7.欺瞞(ぎまん)の刃 (2)
* * *
木々の間を駆け抜けると、エンナ達の馬車を停留させている所へ出た。
そこで見た光景にエンナは目を丸くする。馬車や馬を木に繋いでいる縄には、なんと茨が全体に巻き付いて、何人たりとも触れさせないという具合に覆われていたのだ。しかも、茨には意志が宿っているのか蛇のようにうねっている。これはローズの仕掛けに違いない。
正直気味が悪かった。もし、ここを通った通行人がいたら、この光景をどのように思うだろうか。
スラッツとエンナが近付くと、茨は二人を確認するように髪を一房持ち上げたり、額を突いたりしてくる。どうにもあまりいい気はしなかったエンナは、何すんのよと目を据えた。
暫くそのまま好きにさせておくと、茨は満足したのか二人を弄っていた枝を引っ込めて大人しくなった。どうやら、敵ではないと判断してくれたようだ。
スラッツは馬を繋ぐ木に近付き、幹に括り付けられている縄と馬車を繋ぐ紐を解いた。四頭のうち一頭を茨の檻から連れ出し、スラッツはその馬に乗るようエンナに促す。エンナは言われるがままにスラッツの手を借りながら跨り、彼女の前にスラッツが乗馬した。
「はっ」とスラッツの威勢の良い掛け声と共に彼は思いっきり馬の腹を蹴る。馬は嘶いて走り出した。
「ねぇ! リューリ達を置いて行っちゃって良いの?」
風を切る音を耳にしながらエンナは前に跨っているスラッツへ声を張り上げた。
「大丈夫、リューリさんもこのことは承知していることだから。もしなんかあったら、この近くにあるオレの知り合いの屋敷で落ち合うことになってたんだ」
「そうだったの?」
スラッツは、視線は前を向きながら頷いた。
「てか、一体全体どうなんてんのこれ? なんでソードが……」
「……ソードさんが裏切り者だったんだ」
スラッツは歯を食いしばって悔しそうに答えた。
「裏切り者って、どういうこと?」
「言葉の意味そのままだよ。前々から可笑しいとは思ってたし、リューリさんやシェルさんもずっと言ってた。こちらの動きが漏れてるって」
信じられない。
あの温和そうで気周りの良さそうなソードが皆を裏切っていただなんて……
エンナは言葉もなく、どうその事実を受け止めればいいのかわからなかった。
「ソードさんはオレ達の仲間を装いながらこちらの情報をウルさん達に伝えていたんだ……!」
「ウルさんって?」
「エンナはリューリさん達に裏組織から助けて貰った後、グラウさん達に襲われたんだよな?」
「うん、そうだけど」
「グラウさん達はエンナの存在を快く思ってない一派の人達で、その筆頭がウルさんなんだ」
「成る程ね、だから襲ってくるわけか。でも、どうしてわたしみたいな一庶民を? 全然そこが理解不能なんだけど」
それはっとスラッツが喋ろうとした時だ。彼はハッと何かに気付いて警戒に身を固くさせた。鋭く眼光を辺りに走らせて、スラッツはエンナへ声を張り上げた。
「噂をすればなんとやら……エンナ、しっかり捕まっててな!!」
言うやいなやスラッツは更に馬の走行を加速させる。地を駆ける地響きが激しくなった。エンナは振り落とされまいと必死にスラッツにしがみつくが、こうも揺れが激しいとバランスを取るのも難しい。ローズが如何に自分を気遣って丁寧に馬を操っていてくれていたのか、ここではじめて気付いた。
ちょっとの間もなく異変はすぐに現れる。
森の様子が変なのだ。いや、森というよりは木がと言った方が正しいかもしれない。ザワザワと葉同士が擦れる音が妙に耳について気になるのだ。
唯ならぬ空気を感じてエンナはスラッツにしがみつく手に力を込めた。敵がすぐそこにいる?
