朝を迎えて3
一章開幕です!
好きなものは何かと聞かれれば『自分』と答えるし、大切なものは何かと聞かれれば『ナノカ』と答える。
迷いや恥じらいはない。
そんなことを言えば、ナルシシズムやシスターコンプレックスの気があるのかと疑われそうなものだけどーー今のところは自覚していない。だから今後、他人からそう指摘されることがあったとしても、さして気にはならないだろう。
家族が大切で自分を愛する。
そんなことは当たり前で、むしろ、公然と主張できない人たちの方が、よほど歪んだ人生を歩いていると俺は思うわけだ。
もちろん、好きや大切にしたいという気持ちにも限度ってものがあるーーけれど、それについても理解できているし、実践しているつもりだ。前のめりになって行き過ぎる気は毛ほどもない。
しかし、そうして考えてから自分の姿を鏡に映して鑑みるに、俺の頭には髪の毛というものが結構あった。ふさふさと、揺れるほどに。
毛ほどもない、なんて事をさっきは言ったしまったけれど、この頭髪の毛量を考慮すると少し不安になるな。いつか行き過ぎた行動をとってしまうという暗示なのかもしれない。いっそのこと、ここで抜いてしまおうか?
なんてーーそんな冗談はさておきとして、俺は思う。
要は、適度に自分を愛し、適度に家族を大切にせよ。といったところだろう。
まあ、この言葉は俺のものではないのだけれど、いつだったか聞いたこの言葉に、今しがた納得できたから思い出してみた次第である。
◇
さて、また朝が訪れた。
当然、朝は毎日訪れているわけだけれど、今日というこの日もまた特別な日であるからして、トーヤという一匹の男の物語の節目となって章頭に入ってくるわけだ。
俺は相も変わらずベッドの上。朝は大概、ベッドの上だ。
対面には妹の姿がある。
「名前を教えて?」
やはり、ナノカは言った。
本日は月曜日。
恒例の定期検診日である。
「トーヤ」
「ラストネームは?」「アクリスタ」
「私のフルネームを言ってみて?」「ナノカ・アクリスタ」
「私たちの関係は?」「俺が兄で、ナノカが妹の二人兄妹」
「ここはどこ?」「俺たちの家」
矢継ぎ早に繰り出された質問を滞りなく答えたところで最終問題に備える。
「住所は言える?」
ここはどこかと聞かれた時点で住所を言っておけば良かったのに、うっかり楽な答え方をしてしまった。慣れというのは中々に抜けないモノだ。それと、起きたばかりの寝惚けた頭という事も要因の一つだろうか。
「エストレア王国、王都ハスファルク」
国名と都市名。
「東三番街」
王都中央に聳え建つ王城から正円に広がる城下町は十六方位に区分付けされている。
さらに王城近郊地から1000メートルおきに一番街、二番街と呼称する。最大十番街まで存在している。
だから俺たちの居住区(東三番街)は王城から東2000〜3000メートル地点の住宅地にあたるわけだ。
「中央街道西一〇区」
そして、王城から東方向へ向けて直線的に敷かれた街道を城送街道といい、2500メートル地点にて交差する街道を中央街道と言う。
東三番街の中央街道西側には全部で二〇の区域があり、一〇区は城送街道に面する地区。
一〇区の東側から数えて七棟目にある邸宅こそが俺たちの家というわけだ。
「七番地にある一等地」
「一等地は余計だけど、というか、別にこの場所は一等地ではないけれど……うん。まぁ、よろしい、かな?」
まずは本日もご満足いただけたようで何より。
続いて、触診へと移行するわけだが今日は勝負の日。
一子相伝ーー……じゃなくて、心機一転、生活が変わる今日という良き日に、俺は長きに渡って続いてきた朝の触診を終わらてやろうと心に決めていた。
だから、「じゃあ、服をめくってこっちを向く」というナノカの言葉に対して、「嫌」とだけ、端的に否定の言葉を口にした。
「むっ」
予想通り、ナノカ様はご不満にあらせられる。
だが、そんなことで怯みはしない。なにせ、今日の俺の心は鋼でコーティングされているからな。
「頬を膨らませても無駄。嫌な物は嫌」
「なんで?」
「そりゃあ、今日から俺たちは高等魔道学校の生徒なんだから『妹に触診されてます』、なんて言えるわけがないだろ?」
