危険指定生物2
「さあ、始めようか」
対面に合わすササザラシに人の言葉など通じない。それでも開戦の合図を悟ったのか間をおかずして自慢の大鎌を振り上げた。そして、勢い余さず振り下ろす。
左腰に感じる重み。
腰に結いつけてある剣、テスカトラムスに引かれるかの如く左へーーその身を沈めながらに飛び退いた。
一転。左肩から着床して、背、腰、足の順に大地を辿り、流れる動作で立ち上がる。
ふむ。
まずは一刀。見極めるに、森の狩人とは正しく――凄まじく洗練された一撃だった。
しかし、想像していたよりも幾分かマシだな。大した速さでは無い。
通常、カマキリが獲物を捕える速度は0.1秒未満だと聞いた事がある。しかし実際に体感してみて推測するに、剣速は1秒といったところ。
俺個人の見解にはなるが、おそらく身体の面積を広くした分、空気抵抗を受けるようになり体積を増やした分、重量が増大してしまった。ということなのかもしれない。
なるほど。デイネスが俺一人に任せた訳も分かる。
十分に目で追える速度だ。
まあ、追えていなければ先ほどの一撃時点で頭から縦割り。竈の薪にでも焼べられていたことだろう。
そんな結末は死んでも御免だ。
狙いが的確な分、剣筋が読みやすくもある。ギリギリではあるが身体も反応できる。
この勝負、勝てる。
ササザラシの左腕が首筋を狙う。
袈裟懸けにでもする気か。胴まで断ち切らんと振るわれた鎌から逃れるために次は右へ跳んだ。
再度、受け身を取って流れるように立ち上がる。
次いで、すぐさま横薙ぎにーーカマキリのくせに横向きにして準えた鎌が襲い来る。通常、カマキリという生物は肩や肘関節の都合上、横向きの攻撃は得意としない。敵の視覚外となる上方からの攻撃に特化した体構造を成している。
しかしどうやら、ササザラシは違った進化を遂げたらしい。合わせて学習能力も高いようだ。
縦がダメなら横からってな。
狙いも悪くない――防護の薄い首を刎ね飛ばすつもりで道筋を擦っている。
その攻撃に対しては深く身を沈めてやり過ごした。
畳み掛ける連続攻撃。
当然、休む暇などあるはずもなく、二本の腕が上から一斉に振り下ろされる。
後転ながらに飛び退いた直後にーーザンッ、と鋭い音を立てて深々と鎌が地面に突き刺さった。
大地を易々と切り裂いてみせたササザラシの鎌。いくらチェインメイルに胴を包んでいるとはいえ、当たれば一溜りも無いだろう。胴以外に受ければ即死レベルだ。
鎌の鋭さもそうだが、速度と重量が規格外と言える。
それから、二天一流。凄くカッコいいな。俺も二本持って来れば良かった。
なんて、陽気なことを考えてる場合じゃないか。
地面に突き刺さった鎌を引き抜くササザラシの動きに合わせて、俺はようやく剣を鞘より引き抜いた。
両用剣テスカトラムス。
艶めく剣身。鯖は愚か、刃こぼれ一つ見当たらない。手入れが完璧に施されている一振りの剣。
さて、ササザラシが身に纏う強靭そうな外骨格に適うのか。
テスカトラムスの持つ威力、切れ味のお目見えだよ……、っとその前に。
「……お前はさっきから俺を殺そうとしている。俺はたった今からお前を殺しに掛かる。だからどちらが先に斃ろうとも、お互い様で、恨みっこなしだ」
聞こえていたところで言葉の意味を理解できるわけが無い。それでも俺は言った。
単身向かってくるササザラシに仲間意識は存在しない。敵討ちの心配はなさそうだけど、多かれ少なかれ感情は存在しているはず。怨念を背負わされちゃあ堪らないからな。
「いいな?」
小首を右に左に傾げているササザラシの様子を曲解して受け取り、頷いていると判断する。どちらかと言えば否定的な頭の動かし方だけど、それは人間基準の話だ。
第一、それが無くても理解は得たとして問題はない。
何せ俺を殺す気は満々なわけだからな。
言ったそばから振り下ろされるササザラシの右腕ーーその大鎌を、両手に構えたテスカトラムスの剣脊で受ける。続けて剣背に沿わせて切先向きに受け流す。
重たい、が。受けられなくはない。
体に掛かる負荷も、想像以上に軽い。
もしかすると、体格を大きくする過程で外骨格は軽量化していった可能性がある。
