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精霊騎士  作者: 羽嵐
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3.守護使 (3)


  *  *  *



 あれから、エンナとローズはそれぞれの寝台で就寝することとなった。ローズは、どうやら床に着いた途端、夢の世界へ旅立ってしまったようで、静かな寝息が聞こえてくる。エンナが思っていた以上に、ローズも疲れていたのだ。

 一方のエンナは寝付けずにいた。沢山のことがあって疲れ果てているにも関わらず、何故か眠れない。確かに眠くて仕方ないと感じるのに、目を瞑ってじっとしていても意識が飛んでいかなかった。

 エンナは仕方なく寝台から起き上がる。興奮が冷めず眠れないのかもしれない。少し水でも飲めば落ち着くだろう。

 窓の傍にある棚に近寄ると、その上に置いてある水差しからコップに水を注いで、口に含む。喉に水が通るのを感じて、ほうっと一息ついた。


 そして、おもむろに窓のカーテンを片方だけ開けてみる。淡い月光が窓から差して、優しくエンナを照らした。コップの水面が月の光を受けてキラキラと輝いている。

 本当に、この一日は色んな事があった。

 攫われるは、助けられるは、助け出した少女は男だったは、その仲間達も少々変わっているし、どうやら自分は狙われているらしいしで、もう何が何だか訳がわからない。

 大体、彼らが何者なのかも聞きそびれてしまってわかっていない。

 そういうことを今冷静に振り返って考えてみると、物凄いことに巻き込まれてしまっているのではなかろうか。

 エンナは、この先自分の身に降り掛かる災難を思って溜め息をついた。


――ンナ……ま……――


「えっ」


 突然、鈴を転がしたような可愛らしい声が聞こえた。驚いてエンナは辺りを見渡したが、ローズと自分以外は誰もいない。


――だ……じょ……大丈夫だから――


 心に染み入る優しい声音。

 エンナは、自分の頬に熱い何かが伝っているのに気付いた。不思議に思い指で触れてみる。

 エンナは目を瞠った。

 それは、涙。


「れ……? どうして、急にこんな……」


 自分が泣いているのだと気付いたら、涙が溢れ出てきた。ずっと抑えていたものがやっと解放されたように感情の渦が流れ出る。拭っても拭っても、あとから涙が出て、止めることが出来ない。

 本当は、不安だった。不安で不安で、怖くて、仕方なかったのだ。自分が見えない何かの中へ、迷い込んで行くようで。どんなに強気に、気丈に振る舞っても、それを打ち消すことなんてできはしない。


「うっ……うぅっ……」


 エンナはその場にしゃがみ込み、口元を押さえた。感情のまま泣き叫ばないように、ローズを起こさないように。それでも、嗚咽を止めることはできなかった。

 それをあの声がただただ優しく、温かく、エンナを慰める。エンナはその声を耳にしながら今の感情を出し切るまで泣き続けた。


 ローズとシェルが、静かにそれを聞いていたとも知らずに……



  *  *  *



「あーよく寝たぁ」


 早朝、エンナは起き出した。教会での習慣から、朝は日が昇るくらいには目が覚めてしまうのだ。両腕を思いっきり伸ばし身体を解す。身体に怠さもなければ痛みもない。昨日は目一杯泣いたこともあって、気分も爽快。完全復活だ。

 ローズの方を見ると、まだ彼女は夢の中らしい。凄く幸せそうな顔で寝ている。エンナはそれが何だか可笑しくなって笑いを吹き出した。


「さって着替えるか」


 エンナは心弾ませて、ネグリジェのボタンに手を掛ける。実は、寝る前にローズが着替えの服を貸してくれたのだ。勿論、今着ている寝間着もローズからの借り物で、これまた薔薇の香りが仄かにする。

