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唯と舞はすぐに仲良くなった。唯はそれほど人見知りをしないというのもあったし、舞が話を合わせるのがことのほか上手という双方の理由で昔からの友達のように話が進んだ。
学校に着いて一矢は舞と一緒に職員室に行くというので唯と別れた。
「……どうなってんだよ」
「どうもこうも見ての通り。設定としては生きていた場合の現在。過去のことは特別大きな事件もなく、平和に時間が過ぎたってことになってるわ」
「本当にこれは……」
その後が続かない。舞は察知して答えた。
「気休めになるなら何度でも言ってあげるけど。『これは夢や幻ではなく現実だ』って」
一矢もそれを考えていたのかさほど表情を変えずに、
「いや、いい……」
とだけ言った。
「じゃあ私は職員室に行くから。……そうそう、先に言っておくけど私と彼女のクラスは同じだから。よろしくね」
そんな事務的な説明だけを貰い、授業を受ける。
時間が経てば経つほど現実味をおびてきた。
今目の前の席にいる唯は教壇に立つ先生の話を聞いている。後ろの席の舞は確認したいができるだけ顔をあわせたくない。
あの事件以降、腫れ物に触るように接していたクラスメイト。ところが今はどうだろう。みんな教師の書く文字を追い、唯も同じく。あまりにも日常に溶け込んでいる唯。ひょっとするとよそ者は自分なのではないか。そんな気がしてくる。
「……」
実際そうなのだ。つい先日まで受験生とは思えない生活を送っていたのだ。この空気に一番似合わないのは自分だ。
もう夏が終わろうとしているのに自分は何をしているのだろう。日々を垂れ流しながら過ごしている自分に嫌気がさす。だからといって今さら何をしていいのかわからない。
「……はぁ」
出るのはため息だけだった。
一矢と唯は付き合っているとは言っても校内でキャッキャしているわけではない。公言はしていないが、友達にはばれているから隠しているわけでもない。ただの照れ隠しみたいな感じで、恋人らしい雰囲気になるのは2人きりになる朝と夕方だけだ。
昼ごはんも唯は舞と一緒に大勢の女子グループを作って弁当を食べるし、一矢も近場の男子グループに交じってご飯を食べていた。
そして6限終了後の放課後――の少し前。5限の休み時間に、事前にメールで舞から呼び出しをされた一矢は屋上へと続く階段の踊り場にいた。
「急になんだよ」
「あまりに2人きりで話す時間がなかったから、急だけど今日のスケジュールを伝えておこうと思ってね」
「スケジュール?」
「これは伝えていたはずだけど、今は彼女が生きていた場合の現在だから、本当は今まで時間がずっと続いていた事になるのよ。授業内容は変わらなくても個人の環境は変わるはずでしょ」
「なるほど……で、それを今? 何とかならなかったのかよ」
「私にだっていろいろあるんだから。それに直前では困るでしょ。心の準備が必要だとおもってね」
「準備? 何かヤバイのか?」
「今日は陸上部の部長交代の儀式があるのよ」
「!!」
「……ね、言っておいた方がよかったでしょ。出ないわけにもいかないし。それにこれは3年生とコーチとで相談し合って決めた前提だから伝えておくけど、新部長は深川くん、副部長は四ノ宮さんよ」
「え?」
「距離は違えど、同じ中距離ランナーの仲なんだから何かあるかもしれないから気をつけなさいね」
「気をつけろ、って何かあるのかよ」
「私にそこまでの未来予知能力なんてないわよ。彼女はあんなことがあった過去は当然存在しなかったんだから知らないけど、貴方は知っている。それだけだけど、だから自分自身が気を付けるのよ! ……そろそろ時間だから戻るわよ」
一方的に呼ばれ、一方的に話され、一方的に終わられた。こちらの身も知らないで。
しかし時間は止まってくれない。激しく絡まった思考回路がほどけないまま一矢はグラウンドへと向かうことになった。
1・2年の陸上部員16名は練習中だった。在学中ではありながら既にOB・OG的な存在の3年生。
「集合ー!」
顧問の一声で集まる後輩たち。時季が時季なだけに玉のような汗をかいていた。9月には新人大会が行われる。気を抜いてはいられない。
既に2年生は何が行われるのか昨年見ているから心の準備ができているようだ。1年生は場の雰囲気から察する者、そうでない者まちまち。
これから元部長になる園崎からの一言。
「みんな励んでいるようで何より。今日は俺たちからの報告があります。えー、それは新部長の発表です」
おぉー、と後輩たちの声。
「では、練習もあるので早速。新部長は……深川!」
「はい」
元々そのような風格があったのだろうか、特に驚きもなく本人も準備ができていたかのような返事だった。
「そして副部長は……四ノ宮!」
「え、私ですか?」
「女子が多い中、まとめ役としてよろしく頼む」
「は、はい」
その後、園崎と顧問の話が続いた。
現在の3年生は部長副部長共に男子、過去を振り返ってもほとんどが男子だった。しかし現在は部員の半分が女子。園崎たちはそれぞれのリーダーが必要だと感じた。
2年女子の中では真面目に取り組んでいる若葉だが、特別積極的な性格ではない。中距離で期待されるタイムを持つが故の他の部員を引っ張ってほしいという期待の他に、陸上を通じて自分自身を変えてほしいという意図もあった。
「では解散。練習に戻れー」
それぞれグラウンド、校舎へ戻ろうと互いに背を向けあった直後、一矢は声をかけられた。
「一矢先輩」
振り返ると若葉がこちらを見つめていた。
顔が赤いのはこの暑さのせいか、それとも別の原因か。
「勉強、頑張ってください」
3秒待って、それだけ伝えたかったのだと理解した。舞の言葉を思い出すが、頭の中で消し去る。
「ありがとう。中距離は任せたよ」
「はい!」
自然な笑みを出せた、と思う。若葉の元気な笑顔で返事が返ってきた。