番外編 〜その後〜 【1】
一度完結した本作ですが、新しい物語が浮かんだので、(おそらく亀並のスピードですが)少しずつ後日談や本編には入れなかった、ちょっとした小噺を投稿する予定です。
その昔、琥珀山という山の麓に、名もない小さな村があった。
天神様という山神を崇めているその村は、天神祭という催しで毎年生贄を選び、山へと捧げる風習がある、昔ながらの村である。
もう百年以上も昔の事で詳細は語られていないものの、毎年若い娘が生贄になっていたが、ある年、伽耶という娘が生贄に捧げられた事がきっかけで、天神祭は行われなくなり、今に至る。
そしてその山…琥珀山には、燃える様な赤い髪の鬼と、見目麗しい龍神が暮らしていると言う。
その二人が守る琥珀山は、季節関係なく、四季折々の豊富な食べ物があり、昔の人間達はその二人の妖の加護を受けて、周りがどんな飢饉に陥っても、飢える事なく暮らしていたのだとか。
そして人間だけでなく、沢山の妖が庇護を求めて集まり、山の何処かには、妖と人間が仲良く暮らす村がある…という伝説まであった。
単純に妖とは言っても、人間を襲う事はなく、ただ静かに山奥でひっそりと暮らしているだけで、人里へと降りてくる事もなく、琥珀山は妖と人間の桃源郷だと言われている。
「うっそだぁー!!」
寝物語にと、布団の中で母親の話を聞いていた少年は、大きな声をあげて布団から身体を起こした。
歳の頃は十くらいだろうか?いや、もっと幼いかも知れない。
健康的に焼けた肌をした、活発そうな少年だ。
少年の隣で眠っていた幼い少女が、眠そうな目を擦っている。
「妖なんていないよ!昔の人間は大嘘つきなんだ!」
「…あら、公。何故そう思うの?」
「…うッ…」
母親に聞き返された公は、言葉に詰まって黙り込む。
何故なら、許可なく山へ立ち入ってはならぬ。と、村の掟で決まっているからだ。
(…村の中は退屈だから、山に入って遊んでるなんて、母さんには言えない…)
公が暮らすこの村は、未だに妖の存在を信じており、琥珀山を神々の暮らす神聖な山だと信じている。
軽々しく遊びに入った…などと知られたら、母親だけでなく村長にも叱られるだろう。
それでなくても、この村の老人達は皆、伝説を信じている。
山で遊んでいるなど知れたら大目玉だ。
(でも山の中は、外と何も変わらない…。加護なんて嘘だし、妖だって見た事ない…。なんで皆、あんな御伽話を信じるんだろう?)
そう思いつつ、黙って再び布団に横になると、代わりに少女が母親を見上げた。
「…嘘なの?天神様はいないの?」
「いるわよ、天神様は私達を守ってくれているの」
「信じるなよ、碧。大人は大嘘つきだ」
公がそう言うと、碧は悲しそうに長い睫毛を伏せる。
あくびをしたのか、その睫毛は濡れて光っており、目尻に涙が滲んでいた。
「公兄…、私は信じるよ」
「何でだよ?」
「だって…私達を守ってくれる神様でしょう?いたら、助けて貰えるもの」
「……」
逆だよ。と公は唇を噛み締める。
本当に神様がいるなら、妹である碧がこんなに身体が弱いはずがない。
外で遊ぶ友人達を、寂しそうに眺めているはずがない。
父親を早くに亡くし、女手一つで兄妹を育てて来た母親だって、無理をしすぎて身体を壊している。
本当に天神様がいるなら、こんなに辛い思いをしているはずないんだ…と、公は苛立たしげに頭から布団を被った。
そんな公を見た母親は、少し悲しそうに微笑んでから、兄妹のお腹を布団の上から優しく叩いた。
「…もう寝ましょ、子守唄を歌ってあげるから」
そう言って薄い唇が囁くように歌う子守唄に、公はぎゅっと目を閉じた。
翌朝、公は早くに起きて、畑仕事を手伝っていた。
母親である蒔絵が村の外に働きに出ている間、家で寝込んでいる碧の面倒を見るのは公の仕事だった。
その間、手が空いている時に近所の畑仕事を手伝い、野菜を分けて貰うのはいつもの事だ。
「おばちゃん、そろそろお昼だ。碧の様子を見に、家に帰っても良い?」
土だらけの手で額の汗を拭いながら、公は一緒に畑仕事をしている女に声を掛ける。
「あぁ良いよ、行ってやんな。今日はもう大丈夫だから、一緒にいてやると良い」
「ありがと、おばちゃん!」
手伝いのお礼にと、いつも通りに少しの野菜を土産に貰い、公は家へと足を向けた。