重量に耐えられるだけの筋肉が外骨格内に詰まっているとは思えないほどの細足だし。見た目通りの堅甲ではないのかもな。
差し当たりの問題は、素早さか。
金属と金属が打ち合っているかのような甲高い音を立てて、鎌と剣とが鍔迫り合い。
受けては流し、受けては流し、時に鎌を避けながらにして、俺は考える。
懐に潜り込めさえすれば、腹部を切り裂くなり足を切断するなりして形勢を一気に此方のモノへと傾ける事ができる。
しかし現在は、それができるほどの隙がない連撃を浴びせられているという状態だ。
形勢は決して優勢とは言えないけれど、それでも、幸いしている事はある。動体視野も運動能力も食らい付いて行けているということ。
不幸な事は、時間をかければかけるほどに体力は減り、森を包む暗闇もまた深まっていくということ。
振り下ろされる鎌を受け流し、避ける。それを繰り返すだけの数分間。
俺は攻撃を捌きながらにジリジリと後退を続けている。
防戦一方。
攻勢へと打って出れるだけの実力を持ち合わせていない事が歯痒い。
「あぁ! うざってえ!」
苛立ちが募り、早くも我慢の限界を迎えた。
振り下ろされるササザラシの一刀を受け流すことはせず、弾くようにして力一杯にテスカトラムスを振り払った。
開いた体。
デイネスに言わせてみればそれは死に体だ。
その事に気が付いて、しまったーーと、思った時にはもう遅い。
ガラ空きとなった横腹にササザラシの鎌が触れる。
「がはっ――」
横薙ぎに振り払われた鎌が胴を捉えて、勢いそのままに振り抜かれた。
体が宙を舞う。
無様な着地を果たし、地面を転がること五回転。
痛みに悶える間をおかず俺はすぐに顔を上げる。ササザラシが攻撃の手を緩めるわけがないから、俺は顔を上げた。
予想通り。
頭を割らんとしているのか高々と振り上げられている鎌を受けるためにテスカトラムスを掲げた――掲げようとした。
腕は問題なく持ち上がったけれど、俺は焦りを隠せない。だって、その手にはテスカトラムスが握られてはいなかったのだから。
どうして、とか。
どこに行ったのか、とか。
気付けなかった、とか。
そういう疑問の解消や反省は後でするべきだ。
このままでは、テスカトラムスを持っていると勘違いしたままに掲げてしまった右腕を切断されてしまう。
いや、両腕だけじゃない。頭から尻まで一刀両断にされるだろう。
目前に迫るササザラシが容赦などしてくれるはずもなく振り上げている鎌は時を待たず振り下ろされる。
刹那にして到達するはずの鎌が嫌に遅く迫ってくる。
死の間際の如き緩慢な世界。
全てがスローモーションとなった世界で、俺の思考だけはやたらと高速に稼働している。
これはアレか、走馬灯ってやつなのか? それにしては過去の記憶が流れては来ない。
溜め込んでいる記憶の少なさ故か、それとも……、いやいや何を考えているんだ俺は。
走馬灯が来ないのであれば、まだ死に際では無いってことだろう!? チェインメイルのおかげで胴体の両断も免れた、痛みはあるが体も動く。
このままでは必死であることは明確。
必死の状況を覆す一手を模索するべきだ。
スローモーションに見えるからと言って、高速で体が動くわけでは無い。
俺の体は依然として、遅いままだ。
出し手を引っ込めるには間に合わない。
だけど、腕を引っ込める必要はないだろう。
腕を引かずとも、腕を守る術は在る。
低速で動くーーというよりも、思い通りには動かせない体とは裏腹に、高速で稼働している脳の存在。
それと、もう一つ。
俺の思考を受信して、高速で動く魔素の存在。
イメージするのは掲げた腕ごと、全身を守る大盾だ。
魔力壁の展開。
緩慢な世界は突如として終息する――見えてる世界が元の速度を取り戻した刹那、鎌と魔力壁とが接触を果たす。
しかし"展開した魔力壁"は、ギリギリで間に合っただけ、唯の一時凌ぎだ。
腕の両断を免れたと安堵するのも束の間、即席の魔力壁すらも切断されると予感した俺はすぐに後ろへ飛び退いた。
さて、絶命を回避できた次に考えるべきことは、テスカトラムスの在処だ。
何処にある……テスカトラムスは何処に行った?
