第5クエスト サーカス団“ノアの方舟”
こっちに帰省して早十日が過ぎた。
俺と氷空は、しばらく門下生に交じりながら稽古に勤しんだ。町内を軽く走って、柄のすり減った竹刀を振って感覚を徐々に取り戻していった。
そして本格的に世間がお盆休みに近づき始め、道場もしばらくは休み期間に入った。それでもなお、俺は稽古に勤しんだ。もっと上に行くためにだ。だが、さすがのお盆期間に入ると、じいちゃんも休みたいということで稽古相手がいなくなった。氷空は氷空で『課題が―! 数学がー!』と嘆いていたので、しばらく俺が、彼女の家庭教師を務めた。
そんな、八月十三日の朝。
いつも通りの時間に起き、ばあちゃんが作った朝食にありついていると、氷空があるチケットを持ってこっちにきた。
「おはよー……お兄ちゃん」
「あぁ、おはよう氷空。まだ八時前だっていうのに珍しく早いな」
「うん……だってここ最近早起きして稽古してたからね―……習慣になったのかな―?」
「んなわけないだろー? まあ早起きはいいことだ。それよりそのチケットは? もしかして?」
「うんっ。例のサーカス団の招待チケットだよー。しばらく稽古もないしさ~今日行かなーい?」
「行くっつっても―……会場まで電車通ってないぞ―?」
スマホで場所を調べてみたが近くに電車は通っておらず、車か徒歩、自転車でいくしか手段はなさそうだ。
「そのー……サーカス? をやるために敷地を提供しているショッピングモールにあとで謙哉くんのお母さんと、卯月ちゃんのお母さんが車出してくれるから皆連れて行ってらっしゃい。丁度おつかいも頼んでいるから」
「そうなのか! ありがとーばあちゃん」
「いいのよ。こんな田舎町の端くれでサーカスをやってくれるなんてね~。余の末よね」
ホホホ~っと、笑いながらばあちゃんは台所の方に向かって、氷空の分の朝食を作り始めた。
九時に近づくにつれて、チビ達も起き始めた。つられて、アリスも一緒に起きてきた。
遅くまでいったい何をやっていたか聞くと、チビ達に絵本を読み聞かせていたらしい。すっかり十六夜家に馴染んだっていうか、チビ達に懐かれたな。
さてさて……今日もまた騒がしくなりそうだ。
時刻が十時をちょっと回った頃、俺たちは私服に着替え、謙哉と卯月のお母さんが運転してくれる普通乗用車に乗って、サーカスに敷地を提供しているショッピングモールに向かった。
お盆期間中、夏休みだということもあって駐車場は混みあっていたため、一足先に俺たちだけ降車してお母さん方とは一端ここで別れた。
サーカスが終り次第またここで落ち合おうと約束をしてな。その間、年長者である俺がチビ達のお守り並びに保護者的立場にある。
「んじゃあお前ら、サーカスの会場まで行くか」
「「「おおーっ!」」」
車の中でチビ達にサーカスの話をしてから妙にテンションが高くなっている気がする。やはり、子どもというのは、こういったエンターテインメントが好きなのか。まあ俺も好きだけど……ホント“ノアの方舟”というサーカス団を聞いたことがない。家にいる間にウェブで検索してみたが、発足記録、並びに過去における大きく目立った記録がない、謎の多いサーカス団だ。
気がかりなのは、なんでこんな田舎町の大型ショッピングモールの敷地を借りてやる必要がある? やるとしたら都会の大型モールでやるほうがいいと、経営に努めていたらそういうであろう。加えて、アリスが雛乃町の抽選会で手に入れた招待チケットの記載場所がなぜここだけなのかだ。ほかの場所ではしないという、何か理由があってのことか? それともここだけに絞ったのか? 町おこしの一環として、市長さんが呼んだとか? それならそれで納得がいく。
……これ以上深く考えるのはやめておこう。今はただ、純粋に楽しもう。
迷子にならないようチビ達の手を俺たちが繋いで、会場内に入った。
観客席から見える中央ステージは広く、団員の技が良く見えるようになっていた。夏だけあってテント内はエアコンが利いており、観客に何一つ不満を与えない快適性に優れていた。
俺たちが席に着いた頃に、ブゥーと、ブザーがなって演舞開始を観客に知らせた。
会場内全ての照明が消えて、すぐにステージ中央のみに照明が照らされた。中央には艶のあるセミロングヘアの金髪に赤黒白のチェッカー服を着て、シルクハットを深く被り、ステッキを持った団長らしき人物が立っていた。そしてゆっくりと顔をあげ、かぶっていたシルクハットに手をやって脱ぎ捨て。
「レディースアンドジェントルマーンッ! 本日はようこそ! 我らが “ノアの方舟”に! 団長のアリウス・F・アインハルトよ。 それじゃあさっそくでありますが、皆さん、両手を前に出してくださいー! 三、二、一……!」
爽快なまでの笑顔で観客たちに挨拶をし、パチンッ! と、指を鳴らした。すると何もないところから、俺たちの手の上に一つのキャンディが現れた。
「それはぼくからのささやかな贈り物です! それでは最後までお楽しみくださいっ」
そういって団長は、その場から姿を消した。
超スピ―ドとか、煙に紛れて消えたなんてものじゃない。瞬間的に、突然目の前を飛んでいた蚊が消えるかのように、俺たち観客の目の前から消えた。
いったいどんなマジックを使ったんだ……! そして今更ではあるが、彼女が姿を消す直前、俺とアリスの方を見たような気がした。
「なあアリス、さっきのみえ――。って大丈夫か? 少し顔色が悪いぞ?」
「……えっ? あ、え、えぇー……なんだかここに入ってから息、苦しくて……!」
浅い呼吸を何度も繰り返して、軽く過呼吸を起こしかけていた。
それを余所に、ステージ上では団員が見事なまでの曲芸を披露していた。
「……氷空、謙哉、すまんがチビ達を頼む。俺はちょっとアリスを一端、外に連れて行ってくる」
「えっ? お、お兄ちゃん!?」
氷空と謙哉に後のことは任せ、俺はアリスを連れて一端外に出た。出る前に係りの者から『休憩時間外の外への退出は再入場の対象になりませんよ?』と言われた。再入場の件は毛頭考えず、気分を悪くしたアリスを連れ一先ず外に出た。
もったいないことをした……とは微塵も思っていない。身内の一大事だったからな。
外にいるのがいいかもしれないが、熱中症のことを考えて、俺たちはショッピングモール内、入り口付近に設けられたソファに腰かけた。
「アリス。冷たい飲み物買ってくるから、ちょっと待ってろ」
彼女をソファに座らせて、近くの自販機で俺は缶ジュースを二本買ってすぐに戻った。
「……アリス、大丈夫か?」
「神夜さん……。はい……大丈夫です……! その……すみません。わたしなんかのために……」
「『わたしなんか』なんていうなよ。しかし、突然どうした? 今朝は元気だったのに……人酔いでもしたか?」
「……いいえ、違います。その、あのアリウス・F・アインハルトさんが出てきた途端、すこし悪寒と……どこか懐かしい感じがしました」
「悪寒と懐かしい感じ?」
「はい……懐かしい感じというか脳裏に薄らと……誰かとわたしが遊んでいた記憶です。悪寒というのは、背筋が凍りつくような眼差しで見られたって感じでした。たぶんですが『ようやく見つけた』って感じの……。」
「懐かしさはともかく……その、悪寒というのが気がかりだな……。あちらの世界の住人の可能性はあるか?」
「いえ。それは全く感じられませんでした。あちらから来ていたのであれば、体内魔力を微量でもわたしは感知できますからすぐにわかりますし……。あの人は紛れもなくこの世界の住人です」
魔力感知ができるアリスのお墨付きで、あの一団はこの世界の住人ってわけか。だとしてもアリスが感じた悪寒というのはなんだ? 凍りつくような眼差しで見られた感じねー。……敵意がない。ましてや俺たちは善良者である一市民の俺たちをそんな眼でみる団長がどの世界にいるというのやら。少し考えすぎなのではないだろうか。っと思うが、目をつぶるわけにはいけないし、一応頭の隅に置いておこう。
サーカスを見ている氷空たちと合流するまでの間、俺たちはじっとその場に座っていた。ショッピングモールを周るもいい。だが、何時間もこの中を周って、氷空たちと行き違いになるもあれだし。それにアリスもまだぐったりした様子であるが故、俺たちはその場に座した。
待つこと三時間ちょっと。
サーカスを見終えたであろう観客たちがぞろぞろと、ショピングモールに入ってきた。皆、満足げの顔をしており、口をそろえて『サイコーだった』『完成度の高いものだった』などと、サーカスの話題で持ちきりだった。
どうやら“ノアの方舟”の曲芸は観客の満足度百パーセントのようだ。
ぼちぼちと人波が減っていく中で、ようやく氷空たちがやってきた。チビ達も皆満面の笑みを浮かべており、来てよかったと思っているであろう。
「おーい氷空―! こっちこっちー」
「あー。やっと見つけたよー。お待たせ~お兄ちゃん。アリスさんは大丈夫なの?」
「まあ少しはな。落ち着きは取り戻しているよ。氷空たちもチビ達のお守りありがとな」
氷空と謙哉二人の頭をなで、労いをした。
しばらく待っていると、謙哉と卯月のお母さんと合流してじいちゃんちに帰宅した。
今日一日のことはたぶん、チビ達にとっては大きな思い出となったし、学校で自慢したりするんだろうなー。
ってなんか自分も今日のこと咲妃たちに伝えるべきであるが、見ていないから何をどう話せばいいのやら。まあ大まかなことはチビ達と氷空に聞けばいいか。
疲れ切って熟睡するチビ達と氷空の顔を見て、俺はつい、クスっと笑ってしまった。
夜。
時刻はとっくに日付をまたいでおり、現在深夜二時二四分を少し回った頃。今夜に限ってなかなか寝付けないでいた。いつもは稽古の疲れとかなんとかで熟睡している頃であるが、なんで今日に限って……。
そんな時だった。通知オフ、バイブレーションモードにしていたスマホが振動し、一本のメッセージを受信した。送り主は咲妃……か。
すぐに起き上がり、スマホを手に取った。
「はい、もしもしー」
『も、もしもし神夜。もしかして寝てた?』
「いや、寝つけないでいた。もしかしてお前もか?」
『うん、なんかね。それより今日は何していたの?』
「親戚の子たちを連れて例のサーカスを見にな」
『おおーさっそく! それでどうだったの―?』
「いや……まあ諸事情で見れなかった。俺はね」
あくまで俺だけが見ていないことにしておこう。
『そうなんだー。まあ感想は氷空ちゃんかアリスに聞けばいいし』
「それが一番だと思うぞ。まああの二人はもう寝ているかもしれな――」
咲妃と電話していると、コンコンッと、誰かが扉をノックしてきた。いったい誰だ? こんな時間に?
