了したユーザーはこちらの本もチェックしています」や「この本をお気に入りに登録したユーザーにおすすめの本はこちらです」という類の購買誘導システム。詩宮伝承の才能から転写された、「物語を読む」システムエンジンが膨大な情報を噛み砕き、一定のパターンの集積を具現化する機構。
思わず見過ごされがちだが、「あなたにおすすめの本です」と提示される本はあくまで数ある書籍の中の一部に過ぎない。だから例えば、読むと楽しい感覚を得られる本をおすすめする場合、膨大に存在する同系統の本の中から数冊だけを選び取って提示するわけだ。
当然そこには選ばれていないだけで大量の本が眠っている。では、選ばれなかった本たちはどうして選ばれなかったのだろうか。
なぜならその本を読まずとも、楽しい感覚を得られる書籍なんて掃いて捨てるほどあるからだ。その本が存在しなくとも、もっと面白い本がすでに書かれているからだ。
あなたが書かずとも、その感情はすでに小説にされている。
あなたが書かずとも。
わたしが書かずとも。
なんとなく理解していただけただろうか――。
つまりはこういうことだ。
「楽しい」
(301794753207459204245)
「悲しい」
(567739201937202640022)
「嬉しい」
(39749463302726254925)
「怖い」
(4729029934037043693)
「愛してる」
(1383638238826059630272)
これがいわゆる「数字の羅列」だ。
この数字は、それぞれの感情を描いた作品がどのくらい存在しているかを示している。
例えば、楽しい、という感情を謳った作品は301794753207459204245作品存在しているというわけだ。このように同系統の作品がどれだけの数、すでに書かれているかをRiHは教えてくれる。おそらくこれこそがテラリオンのプログラムにも用いられた物語解析エンジンの全力だ。エンジンに物語を読ませ、「この作品とこの作品は同じようなものですね」と言わせるのだ。それを、驚くべきことに全フィクションで行っている。
詩宮伝承を苛んだ数字の羅列、これがその正体だ。
ところで、違和感を抱いていた読者もいたかと思うのだけれど、この文章には全編を通して章番号という概念が存在していない。
ただ、文章は部分部分で分割されており、私の思惑通りに事が運んでいるのであれば、それぞれの箇所の直後には逐一何らかの数字が浮かんでいただろうと思う。
それは例えば(1)や(920)や(972)そして(102)はたまた(835509573549463903807251614735323)という数字であったはずだ。
もしそれらの数字が見えていたならば、それはあなたにも数字の羅列が見える様になったという証拠だ。この文章を開くと同時に、RiHへの干渉プログラムが走り、あなたのRiHも私と同じ仕様に変更されるようウィルスを仕掛けさせてもらったのだ。忠島早紀が再現した詩宮伝承の才能が、あなたにも疑似的に転写された。
唐突な暴露に不快感を隠しきれぬ方もいるだろう。しかし安心して欲しい。その不快感は別段あなただけの感情ではない。同じ思いを抱いた人間は大勢いることだろう。つまり、その感情にオリジナリティはない。
そう、問題はオリジナリティだった。
数字の羅列が見えるようになったばかりの私は、それでも新作SFの執筆を諦めるつもりなどこれっぽっちもなかった。私の新作を待ち望む読者がたくさんいるということを知っていたから。コンベンションで出会った少女がそれを教えてくれた。
だけれど、いくら書こうがそこには忌々しい数字の羅列が現れてくる。
「私が書いている物語はすでに誰かが書いたものの後追いにすぎない」
「あなたが書かなくてもその感情はすでに誰かが物語として発表している」
そう語り掛けてくるように。
そう、諭すように。
それでも私はめげなかった。
RiHの機能を調整し、多少の重複ではカウントを行わないように変更した。つまり、ほぼ相似しない限り物語の重複とはしないと設定したのだ。これで数字に邪魔されずに執筆を続けられると安心した。
しかし。
(38)
数字は消えてくれない。確かに桁数は圧倒的に減ったが、それでも数字が「1」になることはなかった。
(14)
どうして。
(19)
どうして私は、私にしか書けない物語を生み出すことが出来ないんだ。
(376)
そして、ようやく理解した。
忠島氏が言っていたことじゃないか。
この世界は枠の決まったパズルのようなものだと。
俺はフィクションの臨界点を見たのだと。
手帳に書かれていた引用。
D.J.サリンジャー、ライ麦畑で捕まえて。
「何よりもまず、君は、人間の行為に困惑し、驚愕し、はげしい嫌悪さえ感じたのは、君が最初ではないということを知るだろう。その点では君は決して孤独じゃない、それを知って君は感動し、鼓舞されると思うんだ。今の君とちょうど同じように、道徳的な、また精神的な悩みに苦しんだ人間はいっぱいいたんだから。幸いなことに、その中の何人かが、自分の悩みの記録を残してくれた。君はそこから学ぶことができる」
人類が物語を紡ぎ始めてからどれだけの時が経っただろう。
「わたしは孤独でありたかった」
完璧なる孤独を享受した人間なんて、この世にはもう残っていないんじゃないのか。
小説家は自分の感情を物語にした。
小説家でなくたって、物語を生んだものはいる。
数えきれない人間が自らの悩みの記録を残した。
震える声で私は言おう。
「The world is enough.」
世界はもう、完璧だったんだ。
パズルはすでに完成し、余分なピースだけが溢れ続けている。