「言わなければいいじゃない」
「何かの拍子に露呈する可能性も潰しておきたい」
「イヤ」
「嫌なのは俺!」
「問診は良くて、触診はダメな理由を教えて」
「問診は体を見られない、触られない」
「見られたくないの? 触られたくない?」
「うん。恥ずかしいから」
「今更じゃない?」
「今更だとは俺も思うけど……そうだなぁ。幼い時は親と一緒にお風呂に入っていた子供が大きくなった、とでも思って諦めてくれ」
「ずっと一緒に入れるけどなぁ」
「親目線で語るな。子供側が嫌なんだよ」
「あぁ、そういう事。納得した」
勝った。
素直にそう思い、「分かってくれて良かった」と安堵のため息を漏らす。
「でも、イヤ」
はい? 自身の耳がおかしくなったのかと疑うような言葉が飛んできた。
「私が触診を続けたいの」
首を傾げる俺を置き去りにして、ナノカはそう続けた。
「だったら、そっちの理由を教えてくれ……」
至極真っ当な言い分だったと思うーーしかし、こう聞いたのは多分間違いだった。
「三年前ーー」
ナノカが語り出した最初の一言で俺は敗北を悟る。
「ーー目を覚ましたお兄ちゃんの記憶からは私のこと、お兄ちゃん自身のこと、何もかもが失われてて……毎日、寝て起きる度にあの日に戻ってるんじゃないかって不安になる……だから本当なら毎日したい。毎日して、お兄ちゃんは生きてる、私を覚えてるって安心したい。そりゃあ今は毎日のように会えてるし、お話をしてるけど……日によってはお父さんのお仕事の手伝いとか、訓練に行っちゃうし、私だって毎日は付いていけないから……だからーー」
徐々に瞳が赤みを帯びていく。幸い、まだ溢れ出してはいないけれど、涙が零れ落ちるのも時間の問題か。
流石にこのままにはして置けないよな。
触診を断るために用意してきた鋼のメンタルコーティングもどうやらここまでのようだ。
「あー! もう分かった、分かったから泣かないでくれ」
「……毎日していいの……?」
「毎日……毎日かぁ。流石にそれは……」
「分かった、我慢する」
ふぅ。
結果的に負けはしたものの、なんとか毎日の検診は免れた。
これまでと変わらない現状を維持しただけにすぎないけど、今はこれでよしとしておこう。
「じゃあ、服をめくってこっちを向いて」
「……分かりました……」
あぁ、もう。なんでこう妹には弱いのか。
本能かな?
記憶を失う前から俺はナノカより立場が弱かった、とか?
そう思えば、自分のことながら情けなくなってくる。
献身的な妹を持つ、ということは、なにも悪いことばかりではないんだけど。
「ドクンドクンって……お兄ちゃん、生きてるね」
「そりゃあ生きてますとも。これだけ話をしてて急に死んだら怖すぎるでしょう」
「だよね。やっぱり怖いよね」
「ほら、もういいか?」
「待って、もう少し、聞かせて」
ナノカの体温を直に感じながら、俺は物思いに耽るーー。
三年前。
厳密に言えば三年と三ヶ月前、俺は洞窟で目を覚ました。
雨風を軽く凌げる程度の、本当に小さな空洞。とりわけ、獣たちが寝床にするには最適な、そんな洞窟だ。
一番初めに見たのはその洞窟の壁面と、外に広がる森林地帯の景色。焚き火の跡。それから、木の葉を避けてわずかに差し込む日の光。
ボーッとする頭を揺り起こし、俺はなんとか状況を推察しようとしたーーしたのだけれど、思考がままならなかった。
理由は記憶を断片的に失っていたから。いや……、この場合は断片的に覚えていた、と言った方が適切なのかな。
忘れてしまった量が星の数ほど、だとしたら、覚えていることは指を折って数えられる程度だった。
まあ、あの時は何を忘れているのかってことすら忘れていたからそんな事には気付けなかったわけだけど。
覚えていたことと言えば、まずは言葉。ある程度の単語や文法だ。後は、生理現象と生物の仕組み。腹が減る、物を食べるとか、俺が人間であり、男であるとか、そんな程度の常識的な記憶。
それ以外のことはと云うと、自分の名前はおろか、他に何一つとして思い出せなかった。
とにかく俺は光の当たる場所へーー洞窟の外へ出ようとして、立ちあがろうとした。
結果を先に言ってしまえば、動けなかった、だ。