「咲妃、すまんが来客だ。それじゃあまた。おやすみ」
『うんっ。おやすみー神夜』
咲妃との通話を切って、俺はこんな時間まで起きて部屋を訪ねにきた来客を迎えに行った。
「はい、どちら様で……ってアリスじゃないか。どうしたこんな時間に?」
「す、すみません、神夜さん。あの外でさっきから妙な音がしまして……」
「妙な音? そんなの聞こえはしないが……」
シンッと聞き耳を立て、周りの音に神経をとがらせた。かすかにだが、誰か……いや、複数人ものの数が茂みを歩いている音が聞こえてくる。ここから見えるか?
俺は窓の方に向かい、辺りを見渡した。すると、何を目的としているのか、チビ達がパジャマ姿で茂みを歩いていた。無論、本人たちの意志ではないようにも思えた。洗脳か? いったい誰の手引きでこんなことを……。しばらく様子を見ていると、突如としてチビ達の姿が消えた。一瞬にしてだ。あの先には石塀しかないしその下に溝があるが精々五〇センチほどだ。それなのに、姿が消えるなんてことはおかしい! これに似た現象っていえば近くに次元断層……あちらの世界に通じる入り口があるということだ。
「アリス。すぐにチビ達を追うぞ」
「は、はい!」
俺たちは寝ている皆を起こさないよう細心の注意を払って、チビ達が消えた茂みの方に向かった。一応寝室を確認したが、消えたのは小学六年生から下の子どもたち七人で中学生である謙哉、高校生である氷空や俺が洗脳されず、ここにいるっていうことは十二歳以下にかかる洗脳とみた。
チビ達が消えたであろう茂みに着くなり、すぐにアリスは断層の索敵を始め、ものの数秒で見つけた。
「神夜さん。ありましたよ」
「ありがとう、アリス。……ここからすぐに向かっても大丈夫なのか?」
「保証はできませんが……。念のため正規の開門をこれに上書きしてからいきましょう。では、さっそく始めますが……また氷空さんに心配かけちゃいますね」
「そうなるな。でも、身内の一大事だ。一刻を争う。アリス、始めてくれ」
「分かりました。ではッ!」
断層に手を重ねたアリスは、すぐに詠唱を始めた。
「開門ッ! 神夜さん! これでいけます!」
「ありがとう。じゃあ行くぞ!」
「はいっ!」
俺たちは開門へと飛び込み、あちらの世界へと向かった。向かう先はどんなところなのだろうか。そんなワクワクとは裏腹に、不穏な予感がしてきた。
『き、消えちゃった……! お兄ちゃんもアリスさんも……。あの門? の中に飛び込んでいっちゃって!』
神夜とアリスがあちらの世界に飛び込んでいくまでの一部始終を、じっと氷空は見ていた。
「あっ! き、消えちゃう! 待って! お兄ちゃんッ! アリスさんッ! 私も行くよ!」
危険を顧みず、氷空は神夜たちの後を追うかのようにして、開門の中に飛び込んだ。
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開門を潜り抜けた俺たちを待っていたのは四方八方三百六十度、何もない真っ白な空間だった。空も白ければ自分たちが立っている地面すらも白い。先を見渡してもどこまでも白く、終わりがないかのように思えてきた。まるで世界そのものが破壊され、無へと還元した世界に来てしまった。と、でも言うべきか。
「アリスは、この場所を知っているのか?」
「いえ、まったく。こんな場所、初めてですよ。たぶん、別空間に移動したのだと思います」
「別空間?」
「つまりはですね。おおもとの世界に、このような別世界を創造することです。要するに“SOW”世界を人間の身体とみたてて説明すると、この世界は身体にできた一つの腫瘍みたいなものです」
「なるほど。だからとはいえ、コンソールをいじらずして服が変わっているのは……この世界ならではなのか?」
「あ、本当ですね」
いつの間にか俺は寝間着から、『漆黒のロングコート』『ブラッディ・ジーンズ』で上下を黒で統一し武器は『黒桜龍・劫火』を腰に納刀していた。
いつものスタイル。マイファッション登録ができるようになっているのか? この世界は。
不思議に思いながら、この世界をじっくりと見てみる。すると、開門のほうから声が聴こえてきた。そして中から一人の女の子が飛び出してきた。
『わあ! どいてどいてー!』
「はっ!? えっ!」
聞き覚えのある声だった。声を聞いてから反射的に後ろを振り向いた途端に、その女の子、氷空とぶつかった。
「いったーいー……。もうーなんだったのー?」
じんわりと痛む頭をさすりながら、氷空はあたりを見渡す。
青と白の入り混じる着物を乱れに、江戸時代の吉原にいた花魁のように着込み、金色の狐尾にピョコンと立つ狐耳。この姿は“SOW”で氷空が扱うアバターの姿をしていた。
「そ、氷空さん? なんでこんなところに?」
「えっ? だってお兄ちゃんとアリスさんの後をつけて……それより、お兄ちゃんは?」
「え、えーっと……神夜さんなら……」
ゆっくりと氷空は顔を下に向け、下敷きになっている俺を見るや、飛び上がってすぐさま俺の上から立ち退いた。
「ど、どどどどうしてお兄ちゃんが下にいるのー!」
「――それはこっちのセリフだ! なんでお前がここにいるんだよ!」
「そ、それはー……お兄ちゃんたちの後をつけていたら……。そ、それはそうと! なんで二人はそんな、コスプレしているの!? それにアリスさんはなんかこの世界に詳しそうだし……」
「あーっと……それはだなー」
混乱する氷空をなだめ、俺は順を追って説明した。
まず、本当はアリスが留学生ではなく、この世界の住人。つまり異世界人であるということを説明した。その次はこの世界についての説明を氷空にした。
「っというわけだ。何か質問はあるか?」
「質問っていうか……ことが大きくなっていて正直驚きを隠せないよ……」
そりゃあなー。急にこの現状を飲み込めっていうのは難しい。
「それでも、お兄ちゃんたちがいなかったのは、こちらの世界に来て、敵を倒して世界を救おうとしていたんだっていうことは分かった! てっきり家出したのかなって思ったよ」
「氷空……。そう思っていたのか……。すまんな、何も言わず家を空けて」
ギュッと泣きそうな表情を浮かべた氷空を俺は抱きしめた。
「お、お兄ちゃん!? は、恥ずかしいよー!」
顔を赤く染め、バタバタと両手を振るう。
「ッ! す、すまん! つい……」
「もう~ついじゃないよー。それより、早く探しに行かなくていいの?」
「っと、そうだった! んでも探すったってどっちの方向に行けばいいんだ? これ、下手したら方向感覚見失うぞ……」
見渡す限り真っ白な空間。奥行なんてものを微塵も感じさせないほどの広さを誇る。もしかすると、壁なんてものは目と鼻の先にあるのか。はたまたずっとずーっと先にあるのか……。
いずれにせよ、俺たちは目で見てこの空間の終着地点を目で確認しなきゃいけない。
索敵を使ってもマップ情報が手に入らないと悟った俺たちは、目につきそうな物を探そうとはせず、ひたすらまっすぐ歩いた。
地面には石ころ一つ転がっておらず、氷のようにツルツルと滑るような感じでもない。
不思議な感覚だ。この地面は大理石、あるいはコンクリートに近いものでできている のか? どちらにせよ、俺たちの常識がこの世界からしてみれば、その考え方そのものは非常識に値するから、考えるのはよそう。
どれくらい歩いたのか。はたまた歩いているというだけであってその場から動いていない。いうなればその場で足踏みしているような感じがしてきた。風景が真っ白というものはそういった錯覚を起こしかねないな。
目が誤認してそれを脳が認識してしまうというのは、いささか厄介なものだ。
さらに歩き続けていると、一匹の……いや、一人というべきか。奇怪模様の服を着たウサギがランタンを手にして、俺たちを出迎えた。
思わず黒太刀の鞘に手を添えたが、ウサギに敵意はなく、曰く『俺たちをある場所までお連れするよう言われた』という。
ある場所というのはどこを指しているのか疑問ではあるが、一先ず、俺たちはウサギに導かれるままついて行った。
