父と母と叶夢
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叶夢と晶の二人の生活が始まった。
最初はあまり慣れず、どういった会話をすれば良いのか戸惑った。
晶と叶夢が意気投合してお互いに気が合う相手だと分かっていても、いざ養子となって同じ家で暮らすことになったら誰だって初めは困惑するしたくさん悩むことがあるだろう。
それでも月日を重ねるうちに晶と叶夢は、本当の母と息子のようになった。
叶夢は初めて家族というものを知った。家族と言っても父や兄弟は存在しないし、晶と血はつながっていない。しかし叶夢は十分幸せだった。やっと叶夢は幸せを手にしたんだ。もう孤独を感じることはないんだ。
と、思っていた。
晶との生活が始まって一年が経った時。叶夢が十五歳の時。やっとこの生活に慣れた時。これから先、晶との思い出を作ろうと毎日ワクワクしていた時。二人の間に不穏な空気がやってきた。
叶夢の部屋がノックされて返事をすると、晶が入ってきた。
「......ねぇ、叶夢くん。ちょっと今、いいかな......?」
「ん?何?」
晶はどこか緊張している様子で、部屋で漫画を読んでいた叶夢に話しかける。
「......あのね、会わせたい人がいるの」
「ふーん」
叶夢は漫画に夢中で耳だけで晶の話を聞く。漫画からは顔をあげない。
晶は部屋のドアを閉めて、叶夢と目線が合うようにしゃがみ込む。叶夢はなにか重要な話でもあるのだろうかと思い、開いていた漫画を一旦閉じた。
「会わせたい人って?」
晶は意を決して言った。
「私の婚約者」
叶夢は一瞬、晶が何を言っているのか理解できなかった。数秒間、婚約者という言葉を頭の中で反芻し叶夢は全てを理解した。
「......ああ、なるほどね......。いなくなれってことか」
「違うっ!そうゆうことじゃ」
「いや、そうゆうことでしょ」
晶は必死に頭を振って叶夢の言葉を否定する。だけど叶夢は全く聞こうとしなかった。手に持っていた漫画を棚に戻すとギラッと晶を睨んだ。晶は叶夢の怒りの顔を初めて見る。晶は動けなかった。
「......沈黙は肯定、ね」
「だから、違うって!話聞いて」
「僕が邪魔ならはっきりそう言ってよっ!」
「っ!......邪魔だなんて、思ってない。ただ......、一度会ってほしいの」
「......」
「すっごく、良い人なの。優しくて温かい人なの。......叶夢くんもきっと、大好きになると思う」
「......そんなに、良い人なんだ。晶がそう言うくらい......好き、なんだ?」
「......うん、大好き」
晶は目を和らげてしっかりと言う。
叶夢の目の前にいたのは恋する乙女そのものだった。
叶夢はそんな晶の珍しい姿に驚き、徐々に晶の好きな人がどういった人物なのかと興味が湧いてくる。
「......そんなに言うなら一度、会ってみるよ......。一度だけねっ!」
「一度」の部分を強調して言う叶夢に晶はふふっと笑い、ありがとうと言った。
その次の週の土曜日、晶の婚約者が家にやってきた。
叶夢はものすごい緊張で、昨日の夜から眠れなかった。朝ご飯を食べている今も、卵焼きを口に運ぶまでの動作がカチコチと固まっている。
「ふふふっ、そんなに緊張しなくてもいいのに」
「だって、そりゃあ、緊張するでしょ」
もし怖そうな人だったらどうしよう、と叶夢の頭の中でイメージする『 婚約者』が段々と恐ろしいものになってくる。
「大丈夫よ。喜助さんが来るのは午後だから」
「う、うん」
朝食を食べ終えて自分の部屋で漫画を読んでいると時間は思っていたよりも早く過ぎ、あっという間に『 婚約者』が来る時刻になった。
「お邪魔します」
「き、来た......っ」
玄関のところから聞こえてきた男の人の声に、リビングにいた叶夢は心臓を跳ねつかせた。
どんな人なんだろう。なんて挨拶すればいいのかな。
そんなことをぐるぐると考えているとリビングのドアがガチャと開いた。晶と一緒に入ってきたのはふくよかな男性。染めておらずしっかりと整えられている髪は真面目な印象を与えさせる。服はカジュアルで、爽やかな感じがした。顔には優しそうな笑顔が浮かんでいる。
「......なんか、普通だな」
「ひ、ひどいよっ」
思わず口に出してしまった叶夢に、男は悲しそうな顔をした。
「ま、まあまあ......。ほら喜助さん、座って」
「はひっ」
喜助は仕事の面接に来ている大学生の様だった。元気よく返事をしたが、しっかりと噛んでいる。
喜助を見てみると、この男は右足と右手を一緒に前に出して進んでいた。
「ふはっ」
「え、もしかして私、今、笑われた......」
堪えきれず笑う叶夢に、またも喜助はしょんぼりとする。
喜助のまぬけさに叶夢は緊張が無くなった。気が緩んだ。なんだか、ほっとしたのだ。
「あ、あ、あぁあ、あらためましでぇっ!」
「ぶはははっ、もう、やめて......、ぷくくく」
「そんなに笑う必要ある?」
「も、無理、笑いすぎてお腹痛い......ぎひひっひひひっふひゅふひゅ」
「君の笑い方のほうがおかしいけどね」
腹を抱えて笑う叶夢に喜助は頬を膨らませた。
「もう仲良くなったんだ、喜助さんと叶夢くん」
台所からお茶と手作りしたクッキーのお菓子をお盆に乗せ、晶がにこやかな表情で二人を見る。
「あきちゃんっ!この子、私の顔を見て笑うんだよ!ひどくない?!」
「だって、ものすごく怖い男が入ってくるのかと思ったら、こんなへにょへにょ......。ぷふふふっふぐっふぐっぷきゅー」
「君はまず、その笑い方を変えたほうが良いと思うよっ!」
「ふふっ。二人とも、まだ自己紹介してないでしょ?早く座ってくださいな」
晶がそう言うと、笑い転げていた叶夢はふと冷静になり、喜助はしょんぼり顔をぱっと切り替えた。
「「はーいっ」」
叶夢と喜助は素直な幼稚園児の如く、右手をビシッと真上に上げて素晴らしい返事をする。
「良いお返事ですね」
晶はまるで幼稚園の先生のように二人の子供(一人はれっきとした成人男性)を褒め上げる。
叶夢と喜助は少し前まで感じていた緊張がどこか遠くに飛んでいくのを感じた。それは穏やかに笑っている晶も感じていることだった。
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神無は叶夢の話を聞きながら何度も吹き出しそうになった。
「そうなんですね、父と叶夢さんはそのように出会ったんですね」
「......はい、喜助さんはとても温かく、素敵な方でした。頼りないところもありましたが、自然と笑顔にさせてくれる......。本人は全くそういったつもりはないのかもしれないですが......」
「同感です」
叶夢は右手で心臓のある所に優しく触れ、落ち着いた表情でたくさんの喜助の話をした。きっとその心に浮かんでいるのは......。
ちなみにだが叶夢と晶は、初めてりりの家で会ったときに漫画の話で盛り上がった。たまたま叶夢が読んでいた漫画が晶のお気に入りの漫画で、すこぶる会話が進んだ。それも読んでいた漫画があまりメジャーなものではなく知る人ぞ知るものだったことが、叶夢と晶を仲良くさせた要因の一つであろう。