依然として目前に存在するササザラシを視界に捉え続けるため、首は振らず両の目を動かすだけにしてテスカトラムスの行方を追う。
すでに日没を迎えた森の中。影が支配するこの場所では足元の状態すら正確に把握できない。
そんな中で、たった一振りの剣を見つけるなんてこと出来っこない。
ササザラシの姿すら暗闇に溶け込んでしまっていて曖昧。
何となく輪郭が分かる、シルエットが分かるという程度だ。
暗闇の中に蠢く黒い塊。それはぶらりと揺れながらに前進してくる。
このままでは不味い。
俺は素手で、その上ヤツの姿が見えていない。
対して、ササザラシは鋭利な鎌を持っていて、その上俺の姿が見えている。
はっきりとしない地面の上。逃げ回るのも得策とは言えない。
どうする……、どうしたら窮地を乗り切れられる。正解が分からない。
暗雲に呑まれる脳内。突如として、一陣の風が樹海の中を駆け抜けたーーそれは針葉樹の葉を揺らし、深い森の中に僅かな月明かりを届かせる。
光を受けてキラりと輝く刃筋。テスカトラムスではなく、ササザラシの大鎌だ。
後先考えている暇はない。そう判断して咄嗟に俺は後退した。
後退して、ササザラシとの間に魔力壁を展開した。
展開して、俺はハッと意識を覚醒させる。
魔力壁。それは集約した魔素に停止と硬さの意思を反映させたモノ。
無論、重要なのはそこでは無い。
魔力壁とは魔素の塊だということ。魔素の塊で……、光を帯びた魔素の塊だ。
魔素の可視化反応とはこうだったーー。
『徴発念波を受けて体外神経を宿した魔素は一定の密度にまで集まると光を帯びる』
引き付けるという特性を持つ魔素は、互いに近付くと小刻みに振動し魔素同士が接触を果たす。ゼロ距離となっても引きつけ合う力は衰えず作用し続ける。そうして働く引力によって魔素は互い間の位置を入れ替える位置交換現象を引き起こす。繰り返し行われる位置交換現象によって蓄積していく運動エネルギー、それに伴って上昇する熱量。一定の温度にまで上昇した魔素は光を帯びる――だったかな……難しい事はよく分からんが。とにかく、光るということが重要だ。
それは日の落ちきった暗い森を照らし出す灯火となる。
展開していた魔力壁を切り裂いて、接近してくるササザラシに向けて魔力弾を放つ。
被弾して、ササザラシは小首を傾げる。
即席の魔力弾、意思の伝達不足による軽い衝撃。まったく効いていない。
そんな事は分かってる。
牽制以上に魔力の光でササザラシを補足し続ける、真の目的はそこにある。
だから、一発では終わらない。
二発、三発、四発。
俺は魔力弾を撃ちながらにその微かな光を頼りとして夜の森を疾走する。
三〇〇センチメートルの巨体が通るには不利な地形を選択して駆け抜ける。立ち塞がる木々が、追ってくるササザラシの足を緩めてくれると思ったのだが、まるで意味がないようだ。
易々と薙ぎ倒しながら直進してくる。
どの道、テスカトラムスが落ちているのは俺が吹き飛ばされた動線上に存在しているはず。離れ過ぎるのも得策ではない、か。
元いた場所へと向けて疾走する道中は魔力弾の放出に思考を偏らせた。
魔素を集約させて放つ、集約させては放つ。繰り返すことこと三〇発ほど、その全てが被弾することは叶わなかった。それでも二〇ほどは当たっているか。
怒りの感情を剥き出しに、大顎を目一杯に開いてササザラシが前進してくる。
煩わしいよな。
よく分かる。
しかし止めるわけにはいかないーー少なくともテスカトラムスを見つけるまでは。
さらに一発、二発、三発、と。
走りながらに魔素を集めてはササザラシの頭目掛けて撃ち込み続けた。
不意にササザラシは両腕を開きバサバサと大きな音を立てて羽を揺らす。
最大限の威嚇行動。
だけど――今更そんなモノに怖気付くか。
嫌がっているなら尚の事、撃ち込み続けてやる。
「それに……お前は武器を持ってるだろうが、俺にはねえんだから、魔力くらいは使わせろ」
届きもしない文句をぶつけて、来るであろう攻撃に備える。
羽を広げたなら飛んでくる以外に選択肢は存在しない。わざわざ行動の起こりを知らせてくれたわけだ。
予想通りというかなんというか……、馬鹿正直にササザラシは脚を折りたたみ体を沈めた。
反動プラス羽ばたき。跳躍を超えた、飛翔行動。
