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願願(ねがねが)  作者: いちの くう
1話 人間じゃない
2/9

   主な登場人物

星川 一矢(ほしかわ かずや)

姫島 唯(ひめじま ゆい)

四ノ宮 若葉(しのみや わかば)








 8月夏。テレビでは投げて打って走っての熱い戦いを繰り広げている甲子園がやっている。

『さあ、9回表。2アウトながら3塁にランナー。還ってくれば同点です』

 チャンネルを変える。天気予報がやっている。

『北海道を除き全国的に暑い日が続いています。さて、11時現在の気温ですが、甲府では35.8度を記録しています。東京、千葉、横浜でも30度を超え――』

 テレビを消した。どれも頭の中に入っていかない。

 暑いとはいっても、この部屋はエアコンで27度に設定されていて快適だ。結露の湖に氷の入った麦茶のグラスが浮かんでいる。

「ふぅ」

 ため息1回。どうも身体を動かすのが面倒くさい。しなければならないことはたくさんあるのだが、身体が動いてくれない。……動いてくれない? 動きたくないの間違いじゃないのか? 自分自身に聞いてみる。

「そう……なのかもしれないな」

 脳内の質問に答え、目を閉じた。

 眠たい。寝ようか。今寝るとまた夜遅くまで起きてしまうことになる。どうする? ……寝よう。



 星川一矢は高校3年生だ。つまり今は受験の夏である。そして今日は予備校の夏期講習がある。朝の9時からなのだが、現在は11時31分。早く終わって帰ってきたわけではない。家から出ていないのだ。

 理由は考えればいくつもある。暑い、だるい、動きたくない、行きたくない、眠い、何となく、ただこれらはほんの数パーセントにすぎない。一矢を夏期講習に行かせない、家から出られなくしている原因は他にあった。






 去年の晩夏に行われた文化祭――の前々日。当日に向けてどのクラスもラストスパートをかけていた。

 一矢は休憩するために3階の教室から1階に下りて自販機でパックのジュースを買った。そしてまた教室に戻ろうとした時、見覚えのある後ろ姿を確認した。

「おーい、唯」

 見間違うはずもない。隣のクラスの姫島唯。嬉し恥ずかし一矢の彼女だ。

 唯は家から自転車通学のため買出しに行っていたのか、1mはある板を5本両手に抱えていた。

「なんだ、それ。買出し?」

「うん。今男子が教室の大道具やっていて手が空いているのが私だけだったから」

「持とうか?」

「いいよ、大丈夫。あっ、コーヒー牛乳だ」

 唯の目線が一矢の右手にあるパックのジュースに移った。

「飲む?」

「うん」

 口元にパックのストローを持ってくると唯は器用に頭を前に出してゴクゴク飲んだ。

「おいおい、飲みすぎ……」

「っはぁ! あ~、五臓六腑にしみわたるってこの事なんだね」

「何歳だ、お前は」

 2人の笑い声。2階を過ぎて踊り場から3階へ1段2段と上がっていった。

 今はもう止んでいるが早朝まで雨が降っていた。雨後の湿度とその後の晴天。不快指数は高く、学校内のタイルの床を滑りやすくなっていた。『廊下を走るのは危険です』は一年中張り出されているから褪せてきている。が、そんなことはどうでもいい。

 ふざけていたわけではない。持っている木材を持ちかえようと少しずらしたのが失敗だった。

「あっ」

 突然横にいた唯が視界から消えた。声と同じく見えなくなったため、一矢が後方を振り返るとこちら側を見つめる唯がいた。瞬間の出来事のように今でも常に写真で見ているかのようなスローモーション。そして唯は頭から着地した。

 床と頭が接触し、ゴッとしか表現できない音。直後にかき消すかのような宙に舞った木材が床に落ちるガラランという衝撃音。そして他の女子生徒のきゃあーという悲鳴。うわぁーとか落ちたとか先生だとか警察だとか救急車だとか、耳から入って耳から抜ける音。

 全てを見て全てを聞いた。全く動けなかった。

 血が後頭部から流れ出たから? 違う。

 彼女が助からないと思ったから? 違う。

 動いても無駄だと思ったから? 違う。

 彼女は実は軽症で、その後保健室で包帯を巻いて帰ってきてという想像をしていたから? 違う。違う。どれも違う。

「……うっ」

 ようやく動けたと思ったらそれは急激な吐き気だった。必死に口を押え、残りの階段を駆け上り、3階男子トイレに駆け込んだ。

「おあぁぁぁぁぁぁぁぁうろぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁごぉぉぉぁぁぁぁぁ」

 吐いた。吐き続けた。ひざまずいて洋式便器にひたすら吐いた。

 ――再び戻った時にはそこに唯の姿はなかった。乾き始めていた赤い血だけだった。あとで気づいた事だが、自分が戻ってくるまで50分も経っていた。






 唯が足を滑らせて階段を落ちた。それだけだ。不運な事故だ。……そう、果たして言うことができるのだろうか。

 そもそも重たそうな木を持っている彼女を見て「持つよ」ではなく「持とうか?」と疑問形であるのがどうかしている。それにもう1回聞いてみれば唯の態度も変わったのではないか。

 また、自分は唯を見ていた。バランスが崩れそうになったら手を出すくらいの事はできなかったのか。

 あの時自分の右横に唯がいた。そして自分の右手にはパックのジュースがあった。ジュースが邪魔で手が出せなかったのか。ジュースを持っていても腕で支えるくらいの事はできたはずだ。たかが100円のジュースだ。放り投げても差し支えなかったはずだ。100円のジュースと彼女と自分はどっちを選択したのか。明らかに100円だ。

 それに倒れた時何故真っ先に駆けつけなかったのか。何故立って見ているだけなのか。せめて駆け寄っていれば何か変わったのではないか。

 お前は何だ?

 何をした?

 お前が気の利いた行動をしていれば、手が出ていれば、腕で支えていれば、駆け寄っていれば、こんな事にならなかったんじゃないのか?



「……ぐっ」

 日光で熱くなったベッドにあおむけになりながら涙を流した。真夏の昼に馬鹿男が泣く。全て自分が悪い。責任は自分がある。

「ゆ、唯……ゆぃ……」

 もうこの世にはいない。自分が殺した。

 あの日から、夢の中にでさえ彼女は出てこなくなった。それまでは1週間に一度は見ていたというのに何て情けない。

 夢は強く考えている事や思っている事が一番出てきやすいそうだ。つまり彼女が死んだ時に自分の中の彼女の想いが消えたということだ。何て薄情な男なのだろう。

 葬儀の時に自分は彼女の両親から逆に感謝された。全て自分の責任だと説明したのにも関わらずだ。

 今まで一緒にいてくれてありがとう、唯も幸せな生活を送れただろう。

 責められた方がどれだけ楽か。この世には善と悪が存在する。自分は誰もが憎むべき悪なのだ。それなのに感謝されたらどうすればいいのだろう。悪者にもなれなかった自分はどうすればいいのだろう。

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