3
終わったよ。何もかも。
それから5日間。一矢はずっと部屋にこもっていた。
あの時、一矢が落ちそうになって若葉が追いついたものの支えきれず2人で転げ落ちたあと、どれくらい経ったのか一矢は目を覚ました。すぐ横に若葉がいた。辺りには誰もいないことから、気を失ってそれほどはしていないみたいだった。
身体を起こす。尻が痛いが、特に怪我はしていないようだ。
「四ノ宮さん。四ノ宮さん!」
あのフラッシュバック。唯と姿がかぶる。血は出ていない。とにかく生きていてくれなくては困る。もう誰も自分のせいで死んでほしくない。そんな事を考える余裕はなく、ただ若葉に対して声をかけていた。
「……ん……せ……んぱい?」
「四ノ宮さん、わかる?」
「……はい。……先輩ですよね」
若葉の無事を確認すると、緊張が抜けたあまり涙が出そうになった。それをこらえる。
若葉の身体を起こした。
「大丈夫?」
「はい。ちょっと身体を打っただけで特に痛いところは……っ!」
顔がゆがんだ。瞬間的に左足首を押さえた。
「だ、大丈夫!?」
「ちょっと……ひねったかも」
「……せ、先生に言わなきゃ」
「いいです、先輩。先生には私から言っておきますから」
「でも、俺のせいで足を……」
「いいんです。私の不注意です。私が勝手に足をひねって」
「いいや。俺のせいだ。俺が、四ノ宮さんを……」
「先輩!」
全てが自分のせいでこんなことが起きたのだから、せめて自分ができることはしたい。そんな一矢の気持ちも今の若葉には重すぎた。
若葉は一矢の両肩をつかんだ。強い視線に一矢はひるんだ。
「先輩のせいなんかじゃありません。そうやって自分を追い込むのをやめてください。……唯先輩を忘れられないのはわかりますけど、だからって先輩ひとりで抱え……込むのは見ているだけで辛いです……」
涙を流す若葉を見て一矢は思った。自分は知らないうちにこうして周りの人間にも害を与えているんだ、と。
自分はなんて最低な人間なんだ。いや、もう人間なんかじゃない。唯の事といい、若葉の事といい、もう俺は悪魔なのではないかとも思ってしまう。
まさしく人間とは呼ぶにも難しいような後ろ姿を見せながら一矢は学校をあとにした。
死のうか。
607にある一矢の家は12階建てのマンションだ。屋上へ続く階段にはドアはなく、高さ1.5mほどの柵になっている。だから登ろうと思えば誰でも可能だった。
さすがに遺書くらいは書こうとしたが、書く相手を思い出したらきりがないので、
『みんなへ ごめんなさい』
とだけノートの最後のページにボールペンで書いて机の上に置いた。
遺書は書いた。靴もそろえた。あとはここから飛び降りるだけ。
下を見ると赤いタイルが敷き詰められた歩道とグレーの車道と白い日傘をさして歩いている人がひとり。不意に小便がしたくなった。
飛び降りよう。
きれいさっぱり何もかも捨てて死のう。
自分にナイフを突き立てるより、ロープで首をくくるより、電車に飛び降りるより、思いつくかぎり一番苦しくなくてコストがかからない方法。
「……さよなら。みんな」
はじに立つ。足を一歩踏み出す。これで完了。
はじに立った。足を……足を…………足を?
何故だ、足が前に出ない。動かない。じゃあ、右足がダメなら左足だ。
足を……足を……足を……足を……足を……足を……足を……。
何でだ? どうして足が前に出ない。どうしてだ? 死ねない。
「……出ろよ。足……この足ィ! 出ろよ! 前に出ろよォ! このあし……でろよ……」
つまり自分は死ぬことすらできないモノだった。
「……ハハハ」
死ぬことを挫折して30分。既に3歩下がった場所に座り込んでいた一矢。残った選択肢は『笑う』くらいだ。
「ハハハハハハハハッ……ハハハハハハハハッ……ハハハハハ……」
笑いが止まらない。何がおかしい? 何が面白い? 死ねない自分が?
笑え。笑え。とことん笑え。笑って死ねれば最高だ。
「……帰ろう」
1本の映画を見終ったかのように、重い腰を持ち上げ立ち上がった。
もう先ほどまでの気持ちは音もなく根元から折れ、生前のような過去の話になっていた。
戻ろうとして後ろを振り向くと、
「!」
目の先、10mほど先に少女が立っていた。
一瞬唯と思ったが完全なる見間違いで、着ている服が以前唯が来ていた私服に近いだけで顔は全然違う。
年は唯よりも少し背が低い。やや表情が硬く、顔立ちは幼く整っている。中学生……だろうか。
いつからここにいたのだろう。この一部始終を見られたとしたらかなりヤバイ。それこそ本当にここから飛び降りたい。
「自分が死んで全てが終わると思ってるの?」
「!」
やはり見られていたらしい。死にたい。今なら本当に死ねると思う。
「自分が死んで全てが終わると思ってるの?」
「だ、誰だよ」
少女の同じ質問に一矢はそう返すのが精一杯だった。
「質問に答えて。質問に答えられないの?」
死のうとしていたこちらも問題はあるが、なんて失礼な奴だろう。一矢が答えにつまっていると別の質問をしてきた。
「死ねなかった原因は何? 彼女が死んだから? 別の女の子に怪我をさせたから? ただの自己満足?」
「な……っ」
どうしてそんな事を知っているのだろうか。この少女は一体何者なのだろうか。
答えとどうしての質問に詰まっている一矢。少女は遠慮なく発言を続けた。
「2度も相手を傷つけて自分は生きている意味がないと思った?」
「ど……どうしてそんな事知ってるんだよ!」
「んー、そこにいたから」
初めて少女が考えた仕草をしたが、答えは理解できないものだった。
「はっきり言うけど、あなたが死んでも何も終わらないわよ。なにひとつ解決しない」
「お前なんかに何がわかるんだ。お前に俺の気持ちなんかわかるもんか」
「わからないわよ。というよりわかりたくもないけどね」
まだ状況が完全に理解できないが、現時点で言える事は2つ。少女は一矢の事を知っている。そして自殺を止めようとしている。
「じゃあ、ここに何しにきたんだ? 俺が自殺するのを止めに来たんだろ?」
「別に。暇だったから。まさかこんなところで死のうとしている人がいるなんて思わなかった。私の人生じゃないし、死ぬのはその人の勝手でしょ」
当てが外れた。なら、もう1つ。
「じゃあ、どうして俺の事を知っているんだ? それにここの住人じゃないだろ」
「……」
何故かその質問だけには答えなかった。後半は勘だったが、ビンゴのようだ。
少女の弱みを握った一矢。形勢逆転だ。
「どうしたんだよ。答えろよ」
「……そんなのどうだっていいでしょ! それより死ぬの!? 死なないの!?」
よほど答えたくない質問だったのか、すぐに一矢の最大の弱みを突いた。
一矢は追い込まれていたが、先ほどまでの勢いもあってか格好つけるように吐く。
「……死ねるかよ。人がいる前で。アホくさい」
身長差を利用して少女を横目で見下すように通り過ぎ、柵を乗り越えて家に戻った。
煮え切らない気持ちと反する虚勢がそれぞれ許せなかった。
目の前のコンクリの壁を蹴った。
「っーー!」
この痛みがせめてもの償いだ。
1話 人間じゃない 完