 それにしても、準備が随分良いというか、一体彼女はどれだけ荷物を抱えてここまできたのか。

 そうして、ネグリジェのボタンを外しながら、エンナはカーテンをサッと開けた。


「…………」

「あっ」


 開けたら、窓からは町並みでもなく、空でもなく、見えたのは少年だった。どういう原理なのか彼は逆さになっている。エンナは無言でその場に固まった。


「これは〜えーっと、どうも〜おはよう御座います」


 少年は、少し焦ったような、困った笑顔でヒラヒラと手を振った。逆さのままで。

 エンナはそれには答えず、カーテンを閉めた。無言でローズから借りたワンピースに素早く着替えてから、目に入った水差しを手に取った。

 そして、エンナはカーテンを勢いよく開き、窓を開けて


「こんの覗きーー!!」

「どぅうわっ!!」


 少年の頭部目掛けて水差しを渾身の力で振った。

 少年は慌てて頭を引っ込めてギリギリのところで避ける。


「いきなり何すんの! 危ないな!」

「人の着替え覗いたんだからあったり前でしょうが!!」

「覗くって、別にあれは覗くつもりじゃ」

「問答無用!!」


 エンナは少年の頭髪か何処かを引っ掴んで捕らえようとしたが、彼はひょいっと上がってしまう。エンナの手は宙を切り、悔しそうに少年を睨め付けた。


「ふぅ、危ない危ない」

「下りてきなさいよ、この逆さの覗き男ー!!」

「酷いな〜その言い方。まぁ逆さなのは認めるけどさ〜」


 少年は唇を尖らせて、ぷらぷらと左右に揺れた。逆さの原理がわからなかったが、どうやら白い紐が屋根から垂れていて、少年はそれを掴んでいるようだ。


「騒がしいですわね。何事ですの?」


 この騒ぎでどうやらローズを起こしてしまったらしい。ローズは眠気のある眼で近寄ってきて、窓から顔を覗かせた。


「ローズぅぅぅ」


 ローズの顔を見て、少年は助かった〜と目を輝かせた。


「あら、スラッツではありませんか」

「何、アンタ達知り合いなの」

「知り合いも何も、スラッツは一応仲間ですわ」


 ローズは口元を手で覆うと、眠そうに欠伸を一つする。どうやら、この二人は知り合いどころか仲間のようだ。そうすると、必然的にシェルやリューリとも仲間という括りになる。


「それにしても、一体どうしたというのです。随分騒がしかったですけれど」

「あぁそうそう、聞いてよ! コイツわたし達の部屋覗いてたのよ!」

「え?」

「だから違うって!! 誤解を招くような言い方は」

「誤解じゃなくて真実でしょ! 人の素肌見ておいてよく言うわ!!」

「いや、だからそれは〜」

「スラッツ……?」


 エンナとスラッツが言い合っている最中、ローズの低音が嫌に聞こえた。不審に思ってローズの方へ目を向ける。すると、彼女はおどろおどろしい気を纏ってスラッツのことを見ていた。それを見たスラッツはひくひくと痙攣でも起こしているかの如く顔を引き攣らせる。


「ちょっ、タンマタンマッ。ローズ、まずは話を」

「問答……無用ですわ! ニコン!!」


 ローズは目を光らせ、腕を振り上げた。そこから茨が素早く伸びて、スラッツに襲い掛かる。スラッツは情けない悲鳴を発しながら、それを難なく避けた。


「あっぶね、ローズ! こりゃいくらなんでもって、げっ」

「甘いですわ」


 ローズはにやりと笑った。スラッツの目には数粒の薔薇の種が映っている。スラッツの顔に衝撃が走った。


「いつの間にっ、ぎゃーーーーっ!!」


 種が発芽して、茨がスラッツの身体に巻き付いた。まるで芋虫状態。ローズは空振った茨を改めて伸ばしていって、スラッツの身体にしっかりと巻き付かせると、彼を屋根から引き摺り下ろした。