馬が一歩走り抜ける度に葉音は徐々に大きくなり、木々の枝が軋む音までしだした。
「こりゃ一戦は免れそうにないな」
チッと舌打ちして、スラッツは苦虫でも嚙み潰したような顔をした。
「追っ手?」
「その通り! しかも相手は……」
ビュッと風を切り、折れてしまうんじゃないか思ってしまう程の固い皮が割れる音がすると、なんと木の枝がエンナ達襲い掛かってきた。上から馬諸共押し潰すように来て、スラッツは手綱を操りそれを難なく避ける。枝が獲物を捕らえられず空振って地を叩き付けた。
「ウルさん!」
正解とでも言うように、それを合図に木々の枝が次々と猛撃を仕掛けてくる。
スラッツはひぃひぃ悲鳴を上げながら、巧みな馬術で避けていった。エンナは落馬しないように兎に角しがみつくので精一杯だ。
「くっそ、オレの精霊術じゃ全然太刀打ちできないってのにー」
「こんな時にそんな不安になること言わないでよ!?」
「だって仕方ないじゃん! オレは糸、あっちは木、どう考えたって不利!! エンナ頭伏せて!!」
間髪入れず頭を狙って枝が横薙ぎに振るってくる。エンナは反射的に頭を俯せた。
「こうなりゃ、時間稼ぎにしかならないけど……」
スラッツは小さな車型の手裏剣を何刀かさっと取り出す。その動きは素早くてどうやって用意したのかエンナには目で確認することができなかった。
小型の手裏剣をどんどん前方にある木々の幹や枝に投げ付け、襲ってきた枝や根へ避け様に獲物を投じていく。
ある程度投擲して、スラッツは精霊に唱えた。
「<大々棚網!!>」
手裏剣から一斉に糸が紡がれ、そこから吐き出される糸同士が絡み合い、木々の枝を引き寄せるように拘束する。糸が張り巡らされた光景は巨大な蜘蛛の巣のようだ。
糸に絡め捕られた樹木は束縛を解こうと樹皮が割れて避ける小気味良い音を立てながら抵抗する。
「この隙にウルさんの発動可能範囲から抜け出す!!」
馬の走る速度が更に加速する。風がエンナの頬を掠めていき、髪や服の裾を攫っていった。
激しく揺れる馬上で身体全体に力を入れる勢いで必死にエンナは耐える。しかし、そんなことはお構いなしに数十年は生きている木達が自らの腕と足を駆使しながら襲い掛かってきた。
スラッツは攻撃の軌跡を読んで全て華麗に躱していく。もう見事としかいえない。だが、エンナにはその勇姿を見届ける程の余裕はなかった。
攻防を続けていくうちに、徐々に樹木の攻撃が鈍く、攻めを仕掛けてくる木の本数も減り始めてきた。ウルの許容距離範囲から外れてきているのだ。
スラッツはしめたと馬をそのまま疾走させる。
そして、ついにあるところを境に木々の猛攻がなくなった。拍子抜けする程ピタリと。エンナは顔を上げ様子を伺うが、森には静けさが戻っていた。
「よっしゃ、逃げ切ったー! わははっざまあみろー!!」
拳を握って高らかに振り上げる。スラッツはウルの手から逃れられたことが相当嬉しかったようだ。頤を解いて腕を振り回す。
エンナはスラッツの喜びように呆れてしまった。こちらは逃げ惑っていただけでまともに戦ったわけでもないのに、と。
「そんなに喜ぶこと?」
「当たり前だろ! 逃げるが勝ちって言うし、こっちが勝ったも同然じゃん!」
このまま突っ走るぞー! とスラッツは嬉々として馬を飛ばすのだった。
* * *
ローズは馬車に茨で守りを固めると、駆け足で皆が休んでいるであろう湖へ向かっていた。
胸騒ぎがしたのだ。
気が落ち着かず、言い知れぬ不安感がローズを襲う。
別に何かがあったとは思わない。エンナの守備は万全だと思うし、魔物があまり出てこない道を選んでいるからそこは心配しなくてもいいはずだ。一番気掛かりなのが追っ手の存在だが、この辺りに敵の気配は感じられないから危険はそんなにないだろう。
それに万一何かあってもリューリが側についている。彼は切れ者だから不測の事態にもすぐ勘付いて対処するはずだ。
だのに、何だというのだ、この胸のざわめきは。
兎に角急いで行かなければとローズは走った。彼女の不安が杞憂であることを祈りながら。
森に住む植物の精霊達の言う通り、すぐに小さな湖のある開けたところへ出た。そこでローズが目の当たりにしたのは、
「ソード様!?」
全身に絡み付く糸をソードが解いているところだった。
ローズに気付いたソードは、まだ顔に巻き付いている糸を払い落とすと苦く視線を落とす。
膝を着いている彼へ近付いて、ローズは糸を取り去るのを手伝った。
「一体これは……何があったのですか」
彼女が心配そうに聞いてもソードは答えてはくれず、奥歯を噛み締めた。
ソードの頑な態度に疑問を感じたローズは、周囲に目を走らせる。何故かエンナ達の姿が見えない。彼女達は何処へ行ってしまったのだ。それに地に突き立てられた二刀の苦無。これはきっとスラッツのものだろう。それがどうしてこんなところにあるというのだ?