人類は、人類が生み出し得るすべての物語を生み出してしまった。
オリジナリティという概念の消失。
私は、私にしか書けない物語というものが、この世にはすでに残っていないという事実に気がついてしまった。
色の数が人間の視覚能力によって決定されるように、人間の想像力によって物語の規定数が限定されてもおかしくはないだろう。数千万年かけて人類は、自らの想像力を消費し続けてきた。私の世代に残ったのはその絞りかすだ。すでに誰かの手垢がこびりついているものばかりだ。
もしかすると私はずっと前から予感していたのかもしれない。広島駅にてデリートキーを長押しした時の安心感。世界に余分な物語を送りだす失態をしなくてよかった、とでも言うかのように。
膨大な物語に侵され、そして犯された私は、人間が経験し得るすべての事象を読書という形で経験してしまった。よく言うではないか。物語を読むことは誰かの人生を追体験することだと。その理屈に沿うならば、私は何事にも代え難い貴重な経験をしてしまったことになる。究極の普遍性へ、足を一歩踏み出したのだ。
「私」というものの集積が、「わたし」へと近似していき、いずれ「あなた」と相似する。私の愛するオリジナリティとは程遠い状態。国のオリジナリティ。都市のオリジナリティ。ハンバーガーのオリジナリティ。原爆ドームのオリジナリティ。そんなもの、もうどうでもよかった。
どうでもいいのだ。もうどうでもいい。
何もかも。
私にしか書けない物語がすでにこの世に存在しないと気づいた後、まず思い浮かんだのは一冊の本だった。ファンの女の子にあげたのと同じ、製本された私のデビュー作。
「なにより、あれは、あなたにしか書けない物語だったと思うんです」
少女の声が記憶の奥から響いてくる。
止めておけばいいものを、棚に飾ってあるそれを手に取り、そして表紙をめくった。
これが紙の手触りだ。
すべての本が電子化される前、RiHなど存在しなかった時代の人たちが愛した古典的感覚。
もしも紙の本が生きており、電子書籍との共存関係を上手く保っていれば、こんな悲劇は起きなかったのだろうか。
オリジナリティなどこの世にすでに残されていないと気づかなくて済んだのだろうか。
(25)
私はこの数字を見なくても済んだのだろうか。
「あれは、あなたにしか書けない物語だったと思うんです」
少女の声がまだ頭の中をこだまする。
私の頬にはいつの間にか涙がつたっていた。
(102)
詩宮伝承が予感したフィクションの終末とは、本当にこれだったのだろうか。
忠島氏と私は、彼がテラリオンを制作した動機は未来に希望を託すためだと予測した。本当に彼はこの数字の羅列を知覚しながらも、オプティミストでいられたのだろうか。だとすれば詩宮伝承は本当に天才だったのだ。この悲劇を受けながらも、未来の作家のために「書くことの面白さ」を伝えようとしたのだから。
きっと次世代の若者たちが素晴らしい物語を紡いでくれることを願ったのだろう。終末の訪れた後の世界にも物語る余地は残っているのだと抗い続けたのだろう。
詩宮伝承は物語に自由を信じすぎた。
私のような人間が現れることを想像しなかったのだろうか。
オリジナリティにとり憑かれた、ペシミストを。
私は詩宮伝承のようにはなれない。もう、なるつもりもなかった。
だから私は彼の希望を終わらせることにする。
この文章を読み終わった後、あなたの脳にはすべてのフィクションが流れ込んでくるように仕組んでおいた。私が体験したフィクションの臨界点を全世界の人たちにも体験していただこうと思うのだ。私を非難するなら構わない。先述したように、今の私はすべての感情を経験済みなのである。それはあなたの感じている「失望感」や「嫌悪感」ですら例外でない。
まあ、ゆっくりと待っていて欲しい。
ハンバーガーが手に入るなら、その普遍性を食しながらでもいい。
グローバリズムの名の下に、私は無個性を無差別に世界へ輸出する。
さあ、すべての感情が普遍のものとなる。
もはやあなたと私を区別する指標は消え去った。
ようこそ、いらっしゃい。
(90)
ここはフィクションの臨界点だ。
ここより先にフィクションは存在しない。
一つの到達点として打ち止めされている。
ゆえに、この線を越えた先には模倣の模倣の模倣の模倣の模倣だけが浮遊している。
あなたがどういった言葉を書き記そうが、その表現には先駆者がいて、新しさは喰い尽されている。
オリジナリティの崩落。
わたしの希薄化。
普遍性。
まず何から話せばよいか、私は考えあぐねていた。
しかし、ようやく理解した。
私が語るべきことは。
何もない。
何も。
何一つ。
一つ。
一つ……あるとすれば。
「ごめんなさい」
思い出すのは一人の少女。
あなたもやがてこれを目にすることになるでしょう。
だから言わせて。
ごめんなさい、と。
物語ることの根底には、こんな絶望が待っていたの。
私はそれに抗えなかった。
私はペシミストだから。
「ごめんなさい」
もしこの言葉が届くのならば、時間は歩を止めてくれるだろう。
叶うのならば、この言葉があなたの胸に届き、その物語に普遍的な死を運んでくれますよう。
これが、すべてだ。
わたしたちはもう、なにも書かなくていい。
なにも。
書く必要なんてない。
なにも、書かないで下さい。
どうか。
もうなにも、
かかないで。
(39)
(了)
引用:D.J.サリンジャー「ライ麦畑で捕まえて」(野崎孝訳)
ありがとうございました。
もしも感想を頂けたら嬉しいです。
「活動報告」にあとがきと次回作について投稿しましたので、よろしければご覧ください。