愛するに値する約束の苗
翌日。
「はい」
「あげる」
「受け取れよ!」
アルカンと偶然会うなり挨拶もそこそこに、ずい、と小さな紙袋を渡された。中で倒れないように詰物をした紙袋の中には小さな箱。蓋は取り払われており中身が見える。
「……苔玉?」
球体に丸めた土に種を植えたのだろう。苔で表面を飾った球から一本の新芽が生えている。
みずみずしい新芽は可愛らしいハート型。まだ小さく頼りない芽は少しでも世話の手を抜けばあっという間に枯れてしまいそうだ。
「へぇ、約苗か」
「ヤクミョウ?」
紙袋の中を覗き見たベルダーコーデックスが一言呟いた。ふぅん、そうかそうかと何やら物知り顔だ。
顔があるならにやついていただろう。それくらい意味深に上機嫌だった。
「約、苗と書いて約苗だよ」
ベルダーコーデックス曰く。アレイヴ族の慣習なのだそうだ。
アレイヴ族の古い慣習で、任せろと言い合う代わりに互いの心臓に拳を当てる動作がある。
自分の心臓を種に見立て、胸の前で拳を結んで種を握り締める。樹木を愛するアレイヴ族にとって種は命と同義だ。種がなければ樹木は栄えず、命なければ生きていけない。
そうしてその心臓を引き渡すように相手の胸に拳を当て合う。要するに自らの命を相手に預けるという意味を持つ信頼の動作だ。
その古い慣習は現代に受け継がれるにつれ形を変え、約苗というものになった。
木の種を植え、芽が生え次第それを分割して両者の間で持つ。芽には互いの所持者の状態を察する力を有する。自身の持つ苗は相手の状態を察知して成長したり萎れたりするというわけだ。
それが約苗だ。お互いの様子を伝え合う約された苗。
「ま、俺がカンナちゃんを見守りたいってだけなんだけどさ」
「色々無茶をしそうだし!」
「交友関係がアレだって聞いたぞ!」
ハルヴァートにナツメに、カンナの周りには事件がやたら起こる。レコだって喪失した。
その上、"灰色の魔女"と交流を持っているとリグラヴェーダから聞かされた。そんなこと聞いたら心配でたまらない。"灰色の魔女"はカンナに敵対心を持たず友好的に接しているらしいが、だからといってはいそうですかと見過ごせるものではない。世界には"灰色の魔女"を憎む者は多いし、魔女殺しを目指すルッカがまずは周囲の人間からとカンナを狙うことは多いにありえる。
未然に防げるものは防ぐに限る。そういうわけで、カンナの様子を常に見守れるものをということでこの約苗を託す。これならカンナの身に危険があった時にアルカンの手元の苗が枯れるなり萎れるなりして知らせてくれる。
「隠しカメラとか仕込んでねぇよな?」
「まさか!」
「そりゃ植物の視点で遠隔地を覗き見る魔法は存在してるけど……痛っ!!」
「犯罪だぞ兄弟!!」
迂闊なことを言った右の兄弟が殴られた。左の兄弟が右の兄弟を殴って物理的にたしなめている様子をよそに、そんな魔法は使ってないから安心してと微笑む。
第一、魔法を使うためにはその魔法を宿した武具が要る。アレイヴ族であるアルカンはその信仰上武具ではなく体に直に魔術式の刺青を施しているが、その刺青だって分身を作り出してある程度操作するためのものだ。
遠見の魔法はその刺青にない。そういう遠見の魔法の存在は知っているが使えない。使えないのでベルダーコーデックスが心配するように年頃の女性の私室を覗くための魔法は仕込んでいない。安心してほしい。
「女の子には紳士的にいきたいし」
「奥手のヘタレ」
「また殴られるぞ兄弟!」
何やら兄弟で漫才が始まりそうだ。巻き込まれて話が長くなる前に退散しよう。
「じゃ、授業があるのでこれで。苗ありがとうございました!」
言うが早いか踵を返して教室へ。兄弟でどつきあっているうちに行ってしまったカンナの背中をやや呆然と見送り、それからアルカンは息を吐く。
「バレてないよな?」
「あのクソ本が何も言わなければ」
「たぶん大丈夫さ!」
約苗はその状態で相手の精神状態を見る。その説明は間違ってはないが若干間違っている。
相手の身が害されていれば枯れたり萎れたりする、という機能はある。あるのだがそれは主ではない。
約苗は自分と相手の相互信頼の証が形を変えたもの。なら、その苗の健康状態はお互いの信頼が正常に機能しているかどうかに左右される。
苗が健全であるうちは、種に込められた信頼関係が正しく機能しているという証拠だ。だが、裏切りや詐欺を計画していれば相手の苗がそれを察知して枯れてしまう。
それが約苗というものだ。そして、苗の成長度合いはその関係性の深さによる。小さい芽であれば関係はまだ浅く、関係が深まるにつれ大きく育つ。
そして約苗には信頼、親愛など、2人の間に築かれる様々な関係に対応した種がある。
その種類の約苗なのかは葉の形で判別できる。信頼なら楕円、親愛ならひし形に。愛情ならばハート型だ。
「どうかあの苗が育ってくれますように」
「育たなかったらどうする?」
「その時は失恋記念で飲もうぜ兄弟!!」
冗談じゃない。肩を竦めるアルカンに左右の兄弟は笑うだけだった。