ウサギの後をついて行ってしばらくすると、真っ白な、いうなれば線だけで書かれた小さなサーカステントが見えてきた。
ウサギはテントのカーテンを開け『中に入れ。そして階段を下り大扉を開けよ』と言って、姿を消した。中には地下へと続く階段があるだけで、それ以外は実線だけで書かれたかのようなテントの骨組みがむき出しだった。
どう考えても、敵の本拠地に流れ込む感じがしてきた。だが、この奥に俺たちが探している人たちがいるとしたらなおのことだ。
意を決し、俺たちはテントの中へと入り、そのまま階段を下った。
階段は長く、先なんてないのでは思うくらいだった。ランプを灯して一歩ずつ階段を下りていく。階段通路側面は地上同様に白く、それがどこまでも続いていた。『色彩』という概念そのものがこの世界には無いのかと考え始めてきた矢先。ようやく長かった階段が終わりを告げた。そして、ウサギの言っていた大扉が俺たちの眼前にそびえ立った。
ゴクリッと生唾を飲み込んで、大扉を開けた。すると目の前には控室みたいな部屋に出た。辺りには曲芸で使うような小道具の数々が置かれており、その先に通じているカーテンが隙間から奥地からの光をこぼしていた。
俺たちは走って控室を駆け抜け、奥地へ通じるカーテンを開けた。すると、突然全ての照灯が消え、室内が暗転した。
「な、なんだこれ!? 氷空、アリス! 敵が来るかもしれない! すぐに戦闘態勢を!」
黒太刀に手を添え、臨戦態勢に入り、索敵を開始するも敵の気配は全くしない。むしろこの大部屋……いや、円形の大ステージに敵はいないのかと思った途端。ドラムロールが部屋中に響き初め、奥の一転にライトが集中した。
「レディース&ジェントルマーン! ようこそ! サーカス団『ノアの方舟』本拠地に!」
ダンッ! と黒々としたステッキを地面に叩きつけ、深々とかぶっていたシルクハットをどこかに投げ捨て、颯爽と登場したのはサーカス団『ノアの方舟』団長だった。
「なっ! こ、ここがお前らの本拠地だと! ってことはお前ら異世界人だったのか!」
「んー? その声はーもしかして神夜様ですか~?」
キョトーンっとした顔で団長は俺の方を見てきた。
「神夜様って……もしかしてお前、アイリか?!」
「ふふっそうだよ~。アイリだよ~。お久しぶりってわけでもないですね~さっきぶり? まあそれはいいとして。久しぶりだね~アリス~元気にしてたー? お姉ちゃん、すっごく会いたかったよ」
お、お姉ちゃん!? 今こいつ、自分のことをアリスの姉だと言ったのか!
「な、なあアリス。お前、やっぱり姉さんいたのか?」
「えっ! ち、違います! わたし、こんな人知りません! 初めて会いました!」
「ひっどーい! ぼくのこと忘れちゃうなんて……お姉ちゃん悲しいよ……。まあでも忘れちゃったのは仕方ないか~。契約上そうなる事だったから」
「契約上? それはどういうことだ!」
「知りたい? いいよ、教えてあげる! 今回だけ特別だよ~」
そういってアイリはくるくると手にしていたステッキを振り回しながら、淡々と語った。
『むかーしむかし。魔界に一人の男悪魔がいました。その男は、魔王には匹敵しないとは言え度、最上位に君臨できるほどの魔力を持っておりました。その男は、一人の女悪魔と恋をして結婚し、一人の女の子を授かりました。そして、しばらくして女悪魔が死に、男は酒に溺れました。しばらくしてある日のことでした。一人の天使がケガをして魔界に堕ちてきました。男はその天使を強姦するのではなく、ケガの手当てをしました。その理由はどことなく妻に顔立ちが似ていたからという理由で、男は彼女に手を出さなかったのです。そして月日が流れ、二人は恋に落ちましたが、天使側のご両親は二人の恋を認めませんでした。けれど、二人は頑として顔を横に振らず、両親の説得をしました。三年の月日が流れて、心が折れたご両親は二人の言い分に納得しました。こうして、二人は幸せに暮らし、天使と悪魔の血を持った一人の女の子を授かりました。その知らせを聞いた天使側のご両親も下界に下りていきました。そして、悪魔の血を持った姉と混血である妹は、ケンカすることなくいつも仲良しでした。そんな時、妹が高熱にかかり父と母は必死に看病しますが治りはしませんでした。そんな妹の姿が見るに堪えない姉は、魔法陣を描き、悪魔を呼び出し、姉は言いました。
『この魂、肉体すべてをお前に捧げる! だから妹の病を治してほしい』
と。
呼び出された悪魔は顔を立てに振りましたが、悪魔はこうも言いました。
『いいだろう。だが貴様に関する記憶も抹消させてもらう』
と。
姉はその条件を拒否することなく受け入れ、悪魔と契約しました』
「おしまい。これが悪魔と交わした契約の話であり、ちょっとした昔話さ。ねえアリス。今の話を聞いて何かい出した?」
「な、何を言っているのですか! わたしは一度も! 一度も病気なんてしたことが……くっ! あ、頭が……!」
ガクッと、突然頭を抱えてひざまずいた。
「お、おい! ――ッ! アイリ! 何をした!」
「ぼくは何もしてないよ~。あーでも、一つだけ細工してたっけ?」
「細工?」
「そう細工。彼女自身、もう気づいているかもしれないけど、首筋、うなじあたりに書かれている魔法陣。あれはぼくが昔、着けたものなんだ―。そこから何をするかは、この先のお楽しみ~。そして今はその第一段階を発動させたに過ぎない」
「アイリ! 貴様―!!」
黒太刀を抜刀して俺は、地面を蹴り上げ瞬間的にアイリとの間合いを詰め、黒太刀を振りおろした。
「うわっ! はやーいッ! でも、彼ほどじゃないけどね」
余裕の笑みをアイリが浮かべた途端、バチバチッ! っと大気を力強く貫いていく轟音とともに、黒々とした剛腕が勢いよく迫ってきた。
「なっ!」
かわす暇さえなくまともに敵からの拳を直に受け、俺は観客席下段席まで吹っ飛ばされた。
「お兄ちゃんッ!」
心配した氷空が大声を上げて俺の名を呼んだ。
「もう遅いよーインドラ。ぼくがやられちゃったらどうする?」
「何バカなことをいってやがる。貴様も魔王なら俺様がいなくとカウンターぐらいはできただろ!」
「そうだけど~演出って大事じゃない? それとーぼくが魔王だってバラすの早くな―い!」
「おっと、口が滑った」
ゲシゲシとインドラの足を足蹴りするアイリを余所に、俺はがれきの山から抜け出し、氷空たちと合流した。
「お、お兄ちゃん、大丈夫?」
「心配ない、大丈夫だ。それより、今魔王って言ったか?」
「ん? うんっ。確かに言ったよ。うっかり者のインドラがねっ!」
ゲシッ! と、勢いよくアイリはインドラの足を蹴った。しかし、インドラは微動だにせず、ただじっとこちらを見ていた。
「はぁー……バレちゃったし。しょうがない。そうぼくは魔王。第三の魔王、アイリ・F・アインハルト、愛の化身さ。ダマしててごめんねー神夜様。ちなみにーアインハルトはぼくのファミリーネーム。もちろん、そこにいるアリスと一緒だよ。ね? アリス・K・アインハルト?」
ニッと笑ってアリスのフルネームを言った途端、アリスのうなじに描かれた魔法陣が反応し、光を発し始めた。
「アリス・K・アインハルト……それがアリスの本名……」
「そう。なんだか、初めて聞いたって感じだねー。そうか。アリスはファミリーネームを言わないんだったけ? まあいいや。ねえ神夜様、そこで苦しんでいるアリスをぼくにくれませんか?」
「はっ? お前、何をいってやがる! 仲間を、家族を敵に売る奴がいるか!」
「家族! すっごーい! アリスったらお姉ちゃんに内緒で結婚していたなんて~。でも、渡さないんじゃあしょうがない。殺してでも奪う」
アイリの声のトーンが低くなるや、彼女は瞬間的に俺たちの眼前に現れた。
なっ! 速すぎるだろ!
アイリは、第二の魔王、リアを両断したフルートを手にしており、それを苦しむアリスを介護する氷空目掛け振り下ろしてきた。
「まずは一人っ♪」
ペロリっと、唇をなめ、下卑た表情をして氷空を見下す。
クソッ! 氷空たちを逃がすには時間がねえ!