「ソード様、ここで何が起こったのですか?」
ソードはこれにも何も言ってはくれない。不安が更に募って、ローズの瞳が心許なく揺れた。
「やっと本性を現したか」
そこへリューリが低木の垣根を越えてこちらに近付いてきた。今の今まで何処へ行っていたというのか、ローズは思わず彼の名を呼んだ。
「あのリューリ様、それはどういう意味ですの?」
リューリの意味深な言葉にローズは眉を潜める。彼は厳しくも見える固い表情でローズ達のところまで歩み寄ってきた。冴えた瞳でリューリは射貫くように見下ろす。背筋が凍る程の恐怖を感じて、ローズは思わず生唾を呑み込んでしまった。
「裏切り者」
凍えるような言葉と口調に、ローズはえっ? と目を見開き、ソードは苦虫でも噛み潰したような表情でリューリの視線から逃れるように顔を逸らした。
* * *
森を馳せ幾つかの村々を通り過ぎ、陽が落ち始め空に赤みが差し掛かってきた頃、どうやらスラッツの知り合いの屋敷へ着いたようだったが。
エンナはぽかんと頭上を見上げ、どう鑑みても屋敷とは思えない石で出来ているお城の門前に突っ立っていた。
「ねえ、これの何処がお屋敷? わたしには立派なお城にしか見えないんだけど」
「確かにな。でもここの持ち主がそう言ってんだから、そうなんじゃん」
スラッツの口調は何故か尖っていた。
「そ、そう……」
エンナはスラッツの突っぱねるような態度に戸惑う。
ここへ来てからスラッツの様子が変になった。はじめ緊張しているのか思ったが、どうやらそうではないらしい。ピリッと殺気立っている感じだ。感情豊かな彼の表情は消え去り、目元も鋭利な刃物のように鋭くなって、人が変わったような気さえする。
エンナはスラッツの急な変貌ぶりにどう接しようか困っていると、そんな彼女に気遣うこともなく彼は門番に近付いていった。
門の左右に控えていた門番達は、警戒して槍の先をスラッツに向け何者か強気に聞いてくる。スラッツは怯むこともなく、堂々とした態度で言い放った。
「精霊騎士のスパラッツだ。ベンドール様に伝えろ。スラッツが花を連れて参上したと」
門番はそれを聞くと態度を一変。不遜だった身構えがピンと背筋を伸ばして姿勢を正し、随分慌てた様子で門の向こう側にいる者達に向かって開門の指示を出す。すると両開きの大きな門が重い音を鳴らしてゆっくり開いた。
スラッツは馬の手綱を引いて中へ入っていく。エンナは慌ててその後を追った。
木製の門の向こうには、やはり屋敷には見えない城のような佇まいの石の塊が聳え立っていた。エンナは感嘆してそのお城のような屋敷を見つめる。圧迫するような冷たさを感じるお屋敷だ。
「おぉ、これは、これは」
贅肉のついた太った男が数人の兵士を引き連れてやってくる。脂肪の塊みたいな男は、如何にも位の高そうな服を身に纏っていた。スラッツはその男が姿をみせると、エンナの後ろで彼は跪き頭を垂れる。
太った男がエンナとスラッツの姿を目にして丸い顔を輝かせた。
「スラッツ、このむす……ではなく、このお方が」
「はっ、ベンドール様。左様に御座います」
スラッツはハッキリ肯定すると、ベンドールと呼ばれた男はとても満足そうな笑みを顔中に広めた。
「うむ、それで力の方は……」
「既に覚醒めておられます」
「そうか、でかしたぞスラッツ! 褒めて遣わそう」
「お褒め頂き有り難き幸せ」
何これ。二人して何の話してんの?
