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「私なんて」の過去。-合唱と私-

 そんな私でも、心安らげる時があった。

 それは『合唱』をしている時だ。



 小学校に入学して間もない頃、公園で遊んでいるとどこからか聞こえてくる歌声。心惹かれた私は母に言った。


 「すてきだね」


 この時、私は合唱と出会った。


 小学三年生の春。私は扉の向こうから聞こえてくる歌声に心躍らせていた。あの日公園で聞いたのは、市内で活動する児童合唱団の練習だった。小学三年生から入団可ということで、二年間この日を心待ちにしていた。ワクワクと緊張で心臓が破裂しそうになりながら扉を開けた。すると


 『ねぇ 一緒に歌おう......』


 歌いながら手を繋ぎ、みんなの輪の中へ入れてくれたお姉さん。その時のちょっぴり恥ずかしい気持ちと、嬉しさと、手の温もりはずっと忘れられない。最高に幸せだった。本当に幸せだった。

 

 晴れて憧れていた児童合唱団へと入団した私は、どんどん合唱の世界にのめり込んでいく。合唱団の練習は毎週日曜日。メンバーは市内に住む小学三年生から中学二年生までの三十名ほど。お兄さんお姉さんに囲まれて緊張しながらも、練習は毎回楽しく合唱団のメンバーに会えるのが嬉しかった。自宅でもたくさん練習をし、家族もその活動を応援してくれた。合唱団への入団により、私の世界はグンと広がっていったのだ。

 嫌な事があっても、合唱団があると思うと頑張れた。



 「合唱はね、一人ではできないんだよ。ここにいるみんなで作る。全員が大切で必要なんだ。」


 団の指導者である佐々木先生の言葉だ。先生はとても熱い方だった。厳しい指導で大変な時もあったが、みんなが納得のいくハーモニーになった時には


 「今の!ほら気持ちいいだろう⁈素敵だよ!」


 と歌っている私たちよりもテンション高く、たくさん褒めてくれた。そして何より、歌詞の意味を考える大切さを幼い団員たちに繰り返し丁寧に教えてくれた。


 こんなエピソードがある。

 市内で開かれる小さなコンサートに向けて、少し難易度の高い曲に取り組んでいた時のことだ。音取りがとても大変でみんな苦戦をしていた。練習を重ねてやっと歌えるようになったが、本番は間近。そんな中で佐々木先生から


 「この曲ではなくて、こっちの曲にしよう」


 曲の変更が告げられた。正直、なんで…とがっかりしたのを今でも覚えている。他の団員からも、ため息が聞こえていた。落ち込む私たちに先生はこう話した。


 「今のままではただ音を歌うだけになってしまう。この曲ともっと向き合って、言葉に心を込めて歌おう。」


 この言葉は、まだ当時の私には半分くらいしか響かなかった。ただ、頑張ってこの曲を発表できるようにしたい。もっと言葉を大切にしよう。と幼いながらに決意した。


 そんなこんなで、大切な仲間たちと熱心な先生と出会ってから一年が経とうとしていた。合唱団では一年の集大成を披露する定期演奏会がある。私にとって初めての大舞台だ。合唱ステージとミュージカルステージの二つのステージを行うのが団の伝統だった。ミュージカルにも初挑戦することになり、私は練習が始まってからずっと緊張していた。オーディションを受けて、ミュージカルでセリフとソロをもらったのだ。一人で歌うのはもちろん初めて。演技もしたことがない。記念すべき初めてのセリフは


 「なんだ...これっぽっちか」


 だった。何度も繰り返し練習した。家族、そして仲間たちもたくさん練習に付き合ってくれた。


 本番当日。舞台に上がると緊張は吹き飛び、とにかく幸せだった。何とかセリフとソロもやり遂げ、みんなで歌えることが本当に嬉しかった。お客さんから


 「ソロ、素敵だったよ!」

 

 と声を掛けてもらった。恥ずかしさもあったが、嬉しかった。


 この日、私は改めて合唱の楽しさ、素晴らしさを知った。

 そして『歌うこと』にほんの少し自信が持てるようになった。



 四年生になると、児童合唱団の他に小学校の合唱クラブでも活動を始めた。私の通っていた小学校では、四年生から合唱クラブへ入ることができたのだ。朝、昼、放課後そして土曜日に練習があり、より一層合唱漬けの毎日がスタートした。

 合唱クラブは、コンクールへの出場が主な活動だった。児童合唱団で練習していた曲よりも難易度が高く、より良い成績を収めるためにみんな必死で練習をしていた。また、コンクールに出場できる人数には制限があるため、メンバーは仲間でありライバルでもあった。

 平日と土曜日は合唱クラブ、日曜日は児童合唱団とずっと歌っている毎日。大変ではあったが、私は合唱が大好きで楽しくて仕方なかった。そんな中で、少しずつ技術面も成長することができた。


 そして私は、その年のコンクール出場メンバーに選ばれた。


 体型のことをからかわれ、全てに対し私なんて...と自信が無くなっていく中で『合唱』だけは私の得意なこととして話せた。合唱が心の支えになっていたのだ。


 


 中学生。私は迷うことなく合唱部に入った。

 合唱部はとても強く、例年のコンクール成績も素晴らしかった。もちろん練習は小学生の頃と比べてとても厳しくなっていたが、学べることが本当に楽しかった。


 その頃には、妹の綾音と弟の大輝もそれぞれ合唱を始めていた。日曜日の児童合唱団の練習に三人で通い、家でも一緒に練習をする毎日。その甲斐もあってか三人ともどんどん上達し、練習内で褒めてもらうことが多かった。

 周りの人から


 「合唱三兄弟だね」


 と声を掛けられるくらい、家族みんな合唱への熱は年を重ねるごとに高まっていた。ほとんどずっと合唱をしていたと言っても過言ではないだろう。それくらい、真剣だった。



 中学二年生の三月。児童合唱団を卒団した。

 私に合唱の楽しさを教えてくれた合唱団。佐々木先生はずっと私の憧れだ。

 私は卒団式で最後にこう話した。


 「いつか指揮者として、合唱団に戻って来ます」


 と。


 

 この先、合唱ができなくなる日が来るなんてこの時の私は微塵も思っていなかった。

 



 

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