10.決意の光 (2)
一体どうしたものかと頭の片隅で思案していると、
「リューリ、シェルーっ!!」
自分達を呼ぶ声にハッとなる。その叫び声はよく聞き覚えがあるものだ。
「フレン!」
剣戟を繰り広げながら一人気絶させて、聞こえた方角を確認する。
思った通り、自分の見知った者が馬を駆ってこちらに疾走してきていた。
焦げ茶色のツンツン頭に、あのどこの不良ですかと言いたくなる三白眼の目。間違いない。あれはリューリの隊員、フレンだ。
勇ましい雄叫びを上げながら突進してくるその様は、さながら暴走した猪のそれだ。
そのフレンを食い止めようとアリィセが動く。
「<氷結陣!>」
氷の霧が辺りに立ち籠めて、フレンの行く手を阻んだ。
小さな氷の粒がフレンの身体に纏わりついて、彼と彼の馬の身体を凍らせていく。
「しゃらくせーっ!」
氷を振り払うように棍を振り回し、フレンは気合いと共に精霊術を発動した。
「<爆風火!!>」
フレンの周りが氷の霧を巻き込んで突如爆発する。霧は爆風によって吹き飛ばされ、爆煙の中からフレンが飛び出してきた。
「オルァァあああああっ!!」
気合いと共にアリィセに向かって突撃する。棍に渾身の力を込めてフレンは重い一撃をアリィセに喰らわせた。アリィセはそれを難なく剣で払いのける。金属同士が激しくぶつかり合って、甲高く耳の中へ突いた。
フレンはその反動を殺さずに、そのままリューリの馬の隣に並んだ。
「随分到着が遅いじゃないか、フレン」
リューリは剣を構えたまま、横目で意地悪く言う。
「そんなご無体な! こちとら守護使でかり出されていた挙げ句、シェルみたいな探査術持ってないんだぞ!? どんだけここまで来るのに苦労したと思ってんだ!」
非難するリューリにフレンは鋭い目付きを更に吊り上げて抗議した。
「そういえばそうだったっけね。このタイミングで守護使なんて間が悪いというか、フレンらしいよね」
お疲れとリューリは労いの言葉をかける。因みに輝いた笑顔つきで。
フレンは悔しそうに「くそぉっ」と呟いた。
「これが終わったら、絶対色のついた特別手当貰ってやるっ!!」
悔しさを握っている棍に乗せてフレンは先端を眼前の敵に向けた。
ウル達は改めて陣形や体勢を整え、リューリとフレンに対峙した。
* * *
エンナは来るであろう衝撃がいつまで経ってもやってこないのを不思議に思い、恐る恐る瞑っていた目を開ける。覆っていた腕をそっと解いて見上げた先には、制服のようなかっちりした服を纏った一人の少年が、盾を頭上に上げて襲い掛かる土塊を受け止めて歯を食いしばっていた。
しかし、彼の持つ盾の幅では明らかに太い上に数体ある土塊を防ぎきることは不可能だ。
その時盾の周りにヴェールのような何かが見えた。それは光の角度で見えたり見えなくなったりしている。不可思議なそれが盾のリードを広めているようだ。
「<茨羈束っ!!>」
そこへローズの茨の土塊達に絡み付いて拘束する。
すると、土塊は途端に身動きが取れなくなった。少年にかかる圧力が緩む。その隙に彼は強引にエンナを立たせ、土の檻から抜け出した。
「あの、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
腕を引きながら少年はエンナの方へ振り返る。
茶系の金髪に、心配そうに揺れる瞳は銀色だ。彼の人柄を表すように目縁は優しいアーモンド。だが今は、戦闘中ということもあって緊迫した鋭さがあった。
「うん、お陰様で……」
「貴女っ、アーメル!!」
ローズがこちらへ駆け寄ってくる。その表情には恐怖と安堵とが混ざったようなものだった。
「ローズさん、すみませんがこの辺り一帯に茨の結界をもう一度張ってくれませんか? 次に精神式無言語術で強力な精霊術を使われたら厄介です。僕がローズさんの茨を強化しますから」
アーメルと呼ばれた少年は、近寄ってきたローズに開口一番で告げる。ローズは慌てた様子で頷いた。
「詠唱中ですが」
「それなら先程応急処置程度ですが、網を張りましたわっ」
「では、今の内に」
ローズとアーメルは頷きあうと、即座に詠唱に入った。
「<高貴なる花 気高き愛の化身達よ
聖も魔も その象徴は等しくある
我が愛しき 美と情熱の同胞達よ
我が願い どうか聞き届けたまえ>」
「<我が力 破壊するためにあらず
ただ守りたい その思いこそが
秘めし力を示すことができよう
今こそ燦めけ 我が守護の力よ>」
二人の呪文が重なり合う。真紅の光と純白の光が螺旋を描きながら地中の中へ注がれ、大地を抑えるように地鳴りが低く響き渡った。
「これでグラウ副隊長の術は暫くの間は防げそうですね」
「アーメル、助かりましたわ」
