父の最期
父はだんだんと弱っていく。声に力が入っていないことが電話越しで神無たちの耳で感じ取れる。
それでも父は神無に何かを伝えようとしていた。
『逃げるんだ、神無......っ。やつらから......!』
「逃げるって、どこに?何から逃げたらいいの?!」
神無は父の言葉がよく分からずに、電話に向かって叫ぶ。
『何も信じたらだめだ......、自分の声だけ信じればいい......』
神無は小さくなっている父の声を何ひとつもらさぬように電話に耳を傾ける。
『あぁ......、伝えたいことがいっぱいありすぎて......だめだなぁ、父さんは......。日頃から、伝えておけばよかった.......。ご飯作ってくれてありがとうだとか、生まれてきてくれてありがとうだとか......っ......ちゃんと言えてなかったな......。』
「っ!お父さん......」
神無の目からじんわりと一滴の雫が落ちる。
あぁ、泣いたのは何年ぶりだろう......?最後に泣いたのは、いつだったっけ?
神無は目頭にぐっと力を入れ、溢れ出る涙を止めようとしたが涙は止まらなかった。そればかりか涙はますます大粒になってこぼれる。
私も、伝えておけばよかった......、ありがとうって。伝えるタイミングはたくさんあったはずなのに。父との最後の会話が電話越しなんて思いもしなかった。
これは夢だ、夢であってくれと神無は心の中で強く願う。が、先程からぎゅっと握りしめている左手は爪が食い込みじんじんと痛い。その痛みが神無を現実だと実感させる。
神無は唇を噛み締め、父の言葉を待つ。
『......ふっ、......っぐ......。神無、神無は......父さんにとって、自慢の娘だ......っ.......。』
「......っ!」
父の息は荒く、短く、弱々しい。
『だから神無、夢とか目標を決めたら走ることをやめてはいけないよ......』
「......うん......」
『そしてね、世界にはね、神無以外は進むことができない神無だけの道があるんだ......。それがどんな道なのかは分からないし、どこに行くのかも分からないけど、もしその道を見つけられたらひたすらに進んでほしい......。』
「......うん......」
『そうだ。それでこそ、父さんの自慢の娘だ......。誇り高いよ......』
「......うん......」
父の声は弱い。だがその言葉の数々は力強く、神無の脳に深く刻まれる。
『それから、最後に.......神無のご飯が食べたかった......っ。温かいんだ、神無のご飯は。美味しいんだよっ......』
電話越しで父のすすり泣く声が聞こえてきた。隣でさおりも静かに泣いている。
さおりはよく神無の家に遊びに来るが、父とさおりは気が合うようでたくさん会話をしていた。さおりも神無の父の言葉をじっくりと聞いている。
『今、神無の隣りにいるのは、さおりちゃん、かな......?さおりちゃん、神無の友人になってくれて、ありがとう。神無を、よろしく頼むね......』
「......っ!......はいっ......!」
さおりは泣きながら大きく頷いた。
『......かんな、あいしてるよ......』
父は震える声で、かすかに神無に愛を伝えた。
『見つけたぞ!!谷崎喜助だ、撃て!』
......バンッ......!バンッバンッ......!
電話の向こうで男の声と三発の銃声が鳴り響く。
父の声はもう、聞こえない。
「っ!!お父さんっ!?お父さん、お父さんっ......!お父さあああぁぁぁぁん!!!」
神無は足から崩れ落ち、電話を抱えて泣く。
「神無っ......!」
泣きじゃくる神無を同じく泣いているさおりが必死で宥める。
『......何だ?電話してたのか......?切れ、電話を切れ!聞かれちゃまずい!』
そこで電話は切れた。
電話からはもう何も聞こえない。父を殺した男たちの手がかりも何も掴んでない。
「......お父さん......。うっ、お父さんっ......。」
「......神無の、お父さん......。」
神無とさおりは二人しかいない狭い路地裏で、互いを抱きしめ合いながら絶望という深淵に触れた。




