11.緑の羽に抱かれしワイバーン (2)
「お前ら! いくら僕相手だからって遠慮がなさすぎるぞ!」
興奮気味のアルベルトは、一人称が私から僕に変わったことにも気付かず叫いた。
「落ち着いて下さい殿下。いいことではないですか、部下に慕われているという何よりの証拠なのですから」
「良いわけあるか! 一応ここは公共の場なんだぞ!? 少しは僕を立てろっ!」
「なら、ちゃんと私共が殿下を立てられるよう振る舞って下さい」
追い打ちをかけるシェルにアルベルトは、何も言えなくなって息を詰まらせる。
エンナはシェルの態度に心底驚いてしまって、ただ唖然と二人の掛け合いを聞いていた。
シェルがまさかこのような態度を取るなんて。しかも、相手はこの国の王子様。いくらシェルが精霊騎士だからってこのような非礼、普通は許されないことだ。
この二人がそれ程までに仲が良い、ということなのだろうが……
「ったく……お前からの助けと聞いてすっ飛んで来てやったのに、この扱いは酷いんじゃないか?」
アルベルトは拗ねてしまったのか、少し唇を尖らせた。
「それにつきましては何と申し上げたらいいか……感謝の言葉もありません」
低頭するシェルにアルベルトはわざとらしく溜め息をくつ。
「まぁ別に、お前に礼を言われたくてやったわけじゃないし、ルージュのこともあるからな。今回は大目にみてやる……そのかわり、今度剣の稽古に付き合え」
「はっ、喜んで」
シェルの返事にアルベルトは満足そうに頷いた。
「それで殿下。どう致しますか?」
アテリアが手を頬にあてて首を傾げる。
「そうだな。リューリ達の処分も後で下すとして、問題はエンナだな。エンナがどうするにしても一度城に来て貰わないとならないが……結局その辺りはどうなってるんだ?」
アルベルトはスッと目を細める。その瞳には冷たい光が宿っていた。
答え次第では、きっとアルベルトと敵対することになる。
「エンナ様には、王位継承の件等のご説明はさせて頂きました……結論として、精霊騎士に、と」
エンナの代わりにリューリがアルベルトへ彼女の意思をゆっくり伝える。
アルベルトは小さくそうかと呟いた。その呟きは、安堵しているのか、それとも哀しんでいるのか、よく掴めない。しかし、アルベルトの目からはもうあの冷たさは感じられなかった。
「そういうことなら話は早い。話は僕から直接父上に通しておこう。そうとなれば長居は無用だな」
エンナが呆然としている間に、ぱぱっと決めたアルベルトはさっと愛馬に騎乗した。
「リューリ、エンナのことは引き続き第十一隊に任せても良いか?」
「はい、お任せを」
「それから、後始末もお前に任せる」
良いよな? と背を向けたアルベルトがリューリへ振り返った。
リューリは微笑みを絶やさぬまま、ただ「御意」と短く返して低頭する。
「よし、城へ戻るぞ!」
アルベルトのそのたった一言で、周囲が忙しく動き出した。
「それではエンナ様、またお城で」
アテリアはにこりとした笑みをエンナへ向けて、彼女もアルベルトを追って馬を走らせる。とうとう、エンナはアテリアの瞳を知ることはできなかった。
暫くその場でエンナ達がじっと跪いていると、ようやっと周りが静かになってきた。エンナがそっと頭を上げてみると、アルベルト達や兵士達の姿はもうない。
リューリはやれやれと立ち上がって、服についた埃を叩いた。
「リューリ! シェル!」
そこへリューリ達のところに走り寄ってきたのは、アーメルと見知らぬ人。
ツンツン頭のその人は、こちらに手を振って駆けてきた。
「一時はどうなるかとヒヤッとしたけど、なんとかなって良かったな。おいアンタ、命拾いしたぜ」
歯を見せて彼はニッとエンナに笑いかけた。
「ちょっとフレンさん! アンタだなんて失礼ですよっ」
一拍遅れてやってきたアーメルは、フレンの態度を注意する。フレンは少し面倒臭そうに「ちぇっ」と舌を鳴らしてそっぽを向いた。
「エンナ、紹介するよ。僕が率いる隊の隊員で、左の温和で人好きされそうな方がアティーメル。右の如何にも元ヤンさが抜けない方がフレンデルね」