ギアを上げて迫り来るササザラシは一段二段と高速だ。しかし、備えあれば憂いなし。
後退はしない。
俺は敢えてササザラシに向かって踏み込んだ。
魔力弾を一発先行させてササザラシの攻撃を視認できるよう明かりを添える。
右の大鎌が魔力弾を切り裂き、二等分にされてササザラシの両側を通過する。
直後、魔力弾をもう一発。
次に狙うは左腕の関節部。振り上げている鎌を振り下ろさせはしない。
被弾して、硬直する両腕を素通りにササザラシの下を潜り抜けるようにして、身を転がした。
俺の頭が擦れちがう瞬間に、「チッ」という音が耳に届く。どうやら食いちぎらんと開かれたヤツの大顎が髪を掠めたみたいだ。
まずは、ホッと一息。
首を捥がれなくて良かった。
しかしこうもギリギリの回避を続けていては禿げあがる未来が待つのみだ。
さて、どうしたもんかな。
すでに空中を旋回して、コチラに向かってきているササザラシとの間にとりあえずといった具合で縦横五メートルほどの魔力壁を展開する。
とはいえ、瞬間操作できる最大量の魔力壁だ。硬度に関しても抜かりはない。
アクリスティードに負けず劣らずの速度で飛翔をするササザラシであるが、それ故に展開された魔力壁に詰め寄る速度が速すぎる。距離が詰まれば詰まるほど、衝突を回避するために停止することも――鎌を振る余裕すらも無くなる。
衝突する以外、ヤツに選択肢は残されていない。
だからこそ、「硬くあれ」それだけを願う。
間をおかずして衝撃音が辺り一帯に響き渡った。
およそ時速七、八〇キロメートルで飛翔するササザラシが魔力壁に衝突を果たした。
願いが通じたのか、無傷とは言えないまでも魔力壁は砕けていない。対して、横転したササザラシはバタバタと忙しなく足を動かして苦痛に悶えているようだ。
高みの見物を決め込む余裕。そんなものは勿論俺には無い。
魔力壁を解放して、最大限に魔素を集める。
瞬間的な集約ではなく、限定的な範囲でもない。俺が集められるだけの全ての魔素を集約するために有想波動を飛ばす。
ホワホワと暖かい。陽だまりに包まれているかのような……、今までにない感覚が体の周辺一帯に広がるーー体感、周囲およそ十メートルに存在している魔素に体外神経が宿っている事が分かる。
それら魔素を一気に頭上へと集約して、魔力の塊と成した。
「俺に元気を分けてくれーー」
周辺が明るく照らし出される。
明かりのおかげで横転していたはずのササザラシが大勢を整えていることが分かる。
朝焼けと見紛うほどの明るさ。
ササザラシは本能で危険を悟ったのか、即座に距離を詰めてきて大鎌を振り上げる。
暗闇に居たこれまでとは違う。はっきりと肉眼に映っている大鎌を俺は大袈裟に回避をして、ササザラシとの距離を取った。
五メートル程は離れられたか。
ヤツが万全の状態だったならば五メートル如きでは心許ないけれど、今は十分だ。
ちょうど、集約できた魔力塊のサイズほどの距離。
ササザラシと俺との間に魔力塊を降ろして俺は言う。
「さっきの一撃は応えたよ」
ズキズキと痛む右脇腹。切断こそされなかったが肋骨が二、三本折れているかもしれない。羽織っていたシクラスも知らぬ間に破けている。
どうやらあの時に切り裂かれていたようだ。
「お礼に……コイツをお前にくれてやる」
せっかく集めた魔力だ。存分に食らうといい。
幸い、ササザラシは雑食だ。
食べられるかどうかはともかく、魔力を食らえるのはお前が初めてかもな。
目前で煌めく魔力塊を切り裂こうと必死に鎌を振るっているササザラシ目掛けて、これから俺は放つわけだが反映させる意思は向きと速さだけじゃない。
向きと速さと、それから硬さだ。
意識的に押し縮めて青白い魔力から青みが抜けて白みを強める。魔力核となる一歩手前といった状態。
魔力核にしてしまえば波紋拡散反応が起こり魔素は拡散してしまうからな。折角集めた魔力、そんな勿体無い事はしない。
それに俺は九級魔術士だ、この場において魔力核の刻印は認められていない。
まあ今は規則なんてどうでもいいか。
「行くぞ」
言ってすぐに、向きと速さと硬さの意思が存分に込められた魔力弾が放出された。
最初の一撃とは段違いのサイズと威力で放たれた魔力弾はおよそ一〇〇キロの巨体ーーササザラシの体を持ち上げた。