「いえっ、助かったも何も助太刀が遅くなってすみませんでした」
アーメルは申し訳なさそうに後頭部を手で押さえた。
「それより速くここから離れましょう。この精霊術も時間の問題」
「ハハハハハハッ!!」
突然、後方からアーメルの言葉を遮るように高らかな笑い声がした。視線をそちらに見やると、
「追いついた! 追いついたぞ!!」
ベンドールだ。ベンドールが沢山の兵士を引き連れて追ってきたのだ。
彼はエンナの姿を見付けると、それはもう目を輝かせた。
「エンナ様~! 今すぐその下賤な輩の手からお救い致しますぞー!!」
「くっ、あの肥え豚。ふざけたことを!」
ローズが吐き捨てるように言った。彼女がそう言いたくなる気持ちは十分わかる。
そのベンドールだが、彼はリューリ達が戦っているのを見てニンマリと笑った。恐らく今ならエンナを奪取できる、と考えているのだろう。
ベンドールは兵士達が配置につくと、手を挙げ威勢良く号令をかけた。
* * *
シェルは内心で舌打ちした。
風から伝わる情報でわかってはいたが……
フレンとアーメルの登場で戦況は変わりつつある。
しかし、状況は最悪だ。あの前国王派のベンドール達までもが着いてしまったのだから。
いや、あちらはエンナに手を掛けるつもりはないから、その辺りに関しては安心だ。それにトゥグルに頼んだ件もある。あちらが間に合ってくれれば……
「向こうを心配している暇なんてないですよ、シェル副隊長!」
ウルの隊員、ハロルドが剣を振りかぶる。シェルは剣の軌道を風で逸らし避けた。が、その隙に他の者がここを突破してエンナのところへ向かおうとする。シェルはそれを風の精霊術で壁を作り行く手を阻んだ。風の障壁に手を拱いている間にシェルは前へ回り込んで、押し返すように強い風を全体に起こす。
速くエンナのところへ行かなければ。
しかし、だからといって事を急いて強力な精霊術を使い精霊騎士達を殺すわけにもいかないし、何処か遠くへ吹き飛ばしても、その後回り込まれたりしたら厄介だ。
だが、そんなことを気にしている猶予もないのも確か。
脳裏に過ぎるのはリューリから聞いたルージュの予言――
『交差する人々の思い 願い それが混じり荒れ狂ったその時
冷たき矢が かの者の生を氷凍より寒き世界へ送るであろう』
シェルは焦れったさに歯噛みした。兎に角、今目の前にいるこの者達をどうにかしなければ。
「<疾風刃>」
シェルは精霊に命ずる。いくつもの細かい風刃がハロルド達の足に襲い掛かった。四肢を狙われ、傷つけられた彼らの馬達が驚きと痛みで嘶く。前肢を上げるものもいれば、前肢後肢を交互に上げて暴れる馬もいた。そして、ついには全員馬から振り捨てられてしまった。そこを彼らは苦もなく地面へ綺麗に着地してみせる。
間髪入れず、精神式無言語術でシェルは瞬時に風の精霊術を展開。鋭い刃物のようになった風が彼らの周囲を囲って旋回し、身体中に傷を刻んでいった。
「覚悟ぉぉおおおっ!!」
しかし、シェルの術から間一髪回避した者が左横から跳びかかってきた。シェルはそれを難なく剣で軽く叩いていなすと、精霊術を使って上空から烈風を浴びせる。強烈な風圧を受けた彼は、何の抵抗も出来ず思い切り地面へ叩き付けられた。相手の喉から空気が途切れるような息が漏れる。
そこへ今度は他の者から反撃が繰り出される。それをすんでの所で受け止めたが、シェルは若干目を瞠った。真正面から紫色の霧が突如発生したのだ。
毒だ。
この青年は毒の精霊騎士だから間違いない。名をダルティエ、通称ダルトと呼ばれている。
何の毒かはわからないが、これを吸ったら死ぬことだけは確実だろう。
シェルは反射的な速さで判断するとあとは身体が勝手に動いた。毒々しい色の霧とともに毒の使い手ごと風で吹き飛ばす。
だが、僅かに毒気にあてられてしまったようだ。目が少し痛む。
シェルは奥歯を噛み締めた。
* * *
エンナ達は兎に角走り回っていた。
波寄せるディック率いる兵士の群れ。
ベンドールが連れてきた精霊使いとグラウによる精霊術。
戦場が奏でる怒号のような呻り声はエンナの耳から様々な音を拾っては掻き消していった。
エンナのことをローズとアーメルの二人が守ろうと立ち回るが、それもいつまで保つか。
ディック達がローズ達に襲い掛かり剣を交え、エンナはその手から逃げ惑う。グラウの精霊術はベンドール側の精霊使い達が立ちはだかっていた。
「大人しく娘をこちらに渡せ!」
「そういうわけにもいかないんですよっ」
ディックが横薙ぎに剣を振るうと、アーメルは盾で防御しつつ腹部目掛けて剣を突きだした。それをディックは数歩後ろに飛んで回避する。ディックは苦汁をなめたかのように顔を顰めた。
「死にたいのか」
