1.空中ダイブ (3)
精悍な顔立ちの青年がこちらを静かに見下ろしていたのだ。
目の色はよくわからないが、スッと涼しげな切れ長の目。髪は癖毛なのか柔らかそうで、月の光でキラキラと金色に輝いている。
息をするのも忘れて、エンナは彼に魅入った。が、自分の置かれた状況にすぐ気付くと、顔から火が噴くように熱くなる。
エンナは、彼に横抱きに抱かれていたのだ。俗に言う、お姫様抱っこというやつである。
「あ、あの……」
恥ずかしくて目をキョロキョロさせる。
男の人にこんな風に抱かれたのは初めてのことで、正直どうしたらいいのかわからない。
「シェル!!」
青年の腕の中でオロオロしていると、頭上から少年の叫びが降ってきた。
その声にエンナと青年はハッと上を見上げる。
なんと、あの少年が空に身を投げていたのだ。
「痛っ」
それを見た青年は、エンナから急いで手を離す。
支えを失ったエンナの身体は、地面に落ちて腰を打った。
エンナは顔を顰めて、痛めた腰をさする。
なんて酷い青年だ。一応、こう見えてもエンナだってか弱い女の子である。それをこんな乱暴に扱うなんて、女性の扱いがなっていない。
恨みがましく見ると、青年はエンナの方は見向きもせず、あの美少年に向かって手を掲げ、空を切るようにサッと腕を振った。
突然、強風が吹いた。
まるで少年の身体を下から上へと押し上げるように吹いている。すると、少年の落下速度は急速に遅くなった。
その風に乗るように彼は落ちてくる。地上からあと三メートルというところで、二、三回身体を回転させ軽やかに着地した。
「流石、シェル。よくわかったね」
少年は青年に笑いかける。
シェルと呼ばれた青年は、無言のまま頷いた。
「確かにそうかもしれないけど」
と、少年は一人で話し出し、クスクス笑う。
エンナは眉を潜めた。
シェルは何も言ってはいないのだが、少年は青年と会話しているように話している。物凄く奇妙だ。
「ほら、大丈夫だったでしょ?」
少年は、事の有様を只もう呆然と見守っていたエンナに、あの憎たらしい笑みで話しかけた。
「なぁにが“大丈夫だったでしょ?”よ! 全っ然大丈夫じゃないっての!! こちとら死ぬ思いだったんだからねっ!?」
それに我に返ったエンナは、すぐさま少年に抗議した。
怖いも通り越して死ぬような思いをしたのだ。笑い事ではなく。
本当なら彼の胸ぐらを掴んで食って掛かりたいところだったが、足に力が入らなくて立ち上がることができない。
どうやら、腰を抜かしてしまったようである。
なんて情けない。
「まぁまぁ、それでも傷一つなく無事だったんだからいいじゃない」
「アンタねー!!」
全く詫びれた風もない。
「さて、そんじゃ連中が下に降りてこない間に逃げるか」
少年はまだ何か文句を言いつけそうなエンナに背を向けて、傍に待機していた馬に跨り、鞍に吊していた外套を外して羽織った。
この状況になんとかついていくことと先程の恐怖体験で頭が一杯だったエンナは、そこで始めて馬が二頭いたことに気付いた。
シェルは、動けずにいるエンナをいきなり無言で軽々と横に抱き上げる。吃驚しているエンナをそのまま彼の傍にいた馬に座らせ、その後ろに彼も跨った。
驚きが驚きを呼んで、エンナの思考が停止する。
この構図は、あれだ。
女の子達が憧れる構図である。乙女ちっくな恋愛小説には、よく使われているネタの一つだ。
それを今、恋愛なんて程遠い人生を送ってきた自分が体験しようとは。
そんなエンナをお構いなしに、準備ができると少年が馬の腹を蹴って走り出した。それに続くようにシェル達の馬も走り出す。
「わっ」
驚きと緊張感でガチガチに固まっていたエンナだったが、走り出す馬の揺れに耐えきれず、シェルの胸に思わずしがみついてしまった。
どかーっと、恥ずかしさでまた顔が熱くなる。
「ご、ごめんなさっ、わわっ」
慌てて手を引っ込めようとしたが、激しく揺れる馬上では無理な話だった。結局、シェルの胸に縋り付くしかない。
エンナはちらっとシェルの様子を伺う。エンナが彼の服を掴んでいることについて全然気にしていないようだった。目線は先を見つめたまま、ひたすら馬を走らせる。
なんだか不思議な青年だ。
月の淡い光を街灯変わりに森に囲まれた暗い街道を二頭の馬が駆け抜ける。
少しすると、後ろから馬の蹄の音が聞こえてきた。
組織の奴らが追ってきたのだ。
「あちらさんも必死だな〜。って、売りものが盗まれたとあったら、留守を守っていたあいつらの面目は丸潰れだから、それも当たり前か。シェル、任せても良いよね」
少年は、シェルに目線だけ投げ掛け言った。
シェルは頷くと、片方の手を手綱から放し指を咥え、ピーッと指笛を鳴らした。
「わああぁぁぁぁっ!!」
「前がっ」
「今度は何だってんだ……!! 進めねー!!」
すると、後方から連中の悲鳴が聞こえてくる。
一体、彼らの身に何が起こったのか。
エンナは後ろが気になったが、落馬をしないように必死の彼女に様子を伺う余裕などなかった。
そして、奴らが足止めを食らっているその間に、エンナ達は夜の中へと逃げ果せたのである。