2.精霊使い (1)
組織の追っ手を振り切ったエンナ達は、あれから馬をひたすら疾駆させた。
馬が疲れるまで彼らは走らせるつもりなのか、あと少しで夜も明けそうなのに一度も休憩を取っていない。
しかし、馬が疲れる前にエンナの方が参ってしまいそうだった。
必然的にシェルに引っ付いているような状態なので少しは暖かいのだが、身体も足も冷たい夜風に晒されて、すっかり冷え切ってしまった。
乗馬なんてしたこともないものだから、お尻もかなり痛い。
体力的にもう限界だ。
エンナが根を上げようとした時、馬が嘶いてその足を止めた。
そこには、木々の開けたスペースに一件の小屋が建っていた。窓から光が漏れている。人が中にいるのだろう。中からドタバタする音も聞こえた。
「おや。誰か僕達を追いかけて来たかな?」
少年は、はて? と顎に手を添え首を傾げつつ、表情は楽しそうに笑みを綻ばしている。
慌ただしい音が木戸に近付いてくると、ドアが勢いよく開かれ、
「リューリ様!!」
そこからこれまた勢いよく女の子が飛び出してきた。
辺りが大分明るくなってきたお陰で、その女の子の容貌がはっきりとわかる。
美しい巻き毛の金髪を一つに纏め、年頃の女の子にしては服装はピシッときまっていた。
ワインレッド色のコートを羽織り、豪華なダブルフリルの白いブラウスを着ている。下はズボンと茶色の革製ブーツを履いていて、どれも高価そうだ。コートなんか金糸の上品な花だか葉っぱだかの刺繍まで施されている。
瞳の色は、普通の人間ではありえない薔薇色で、それがとても華やかだ。
「あぁ、ローズ。わざわざここまでご苦労さん」
「リューリ様、これは一体どういうことですの!? この作戦は、わたくしとシェル様が行うものだったはずですわ。それを貴方ってお人は……」
ローズは、可愛いが少しキツイ顔立ちのため、目を吊り上げてリューリに噛み付く彼女の姿は迫力があった。
「だって〜、その方が良いかなと思って。ローズがどんなに強くても、一応女の子だしね」
「まぁっ、そのような理由で! 貴方は仮にも隊長という身。隊長が副隊長を連れて一緒に出陣というのも考えものでしょう!! それに、折角のわたくしとシェル様の共同作業でしたのにっ……!」
なんだか物凄く不純な理由が聞こえたのは気のせいだろうか。
シェルは、後者の言葉にきゅっと眉を寄せた。
「って言われてもね、これはあのお方立っての願いでもあるんだよ」
「そ、それは……」
ローズはその一言でぐっと言葉に詰まる。
少しすると、ローズが目を見開いて驚いた顔をした。
「しかし、シェル様って、あぁぁぁああああ!!」
何か言い掛けた後、ローズは更に更に驚愕し目を見開く。
「今度は何?」
「あれっ、あれは……」
ローズは、口元を手で覆い、残った手を震わせながら、顔を青くしてエンナ達の方を指差した。
なんで初対面の人に指を指されなければならないのか。とても失礼である。
始めはわからなかったエンナだったが、そこで自分がどういう状況にあるのか思い出した。
そういえば、今はシェルの馬に横座りで座っている。しかも、不可抗力とはいえ、結構身体が密着した状態。
エンナは顔を少し赤らめて、反射的にパッと身体を離した。
「ご、ごめんなさい」
別にエンナは悪くないのだが、居たたまれなさと恥ずかしさで思わずシェルに謝る。
その様子を見て、ローズの顔は青リンゴのような色から熟れすぎたトマトのような色に染まった。相当、彼女の怒りを買ってしまったようだ。
「なんということ」
今にもリューリに噛み付いていた勢いでエンナに食って掛かりそうなローズをシェルは目で制する。
少しの間の後、何故かローズはショックを受けている。リューリは可笑しそうに笑った。
「そうだね。僕も疲れてヘトヘトだ」
リューリとシェルは馬から降り、ローズは固まったまま二人のことを見ている。
この三人はどんなやりとりをしたというのだろうか。
シェルは一言も、というより声も出していなければ、口も喉も動かすことすらしていない。それでもこの三人の会話は、エンナの知らないところで成り立っているようだ。
