完全なるものへ
でもまぁ、解決できないことはないのだ。
帰還者の性質を分解すれば、それは写真のフィルムと原理はまったく同じ。強い光を照射して影を焼き付けるように濃い魔力で感情を焼き付ける。フィルムのそれと違って一人ひとりが発する感情というものは微弱なため、複数人の感情によって幾重にも重ねないと形にならないだけで。
要するに、帰還者に必要なのは濃い魔力と強い感情。その条件さえ整えば帰還者は成立する。
「じゃぁ、その『感情』が誰か1人のものであれば?」
個々が弱いからいくつも集めて重ねてやっと成立できるのなら。たった1人の強い強い感情があれば。
1の質を100個用意するのと100の質を1個用意するのとでは式は違えど答えは同じだ。1の感情かける100人と、100の感情かける1人ではどちらの答えも100だ。
「理論上はそうでしょう?」
そしてそれが提示した問題の答えだ。自身の嘆きを核に世界の恨みを集積して成立した帰還者であるヴィトが世界の恨みをほどいてしまえば急激に弱体化してしまうという問題の。
「つまりボクひとりで帰還者を成立させろってコト?」
「そう」
そしてそうなった者を完全帰還者と呼ぶ。これはリグラヴェーダの考案した語だ。有象無象の集合体ではなく一個のものから成立した完全なるもの。他者によらない自己完結の存在。
この世界ではまず成立しえない存在なのでどの学術書にも載っていない概念だ。理論上はそういうことができるからといって、そうできる個は存在しないので。
「では問いましょう、あなたにそれができるほどの感情がある?」
感情。思い。信念。希望。絶望。方向性は何でも構わない。必要なのは強度だ。
完全帰還者になるための強い思い。それはあの日の嘆きでも神を殺したいという怒りでも足りないだろう。感情の種類がだめなのではなく、ヴィトの性情では成立させられるほどの強度を作り出せないという意味で。世界を100度壊してもなお足りぬほどの憎悪でもあれば強度は十分なのだが、そこまでの怒りはないだろう。
「だから、成立させられるだけの想いを見つけてごらん」
それがヴィトへの課題だ。そしてそれをクリアしたら、予定通り計画を進行すると良い。アブマイリの儀式でもって世界の恨みをほどき、いったんまっさらにしてから自身の想いのみで完全帰還者と成る。王位を返し、その返礼にベルダーコーデックスの能力の分離をなす。最後に事象消滅能力を消せばヴィトは死ねる。その後はご自由に。
「私がお膳立てするのはここまで」
あとはヴィトの頑張り次第だ。カンナやフュリらと協力して課題をクリアするといい。
人間の努力というものを好む者として、その足掻きを遠くから見守っていよう。
じゃぁね、とリグラヴェーダは指を鳴らす。途端、転移魔法が発動して彼女の姿はそこから消えた。
「神出鬼没……」
「ほんと」
言いたいことを言って話を進めるだけ進めて帰ってしまった。情報を咀嚼する暇さえない。
やれやれと肩を竦めて顔を見合わせ苦笑いを交わす。どうする、と問う。
「まぁ、いったん解散でいいんじゃないの? そろそろ良い時間でしょ?」
じきに夕飯時だ。生徒の食を一手に担っている食堂はもう混み始めているだろう。今日の日替わり定食は料理長ワインバーク自慢のハンバーグだったはず。大人気メニューを求めた生徒たちによりすでに大混雑かもしれない。
「行く?」
「そうだね、行こうか」
「いってらっしゃーい」
自分はここでゆっくり情報を咀嚼していよう。自身の正体の驚くべき秘密も知ってしまったし。ヴィトが手を振って2人を見送る。オレも数に含めろとベルダーコーデックスが文句を言うので彼にも手を振った。
「うん、じゃぁまたね」
「ハァイ、またネ」
ゆっくりご飯食べて明日も頑張るんだよ。世話焼きの姉のようなことを言うヴィトに手を振り返す。
帰りは送ってあげよう。来た時と同じように。ラド、とヴィトが呟いて転移魔法を発動させる。
誰もいなくなった小屋の中、沈黙に満ちた世界でヴィトが溜息をひとつ。
「ボクはもう、ヒトじゃなかったかぁ……」
もうとっくに死んでいた。それなりにショックだがまだ受け入れられる。世界を壊した"大崩壊"で自分だけ無事だというのも妙なので、まぁ死んでいてもおかしくはないだろうな、と。理屈ではわからなくもないので納得できる。
――死んだのに帰還ってきたのはどうしてだろう?