「その言葉、そのまま貴方にお返しします」
アーメルとディックが睨み合う。そんな二人を取り巻くように配置についた兵士達は、二人の気迫に気圧されて身動きが取れずにいた。
ローズの方は兎に角大勢の兵士達を相手に立ち振る舞った。茨の鞭が風を切って、兵士達を薙ぎ倒していく。が、次から次に斬り掛かってくる兵士。これでは切りがない。多勢に無勢だ。
ローズの焦りがどんどん募って、精神が不安定になっていく。それを証明するように彼女の動きが徐々に乱れつつあった。
「貰った!」
その一瞬の隙を突かれた。
いつの間にかローズ達の背後に回っていた兵士の一人が剣を振りかざしていたのだ。
ローズとエンナが息を呑む。咄嗟に鞭を振ろうとするが間に合わない。
斬られる――
そうローズが覚悟を決めた時だった。
ローズに剣を振り下ろした兵士がその姿勢のまま倒れ伏したのだ。
「ローズ、エンナさん!」
「ソード様!?」
兵士の後ろから姿を現したのは、ソードだった。
リューリからベンドール達を足止めしてくれていたと聞いていたが、無事だったようだ。身体中に泥や擦り傷を負ってはいるものの、それ以外は特に大きな外傷もない。
「良かった、ご無事でしたのね!」
「なんとかね。っと、再会を喜んでる場合ではないよ」
複数の兵士達がローズ達を取り囲んだ。ローズとソードはエンナを背に庇いながら、己の武器を構えて対峙する。
「まずはここを突破する!」
「はい!」
二人が同時に動き出す。ローズの茨が踊り狂い、ソードの剣が光の軌跡を残しながら走っていった。次々と兵士が倒れ、狭かった輪がどんどん広がっていく。そうしていくうちに、人垣の合間に一カ所だけ隙間がみえた。人の層が薄い、溢れ落ちた隙。
ローズはこの好機を逃すまいと隙間に精霊術を発動させる。彼女の薔薇が地面から伸びて兵士達を押し退けた。
「走って!!」
ソードが剣で兵士達と応戦しながら叫ぶ。エンナは考えるよりも先に足が動いて、開かれた穴へ走った。その後をローズが続いていくが、ソードはエンナ達を追おうとする兵士達を押し止めるためにその場で剣を振り続ける。
エンナは気になって後ろを振り返ろうとしたが、ローズによってそれは阻まれた。ローズがエンナの腕を強引ともいえる勢いで引っ張って走り抜けたのだ。
「貴女は自分の身のことだけを考えなさい!!」
茨の鞭を唸らせながら、周りの音に掻き消されないようローズが声を張り上げて叱る。
「う、うんっ」
エンナはただ頷くしかなかった。何もできないエンナがソードやアーメルのことを気にしても、彼らの足手まといになるだけ。
もし、自分に力があったら。
自分の身くらいは守れることができたのなら。
エンナはぎゅっと拳を握る。なんだかとても、悔しかった。
ずっとずっと、エンナはリューリ達に守られて、自分のことなのに当の本人は逃げ惑ってばかり。
何もできない。何もすることができない自分。
悔しさと情けなさがごっちゃになった。
いや、今はそういうことを考える時ではないのだ。まずは、自分はここを逃げ切らなければならない。そうでなければ、エンナのことを守るために戦ってくれているリューリ達の思いも、姉と慕ってくれているルージュの思いも、そして、自分の中で芽生えた思いも、全部踏みにじってしまうことになる。
それだけは、絶対に阻止しなければならないのだ。
エンナはぐっと気持ちを抑え込んで、前を見据えようとした瞬間。
「っ!?」
地面が大きく揺れ動いた。地震かと思ってしまうような振動は、エンナとローズの間を簡単に引き裂く。揺れる地面に足を取られたエンナは、その場につんのめって四つん這いになってしまう。ローズは吹き飛ばされるように前へ倒れ込んだ。
ずんと重い地鳴りが身体に伝わってきて、兵士達の悲鳴がエンナの耳を支配した。
「エンナ!!」
叫びのような大きな衝撃が頭を強く打つ。
声ではなく、ハッキリと言葉で伝わるそれは、シェル独特の――
エンナは鳴り響いた声に頭を抑えながらゆるゆると顔を上げ、視界に入ったものに目を見開いた。
何かの塊が矢となって、凄い速さでエンナに向かって飛来してきていたのだ。
思わず、身体を引こうと動く。が、身動きが取れない。驚いて手足を確認すれば、木の根が逃がすまいと絡み付いていた。
駄目……
それでも容赦なく矢は迫ってくる。
まだ死ねない。死ねないのに……
エンナは目を瞑ることもできず、彼女の命を奪おうとする矢を絶望と生の渇望がまぜこぜになった瞳で見ていた。
死ぬ――
途端。
閃光が走った。一際目映い光はエンナの視界を奪い、あまりの強烈な白光に思わず目を瞑る。
一体何が起こったのか理解できなかった。
もしかしたら、あの光は神様からの天国へのお導きだったのでは?