さっぱりわからない。
エンナは腕を組んで考えていると、誰かの視線を感じた。
気になってそちらに目を向ける。シェルが降りないのかと言いたそうな顔をしてこちらを見ていた。
そして、彼は何を勘違いしたのか、両腕を上げてみせ小首を傾げた。
多分、彼の言いたいことはこうだ。
一人で降りられないなら降ろしてやろうかと、そんな風に言いたいのだと思う。
シェルの向こう側で、ローズがこちらをずっと睨め付けている。彼女から嫌に黒いオーラがもわもわと漂っているのが見えた気がした。
「大丈夫っ、一人で降りられるわ!」
エンナは慌てて首を振った。
まさかそんなところまでお世話になるわけにはいかない。
それに何より、ローズが怖すぎて仕方なかった。
とはいえ、シェルの親切心を踏みにじってしまったことには変わりなく、激しく首を振って拒否したエンナに気を悪くしたかと気になったが、シェルは頷くとあっさり腕を下ろした。
彼は表情があまり変わらない上話さないので、行動で判断するしかないが、どうやら大丈夫のようだ。内心ほっと安堵する。
しかし、逆に彼の向こうにいるローズはそれが気に入らなかったようだ。頬に両手を添え「まぁ!」っとエンナに非難の目を向ける。
なら、どうしたら良かったんですカ。
と、ローズに言ってやりたい気持ちを抑え、エンナは慎重に馬から降りた。
ずっと座っていたのと夜風で冷え切ってしまったせいで、足が思うように動かず苦労したが、ゆっくり降りたらどうにかなった。
地面に両足を着け、何度か踏み鳴らしてみる。
よし、大丈夫。いける。
身体が上下に揺れている感覚が残っているもののしっかり歩けそうだ。
「さて、それじゃ中で少し休むとしようか。ここじゃ話もできないし。シェル、幻視結界宜しく」
背を向けて手をひらひらと振りながら、リューリは小屋の中へと入っていった。
シェルはそれに頷いてからエンナの背を軽く押す。小屋の中へ入るよう促してくれているようだ。
「えーっと、じゃあお言葉に甘えて」
エンナはおずおずと小屋の中へと向かう。
ローズがじっと見つめてくる中、彼女の横を通りすぎようとした時キッと睨まれた。
完全に、ローズに目を付けられてしまったようである。
エンナは溜息を吐き出したくなったが、後に続くようにローズがついてきたのでぐっと堪えた。
ホント、なんでこんな目にあってんだろう、わたし。
小屋の中に入ると、ありがたいことに中は暖かかった。薪ストーブに火が入っているようだ。薪ストーブの上には薬缶が置いてあり、注ぎ口から水蒸気を噴いていた。
ぐるっと部屋を見回す。小屋には、必要最低限のものしかない。本当に必要最低限。テーブル、椅子、あの薪ストーブと薬缶。それくらいのものだった。
リューリは椅子に腰掛けるとエンナに向かいの席に座るよう促す。
とてつもなく不服だが、仕方ない。
エンナは不満な顔をしつつも大人しくリューリの向かい席に座った。
「で、これはどういうことなのか、説明して貰える?」
「まぁまぁそう焦らずに。まずは落ち着いてからね」
エンナはむすっと顔を顰める。
十分落ち着いているつもりなんですけど。
程なくしてシェルが部屋に入ってきた。幻視結界、とやらができたようである。
リューリは笑顔で彼を迎え、自分の隣に座るように椅子を叩いた。
一つ頷いて、リューリの隣の席にシェルが着く。
こう、二人が並んでいるところを見ると凄い迫力があった。
なんと言っても、二人して美形。リューリなんか少女紛いの中性的な顔立ちのため、彼があのまま女装していたら、さぞお似合いの二人になっていただろう。
シェルが席に着くと、それを見計らったかのようにローズが三人に紅茶の入ったカップを配った。紅茶から立ち上る湯気と共に薔薇の良い香りが漂う。カップと受け皿には花の柄が入っていた。なんかどれもこれも高級そうなんですが……
「あ、ありがとう」
躊躇いがちにお礼を言うと、彼女はふんっとそっぽを向いて行ってしまった。
「ローズの紅茶はとても美味しいんだよ」
