自己パーソナリティ分析
ひとりでも帰還ってこられるだけの強い思いを見つけてごらんなさい。
リグラヴェーダの言葉を咀嚼して気付く。自身の記憶が曖昧だということに。
たぶんそれは自分が帰還者なせいだ。自分はいつかの誰かの思いの凝縮体。透明な水に色とりどりのインクを流し込んだような混沌の存在だから自分というものが曖昧になっているのだ。
自己認識さえ怪しい状態で強い思いを見つけろだなんて無理がある。探究のため必要なのはまず自己分析。自分が今どこに立っているかを把握しなければどこにだって行けない。道を作ろうにも始点と終点を定めないと線は結べないのだから。
必要なのは自己分析と自己把握。なら一番大きなパーソナリティから手を付けよう。
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「というワケで、図書室の資料室貸して?」
そう言ったら、図書室の司書は苦虫をまとめて噛み潰したような顔をした。いつも人当たりの良い笑顔で生徒に接する司書が明らかな不平不満を表情に出すのは珍しい。ここに彼女の姉分であるリグラヴェーダがいたら珍しさに笑いを浮かべているだろう。
「……はぁ……いいですけど」
姉分からのお達しだ。"灰色の魔女"の探究の邪魔をしないこと。調べたいものがあるのなら拒否することなく書庫を開き、書架に触れさせよ。
そう言われているのだ。断るわけにはいかない。個人的な感情を出すのなら、なんで"灰色の魔女"なんかに自分の大事な図書室を解放せねばならないのかという思いでいっぱいなのだが。
不満はあるが仕方ない。姉分が望むならその通りに。
どうぞ、と資料室の鍵を渡す。奥の資料室には修復途中の本や表に出せない貴重な書物はない。"灰色の魔女"とてそういった本が目的ではないだろう。おそらくはゆっくりと本を読み込むために個室が欲しいだけ。
「アリガト! じゃ、借りるネ」
ちゃんと鍵は返してさいねと事務的に言う司書に片手を挙げて了承を示して資料室へ。向かう途中で書棚からめぼしい本をいくつか取っていく。
さて、読書の時間だ。人の出入りがないせいで埃っぽく冷え切った部屋に明かりをつけ、埃でざらついた机の上に本を広げる。道中の書棚から取り出したのは歴史書だ。
自分の一番大きなパーソナリティ。自分は何かと問われたら最初に出る部分。それは間違いなく『"灰色の魔女"である』だが、掘り下げたいのはその次のアイデンティティだ。
「……ボクはビルスキールニルの皇女なんだから」
『こう』なってまでしがみついているそれを捨て、王位を返還する。ならばその王位とはいかなる価値をはらむものだろうか。
それについての知識はヴィトの中にある。だがこの通り記憶が曖昧だ。価値あるものと思っているのは自分だけで、実は部屋の隅の埃にも満たないものであるかもしれない。極端だがそういうことだってありえる。
自分が今立っている場所はどこか。その自己分析を始めるには、当たり前だと思っている前提知識から疑って検証していかないといけない。
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それは、自らの罪を数えることに等しい。
犯した罪の大きさを認識し、動機を整理し、罪を検分する。自己反省というには重く、もはや自己裁判だ。
自らを弾劾し、自らを裁く。罪の悪性と罰の妥当性を知る。
「殊勝なことね」
その罪から目を逸らすために願った事象消滅能力だろうに。
"大崩壊"という罪を『なかったこと』にしたかったから事象消滅能力を請うておいて。事象消滅能力のおまけでついてきた不死を消すために自らの罪に向き合う。要ると言っておいて要らないと言う。こういうものは、そのくせ捨てた後でやっぱり要ると取り返そうとするのだ。ふらふらと定まらない。その愚かさは人間の特権とはいえ。
まぁ捨てるというなら良しとしよう。その力を与えたのは自分だが、与えられたものをどうするかは受け取った者の自由だ。使うだけ使って不要になったなら捨てればいい。
しかしアブマイリの儀式を応用した王位返還、その返礼に武具の能力を分離する計画とは。
てっきり、能力を消してくれとこっちに縋ってくるのかと思いきや。それならそれで次なる苦痛を味わわせてあげようと思っていたのに。
まだあの日の生命が願ったそれはひとつも晴らされていない。罪を認めて反省しますと言ったところで許されるものか。
『なかったこと』にして世界を刷新してもなおいつまでも煮える憎悪がそこにはある。まだ足りない、まだ足りない、理不尽に奪われた我らの鬱憤は何一つ晴れてやいないと叫んでいる。
「そうでしょう」
わかるわ、と声なき声に同意する。
ここは対価と引き換えに何でも願いを叶える店。あの日の憎悪を受領しその願いを実行し続けている。
世界の常識にそっと魔女への憎悪を折り込み、神々への狂信の時代となしたのもそのため。世界の憎悪を解消せんと、堂々と石を投げていい環境を作り上げた。
それでも晴らせぬ、晴らし足りぬと言うのなら。
「だからね」
次の場所でも地獄を見せればいいの。
「神の国はさぞや心地がいいでしょうね」