あんまりな自己紹介をされたフレンは、黒と白がマーブルみたいな混じり方をしている不思議な色彩の瞳を見開いた。
エンナは心の中で納得する。
フレンには悪いが、リューリの簡潔ながらも的確だと思った。しかし、もっと他にも言葉があるだろうにどうしてわざわざ……流石、リューリだ。
「リューリ! なんだよそれ!!」
案の定フレンは怒ってしまって、ただでさえ目付きが悪いのに更にそれが三割り増しになっている。
「あれ、ごめん。何か間違ったこと言ったかな」
リューリはさも驚いた顔で目を瞬いた。
「このっ、なんだその顔は! わかってやってるだろー!?」
「フレンさんっ」
今にも跳びかかっていきそうな勢いのフレンをアーメルは慌てて羽交い締めにする。
「止めるなアーメル! 今日という今日はもう我慢できねぇ!」
アーメルの腕から逃れようとじたばた暴れるフレンを、自分は関係ないとばかりにリューリは「あっはっはっ」と楽しげに笑っていた。
「くそぉっ。シェルーー!!」
と、悔しそうなフレンが叫んだのはリューリの名ではなくシェルだった。
何故か矛先が自分に飛んできたことに虚を突かれたシェルは、軽く目を剥いた。
「ぼけっと見てないで、この! 男なんだか女なんだかわからねー隊長を! どうにかしろ!!」
シェルの目がぱちくりと瞬く。
そして、キラキラ輝いて見えるリューリの笑顔と怒りで息が荒いフレンの顔を交互に見、黙考した後、
「フレン、なんでそんなに怒るんだ?」
シェルは軽く小首を傾げた。
「いやっ、あんな風に言われたら普通怒るにきまってんだろ!?」
フレンの主張は尤もだ。
「そうか? 元ヤンいいじゃないか」
「いやいや、何処が!? 元ヤンの何処がいいんだよ!?」
「確かに聞こえは悪いかもしれないが、裏を返せばちょい悪の仁義をモットーとしている男の中の男っという風にもとれるぞ」
何処までポジティブ思考なんですか、それ。
エンナは突っ込みたいのを必死で堪えた。フレンも呆気にとられてしまって、開いた口が塞がらないようだ。そんな二人の様子には気付かず、シェルは「それに」と話を続ける。
「フレンが気になってるあの侍女の子だが……」
なんだかとんでもないことを口走り始めたシェルにフレンは瞠目する。
「おまっ、その話は!」
「えっ、もしかしてフレンさんって気になっている女性がいるんですか?」
「ば、馬っ鹿! んなわけねーだろ!?」
驚いているアーメルにフレンはぶっきらぼうに否定する。
このフレンの慌てっぷり。周りから見れば自ら肯定しているようなものだ。
「んで、そのフレンが気になってる侍女の子が何?」
リューリは、“フレンが気になってる侍女の子”という部分を強調しながらシェルに先を促す。フレンはアーメルに押さえられたまま、顔を赤くしてわなわなと拳を震わせた。
「なんでも彼女が言うには、普通の男よりも少し危険な香りがする方が魅力的に感じるらしいぞ」
シェルは人差し指を立てる。
小刻みに震えていたフレンの身体がピタリと止まった。
「そ、それ! それ本当か!?」
シェルが無言で首肯すると、フレンの態度はガラリと変わった。
もう大丈夫そうだと判断したらしいアーメルが腕を放した途端、フレンは「おっしゃ」っと嬉しそうに拳を握る。
「シェル、そんな話何処で?」
リューリはシェルの側へ寄って、フレンには気付かれないようコソッと問う。
「この間たまたま……運んでいた荷物が重そうだったんでそれを手伝ってたら、いつの間にか恋愛話になって……」
成る程とリューリが納得する。
そんな会話を二人がしていることなどフレンは気付いていない様子で、とてもご機嫌だ。シェルの意思疎通は独特のため、フレンには聞こえないようアルベルトを弄っていた時と同じようなことをしたのだろうが。
しかし、エンナにはどうにも違和感を覚えて仕方なかった。
何故なら。
シェルが恋愛話って……
エンナは噴き出しそうになるのを手で止める。
駄目だ。なんか笑える。
「ところで、ソード様のお姿が見えませんが……」
ローズは辺りをキョロキョロと見渡す。
そういえばソードを見かけないが、もしかしてアルベルト達と共に城へ戻ってしまったのだろうか?