そんな考えが脳裏を掠めたが、そんなわけがないと否定する。
瞼を通して光が収まるのを感じてから、エンナは現実を確認しようとそっと目を開けてみた。
エンナの周りを何か半透明な膜のようなものが張っていた。それはシャボン玉みたいに光の角度で七色に変わる。
「何これ」
その膜を突いてみると、水面に雫が落ちたように小さく波紋した。
周り見渡せばあの草原。沢山の兵やすぐ近くにはローズがいる。皆が一様に驚愕してこちらを凝視していた。
なんだかよくわからないが、どうやら自分は助かった……らしい。
気付けば手足に絡み付いていた木の根が取れているし、もしかしてこの膜がエンナのことを守ってくれたのだろうか?
そしてふと視線を下にした時に、視界に白光が飛び込んできた。それはエンナの胸辺りから服越しに光が漏れているようだった。まさかと思い、襟元から例のものを手繰り寄せてみる。
エンナはそれを見て目を見開いた。
「光ってる」
あのペンダント、リベラから貰ったペンダントヘッドが光り輝いていたのだ。あんなに真っ黒だったものが今ではエンナの掌の上で白く煌めいている。
「もしかして、この膜みたいなのって……」
興味深く鱗型のペンダントヘッドを指で触れようとすると、ピシッと亀裂が入った。それはあっという間もなく罅が広がって、破片がエンナの手からスルリと通り抜けていく。欠片となってしまった鱗は、ハラハラと落ちて、まるで雪が溶けてしまうように霧散していった。
ペンダントが跡形もなく消えると、エンナを守るように半球状に張っていた膜は、時同じくして消失する。やはり、あのペンダントがエンナの命を救ってくれたのだろう。
「あ、貴女!」
我に返ったローズが血相を変えてこちらに走り寄ってきた。
「お怪我はありませんこと!?」
「う、うん。全然平気、みたい……」
身体をぺたぺたと触って確認してくるローズに放心状態のままエンナは答えた。
* * *
「今のはまさか、魔法禁止領域……?」
そんな馬鹿なとリューリは自身の考えを否定して頭を振った。
魔法禁止領域は魔術の一種で、魔法を完全に遮断、防御するものだ。しかし、現代では魔術というものは失われたも同然で、魔法禁止領域は魔術の中でも高等魔術。そんな代物を発動させるなんて無理に等しい。
だが、あの防御形状、威力。間違いない。
一度それを間近で見たことがある自分が見間違うはずがないのだ。
それが何故……
ルージュの先見では、多分今のがエンナに死をもたらすはずだったのだ。ルージュの予言が外れるなんてことは考えにくい。かの方の占いは、多岐に渡る道筋から見出された結果なのだから。
しかし、実際に目の前で起こったことは紛う事なき事実である。なら、今のが死の原因ではなく、これから起こるのだろうか?
いや、そもそも魔法禁止領域が発動するなどと窺わせるような詩はなかったはず。詩に加える程のことでもなかったということなのだろうか。
そんなまさか……
では、あの魔術事態に何かあるのか。
考えてもわからない。
「怯むんじゃない! 今を逃すな!!」
ウルが自分の隊員を叱責して奮い立たせている。
わからないことを考えても仕方ない。今はそうして思案を巡らせている場合ではないのだ。
兎に角、エンナは生きている。
生きているのだ。
今はそれでよしとしておこう。
リューリは瞬時に思考を切り替えると、後れを取らぬよう柄を握る手に力を込めた。