カマキリは鳴かないというけれど、鳴き声が聞こえる。
ぎゃあああって。
断末魔のような。
けたたましい音を響かせながら十メートル先の大木に激突を果たすササザラシ。
魔力弾が気化する寸前、風前の灯を頼りに俺はテスカトラムスを見つけて手に取った。
存外、近くに転がっていた。灯台下暗し、というやつなのかな。
中足がへし折れているのか、足元が覚束無い様子で体勢が整えられないでいるササザラシ。俺は駆け寄り、テスカトラムスを振り上げる。
まるで、先ほどの自分を見るようだ。
情けなくも腕を眼前に構えることしかできない状態。
違いは、守る盾がないということ。
情けも容赦も無用。
恨みっこなしだと俺は最初に言っている。
振り下ろすテスカトラムスを何を思うでもなく振り抜く。
続けて、右腕を一刀両断にした勢いはそのままに体を回転させ、左腕の関節部目掛けてテスカトラムスを振るう。
落ちる両腕。
武器の剥奪が完了した。
左腕が地面に落ちた瞬間、痛みに悶えるようにササザラシは脚をバタバタと動かし始めた。
カチカチと口を鳴らすササザラシ。
怯えているのだろうか……、それとも、二腕が無くなっても未だ俺を捕食しようとしているのだろうか。
分からないけれど、やはり鳴き声が聞こえるーー泣き声に聞こえる。
当たり前だ。
命があって、感情もある。
痛いに決まっているし、死にたくないに決まっている。
それでも俺は、人だから……、人のために生きたいと思うんだ。
「……悪い。さっきは恨みっこなしだと言ったけど、やっぱりあれは無しにしよう」
ストンっ、と。
テスカトラムスでバタつく後脚を一つ切り落としてから。
俺は続けて。
「恨んでくれて構わない」
告げてーー首を薙いだ。
まるで大地を探しているかのように、ゆるりゆるりと足が動く。首が落ちてもしばらくの間それは続いた。
役目を失った魔力は全て気化している。辺りは再び暗闇に包まれていた。
しかし、暗くて良かったと俺は思う。
人間は生物の体積に伴って感情を移入させてしまう傾向にある。
感情とは器を要するもの。
体が大きければ、それだけ感情を注ぎ込める。
くそっ。
良いことをしたはず。
したはずなんだ。
だけど、褒められたことはしていない。
「考えるな」
不意に、背後から声が掛かった。
戻ってきたデイネスの声だ、振り向かなくても分かる。
「遅かったな」
顔を下げたままに俺は言った。
「なに、途中には戻っていたが心配は必要なさそうだったから見ていたんだよ」
「なに言ってる……俺はギリギリだったろ?」
「そんなことはないさ。確かに一撃貰ってはいたけれど、それにも対応出来ていた」
攻撃のもらい方。
体の向きを整えて、衝撃に備える。飛ばされる方向に自ら地を蹴って、衝撃を最低限に和らげる。
剣術と共に培ってきた体術が成せる技。
「そこも見てたのかよ……あれはなんて言うか、勝手に体が動いたんだ」
「考えずとも自然に発揮できる力こそが、身に付いた自力だと言える」
「そうか……そうかもな……」
いつしか動かなくなっていたササザラシ。
骸となった、生命体。
そこにはもう生も命もない。
ただの死体だ。
残る器に入れられる感情は、虚しさだけ。
「俺たちはこんなモノを作るために力をつけているのかな」
ぽんっ、とーーそんな風に、頭に乗せられたデイネスの手。僅かながらに温もりを感じる。
サラサラと髪を撫でるようにしてから。
「どうだ? あったかいだろ?」
言って、ガシッと頭を掴む。
少し痛い。
しかしまあ、デイネスなりの気の使い方なんだろう。
「ん、まあな」
とだけ、俺は返した。
「この手はな、さっきまでパンツの中で暖をとっていた」
「汚ねえな! そんな手を乗せてんじゃねえ!」
最悪だった。
ふざけんじゃねえ、こっちはセンチメンタル気取ってんだよ。
「ははっ、おかげさまで元気が出たろ?」
ぐっ。
出たけど。出たけどっ。
「いつかお前にも分かるさ。だから今は深く考えなくて良い」
はぁ。
元気は出たけど、疲れたな。一瞬にして精神的な疲れを募らされた。
腹も痛いし、胸も痛い。
どれだけ悔やもうとも事後だ。
他にやりようもなかった。
今は思い思いにやり過ごすしか無いのかな。
デイネスの言う、いつかに期待して、俺はこれからも生きていくとしよう。
読了ありがとうございます!