 そうして、ローズはスラッツを乱暴に部屋の中へ放り投げる。スラッツは棘の痛さに悲痛の声を上げ続けた。


「いて、いてててててっ! 棘がっトゲがぁああ!! 痛い痛い!!」

「スラッツ、わたくしは非常に情けない気持ちで一杯ですわ。同僚としてもとても恥ずかしく、哀しく思いましてよ……貴方の下劣で腐りきったその根性……」


 ローズは、薔薇の鞭をビシッと両手で突っ張らせた。


「叩き直してさしあげますわ!」


 彼女は怯えまくっているスラッツを見下ろした。スラッツは顔を蒼白にし、身体を震わせている。

 その光景を目の当たりにして、エンナまで恐怖に身震いした。やはりローズにそれとない態度をとっといて良かったと思う。彼女を怒らせでもしていたら、あぁなっていたのは、今頃スラッツではなく自分だったかもしれない。


「覚悟っ!!」

「ぎゃぁぁああああっ!!」


 ローズの叫びとスラッツの雄叫びをほぼ同時だった。

 そこを良いタイミングで部屋のドアが開かれる。


「おい、一体何の騒ぎ……」


 現れたのはシェルだった。

 部屋のあまりの情景にシェルはその場に静止してしまう。


「シェル様っ」


 顔はシェルの登場に驚いているが、鞭を片手に、今にも振り下ろそうとしているローズと、


「シェルさああああん!!」


 茨でぐるぐる巻きにされ、天の助けとばかりに半泣きで叫ぶスラッツ。

 シェルがこれを目にして、一体どのように思ったのかはわからない。

 が、暫し彼は思案した後、明らかに見てはいけないものをみてしまった、という感じでばつが悪そうに目線を逸らした。


「すまない……何だか取り込み中のようだな……出直してこよう……」


 顔を背けたままドアを閉めて去っていこうとするシェル。

 スラッツはショックで絶叫した。


「待って下さいシェルさん!! お願いだからオレを見捨てないで助けてーー!!」






「ったく、ひでぇや。ニコンの薔薇の匂いがしたから気になって寄ってみただけなのに……どうしてオレがこんな痛い目に」


 結局シェルの鶴の一声で助けられたスラッツは、身体中にできた擦り傷を見てぶつくさと呟いた。


「あぁもうだから何度も謝っているでしょう。男の癖にしつこいですわね。大体、その程度で大げさな」


 半ば呆れたように言うローズにスラッツは目を剥いた。


「大げさ!? これの何処が大げさ!?」


 確かに、彼の姿は結構可哀想な有様だった。所々服は切り裂かれているし、皮膚には痛々しい切り傷とミミズ腫れが出来てしまっている。


「二人共、好い加減にしろ」


 ローズとスラッツの間で言い争いが勃発しそうなところをシェルは止めに入った。二人揃ってシェルに言い募ろうとしたが、それを彼は手で制する。


「これは双方共に悪い。スラッツも少し軽率だったし、ローズもちゃんと話を聞いてやらなかった。お互いもう少し考えて行動していれば、こんなことにはならなかったはずだ。兎に角、これは事故。ローズもこうして謝っているんだからスラッツも許してやれ。あんまり引っ張るのも良くないぞ」


 シェルが二人に言い含めると、何も言えなくなってしまったローズとスラッツは、お互い視線だけ見合わせて、パッとそっぽを向いてしまう。スラッツなど拗ねてしまって、頬を膨らませ唇を尖らせた。


「エンナもスラッツのことを許してやってくれ。本人も悪気があったわけではないんだ。スラッツの場合、職業病みたいなものでな……俺からもスラッツの非礼を詫びよう。すまなかった」


 と、頭を下げるシェル。それを見たスラッツは、今にも溢さんばかりの涙を目に一杯溜めて情けなくシェルの名前を呼んだ。


「いや、そこまで謝らなくてもいいけど……わたしも早とちりというか、勘違いしちゃってたわけだし……」


 エンナは居心地が悪くなって、視線をシェルから少しずらして言った。

 エンナも多少なりとも自分も申し訳ない部分があると感じているからだ。別に大したところを見られたわけではなかったのだ。もう少し冷静にことを運んでいれば、こんな大事にはならなかっただろう。いや、大したところを見られたわけでなくても、やっぱりそれは無理な話だが。