それを取りなすかのように、リューリはローズティーを鼻に近付けその芳香を楽しむ。
そして、「ねっ」とシェルに同意を求め彼の脇を突いた。シェルは眉を寄せて不満そうな顔をしたが、諦めたのかローズの方に視線を向ける。
エンナにはわからないが、やはりシェルは何事か話しているらしく、ローズの顔が見る見るのうちに輝き始め、頬を赤く染めた。
「まぁ、そんなシェル様。わたくしにはこれしかありませんもの。当然のことですわ」
頬に両手を添え、恥ずかしそうにもじもじしている。
こうしていれば可愛いのに、と思わずにはいられないエンナである。
「さて、少し落ち着いたところで、まずは自己紹介といこうか。僕はリューリアス、隣はシェルヒスト。で、控えている彼女がローズニアね。見ての通り三人とも精霊使い」
改めて、エンナは三人のことを見る。
確かに彼らは揃って精霊使いだ。
散々不思議なものを見せられてきたので、リューリについては特にそれは確定的なのだが、精霊使いには皆一様に瞳の色に特徴があるのである。
精霊と契約を交わすと、人間の瞳はその精霊の色に染まるのだとエンナは聞いたことがあった。それは多彩で、一般的な色もあれば、普通の人ならばありえない色をしている者も沢山いる。
その証拠に、彼らの瞳は、リューリは朱色、ローズは薔薇色、シェルは翡翠色をしている。シェルの瞳も珍しいが、特に前者の二人は、普通ならありえない色だ。
「わたしは、何故かもう知られちゃってるけど……エンナよ。で、アンタ達は一体なんなわけ?」
「僕達はとある方に頼まれたのさ。エンナを助けて欲しいってね。だからわざわざエティアからここまでエンナを助けに来たわけ」
「エティアって、王都から?」
「うん、そう」
「そんなところから来たの?わたしを助けに?」
リューリは頷いた。
助けに来たとは、一体何からだろうか。
あの組織から?
しかし、それだと時間的におかしい気がする。
エンナは別に貴族の娘でもなければ、お金持ちのお嬢様というわけでもない。沢山いる身寄りのない孤児達のうちの一人。そんな値打ちのない自分を連中は、長期に渡って計画を練り、攫ったわけではないはずだ。教会の子供なら気付かれないよう攫っていってしまえば、なんてことはない。役所に行ってもあまり大きく取り出さすことはないだろうし、教会も人を雇う余裕などない。
だから、たまたまエンナが孤児なのだと知って、突発的に犯行に及んだのだ。攫った時の様子から察するにそんな感じだった。
なのに、リューリ達は攫われたその日のうちにやってきた。
エンナが捕らわれていたあそこが何処だったかはわからないが、国の辺境にあると言っても過言ではないあの教会から王都エティアまでの距離を考えると……早くても一週間は確実に掛かる。おかしい。やっぱりおかしい。
「助けにって言うけど、根本はあの組織からってわけじゃないわよね」
「察し良いね。正しくその通り。あれは偶然に起こったことで、本命は別件」
「その別件って?」
「…………」
リューリはそこで黙り込み、紅茶を飲むと笑顔でローズに紅茶のおかわりをくれるように言った。
シェルに何事か言われて機嫌の良いローズは、嫌な顔一つせず、寧ろにこやかにリューリのカップに薔薇の紅茶を注ぐ。
ローズにお礼を言って紅茶を一口飲むと、彼は言った。
「まぁ、兎に角そんな感じだよ」
「ちょっと! ここが肝心なところじゃないっ。そこすっ飛ばさないで説明してよ!! わたし誰かに狙われてるの!? それとも何か悪いことでもしましたか!? それに“とある方”って誰なのよ!!」
「とある方はとある方だよ。僕達の上に立つ人。尊きお方だ」
「全然わからないんですけど」
「当たり前だよ。わからないように言ってるんだから」
リューリは、にこっと笑いながら飄々と言った。
わかった。この少年は黒だ。真っ黒なのだ。
あの組織連中とのやり取りや飛び降り事件のことといい、この少年、心の中に相当沢山の悪魔達を飼っているとみえる。間違いない。
こんの腹黒野郎!!
