優しき天神は生贄を欲す 其の弐拾捌
「…何だよ?」
つまらなそうに、だが一応返事をすると、風玉は降りてこい、と顎で大地を示す。
舌を鳴らしながら飛び降りると、風玉は穏やかな風に髪をなびかせながら、木の根元に送る。
「…かつて愛した女を思い出していたか、珍しく感情に浸る事もあるのだな」
「てめえに関係ねぇだろう、クソ蛇」
「蛇ではなく龍だ」
「おんなじだろ」
そう言うと、琥珀は同じように木の根元を見下ろした。
もうこの地に、霈の魂はいないだろう。
こうしてこの巨木に執着するのも、意味がないのかも知れない。
「この山は私の加護どころか、もっと昔から呪われていたのやも知れんな」
「…急に何だ?」
「この地に古くからある伝説、妖と人間の悲恋物語は、この山の呪いなのでは…と思ってな」
「……」
そう言えば、この龍神もこの山で愛した女を亡くしている。
その女も、霈と同じ人間だ。
「この山では、妖と人間の恋物語は、上手くいかぬのかも知れん」
「…あぁ?」
なら霈が死んだのも、呪いのせいなのか?
違うだろう。
霈は殺されたんだ。
当時の朝廷、都の連中に。
そうでなければ、都を滅ぼした自分の気が晴れない。
「だとしたら、伽耶もお主と上手く行かぬのではないか?」
「…くっだらねぇ事言いやがる、あの人間の女が何だってんだ」
そう風玉の言葉を一蹴し、顔を逸らした琥珀の目に、ちょうど遠くからこちらに歩いて来る伽耶の姿が映った。
居間で皆んなで話をしていて、琥珀が出て行ってしまってから、随分と時間が経った。
疲れていたのだろう佐己を寝床に連れて行った後、私は琥珀と風玉様の姿を探して、山の中を歩いていた。
探すと言っても、琥珀にはお気に入りの木があり、姿が見えない時は、その木で眠っている事が多く、大抵はそこで見つかる。
だから琥珀を探す時は、真っ先にその巨木だ。
(琥珀…、心底佐己の事を嫌っているようには見えないんだけど…)
だがほとんど廃寺にいる事はなくても、人間である私が鬼である琥珀と暮らすのは、かなり稀な事である。
地域や場所によっては、妖は神格化されておらず、人間と混じって生活していると聞くが、この辺りではあり得ない話だ。
(きっと人間と暮らすのも初めてなはず、琥珀の優しさに甘えて、私が勝手に住みついただけだもの)
しかし最近は、琥珀との心の距離も近付いてきた…と、自分では思う。
そして、それがとても嬉しいのだ。
山で一緒に暮らし始めてから、少しずつ琥珀と話をするようになり、不器用な優しさを何度も感じた。
そして何度も助けて貰った。
(認めよう…、私は…琥珀が好きだわ)
これは魅了の力などではない。
今まで一緒に過ごして、そして見て来た琥珀自身に、私が惹かれたのだ。
そう自分の気持ちに気付いた私は、歩いていた足を止めた。
「…え、嘘…。顔が熱い…」
琥珀の事を考えていたせいだろうか。
気持ちに気付いた瞬間、胸が大きく高鳴る。
(し…深呼吸…!!)
人間である私からの好意など、琥珀には迷惑にしかならないだろう。
ここで琥珀と過ごしたいなら、この気持ちは隠さなければならない。
私は何度も深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けると、両頬を強く叩いて、また歩き出した。
(あ、見つけたわ)
やっぱりお気に入りの木の上だったか。
どうやら風玉様も一緒にいるようだ。
「琥珀、風玉様」
恋心に気付かれぬよう、普段通りに名前を呼ぶと、風玉様が最初に私を振り返った。
「おぉ、伽耶か。ちょうどそなたの話をしておったのだ」
「…え?私のですか?」
きょとんとしてしまう。
この二人が私の話をするなど、どういう内容なのか。
「なぁ、神鬼よ」
「うるせぇな、してねーよ。…それより何だよ?探してたんだろ?」
相変わらず不機嫌そうな琥珀も、むすっとした顔で私を振り返る。
「はい、…あの…佐己の事なんですが…」
「…一緒に廃寺で暮らすんだろ?…勝手にすりゃ良いじゃねーか」
「ですが琥珀はお嫌なのでしょう?」
琥珀に心を奪われる前なら、或いは山を降りて佐己と二人で暮らす事も考えただろう。
だが今は、琥珀と離れたくないと、はっきりとした感情がある。
何とか琥珀と佐己、そして風玉様と、皆んなで山で暮らしたい。
そう思いながら琥珀の顔色を窺うと、隣の風玉様が口を開いた。
「さっきも言ったが、神鬼は妬いているだけだ。気にせずに佐己と暮らすと良い。…全く、そなたはあんな子供にも妬くのか」
「だから妬いてねーよ!勝手な事言うな!」
「…え」
風玉様の言葉が本当なら、琥珀は少なからず私を好いていると言う事になる。
自分の気持ちに気付いた直後に、両想いだと言う事も知れるなら嬉しい限りだが、琥珀はそれを真っ向から否定しており、私は複雑な気持ちで苦笑いした。