黒太刀を薙ぎ払い、アイリのフルートによる斬撃を受け止めた。ずっしりと来る重み。正直足腰の骨が砕けそうだ……! いったい、その小さな身体のどこにそんな力があるのか不思議に思う。
「すごーい。あの一瞬でこの攻撃を受け止めるなんて」
「お褒めの言葉を魔王から貰えるなんてな……! こいつはありがたいぜっ!」
フルートを強引に弾いて間髪入れず俺は、アイリの腹を足蹴りし彼女とは距離をとった。
「氷空、アリスの容体は?」
「うん。少し落ち着いては来ているよ。でも、魔法陣による浸食は止まらないよ!」
「チッ……! こりゃあ参ったね―……。止める方法ってやっぱあいつらを倒すしかないのかよ……」
「ッ! おいおい聞いたかアイリ。俺様たちを倒すだってよ。生意気言ってくれるじゃあねえかッ!」
インドラという体長三メートル強はあろう屈強な体つきをした黒肌の男の癪に障ったらしく、ドンッ! と彼のまわりに稲妻が落ちていく。
「戦闘を始める前に名乗らせてもらう! 俺様はインドラ! 第四の魔王にして稲妻をすべし者であり、暴力の化身だ。貴様らの世界ではちょいと名が知られているが知っているだろう?」
「……知っているとも。ヒンドゥー教の神の名称で、デーヴァ神族に属する雷霆神、天候神、軍神、英雄神だろ? そんな神様であるお前がなぜ魔王なんかに……」
「ふん。それは歴史を紐解けば分かることだ。確かに俺は神様だ。だがしかし、貴様らの世界においてある一説に俺様のことを『ダエーワ』イランでは『悪神』として唱えられている。それが俺様だ! つまり、神は神でも悪神なんだよ!」
インドラは、グッと、右腕を大きく振りかぶり、右手一点に魔力を集中させ雷光を纏う。
「くたばりやがれっ!」
渾身の力で右手を地面に叩きつけると、纏っていた雷光を雷となって、バチバチと轟音を立てながら地面を走らせる。
「なっ! 氷空ッ! アリスを抱えて俺の後ろに!」
「う、うんッ!」
アリスを抱えた氷空が俺の後ろに移動した。
「――“A.T.フィールド”展開!」
右手を前に着きだして六角形の分厚いフィールドを展開し、迫りくる雷を弾いた。
「ほぉー……俺様の攻撃を塞ぐとは……。なかなかやるではないか」
「……簡単に言ってくれるじゃあねぇかよ……」
ギリッと奥歯を噛み締めた。
天災と恐れられる魔王を……しかも二体同時に相手にするなんて……! ただでさえ、一体でも厄介だっていうのに……!
「か、神夜さん……!」
「ッ! ア、アリス!? 大丈夫か」
「は、はい……。でも、本調子ってわけじゃないですけど……。あの、アイリという魔王。わたしに相手、させてください……!」
「は、はぁー! な、何いってやがる! 本調子でもない……そんな状態のお前をムザムザと魔王の前に立たせられるわけないだろ!」
「そ、そうですよアリスさん! お兄ちゃんの言うとおり、そんな具合じゃ……!」
「で、でも! でもわたしが! わたしがあいつを討ち取らないと、家族の無念を晴らすことができないのです!」
ふらつきながらも、自分の足で立ちあがったアリスは、じっとアイリの方を睨み付ける。
「ん! あーもしかして分かっちゃった―? ぼくがアリスの、自分の家族を皆殺しにしたことに!」
「や、やっぱりあなただったんです……! どうして、どうして! 罪のない家族を殺したのですか! 腹違いとは言え度、あなたの家族なのですよ!」
「家族~? そんな生ぬるい馴れ合いなんてぼくには不要なんだよね。それに……気に入らないの……! 父と母が! 何より、天使と悪魔の血を持ったあなたが! 僕は憎くて仕方なかった! だから殺した!」
「そんな……自分勝手な理由で幼い弟の妹までも殺したのですか! 絶対に……許しません! ――我が血の盟約に従い、姿を現せ! 人形召喚! “黒騎士・オベリスク”」
右手全部に付けている指輪全てを光らせて、アリスは大木を一撃でへし折れるではないかというほど巨大な大剣を持った黒騎士の人形を呼び出した。
「わぉー……魔導書の転写なしで召喚もできるようになったんだねー。すごいすごい、お姉ちゃんが褒めてあげましょう」
「お褒めの言葉なんていりません! 行きますよ! オベリスク!」
右手の指を動かして、オベリスクをアイリ目掛け突撃させる。
「へぇー見ない間に人形使いらしくなったねー。でも、人形使いには、ワンステップ、上のステージがあるのを知ってる? それは『曲芸師』っていうステージなんだよ!」
手にしていたフルートを、アイリが吹き始めた。すると、地面をかち割ってたくさんの剛腕が次々と出てきた。そして、埋まっていた身体を地上に待ち上げ、その姿を現した。
「な、何ですか……! それは……!」
左手を口に当てアリスは目を見開いて、地面から出てきたのを見た。
「これ? これはねー巨人族の血を元にして造った『巨人・モドキ』だよ~。もっとも全滅させちゃったからこうするしかなかったんだけどねー」
全滅させた……だとっ! ディフロト団長が言っていた巨人族全滅の犯人はこいつらだったのか!
「おやおや~? また何か気づいてしまったみたいだねー。そう巨人族全滅の犯人はぼくたち。もっとも主犯はぼくと言っていいねー。それにしても、巨人って大きいだけで、よわっちいよねー。ぼくみたいなのに簡単に滅ぼされちゃって。じゃあ君たちは、アリスはこれを倒すことができる?」
地面から出てくる『巨人・モドキ』の増える勢いは止まらず、知らず知らずのうちに、アイリ達の前には巨大な肉壁ができていた。
「おいおいアイリ。これでは、俺様の攻撃があいつらに届かないではな――ッ!」
チッ! 失敗した!
『巨人・モドキ』とアリスに目が行っていたインドラの死角を突くように、俺と氷空はインドラの背後から不意打ちを仕掛けた。しかし、俺たちの気配を察知したのか、奴は後ろを見ずして、俺たちの攻撃を腕一本で凌いだ。
「不意打ちとはやってくれるな!」
氷空の拳を、俺の黒太刀による攻撃を防いだ腕で俺たちを力任せに弾き飛ばし、体勢を崩された。
身動きの取れない空中に放り出された俺たちを狙いすまして、インドラは右腕を大きく振るった。
「まずは女の方からだ! くたばりやがれ!」
「――氷空ッ!」
隣にいる氷空だけでも回避させようと、俺は必死に手を伸ばしたが、彼女は気づきはしながった。だが、彼女は恐怖に臆することはなかった。
「くたばるのはお前の方!」
手の平で火の玉を精製して爆発させた氷空は、うまくインドラの攻撃をかわしてみせ、炎の足場を精製して、インドラ目掛け跳躍した。
「なんだとッ!」
「そんな大ぶりな攻撃! 私には効かない!」
グッと右手に力を籠めた氷空は、インドラの腹部目掛け重たい拳を喰らわせた。
「ッ!」
重たい一撃を喰らってなお、インドラは体勢を崩すことはなく、反撃に入ろうとした。しかし、氷空はそれを見越しており、右手の甲でインドラの顎を打って脳を揺らす。そして、両手を魔力硬化させた上で力を籠めたラッシュを、奴の身体全身に打ちこんでいった。
「ハァーッ!」
間髪いれないラッシュで、インドラの鋼の肉体に殴った跡ができ押され始めた。
「こ、これしきのラッシュ……痛くもかゆくも……!」
両腕で氷空のラッシュ攻撃を全て弾き、反撃に挑もうとするや、インドラの眼前に彼女の姿はなかった。
「なっ! どこに消えた!」
「――こっち、だ、よ!」
声がする方にインドラが顔を向けるや、空は奴の口の中に自分の手を突っ込み
「消し飛んじゃえ! 『蒼炎球』」
ボンッ! と、インドラの体内で発動した蒼炎が爆発して奴の肉片を四方に吹き飛ばした。その散り様は水の入った風船を針で刺した時のようで、辺り一面におびただしい量の血と細切れになった肉の塊が飛び散った。
ゼロ距離で発動した氷空自身には返り血が付いておらず、慈悲なんて微塵も感じてはいなかった。
しかし、まさかこんなにも早く魔王の一人を倒すとは……。
「氷空―ケガはない――!?」
彼女に声を掛けようとして近づこうとした途端、俺は絶句してしまった。
氷空の背後で爆散したインドラの肉体が元に戻ろうしており、受けたダメージすらゼ
ロに還元してしまうほどの再生力で肉体を修復し、背後に立ち拳を振りかざしていた。
「? どうしたのお兄ちゃん? 私なら大丈夫だよ?」
「そうじゃない! 氷空! すぐにそこから離れろ!」
油断した! このままじゃ氷空が! 氷空が殺されてしまう! ――っ! そんなこと、させるかー!