その笑顔が憎らしくて堪らない。
「アンタ、わたしを助けに来た時“詳しくは後で話す”って言ってなかった?」
「言ったよ。でも、それはイコール今ってわけでもないよね」
沈黙。
「揚げ足を取るなー!!」
エンナの鬱積は溜まっていく一方で、椅子を倒して思わず立ち上がった。
「まぁまぁ落ち着いて、冷静に、ね?」
「冷静さを失わせてる張本人が言う台詞!?」
「そうなんだけど、兎に角落ち着いてよ。僕だってこれでも考え倦ねているんだ」
「何処が……」
どう見ても、人をからかっているようにしか見えない。
エンナが疑わしく目を据えてリューリを見ていると、彼は肩を竦めた。
「本当だよ。僕はこう見えて思慮深いんだ」
「でしょうよ。狡賢そうだもの」
エンナは反撃のつもりで嫌味たっぷりに言ってやる。
リューリはその言葉に目を数回瞬かせて、彼お得意のにやりとした含みのある笑みを浮かべた。
「うん、よく言われる」
全然、嫌味の効果無し。
その笑みを見て、エンナはどっと疲れを感じた。
リューリは、少しも自分が悪いだなんて思っていないようである。
倒してしまった椅子を起こして座り直すと、エンナは今まで溜まっていたものを吐き出すように深い溜め息をついた。
「アンタと話してたら、すっごく疲れた……」
「それもよく言われる」
また一つ溜め息。
なんか、どうでもよくないのにどうでもよくなってきた……
要は、この少年は今は話す気はないのだろう。あくまでも“今は”。
時がくれば、きっと話してくれるに違いない……多分。
そう明るく考えるしかない。
例え、彼らが何者かっていうことさえも曖昧で、気になって仕方なくても、今は我慢だ。我慢。
エンナは心の平静を取り戻そうと、ローズから貰った紅茶を一口飲んだ。
「何これ、凄く美味しい……!」
口に含んだ瞬間、紅茶の甘みと香りを壊さず、薔薇の香りが絶妙なバランスで薫る。しかも、それが強烈ではなく、優しく包み込むような品のある香りだ。飲んだ後もほのかに薔薇の香りが口の中に残り、エンナの鼻腔を楽しませた。荒れていた心がほっと安らぐ。
「当然ですわ。このわたくしお手製のオリジナルローズティーでしてよ。美味しくないわけが御座いません」
エンナの賛美に気をよくしたローズは、鼻高々にふんぞり返った。
どうやら、ローズは乗せると乗るタイプのようだ。エンナは、これ幸いとローズを持ち上げる。
如何せん、ローズに目を付けられてしまっているので、ここで好感度アップを図ろうというエンナの魂胆である。
エンナが褒めちぎるので、ローズの機嫌は上昇する一方、態度も大きくなっていった。そうでしょうともと高飛車な笑声も出てくる。
リューリはそれが可笑しかったらしく、ローズに気付かれないよう忍んで笑った。
そうしてやんややんやとローズを持ち上げていると、シェルがぴくっと窓の外をじっと見る。
「シェル、何?」
彼の異変に気付いたリューリは、笑うのを止めてシェルに視線を向けた。
エンナがなんだろうと思っていると、あんなにご機嫌で優越感に浸っていたローズもそれをピタリと止んで、態度を引き締めている。
「追っ手か。結構速かったね。で、数は? ……十人ね。魔犬は十五匹と……」
リューリは顎に手を添えて、暫し思案した後立ち上がった。
「休憩はここまでとしようか」
リューリが言うやいなや、ローズはサッと素早く食器を布に包んで革袋に片付けると、駆け足で外へ出て行く。
リューリは薪ストーブに向かって指を鳴らし、瞬時に炎を消し去った。
「さぁ、エンナも外へ出て。また逃亡劇と決め込もう」
彼のトレードマークと言っても言い含み笑いを浮かべて、リューリは言った。