「あっ、ソードさんならラジェット隊長への報告もあるので、先に戻ると言ってました。リューリ隊長達には、挨拶もなしに申し訳ないとも」
「ん、それは仕方ないね。了解したよ」
リューリは軽く頷くと、態度を改めた。
「そろそろこちらも動こうか。この近くに川が流れてるから、アーメルは水袋に水汲んできて」
「はい、わかりました」
アーメルはリューリから空の水袋を受け取ると、命じられたことをすぐに行動へ移した。
「それから、フレンは人数分の馬の確保ね」
「は、何言ってんだ? 馬なんてさっきの戦いでみんな逃げ」
「確保ね」
リューリはフレンを遮って笑顔で再度念を押す。
フレンの頬が引き攣った。
無理難題な注文を吹っかけられているフレンにエンナは同情の眼差しを送る。
「訓練されている馬なんだから、きっと何頭かはその辺に残ってるよ」
リューリの笑みとフレンの鋭い視線が対立する。
「だぁぁっ、もうわかりましたよ! やりゃいいんだろ畜生!!」
勝敗は結局リューリの方に上がり、フレンは半ばやけくそに歩き出した。
それを何か思い出したらしいシェルが呼び止める。
「フレン、俺の馬は必要なさそうだ」
「なんで……」
シェルが無言で指を指す。その指先を辿っていくと、ずっと向こうに小さな影があった。よくよく見れば馬の姿をしており、こちらの様子をじっと窺っているようだ。成る程、どうやらシェルが捕まえたというあの魔馬が戻ってきたらしい。魔物にしては随分としおらしい馬だ。リューリなんかは感心して「へぇ」っと呟いている。
馬を見たフレンは盛大な溜め息をつくと、気怠そうに手をひらひら振ってリューリ達から離れていった。
「さて……こっちはこっちで後始末を済ませようか」
「後始末、ですか?」
ローズは不思議そうに首を傾げる。
そういえば、アルベルトも後始末を任せるとか言っていた気がするが、一体何のことだろう。
「そうだよ」
リューリが振り向き様にニコリと笑う。
エンナの背中にヒヤリと何かが伝った気がした。
リューリの浮かべた笑顔が酷く冷たく感じるのは、きっと気のせいではない。
彼の不穏な雰囲気をローズも察知しているらしく、問いかけようと口を開きかけた時、何かが空を切ってそれを止めた。
ローズとエンナが息を呑む。
リューリが突然抜刀してきて、あっと言う間もなくローズの首にその剣先を突き付けたのだ。
「リュ、リューリ、様……?」
ローズは何を……と小さく呟きながら、身動きも取れずにいる。ローズは助けを求めるようにシェルの姿を探すが、彼はローズの背後に立っていた。
「はっきりさせようじゃないか」
リューリはただ笑う。
しかし、その瞳には温情の欠片もなく、冷酷な光が宿っていた。
「ね? 裏切り者のローズ」
言われた言葉にローズは凍り付く。
エンナは驚愕して「えっ」と声を漏らした。