「――アイテム召喚『獣狐のお面』」
ノーモーションでアイテムを装備した俺は、跳躍的に身体能力を底上げしインドラの眼前に現れた。
見かねた氷空もインドラも一瞬にして現れた俺に気をとられた。その隙に俺は氷空を抱きかかえ、瞬時にインドラとの間合いをとった。
「お、お兄ちゃん?」
「ハァ―……どうしたインドラ。拳を挙げたまま硬直しているぞ? 俺の動きについてこられなかったか?」
「ほざけ! 貴様ごとき我が雷で消し炭にしてくれるわ!」
「やれるもんならやってみろよ!」
*
『……ッ! 切りがありませんッ!』
右手を首尾よく動かし、アリスは黒騎士“オベリスク”を動かして、無限に湧いて出てくる『巨人・モドキ』を倒していく。
操られている人形であるが、甲冑の中に人が入っているかのような動きで手にする大剣を振るう。その動きを操るのはアリスがアカデミーに入ってから培った技術から成り立つ。ただ指を動かすだけでなく、その動きはピアノを弾くピアニストのごとく指捌きそのものだった。しかし、人形が手にする大剣が敵を薙ぎ払う度、グッと腕を操る薬指と人差し指をひきつる鈍い痛みがたまが襲ってくる。
「まだまだまだまだ出てくるよ~。それより~自分の心配はしなくていいのかな? 出現範囲はぼくのまわり一体とは限らないんだよ? よく『見る』じゃなくて『観る』ってアカデミーで習ってない?」
「えっ? ま、まさかッ!?」
ハッ! と我に返った自分の足元、その周りを注意深く見渡した。しかし、アイリがフルートの奏でる音色が変わった瞬間、黒騎士の足を幾本もの剛腕が掴み地に引きづり下ろそうとしてきた。
「あっ! ド、“人形爆魔”」
慌てたアリスは操っていた黒騎士から魔糸を梳きあたり一帯を爆破させ、足元にいた『巨人・モドキ』を一掃する。
「はいッ! 判断ミスだよ~アリス。まだまだ勉強不足、もとより実践不足だねッ!」
爆発によって起きた煙を煙幕として利用したアイリは、アリスの首根っこを左手で鷲掴む。
時同じくして『巨人・モドキ』の出現も収まり、地に生えていた剛腕が地中に戻っていった。
「グッ……は、離しなさい……!」
「そうするわけにはいかないなー。これから大切な儀式を行うのだからさ。それから左手に持つナイフでぼくを刺そうとしているみたいだけど、無駄なあがきだよ~」
「……」
キーンッと左手に持っていたナイフが地に落ち、高い金属音を響かせる。
「もう一つ言っておくね。小さな人形を召喚しても無駄だよ。どーせ、さっきみたいに爆発させるんでしょ? それじゃあ芸がないよ」
「……じゃあこれなら、どう……ですか?」
アイリの左腕を掴んでいた両手にはめていた指輪から魔糸を巻きつけ、きつく縛り付ける。キリキリと音を立て、アイリの左腕に食い込んでいき、じんわりと血が滲み出る。
「フーン。このままぼくの腕を切り落とすって考えねー。まあこんなことしたって無駄だけどねッ!」
右手で左腕に食い込んでいく魔糸を掴み無理やり引っ張り力任せに引きちぎっていく。
「こんなの紙切れ同然。力不足の妹を持ってお姉ちゃんはすごく悲しいです……」
「だ、黙りなさい……! 家族を殺した外道め……! キャッ!」
アリスの首元を掴むアイリの左手に自然と力が加わり、気道を圧迫していく。
「黙るのはあなたの方だよ。神夜様たちに啖呵切っておいてこのザマ。無様にもほどがあるのはそっちだよ? じゃあ時間もないから儀式始めちゃうね」
ゆっくりとアリスを掴んだまま宙へと上がったアイリは、彼女の四肢に錠をかけ宙に浮かした。そのままアイリはアリスのうなじに描かれた魔法陣に触れ、己が秘める魔力を注ぎ始めた。
アイリの魔力に反応した魔法陣は禍々しい強い光を放ち、大小異なる三重もの陣を展開させた。
「――や、やだッ! こんなのッ! ひぐぅ! あ、頭がぁ……! い、痛い……痛いよ!」
陣の展開によって、アリスの身体に激痛が走り脳へと伝わる。
何十ボルトもの電気を直に浴びているかのような痛みが全身をむしばみ、身をかがめたい気持ちにさせる。
外側から何か引っ張り出される間隔がした。アリスはそれを必死に抱え込もうとするが、抱えれば抱えるほど、強い力でそれは引っ張られ、かえって全身に激痛を走らせた。
「いい……いい光景だよ~アリス。もうすぐだ。もうすぐぼくは手にするんだ……! さて、あっちはどうなったかなー?」
*
「オラーッ!」
「ヌン!」
魔力で硬化させたインドラと俺の拳同士が、激しく幾千とぶつかりあい火花が散る。
力は五分と五分……いや、わずかばかりインドラの方が力では勝る。
激しくぶつかり合う度、こちらの骨身にはその衝撃が波打つようにビリビリと伝わり、衝撃の力強さを刻みつけてくる。
「なんだ? もう終わりか? その仮面の力というのはそんなものなのか?」
「バカを言うな……単純にテメェの力が強過ぎてこちらの力が霞んでしまっているんだよッ!」
「そうか……! 単純な殴り合いなお前の方が巨人族よりかは何百倍もマシだ! そこにいる獣人も含めてな! さぁもっと俺様を楽しませてくれよ! ……と、言いたいところだが、これから楽しいショーの始まりだ! あっちを見てみな。貴様らの仲間が大変なことになっているぜ?」
インドラが指差す方向を俺たちは見た。確かあっちではアリスとアイリが戦っていた……。――ッ! まさかッ! あの光は!
「おーおー予想通りの反応をしてくれるじゃあねえか」
「ア、アイリ……貴様ぁ―!」
納めていた黒太刀を抜刀した俺は、怒りに身を任せ儀式が行われている地点まで地を走った。仮面の力で身体能力を向上させているせいか、辺りに突風を巻き起こし砂埃が舞い上がる。
プチプチと足の筋繊維が切れるような音がした。だが、そんなの構いやしない。
「やっばり、阻止しにきたか。インドラ、儀式の邪魔をさせないよう足止めして!」
俺の接近に気付いたアイリは、後方で出遅れたインドラに指示を出した。
「俺様に指図するんじゃねぇ!」
ドンッ! と轟雷とともに後方にいたはずのインドラが俺の眼前に現れ、巨大な腕を振りかざしてきた。
「邪魔を、するなー! 火炎魔法 “超高圧熱線”!」
左手を向かい来る巨大な拳の前にかざし火の玉を精製した。そして火の玉にありったけの魔力を注ぎ摂氏何千度もある熱線を放射して迫りくる腕もろともインドラの右半身を焼き消した。
肉が焦げる臭いと骨が炭と化しボロボロと砕けていき、塵となって空に舞っていった。
半身を失ったことにより動きが鈍くなった隙を突き、俺はアイリがいる地点まで跳躍し黒太刀を構えた。そして斬撃が届く射程距離まで近づいた瞬間、ガシッ! と、何者かに足を掴まれた。下を見てみれば、右半身がまだ再生し切れてはいないものの、意識のみが回復したインドラが俺の足を動かせる左手で掴んでいた。
「この……死に損ないが―!」
あと少しだった。あと少し、俺が速く動けていればアリスを救うことができた! なのに……! なのに、どうして! コイツは!
「――チクショー!!」
喉が張り裂けるほど俺は叫んだ。
それをよそに、インドラは俺を地へと俺を引きずりおろすなんて生易しいことはせず、俺を頭から地面に力任せに叩き落とした。
轟音と砂埃が立ち込めると、時を同じくしてパキーンッ! と音響弾が弾けたかのような音が空気を振動させる。
「フッ……! どうやら終わったみたいだな」
「うん、儀式は成功。無事に終わったよ~。さすがッ! ぼくってやっぱり天才だな~」
ぐったりとしたアリスをよそに、白と黒が入り混じった正八面体の結晶をアイリは手にしていた。
「それじゃあ~もうこの子は用済み♪ ポイしちゃいましょう~」
四肢を縛っていた錠がアイリの手によって解除されるや、支えが無くなったことによってアリスは重力に引かれて地面に落ちて行った。
「――アリスーッ!」
落ち行くアリスに向かって走り、地面との衝突する寸前でキャッチして、なんとか衝突を防ぐことができた。
しかし、彼女は目覚めることはなかった。それどころか意識は愚か脈拍がなかった。
「アリスッ! オイッ! しっかりしろよ!」
「お兄ちゃんッ! アリスさん大丈夫だよね! ねぇ!? お兄ちゃんってばッ!」
普段大声を張り上げない氷空が声を張り上げて俺に問う。しかし、俺はその問いに事えることができずにいた。状況を理解できていないというわけではない。怒りと悲しみで声が出ないのだ。
目の前でムザムザと仲間を、家族を殺され、無力な己を知らしめされた屈辱。『天災』と謳われる魔王の前ではひれ伏さざるを追えないのか……!
