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人生の残機

作者: 雉白書屋

『はい、どうもみなさんこんにちはああ……ケンキングです! ケンキケンケンキケンキケン! というわけで、さあ、みなさん見てくださいよ、この高さ! フゥーッ、こえー! 今日は、ここから飛び降りたいと思います! いやあ、骨とかいっぱい出ちゃうんじゃないですかあ? じゃあ、さっそく今から死んでみましょう! ケンケン! アーイ! 下で会いまショウ! よろしくぅ!』


 ……本当にくだらない。実にくだらない命の使い方だと思う。高層ビルからの飛び降り自殺。ただ注目を集めるためだけに貴重な命を浪費するなんて馬鹿げてる。


『オホオオオオオオオアアアア――』


 いくら“残機”があるとはいえ……。


『……はあああい! ケンキング復活! いやー、すっごい潰れ方だったっしょ! チャンネル登録よろしくね!』


「すげえよなあ、ケンキング! 年末にまた自殺配信やるらしいぞ! 残機を九つも持って生まれてきたやつは、やっぱ半端ねえよな!」


「ああ、そうだね……」


「お前ちゃんと見てたかあ? ほら、ここ! 脳みそ飛び散ってるとことか、もう最高だろ!」


 この世界では、誰もが『命の残機』を持って生まれてくる。目を凝らせば、相手の頭上にぼんやりと数字が浮かんで見えるのだ。

 平均は五つ前後。死ぬと一つ減るが、まるで動画を逆再生するかのように、どんな怪我もあっという間に元通りになる。

 ナオヤが見せてきたその動画の男も、高層ビルから飛び降りて頭は砕け、脳みそが飛び散り、全身がぐしゃぐしゃになったにかかわらず、数秒後には何事もなかったかのようにすっと立ち上がった。コンクリートの地面にひびが入ったが、血も肉片も跡形もなく消え失せている。被害といえば、服が破けた程度だ。もし風邪でもひいていれば、それすら治っていただろう。もっとも、バカは治らないけど。


「ほら、ここだって! 見てみろよ!」


「はあ……そろそろ授業始まるから、自分の席戻ったら?」


「なんだよ、暗いなあ。まあ、いつもだけど……あっ、お前、ケンキングに嫉妬してんだろ。だってお前は――」


 僕の残機は、たったの『一』だ。そう、一つ。一個、一点、一、一、一……。

 無謀なチャレンジや自殺、事故で減ったわけじゃない。生まれつき、一機しかなかった。

 そんな僕にとって、『生きる』という行為は、常に薄氷の上を歩くようなものだった。車が横を通るたびに肩がこわばり、マンションの脇を通るときは、上から何か落とされやしないかと、つい足を止めて見上げたりする。それだけならまだいい。嫌なのは周囲の反応だ。憐みと、嘲笑。後者が圧倒的に多い。

「死に急ぎすぎ!」だの、「え、死んだことないの? 一度くらい死んでみたら?」だの、冗談めかして言われる。腹が立つが、それがこの社会の現実だ。残機が少ない人間は常に下に見られ、危険を避ける生き方を強いられる。高層ビルに登ることなんて考えられない。居場所は自然と最下層に定められる。

 もう高校生なのに、今まで一度も派手なパーティに参加したことがない。これからもそう。目立たぬように、ただ暗がりで息を潜めるように生きる。それが僕の人生であり、この先も延々と続いていくのだと思うと、もはや嘆く気力すら湧かなかった。




「おい、お前。金を出せ」


 ……暗がりを暗い顔で歩いていたせいだろうか。夜、コンビニへ向かっていた僕の背後から、低く唸るような声がかかった。

 顔はマスクに隠れてわからないが、声の質からして、たぶん若い男だ。手にはナイフが握られている。頭上に浮かぶ残機は二。無茶な人生を歩んできたのかもしれない。


「何ボケッとしてんだよ! 金だよ、金。お前、一機しかないんだろ! 殺されてーのか!」


 ゲームや映画の中とは違い、現実では「殺すぞ」という脅し文句はあまり効果がない。死んでもその場で復活できるからだ。もちろん、誰だって無駄に死にたくはないだろう。でも、保険に入っていれば多額の保険金を受け取れるし、殺人もきちんと法で裁かれる。だから強盗に狙われるのは、決まって僕のように残機が一つしかない人間だ。逆らわないことがわかっているから。


「おい、聞いてんのかよ!」


「アイス買うつもりだったから、これだけしか、あっ……どうもー……はあ」


 ポケットから五百円玉を取り出すと、強盗はそれをひったくって走り去っていった。

 僕はその背中と、残機の数字が闇に溶けていくのを見送り、深く息を吐いた。


「お兄さん、災難だったね」


「うおっ……」


 歩き出そうとした瞬間、電柱の陰から声がして、僕は思わずのけぞった。目を凝らすと、そこからぬっとボロボロの身なりの男が現れた。残機は……僕と同じ、一機だ。

 見ていたのなら、なぜ助けてくれなかったのか――なんて、理由は聞かなくてもわかる。立場が逆なら、僕も息を殺していただろう。僕は苦笑し、軽く会釈してその場を立ち去ろうとした。


「まあ、待ちなよ。面白い話があるんだ」


「面白い話……?」


「そう、残機にまつわる話さ」


「何ですか……。もう残機の話はうんざりなんですけど」


「わかるよ。君も一機しかないもんねえ……でも……その残機、もし増やせるとしたら?」


 老人がそう言った直後、僕は思わず鼻で笑った。ああ、そういう話なら、もううんざりするほど聞いてきた。民間療法、霊感商法、新興宗教の怪しげな儀式――まだ両親が希望を捨てていなかった幼い頃、そういう類の詐欺師には腐るほど会った。

