優しき天神は生贄を欲す 其の弐拾漆
「霈…」
そう名前を呟くと、こつん、こつん。と霈の身体の上に、小指の先程の石が落ちて行く。
(これは…)
拾ってみると、それは自分の瞳と同じ色をした宝石だった。
鬼が涙を流すと、その涙は瞳と同じ色の宝石になると言われてるの知っていたが、神鬼がそれを見たのは初めてだ。
(泣いてるのか?この俺が…?)
誰かを失う喪失感も悲しみも、神鬼にとっては全てが初めてで、この気持ちをどう処理したら良いのか分からない。
だがやるべき事は分かっていた。
霈の最期の言葉。
────この山を守って。
確かに霈はそう言っていた。
なら今やる事は、この山を荒らそうとしている討伐隊を片付ける事だ。
そして…。
霈を失った悲しみの代償を、都の人間共全てに償わせてやる。全てを滅ぼしてやる。
そう心に決めた神鬼の目を、霈に出会う前の冷たい闇が覆っていた。
あれからどれくらいの時間が過ぎたのか。
帝の派遣した討伐隊を皆殺しにし、そしてそのまま、都へ入り、一日掛けて都にいる人間全てを殺した。
力を持たない、女子供や赤子も全てだ。
そうして都が火に覆われ、動くものがなくなるまで破壊と殺戮の限りを尽くした神鬼は、山に戻って霈の亡骸を、若木の根元に埋めた。
「……」
この木はこれから、霈の代わりに大きく育つだろう。
生きられなかった霈の代わりに、大きく立派な木になって、ずっとこの山で生き続けて欲しい。
「霈…」
約束は守る。
そうその木に誓った神鬼は、そのまま山の廃寺に住み続ける事になった。
そして薄汚い人間を喰うことすら嫌悪し、人間を喰う事を止めたのだ。
どうやらいつの間にか、物思いに耽っていたらしい。
琥珀は自分が乗っている巨木をそっと撫でる。
あれから百年と、どれくらいが過ぎたのだろうか。
あの頃はまだ若木だった木も、今では立派に大きくなり、琥珀のお気に入りの場所になった。
木の根元に眠る霈も、今は安らかに眠っている事だろう。
約束通り、あれからこうして山を守り続けている。
あの頃の朝廷も今はなく、麓には伽耶が住んでいた村があるだけだ。
当時の都を火の海にしてからも、人間達は加護を求め、何度も山の麓にやって来ては、新しい村や町を作っていく。
それは山を守りたい琥珀にとっては鬱陶しく、山に加護を与えた天神を恨んだものだ。
加護さえなければ、山に人間は集まってこないのだから。
だがふと、琥珀の脳裏に伽耶の姿が過ぎる。
加護があったからこそ村が出来、結果として伽耶が山へと来る事になった。
(人間か…)
霈は自分の姿が見えず、同じ人間だと思っていたから、親しくなれた。
だが伽耶はしっかりと自分の姿、額の角や赤い髪を見た上で、怖がらずに山で暮らしている。
鬼だと告げた後も、逃げる事はなかった。
それは逃げる場所が、伽耶になかったからだと分かっている。
しかし霈の時、形は違えど同じ運命のように思えてしまう。
盲人であるが故に、山で琥珀と暮らした霈。
帰る場所がなかった故に、山で琥珀と暮らしている伽耶。
正直、伽耶への感情が、霈への感情と同じかと問われれば、それは違うと答えるだろう。
今は記憶の奥底にしまい込み、滅多にこうして思い出す事もなくなったが、霈は唯一無二、琥珀が生涯で一度だけ愛した人間なのだ。
伽耶の事も、素直に大切だと思っている、それは認める。
だがそれを愛だと認めてしまえば、霈への愛は何だったと言うのか。
偽物なはずがない。
今でも思い出すだけで胸が痛み、狂おしい程の愛おしさもこの胸にある。
毎晩のように身体を重ねた日々の、霈の身体の温もりや柔らかさも、今もありありと思い出せるのだ。
(…くそ…、何なんだ。この腑に落ちねぇ感情は…)
そう思いながら胸を叩いた時、下の方から声が聞こえて来た。
「…ぁ?」
見下ろすと、琥珀のいる巨木の下に、風玉が立っていた。