「状況は理解できても整理できないみたい? あっははははそうだよね~? そうですよね~神夜様~? じゃあさっきの昔話の続きをしましょう~」
ゆっくりと地に降り立ったアイリは、俺たちのそばまで歩み寄り淡々と語り始めた。
『大切な妹を助けるべく姉は悪魔と契約を交わしました。契約した悪魔は、ある者が捨てた心の一部および魂が具象化したモノでした。彼女はそのものに己の肉体も魂も何もかも授けました。その後彼女は下の者に従う者たちに連れられ、従うがまま、ある実験を行いました。それは
『死した神の肉体にある者が捨てた心の一部および魂をその肉体に植え付ける』
という実験を行いました。
実験は成功。その神は新たな命を彼女の手によって授かったのです。ただし『魔王』として。しかし、それだけでは飽き足らず、彼女はその魔王にある細工を施しました。それは『不滅』といういわば『不死』に近い神の所業をその魔王に施しました。
その実験も成功。その魔王は不滅の存在としてこの世に降臨したのでした。それがそこにいるインドラさ。ぼくが創った人造魔王って奴だよ。
それでもまだ飽き足りませんでした。
その者はあることを思いつきました。それが
『『天使と悪魔』相反する者同士の力を混合したらどうなるか』
という実に興味深い実験に取り掛かりました。しかし実験は難航しました。実験用にと拉致してきた天使と悪魔の力を奪って混合しては失敗の連続。もう実験用モルモットがいなくなったとき、実験を諦めようと決めたとき、その者はあることを思い出したのでした。
それは『天使と悪魔の力を持つ者が身近にいること』でした。
でも、その者に接触することはできませんでした。それはある盟約を交わしていたからです。そこでその者は力を持つ者と常に一緒にいる人に接触し、間接的に陣を植え付けることに成功しました』
「はい、おしまい♪ これが昔話第二部だよ~。さてさて分かったかな―? つまりーアリスのうなじに陣をつけたのは~?」
「……お、俺……か……!」
「そう! 神夜様に初めてお会いした時に細工しちゃいました。おかげで実験は順調も順調♪ おかげで実験は成功しました~」
知らず知らずのうちに俺はアイリの実験に協力していた事実を告げられ、パキッと俺の中で何かが折れる音がした。あの時、アイリと出会っていなければ、アリスは命を落とすことはなかったのかもしれない。でも、別の可能性もあると考えると、結果的にアリスは命を落とすことになったのではないだろうか……!
「これも全部ぜーんぶッ! 神夜様のおかげだよー? ありがとう♪」
満面の笑みで笑ったアイリは、手に入れた結晶は己の体内に取り込み高らかに笑った。
「あっははははは! これはすごい! すごいよ! 力が、身体の奥底から漲ってくる! これが天使と悪魔の力を一つにした力……『正負の契り』がもたらしてくれる恩恵……!」
容姿は大して変わってはいない。だが、ピリピリと空気が自然と張りつめ、肌を刺激してくる。
「……じゃあアイリ。一つ聞く。天使と悪魔の混血……。『正負の契り』を持つ者はアリスのほかに彼女の妹や弟も持っているのではないのか?」
仮面をストレージに納め、涙ぐんだ眼で俺はアイリを睨み付け問いを投げた。
「ん~? それはねぇ~あの子たちは眼中になかったの。それにいくら混血とはいっても、あの子たちには魔力を感じなかったの。それじゃあ~殺すしか選択肢はないじゃない? 無価値な下等生物を伐採して何がいけないの? ぼくにとってそんな倫理や道徳は押し付けられても困るものだよ~? じゃあそろそろ消えてもらっていいかな? もう君たちと話す事なんてないの。じゃあね、神夜様、獣人の子。そして最愛の妹アリス。あの世で安らかに眠りなさい♪」
ニコッて、笑って見せたアイリは、ノーモーションで人一人は容易く消せるほどの光球を人差し指上に作りだし、俺たちに向けて射った。
死んだ。
その言葉が俺の頭をよぎった。これが死への恐怖。
これまで何度も死地を潜り抜けてきた。
しかし今回ばかりは違った。肉体へと蓄積してできていくダメージによってできる致命傷と違い、精神的挫折と屈辱がもたらす心のダメージが、心と肉体を繋ぐ柱をへし折り、身体を動かせという命令をシャットアウトさせた。
そして今に至る。
『死』を恐怖して指一本動かすことができない。
迫りくる光球に臆し、死ぬことを覚悟した俺はただただ、攻撃がこの身に直撃するのを待った。
しかし、まだ挫折していない者が一人いた。その者は俺の前に立ちふさがり、両手で迫ってきた光球を受け止め、空高く弾き飛ばした。
「まだ諦めちゃダメだよ! お兄ちゃん!」
「そ、氷空……お前……」
ハァ…ハァ……と、肩で呼吸しながら氷空は、目の前に立ち塞がる二人の魔王を見る。
「まだ諦めちゃダメだよ……! あの魔王が奪った結晶の中にアリスさんの命も含まれているとしたら……。もしかすると助かるかもしれないよ? あくまで小さな賭けだけど、あの魔王を倒したらもしかすると助かるかもしれない」
「? ねぇインドラ~聞き間違いかな―? あの獣人。ぼくらを倒すって言ったのかな?」
「あぁ。確かにそういった! 俺様たちを倒すと、確かにそういった。ク、ククク……クハハハハハハッ! 面白い冗談を言うやつだ!」
「冗談じゃない! 私はお前たちを倒してアリスさんを救う! そして囚われた子供たちもだ!」
「……どうするーアイリ?」
「どうするも何も。インドラ、殺っちゃっていいよ。わざわざぼくが手を下すまでもないよ。力を出すにはもったいないし」
「チッ……俺様はゴミ処理担当かよ。まあいい。テメェなんぞ片腕のみで十分だ!」
「ッ! バカに……するなーッ!」
頭に血が上った氷空は、猪のごとく策も練らず、ただ力任せにインドラに向かって突進した。
売り言葉に買い言葉。自分を、仲間を、家族をバカにされたら誰でも頭にくる。氷空はインドラの口車にまんまと乗せられ策に溺れてしまったところだ。
――ダメだ……! 行くな! 行ってはダメだ! 氷空ッ!
俺はまた家族を目の前でムザムザと殺される様を、この目に焼き付けることになるのか? いやだ……! そんなのはッ!
何度も妹の名前を呼んだ。
けど、声として、音として彼女の名前を呼ぶことはできなかった。口だけがパクパクと、魚が餌を求めて口を動かすような動きしかできなかった。
『叫んだ』『呼んだ』つもりで俺はいた。
ドンッ! インドラと氷空が拳を交える激しい音が、この空間一帯に響き渡る。
攻防は五分とみられた。しかし、アイリの手によってさまざまな細工をその身に施されたインドラを前に氷空は押され始めた。
どれだけインドラの肉体に傷を負わせ、四肢を捥ごうが、頭を吹っ飛ばそうが『不滅』という『不死』に近い存在であるインドラの前では無力同然であった。傷口はすぐに癒える。その一方で氷空の肉体には傷が増える一方であり、疲労も蓄積していく。
「どうした! どうした! どうしたー!? さっきまでの勢いはどこにいったー!? 大口叩いていた奴はどこの誰だっけー? あー?!」
「くっ……!」
「オラオラオラオラオラオラ! 簡単に終わらせてくれるなよ!」
「『蒼炎球』」
手の平に蒼炎の球を作りだし、インドラの胸部ど真ん中に狙いを定め射った。
己の魔力を込めた球を力の限りぶっ放す。
攻撃はヒットした。辺りに爆炎を吐き散らして攻撃が当たったことを頷かせる。
「やった! 仕留めた」
攻撃があった。
その事実を知った瞬間、隙がなかった氷空に隙が生じた。
「『仕留めた』とはいったい誰のことだ?」
「ッ!? そ、そんな……!」
「今ので仕留めることができるのは、精々その辺にいるカスだけだ! 俺様はそんな軟じゃねぇ!」
轟音を立てて氷空の眼前にインドラは立ち塞がり、右拳に雷を纏う。バチバチとうねりを上げながら絶縁体である空気を力強く貫きながら轟音を立てる。
「一瞬で塵にしてやる。祈る暇も与えずな!」
薄気味悪い笑みを浮かべたインドラは掲げた拳を氷空に振り下ろす。
インドラの威に圧倒した氷空は、回避や暴挙は愚か、身動きとれずにいた。蛇に睨まれて動けなくなったカエルのごとく状態にいた。
漠然と、俺はただその状況を見ていた。
氷空が死ぬ。また、氷空を目の前で失う……! もう嫌だ! そんなことは!
