〈修復屋〉の一日 (上)
亡きケーラからドロシーが後を継いだ〈修復屋〉は、セイナン町の商店街の一角にある。三十年以上、ひそびそと営業しているらしい。
まあ、ひそびそ……というのは、ケーラは目立つことを好まぬ性格だった故、ほとんど店の宣伝をしなかった経緯があるからだ。
とはいえ、格安と言える程の良心的な値段で、人の手では絶対に直せない愛用品や形見などを、短時間で修復してしまう偉業は、あっという間に公国中に評判が広まってしまったのだった。
若き頃、夫を病気で亡くしたケーラは、長年セイホク村にあるホッポウ魔術学院の教師をしていた。
しかし、定年退職したことをきっかけに、自分の能力を周りの人たちのために活かしたいと思い、〈修復屋〉を始めたそうだ。
……この辺りで、ケーラの葬儀から一日経った日の、ドロシーの様子について話そう。
日の出が過ぎてから少し後に、ドロシーは起床した。
その日は薄曇りで、あまり陽の光が地上まで届かなかったため、春の気配を感じないくらい寒かった。
ドロシーがゆっくりとベッドから出ると、布団の中から小柄のサビ猫が床に降りてきた。
「おはよう、ドロシー。……て、ケーラが亡くなって間もないけど……、もしかして今日、もう仕事に行くの?」
大好きだった祖母が亡くなって、落ち込んでいるだろうと思い、ドロシーを気遣って声をかけたのは、使い魔のサビ猫だった。
華奢な体に、長くて真っ直ぐなしっぽ……。凹凸のある顔に、イエローグリーンの目を持つ猫のようだ。
「あ、うん。仕事でもして体を動かしていないと、逆に気が紛れないと思うしっ!」
「ドロシーがいいなら、それでいーんだけど……。でも、無理しちゃ駄目だからね」
「ありがとうね、ルルちゃん」
ドロシーの寝室は〈修復屋〉の二階だ。彼女の寝室の横には、大きな倉庫もある。
また、一階にはキッチンと風呂、事務所を兼ねた仕事場などがある。
ドロシーは、寝巻きを着たまま一階に降りていくと、洗面所で顔を洗った。そして、足早に二階の寝室に戻ると、仕事着に着替えた。
上着には長袖の白いチュニックと、アイビーグリーンのエプロンドレスを着ると、マスタード色の紐を腰の上部に巻き付けた。仕事着を着終えると、ドロシーは姿見で身だしなみを整えたようだ。
その後、ドロシーは一階のキッチンに行き、朝食の準備を始めた。
テーブルの前のイスには、ちょこんと使い魔のルルが座っている。
「ルルちゃん、ちょっと待っててね〜」
竈の上、鍋で湯をつくっている間、ドロシーは、戸棚から干した小魚を数匹出して、小皿に入れたようだ。その小皿を彼女が壁の側《そば、》に置くと、イスから離れたルルが小魚を食べに来た。
先にルルが朝食を取っている時間に、ドロシーは熱したフライパンで多めのバターを溶かし、溶き卵をササッと入れた。溶き卵が固まる手前に、塩とコショウをまぶしたようだ。
バターたっぷりの、スクランブルエッグの出来上がりだ。
そして、紅茶用の湯ができると、夕飯の残りだったほうれん草のポタージュも温まっていたのだった。
スクランブルエッグ、それからポタージュと紅茶を器に入れた後、ドロシーは最後に戸棚からロールパンを出した。
そうしてドロシーがパパっと朝食を済ますと、彼女は外出の準備をした。二階に戻ると、ドロシーはコートを羽織って、肩かけのカバンを取りに行ったようだ。
「ドロシー。鍵を持ってきたよ〜」
ドロシーが裏口の傍まで行くと、ルルが鍵をくわえて持ってきた。
その場でかがんで、ルルから裏口の鍵を受け取ると、ドロシーはルルにお礼を言った。
「……さあ、行こっか」
と、ルルに声をかけた後、ドロシーは裏口から外に出た。彼女のあとを使い魔のルルがついていく。
ルルは立ち止まって、ドロシーが裏口の鍵をかけたのを見届けると、両者は慣れた足取りで歩き始めたのだった。
ドロシーとルルが向かった先は近場のようだ。大通りを渡って、向かい側に行くと、彼女たちは広そうな建物に入っていった。
建物の出入り口の真上には、大きな字で〈宿屋オーロラ〉と書かれた看板があった。