 結果は両親の離婚。母は家を出て、父は単身赴任で家にはほとんど帰らない。


「その顔、信じてないね」


「ええ、隠す気もないですよ。嘘なんでしょ。R指定のゲームみたいに、他人を殺しても増やせないし。だいたい、そんな方法が本当にあるなら、とっくに政治家とか金持ちが使ってるはずでしょう」


「そう、だからこれはまったく知られていない、新情報ってことさ」


 呆れ果て、もはや笑う気にもなれなかった。相手にするのも馬鹿馬鹿しくてうんざりだったが、僕はため息をつき、引導を渡すつもりで口を開いた。


「そんな方法があるなら、あなたはどうして増やしてないんですか?」


 その問いに、老人はふっと寂しげに笑った。


「私はもういいんだ。見てのとおり、年寄りだしね……。もちろん、増やしたことはある。だけど、君も知っているだろう? 寿命で死んだ場合、残機で復活しても、生きられるのはせいぜい一日やそこらだ」


「それは、そうですけど……じゃあ、あなたはもうじき……」


 老人は静かに頷いた。言葉が出ず、どんな顔をしていいかもわからなかった。


「死期が近づくとね、生きた証を残したくなるもんなんだよ。だから、君に伝えたいと思った。残機を増やす方法をね」


「でも、もしその方法が人を傷つけたり、殺したり、残機を奪うようなことだったら……」


 僕は、そこまでして残機を増やしたいのだろうか。……なんて、必死さが足りないんじゃないか? 僕は自分の運命を受け入れ、達観したつもりでいたが、実際はただ、あきらめさせられていただけなんじゃないか。何もするな。目立つな。迷惑をかけるな。ただ、この社会の肥やしになれ、と。

 胸のあたりに何か熱いものが込み上げ、僕は下を向いた。僕はどうしたらいいんだろう、どうしたいんだろう。迷子になった気分だ。

 でも、視線を戻すと、老人は「いや」と呟き、首を横に振った。


「そんなことはしなくていい。必要なのは……階段だ」


「階段?」


「そう、屋外にある茶色い階段。そこで丸いものを踏むんだ。転ばずに踏み続ければ、残機が増え続ける」


「……ん?」


「増えるんだ」


「は?」


「いや、わかるよ。君が言いたいことは。でも、そういうものだからとしか言えない。私も偶然発見したんだが……」


 老人の話によれば、ある日、街の歩道橋の階段を上がっている最中、上から転がってきたサッカーボールを踏んだという。そのときは気づかなかったが、すれ違った通行人が「あの人、あんな見た目なのに四機もあるよ……」と呟くのを耳にし、家で鏡を見て確認したところ、確かに残機が増えていたという。


「……いや、ありえないでしょ。なんなんですか、その馬鹿みたいな方法は」


「でも本当の話なんだ。茶色以外の階段では駄目だった。何か特別な法則があるのかもしれない……」


 老人は考え込むように顎に手をやった。


「今までよく誰も気づかなかったな……」


「まあ、そんな場面に出くわすこと自体が、めったにないからね。知らなきゃ試そうとも思わない」


 老人は腰に手を当て背筋を伸ばし「うう」と呻いた。


「さて、伝えたし、もう行くよ……増やすかどうかは、君の自由だ」


 老人はそう言って、ゆっくりと歩き出した。その背中と、頭上に浮かぶ一の数字が闇の中へと消えていくのを、僕は静かに見送った。

 翌朝、僕は生まれ変わったような気分で登校した。いや、実際に生まれ変わった。恥ずかしい話だが、一回だけ失敗して階段から落ち、死んだのだ。

 そう、昨晩、僕は物置からサッカーボールを引っ張り出し、老人の言葉通り歩道橋の階段で試した。その結果が――。


「きゃあ!」

「うお!」

「な、あ、な……」


 教室に入った瞬間、この騒ぎだ。全員の視線が僕の頭上に吸い寄せられ、その顔からニヤつきが消え、ざわめきが走る。通学途中でも同じだった。他人の残機を見るのが当たり前のこの世界で、僕の頭上の数字は誰もが目を疑うものだった。


「お、おい、アトナシ、お前の残機……九十九!?」


 そう、嬉しさのあまり、僕は調子に乗って九十九機まで増やしてしまったのだ。


「ピンチくん、嘘でしょ……」

「あのギリギリ太郎が……」

「崖下王子……」

「八方塞がりくん……」

「虫ケラ……」

「首皮一枚……」


 ……こんなにあだ名があったとは、知らなかった。でも、それも今日までの話だ。もう、誰も僕を蔑むことなんてできない。だって僕は九十九機も――え?


「これで九十八、か」


「ナオヤ……? 今、何を――あっ」


「九十七ね」


 クラスメイトたちが目を見開き、椅子やカッターナイフを手に、にじり寄ってくる。その光景を前に、僕はふと昔のニュースを思い出していた。残機を十も持って生まれた赤ん坊を、看護師が五度も絞め殺したという事件を。

 逮捕された看護師は、涙ながらにこう供述した。


『だって、不公平じゃないですか』


 僕は気づいた。この世界では残機が増えるとこうやって“調整”される。多ければ妬まれ、疎まれ、そして憎まれる。少なければ、笑われ、見下され……。

 結局、残機の数なんて呪いに過ぎないのだ。

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