「ところで、どうしてスラッツがこんなところにいるのです」

「あぁ、それはここの町長に租税の督促をするために来たんだ。納期限とっくに過ぎてる上、督促状まで出したのに納付してこないもんだからさぁ、ハンデル様がついに爆発しちゃって……で、オレ、それからフレン、アーメルとドリエが派遣される羽目になったわけ」


 スラッツは面倒臭そうに茶色の髪を掻いた。


「ということは、まさか……」

「そっ、守護使ってやつです」


 答えを聞いたローズは、その単語が不快で顔を顰めた。


「守護使って?」


 素朴な疑問をエンナが投げると、スラッツはそれはと口を開いた。


「待て、スラッツ。まだエンナには俺達のことを説明していないんだ」

「あっ、そうだったんですか。通りで……因みに確認しますけど、これは例の件で?」


 シェルは「あぁ」と肯定に首を動かす。スラッツはそれだけで納得したようで、それ以上は何も聞かなかった。

 それにしても、例の件とは大変気になる言い方だ。スラッツの言葉から彼は政治に関わりのある人物のような気がしてならない。本当に自分は何に巻き込まれているのだろうか。


「さて、そろそろここを出発したいんだが……スラッツは……」

「あっ、オレも同行させて下さい。もう用は済んだし、あとはあの三人に任せて帰ろうとしてたところだったんで」

「まぁっ、なんて無責任な!」


 ローズは非難の声を上げた。確かに、それはあんまりではないかとエンナも思う。役目があるのにそれをほっぽり出してしまうなんて、エンナには考えられないことだ。


「えぇだって、別にオレがいなくてもフレン達だけで十分じゃん。それに、今はあっちよりもこっちの方が優先順位高いと思うんだけど。二人よりも三人いた方が良いっしょ」


 シェルさん駄目ですか? とスラッツは黒曜石のような瞳をキラキラさせて懇願する。捨てられまいとしている子犬のようなスラッツにシェルは言葉に詰まった。そしてついに観念して溜め息をつく。


「わかった。ただし、あまり問題を起こさないようにな」

「やった! そんなのもっちろんですよ!」


 スラッツは嬉しさにぐっと拳を握った。ローズはと言えば、不満に「えぇ」という顔をしている。


「そんなわけでエンナ、オレはスパラッツ。みんなからはスラッツって呼ばれてるんだ。これから暫く宜しく!」


 自己紹介を済ませると眩しい笑顔と共にスラッツはエンナの背中を挨拶宜しくバシバシッと叩いた。


「いった…! ちょっとそんな強く叩かないでよ! 痛いじゃない!!」


 エンナが文句を言っても何処吹く風。スラッツは機嫌良くわははっと笑って外へ出て行ってしまった。


「シェル様、宜しいのですか?」

「あぁ、確かにスラッツの言う通りだからな。それに、あいつの力は役に立つ」

「それはそうですが」


 スラッツが道中加わることにあまり気が進んでいない様子のローズもシェルがそう言えばもう諦めるしかない。


「さぁ、もう出発しよう。予定していた時間を過ぎてしまった」


 シェルはエンナとローズに外へ出るように促した。

 ローズは渋々スラッツのあとに続き、エンナも部屋を出て行こうとする。その時、ふと昨晩のことを思い出して足を止めた。あの可愛らしい声は、一体なんだったのだろうか。声だけなのに、包み込む温かさと優しさに溢れているのを感じた。あれのおかげで、押し潰されそうだったエンナの心が軽くなったのだ。


「エンナ?」


 そんなエンナをシェルは怪訝に声をかける。


「ごめん、なんでもない。今行くわ」


 エンナはハッと自分の中から引き戻されると、後ろ髪を引かれるようにその場を後にした。






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