どのくらい眠っていたのか分からないけれど、全身が硬直していて立ちがあることができない。地べたを這いつくばって外へ出ようにも指先一つ動かすことが叶わなかった。
なす術のない俺は、洞窟の外へ出る事をすぐに諦めたーー諦めるしかなかった。
諦めて洞窟の天井と睨めっこを開始してから、さほど時間は経たずして俺は一人の少女を目の当たりにする。
それがナノカだ。
俺にしてみれば産まれて初めて見る人間。
記憶喪失というものは厄介なもので、人間という言葉や概念を知りながら人間には出会ったことがない、という矛盾を生み出してしまう。
どう思考が働いたのかは分からないけど奇妙な感覚が胸中を満たした。なにか小石ほどの異物が体内に入り込んできたかのような微細な違和感。それはあまり良い気持ちではなかったかな。
家族を忘れてしまったのだから当然だとも思う。
まあとにかく、曖昧な記憶しか持たない俺にとってナノカは見ず知らずの少女だったわけだ。小枝や果物なんかを両手一杯に抱えて俺の前に現れた不思議な女の子。
「お兄ちゃん」
お互いの目線が交錯してすぐのこと。消え入りそうなほど小さな声量でその言葉は吐き出された。
徐々に歪んでいく顔。頬を伝う大粒の涙。横たわる俺の上で泣き噦るナノカの姿は昨日のことのように思い出せる。
今にして思えば、酷であったと――そう言わざるを得ない。なにせ、その後発した俺の第一声は「誰?」だったのだからナノカの心中は察するに余りある。
それでもナノカが俺を責め立てることはなかったーーどころか、無事だけを喜んで様々なことを教えてくれた。
自分の名前はトーヤだということ。
少女の名前はナノカだということ。
俺たちは兄妹だということ。
他にも、俺たちの歳とか、生死の境を彷徨っていたとか、何者かが助けてくれたとか。
普通なら疑がって然るべき情報の全てを俺は信じ込んだ。
疑えなかった、という側面もあるのかな。記憶を失っている人間に対して甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる他人を俺は知らない。それは短くも三年間生きてきて身に沁みて理解できている。
あとは、何となくナノカと俺が兄妹であることは間違いない、という勘のようなものが働いた。
なんか似てるなぁと思うこともしばしばあったりして、言葉を交わせば交わすほどナノカの言葉が嘘ではないと体が理解していった。
そして動けないでいる俺を見かねたナノカは、関節の可動補助や筋肉のマッサージなんかをしてくれた。
俺が寝ている間もしてくれていたみたいで慣れた手付きだったと記憶している。
それから三日間の寝たきり生活を経て、体を動かせるようになった。
自分の両足で立って歩く。たったそれだけ、当たり前のことだけど、ひどく感動を覚えた。
なにが嬉しかったかって、ゴツゴツとした硬い地面から離れられた事だな。
まあそれでも、まだ立てただけだからな。過敏に動き回ることは不可能で場所を移すことはままならない。
だから暫くは洞窟で過ごした。
歩く、走る、握る、運ぶ。基本的な動作が問題なく行えるようになって、ようやく体を洗うために川へ行った。タオルも石鹸もないからな。自分の足で行けなければ満足に身体を洗うことすらできなかったわけだ。
川へ行く時は必ずナノカが着いてきて、体を拭いてくれる。
それは少し嫌で、付き添いを断ったら「溺れたらどうするの」なんて風に怒られたな。
洞窟での生活もどのくらいたったか、俺はふと、何故こんな場所に居るのかを尋ねた。
「私にも分からない」
とだけ。
気が付いたらナノカと俺は洞窟のそばの森の中で横たわって居たらしい。
先に目覚めたナノカは、洞窟を発見してズルズルと引き摺って俺を運んだのだとか。
通りで、背中の部分だけ服が破けていたわけだよな。
まったく、無茶をしやがる。
それから一月も経たない内に、俺はナノカよりも機敏に動けるようになっていた。元々、運動神経は良かったらしい。
世話を焼いてくれた礼を兼ねて、美味しい物を食べさせてあげたいと、そんな事を考えた俺はナノカには内緒で獣を狩ろうと考えた。
獣の肉が美味いということは覚えていた、というよりも本能が分からせてくれた。