「二度と……させるかーッ!」
心の奥底から叫んだ。己が抱いた感情全てを声という音に乗せて叫んだ。
それが引き金となり、俺の中で何かが弾けた。
蒼黒い劫火が陣を描き、その中に俺はいた。
揺らぐ炎が鏡のように反射し、俺の顔を写した。左目周りに揺らぐ小さな蒼き炎。触れてみたが、まるで熱を感じさせないものであった。
頬に手をやれば、ツゥー……と冷たい雫が顔の輪郭に沿って、軌跡を描いて落ちていた。
そして、知らず知らずのうちに背中の紅翼を広げていた。
「? 何事だ?」
氷空に攻撃が当たる寸前で一時中断し拳を下ろしたインドラは、俺の方をジッと見つめる。
「お兄ちゃん……?」
ペタンッと、腰が抜け地面に座り込んでしまった氷空は、弱弱しい声で俺を呼んだ。
「……アリス。しばらくの間ここで待っていてくれ。すぐ終わらせてくるから……!」
意識がないアリスにそういって、俺は彼女を寝かせた。
そして、紅翼を羽ばたかせ、瞬時に氷空とインドラの間に割って入った。
「ほお……今更貴様が助けに割ったところで何ができる!」
再び雷を纏った右拳を揚げ、俺目掛け振り下ろす。
「――火炎魔法“超高圧熱線”フル・バースト」
左手でインドラの右拳を逸らし、すぐさま右手をインドラの顔面に突きだす。そしてありったけの魔力を注いだ熱線を射る。先ほどのとは違う。右半身を消し炭にするのではなく、全身を、存在そのものを焼却した。文字通り『不滅』の意味すら感じさせない、二度と再生できないようにした。
「――インドラッ! 神夜様……やってくれまし――! ま、待ってください! なんですかその力は! それにその翼の色! そんな……! 嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ―!」
インドラがやられ、頭にきたアイリがゆっくり歩み寄ってきた。しかし、俺の紅翼を見るや否、狼狽え始め頭を抱え込んだ。
「おかしい……! だってあの一族は……まさかッ! あっちの世界に逃げ延び生きていたのか……! 『紅翼の一族』スピリット家! 神夜様は……貴様はその血筋の者か! ……あっははははは! いいでしょう! ぼくが追放を告げた大天使に代わって異形である一族の血を引く一人を断罪し! 殺すッ! そして君を殺した後はあちらの世界にいる一族を殺しに行く! ぼくの従者たちよ! 今こそ、ここに集え! 彼らを嬲り殺せ! これは命令だ! 絶対命令だ!」
フルートを片手に怒り狂うアイリは大声を張り上げ、地面に手を着き、魔法陣を転写、発動させた。
円形の大ステージの外側、言えば、観客席。そこにアイリが発動したであろう魔法陣が俺たちを囲むようにして陣が発動した。そこからは絢爛たる衣装を身にまとい、槍、剣、鎚などの武器を手にしており、目に生気は感じられなかった。まるで術者、主人であるアイリの命令に従い動く従者……いや、それに近い言わば『生き人形』とも言うべきだろう。
この中に、チビ達もいるに違いない……。
「お、お兄ちゃん……なの? なんか、その……雰囲気が!」
「あぁ。……氷空。アリスの側にいてやってくれ」
「で、でも!」
「いいから! 早くアリスの側にいてやってくれ……。あいつは、アイリは俺が倒す!」
ギリッと、奥歯を噛み締め一歩、また一歩と前に進む。
「来ますか。よろしい! 全員! 彼を仕留めに行きなさい!」
宙に舞いあがったアイリは、口にフルートを這わせ『巨人・モドキ』を操っていた時とは、また違う高低音のある音色を奏で始めた。
音を聞いた生き人形と化した子ども達が、俺に的を絞り、死肉に群がる禿鷹のように群がってきた。
「神夜様! あなたにこの子たちを、その太刀で斬ることができますか!? できませんよねー! だってー……神夜様はお優しい人ですもんね―? だから~あなたは手が出せず子ども達に殺される運命にあるんです~。あっはははははは!」
宙に浮かびながらアイリは俺を煽る。
彼女の言うことはごもっともだ。俺にはこの子たちを斬る事なんてできない。だが、そんな甘ったるい事、今は考えている暇なんて……ない!
「武具召喚『白桜龍・極氷』」
白太刀を腰に納め、すぐさま鞘から引き抜き、向かい来る子ども達に刃を向ける。
息を吸い、ゆっくりと吐いて、心を鎮めた。
そして子ども達が一人、また一人と、白太刀の斬撃が届く射程範囲内に入った瞬間、刃先を深々と地面につき刺し、ありったけの魔力を太刀に注ぎ込み
「斬撃剣技“タンペット・ニパス”」
太刀を中心に広範囲で地面を一瞬にして足元のみを凍らせ動きを封じた。
大ステージの端まで三秒とかからず、全て凍らせた。これも白太刀が持つ能力“瞬間凍却”の効果もあってのことだ。
この能力があれば子ども達の全身を一瞬で凍らせることもできた。しかし、時間が経てば肉体が壊死してしまい、結果的に子供たちの命を奪うことになる。だから俺は足元のみを凍らせ動きを封じた。
簡単に抜け出せないようくるぶし近くまで凍らせた。これで多少なり時間は稼げる。だが、時間は限られる。早いところ肩をつけなければな……。
それに攻撃を察した氷空はアリスを抱えて観客席まで跳躍して、広範囲無差別攻撃をかわしてくれた。
察しが良くて助かる。
「い、一瞬で……。フッ……さすが神夜様! けど、ぼくにはまだ第二、第三の従者が――!」
現状認識に後れを取り、フルートを構えるのが数秒遅れたアイリの眼前に俺が瞬時に現れたことで一瞬の隙が生じた。
「くっ! こんなこと!」
焦ったアイリは手にしたフルートを吹くのではなく、ヘッドスクリューを手にして横殴りを仕掛けてきた。
上半身をそらし、魔力で硬化させた拳をアイリの左頬に全体重をかけ叩き込んだ。
「ぐっ!」
空中から一気に氷の張った地面にたたき落とされたアイリは、殴られたことで砕けた歯を吐きだし、ゆっくりと立ち上がった。
「ハァ……ハァ……。な、なんなのですか……その力は! どうして! どうしてぼくより強いんだ! 『正負の契り』を手にしてなお! どうして! ぼくの実験はいつも正しい! なのにどうして! ……ぼくを……ぼくをそんな高みから見下ろすなぁーッ!」
怒りを込め喉が避けるほどの咆哮をあげたアイリは、怒りに身を任せ突撃してきた。
「お前なんか! ぼくの力で―!」
足部管から自身の魔力で刃を形成し、フルートのヘッドスクリューに手を添え、ある一点を狙ってきた。
「血迷ったか……」
白太刀の鞘を左手で少し持ち上げてから、鍔を少し親指で押し刃を浮き出し、柄をギュッと握りしめる。そして、アイリが太刀の斬撃の届く距離に入った瞬間、鞘から白太刀を一気に引き抜き、一太刀、二太刀……と、手首を返しアイリの四肢を斬り落とす。
そして背後に回り、アイリの長い髪を鷲掴む。
「ぐぐぅ……! は、離しやがれ! ぼくはこんなところで死ぬ奴じゃない!」
力に溺れさっきまで優雅な言葉遣いだったアイリの口調は、どことなく地に落ちぶれた貴族が庶民に野次を飛ばすかのように荒っぽくなった。俺は彼女が『離せ』というから掴んでいた髪を離した。
重力に引かれて落ち行くアイリに狙いを定め、左手を前に突き出し、ここ一点に魔力を集中させる。
「いやだ……! いやだいやだいやだいやだーッ! まだ死にたくない! ぼくはまだやるべきことが! やりたいことがあるんだーッ!」
新しいおもちゃを欲しがる子どものように泣き叫ぶアイリを他所に、俺は白太刀を右手に持ったまま左腕に手を添え、狙いを定める。
左手の平に紅き光球を魔力で精製する。光球に魔力が注がれ、風船のように膨張していく。
「あの世で悔い改めろ! ――火炎魔法“超高圧熱線”フル・バーストッ!」
膨張した風船が中に入っていく空気によって内部から器が弾け飛ぶかのように、光球は注がれた魔力を摂氏何千度もある熱線へと変わり、大気を突き破ってアイリ目掛け突き進む。
「無慈悲なことをするな―……君は……。――ハーハハハハ! 君は勝負に勝った! だが、これで勝ったと思うなよ! ぼくが死んでもアリスは生き返らない! どんな手を尽くしてもだ! アーハハハ! ハーハハハハハハハハハハハ――ッ!」
アイリは高らかに笑いながらその身に熱線を直で受け、その身を、骨を、魂の全てを一瞬にして蒸発させ、この世から消え去った。
熱線は徐々に細くなっていき、ゆっくり消えて行った。目先で熱線を浴びたアイリの姿は無く、完全に消滅したことをうなずけさせた。
時を同じくしてフッと、身体全身から力が抜け落ち、重力に引かれるがまま地に落ちた。
保持していた体内魔力の大半を持っていかれた気がするが、辛うじて大魔法を一発放てる分くらいは残った。加えて、いったいなんだよ……あの力は? 一時的な発動とは言え度『紅翼の一族』スピリット家……。ルナ姉ちゃん……もとい、母方の家系が元異世界人? もう訳をわかんねえ……。
まあでも、アイリに操られていた子ども達も正気に戻ったみたいだしな。
子ども達の足元を凍らせていた氷を、指先に微量の魔力で発生させた熱で溶かして自由にした。
呼吸を乱して地面に仰向けになっていると、強い光を放つ正八角形の結晶体が俺の手の平でクルクルと回っていた。
「ハァ……ハァ……。……これは? 確か、アリスの『正負の契り』か。でも、どうしてこれが……?」
……今は考えるのはよそう。これでアリスが助かるのならそれで!