しかし、あれは無謀な挑戦だったと思う。
グラジルボアと呼ばれていたっけか。
体長600センチメートル、体高250センチメートルを超える巨大猪と遭遇した。
そんな怪物に挑むなんて、血迷ってる。本当なら迷わず逃げ出すのが正解だろうにーーだけど、俺は何故か勝てる気がして、迷うことなく襲いかかった。そばに落ちていた痩せ細った木枝を一本、手に持って。
率直に言って、死ぬかと思った。
巨大な体格、3000キログラムを超える自重を支えるグラジルボアの強靭な後ろ足に蹴り飛ばされて10メートルくらい吹き飛ばされた。全身の骨が砕けたような痛みが走り、突進してくるグラジルボアを見て、俺は死を悟る。
走馬灯もないままに、目を瞑って、しばらく。
待てど暮らせど衝撃がやって来ない事を不思議に思って、恐る恐る瞼を持ち上げた。
そこに立っていたのがデイネスだった。
『鈍器エルドレイン』、デイネスが所有する二振りの愛剣。その内の一振り、大剣の銘。
180センチメートルを超える大剣を地面に突き立てて、頭部が縦に割れたグラジルボアに背を向ける男。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ」
俺の薄れ行く意識を悟ったのか、デイネスはそう声をかけてくれた。
俺は最後に力を振り絞ってこう口にした。
「ナノカに美味しいものを食べさせたい」
助けて、とか他にももっと言うべきことはあったように思うが、それは後の祭りだ。あの時はその一心でグラジルボアに挑んだわけだしな。
痛みに悶えることもなく、言うだけ言って、俺は気絶した。
次に気が付いた時、俺はもうこの家にいた。
デイネスが助けてくれたらしい。
また、ナノカが泣いている姿が目に入って、俺は不謹慎にもひどく安心した。
デイネスは俺のたった一文の言葉から洞窟に置いてきたナノカの存在を察知して、保護してくれたのだ。
それから一月くらい、傷が癒えるまでの間デイネスとアネットのお世話になって、俺たちは家を出ようとした。
そうしたら、引き止められた。
「好きなだけ家にいたらいい。もう、俺たちは家族だ」
と。
たったひと月。
されどひと月。俺からすれば目を覚ましてふた月も経っていない。新たな人生の半分を共に過ごしたと言える。
俺は嬉しくて、二つ返事で受け入れた。あの時ナノカがどう思っていたのかは知らない。否定はしなかったから、それで良かったんだと思う。
まあ、今は幸せそうに笑ってるし正しい判断だったろう。
そしてこの国において、無名であった俺たちの名前がトーヤ・アクリスタ、ナノカ・アクリスタと記されることになった。
アクリスタの姓を貰ってから先週で三年が経過した。
いつか、この大恩に報いたいと俺は思っている。
無論、それはナノカも同じ気持ちだろうーー。
「お兄ちゃん。終わったよ」
「ん、ああ。ありがとう」
「ずっとボケーッとしてたけど大丈夫?」
「三年前のな、あの日のことを思い出していた」
「そっか……大変だったよね」
俺以上に大変だったろうに。そんなこと微塵も感じされないで言えるんだから、ナノカはすごく、偉い。
語彙力の低下が露呈するな、これ以上はやめておこう。
「ナノカ」
名前を呼び、ナノカは不思議そうに首を傾ける。
「手を」
「……ん……」
差し出された手を引いてナノカの身体を抱き寄せる。
「いつもありがとう」
「……最終章でも迎えるの?」
「ちげえよ。お礼を言っちゃあまずいのか?」
「ううん。不味くない……美味しいよ」
「美味しいの?」
「うん、美味しい。お兄ちゃん……生きててくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
しばらくの沈黙の後ーーどちらともなく体を離した。
ナノカの顔が赤い。
それは多分、俺も同じのはず。顔に熱が宿っているのが分かる。
まあ、兄妹で感謝を言い合うなんてイベントは滅多に起こらないし、今日くらいはこの熱を味わうのも、悪くないかなーー。
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