『まだ……終ってなどいないぞ!』
ドンッ! と、轟雷を立て、聞き覚えのある声が目の前で聞こえた。
「バ、バカな……! お前は、イ、インドラ……ッ!」
どうして……! どうして! こいつが生きていやがる! 確かにコイツはさっき消し炭にしたはずなのに!
「どうしてって顔をしているな? いいだろう。教えてやる。俺様の体内には身体を形成、維持する数ミクロの核がある。そいつは俺様の意志で身体の何処へでも移動させることができる。つまり体外にも移動させることができる。が、範囲が限られているがな。貴様の攻撃を受ける直前に、それを体外に排出して生き延びた。一か八かの賭けだった! しかし! 結果! 俺様は生き延びた! ……再生のためにかなり魔力を消費したが……。さて、お礼参りと行こうか!」
巨大な拳を勢いよく地面に向かって叩きつけ地面を拳で粉砕し、倒れていた俺を宙へと浮かせた。
「オラァー!」
浮かび上がった俺の背中目掛け、左足を軸にして回し蹴りを決めてきた。
ミシミシと、背骨がきしむ音が脊髄を伝って聞こえてきた。そのまま、ステージ後方の壁まで飛ばされ激突し、そこには、隕石が落ちたかのようなクレーターができあがった。
「かぁはッ!」
普通なら今の衝撃で全身から血が噴き出しても構わない。けど、俺の身体は持ちこたえてくれた。
「お、お兄ちゃん……?」
飛ばされるところを目の当たりにした氷空が、ゆっくりとステージの階段を歩み下りていく。
正気に戻った子ども達も、自分たちがおかれている状況を理解したのか、泣き出す者、一つしかない出口に向かって逃げる者がおり、この場が阿鼻叫喚と化した。
「ピーピーうるせーガキどもだな! これだからガキは嫌いなんだよ!」
体内で発電させた雷を右拳の一点に集中させ、高々と掲げた。
「や、やめろ……インドラ……!」
ダメだ……さっきの一撃が大きすぎる故、まだ身体が自由に動かねぇ……。
「誰一人として逃がしはしねぇ! 全員塵になれ! ――『地震雷』!」
「――そんなこと、させない!」
観客席からステージまで跳躍した氷空が、そのままインドラの顔面に向かって蹴りを決めた。
蹴りはスパンッ! と手ごたえのある音を響かせ、ぐらり、インドラの巨体が氷空の蹴りでゆらぎ、右拳に溜まった雷は地面に行くことなく空気中に分散した。
「あぁ! こ、小娘! 小癪な真似を! まずは貴様からだ!」
氷空が決めた蹴りによるダメージを瞬時に治癒したインドラは、狂ったように拳を氷空に向かって振るう。
軽やかな足さばきと腕捌きで、重たい一撃を振るうインドラの攻撃を氷空はかわす。
「お前は私が倒す! お兄ちゃんもアリスさんも! 子ども達も! 誰一人傷つけはさせない! 武具召喚『白狐ノ尾刀』」
白く細い刀身に狐の紋が彫られた鍔を携えた太刀に手にし、インドラに向け抜刀する。
「ほお……剣術も使えるのか。ならば、俺様の神具で貴様を粉砕してくれよう! 来い! 我が轟雷に応え、森羅万象、あらゆる偶像を全て討ち滅ぼせ! 武具召喚『ヴァジュラ』」
インドラの詠唱に合わせ、天に黒雲が現れ次第に分厚く横に広がっていく。そして、ピシャーッ! と、空気を貫く鋭い落雷を伴って、インドラの神具『ヴァジュラ』が姿を現した。
柄はインドラの身長の六割近い大きさに加え、上下にはさながら大剣のごとく鋭利な刃に加え、刃と柄の境には二角の角がフォークのように槍の刃に沿ってねじれ、バチバチ……と、静電気がかすかに聞こえていた。
それは独鈷杵と三鈷杵を掛け合わせたかのような……いや、それは三鈷杵と断言しても過言ではなかった。
「これを使うのは貴様で二人目だ! 喜ぶがいい! 我が神具を前にして生き延びたものはいない! ――全てを塵に燃やし尽くせ『雷鎚』!」
ヴァジュラを振り回すたび、辺り一帯にピリピリと肌を静電気が刺激する。次第に静電気はバチバチッと音を変える。そして、ドンッ! と、ヴァジュラの刃先を地面に突き刺すや、天には無数の槍が氷空に矛先を向け狙いすましていた。その一本一本には電気が帯電しており、紫色の光を放ちながらインドラからの合図を待っていた。
「……!」
「ゾッとしたか? いい表情だ。俺様を楽しませてくれよ!」
インドラが指を鳴らすと、天で停滞していた槍が氷空のみを狙って一斉に降り注いできた。
槍は豪雨が地面に叩きつけるかのごとく音を立てて隙間なく降り注ぐ。
「……こ、こんなの!」
刀の柄を握りしめ、降り注ぐ槍を一本、また一本と硬化した尾とともに弾き、叩き落としていく。しかし、槍の勢いは止まることをなく、頬をかすめ、太もも、肩、足に刺さっていく。刺さる度に神経を伝って何千ボルトもの電流が身体全体を侵食し、一時的に動きを鈍らせるどころか意識が遠のく。
「ああッ! くぅ……ま、負けるか―!!」
大声を張り上げ、激痛に耐える意地を見せ、捨て身の突撃を試みる。
歯を噛み締め、野獣のようなにらみを利かせ降り注ぐ槍を刀で薙ぎ払い、一瞬だけ隙間をつくり、一足目でそこに飛び込み二足目でインドラとの間合いをゼロ距離まで詰めあげた。
「ほお……我が『雷鎚』を力任せに払いのけてここまでくるとは。獣の力……という奴か?」
「……十六夜流剣心術奥義……『十月・風花ノ型』」
にらみを利かせた眼光でインドラに詰め寄り、下腹部から頭上目掛けて迷いのない太刀筋が分厚い肉体を縦一閃に斬り落とすと同時に両腕もろとも胴体をも斬り落とした。
「おっ……ごぉあ……!」
ぐらりと、斬り落とされたインドラの肉体がゆっくりと地面に落ちていく。しかし、落ち行く身体の斬り口の細胞が、沸騰したお湯のごとく気泡を吹かせるかのように細胞を吹かせ、修復、再生を始めた。
「――『宵哭ノ鋼杭』」
空中で鎖の付いた大型の鋼杭を六本召喚し、四分割した肉体と斬り離した腕二本の重心に打ち付け、無理やり地面に叩きつけ再生を阻止する。
「き、貴様―! ……なんてな!」
プツンッと、肉体から何かが弾け飛ぶような音がすると同時に、鋼杭で打ち付けた肉体が灰となり大気中に消えて行った。
「核を飛ばしたのね……それで勝ったつもり……? あとはお願いね、お兄ちゃん……」
『ありがとう、氷空。あとは俺に任せとけ……!』
氷空のバックから、左目周りに揺らぐ小さな蒼き炎を灯した俺の姿を見たインドラは、驚きを隠せずにいた。
「な、なぜだ! なぜ貴様がここにいる! それにその姿は!?」
「『お前を倒す!』その一心で再びこの力が目覚めた! 火炎魔法“地を照らす原初の焔”」
右手をかざし杭の刺さる地面を中心にした紅の魔法陣を出現させた。陣の上には『3』と数字が書かれており、『2』『1』と、時を刻んでいく。
「貴様! 獣人もろとも、俺様を消すつもりか!」
「――そんなつもりはない……! 消し飛ぶのは貴様だけだ! ――空間転移!」
残る魔力を振り絞って俺と氷空、そして逃げ遅れた子ども達の足元に魔法陣を展開して、インドラを残して大魔法射程範囲外である観客席側に転移した。
「――下等生物風情が―! こんな魔法で俺様を消し飛ばせるとおも――!!」
核を飛ばして鋼杭の打ちこまれた肉体を捨てるという、捨て身の策を無へと還元するかのごとく、カウント『0』を刻んだ紅の魔法陣は“ノアの方舟”地下ステージの天井を融解させるほどの火柱を立て、インドラの肉体を、移動できる数ミクロの核を消し飛ばす。
その光景はさながら、人類が闇夜の下で『火』という光を目の当たりにした光景の様だった。
次第に火柱の勢いは治まっていった。融解した天井からは、地上からの光が差し込み荒れ果てたステージを照らす。
大魔法を放った中心部にはインドラの姿はなかった。それは文字通り細胞、中枢を担う核をも消し飛ばしたと断言していい。
戦いは終わった。
フゥーッと、大きなため息をついて座席に横たわった。
これで討ち取った魔王の数は四人。あと三人……もあんな化物が残っているのか。
いずれもチート級のスキルを持っているんだろうな。インドラのように『不滅』もまたチート。だけどそこには必ず『弱点』がある。どんな奴でも『無敵』を誇る的なんて者は存在しない。俺は、いや……俺たちでやってやるんだ。アリスたちが暮らす、この世界を救ってやる……!
右腕を高らかに掲げた……のも束の間。腕の力はすぐに抜け落ちポスッと胸の上に乗り薄らとまぶたが下りていった。