二人のやり取りが理解できず、エンナは脳内に沢山の疑問符を浮かべた。
片眉を器用に上げ、エンナが首を傾げているとベンドールは彼女の面妖に考えているのに気付いたようだ。これは失礼を致しました、と口調は至って丁寧にベンドールは謝意を表する。しかし、その口元と瞑った目尻は気色悪く綻んでいた。エンナは思わず変に顔を歪ませてしまう。
「私、ベンドール・シュペッゼと申します。エンナ様を心より歓迎致します」
彼は恭しく礼を服するが、何だかエンナには白々しく思えた。
「そろそろ陽も落ち肌寒くなってくる頃ですので、ここではなんですから詳しいことは中でご説明させて頂くことに致しましょう」
だらしなく目元を下げて、ささっこちらですとベンドールはエンナを導く。エンナは戸惑いながら、スラッツに助けを求めるように後方へ視線を投げた。すると彼は……
エンナは息を呑んだ。
スラッツは笑っていた。
その笑顔は、いつもの日向のような明るく温かいものではなく、背筋がぞっとしてしまうような表情だったのだ。薄ら笑いを称え瞳には不敵な光が宿っている。あの天真爛漫だった彼だとは到底思えないような冷たい顔付きをしていた。
目の当たりにしたエンナは、混乱した頭でベンドールに促されるままついて歩いて行くことしかできなかった。
* * *
エンナは屋敷に入った途端、ここの侍女達に囲まれた。何事だと思った矢先にベンドールの合図でエンナは彼女らによって連行される。
エンナの展開についていけてないことをいいことに、あれよあれよという間に身包みを剥がされ、お風呂に放り込むように入れられた。
かと思ったら、お風呂から上がって早々、エンナはコルセットで身体をきつく締め上げられた。
「いたたっ、痛い! 痛いって!!」
「くっ、これでは駄目ですわね……エンナ様、もう少し辛抱なさって下さいませね。ちょっと手荒な真似をしてしまいますが、すぐに終わらせますから!!」
侍女が二人がかりでえいやっとコルセットの紐をきつく引っ張り上げてくる。エンナはあまりの痛さに悲痛の叫びを上げた。
しかし、このお陰でやっと頭が働いて状況を呑み込み始める。どうやら自分はこの侍女さん達によって着飾られているらしい。
コルセットがどうにかこうにか装着できると、仕立ての良い温かみのある黄色いドレスに着替えさせられた挙げ句、装飾品まで飾られたのだ。
その装飾品を飾る時、エンナは元々身に着けていた首飾りと腕飾りを取り上げられそうになった。必死に拒むと侍女達は今の姿では似合わないと粘り強く外すように言ってくる。それは向こうの都合であってこっちに関係のないことだ。
頑なに外そうとしないエンナに結局侍女達は渋々と諦めた。が、そしたら肌の手入れをされた後化粧までしてきて、もうされるがままだ。
それでもなんとか自分を保って、エンナは先程まで着ていた服を返してくれるように言った。しかし彼女らは、洗濯するから今は無理ですと言ってくる始末。エンナは血相を変えて、ならせめて服のポケットの中に入れていた小袋だけでも返して欲しいと頼んだ。すると、それには快く侍女達は了承してくれ、小袋と首飾り、腕飾りを死守することができた。
が……
一体なんだってのよ!?
全てが終わると謁見の間らしき部屋に連れて行かれた。今エンナは何故か一つ上段の椅子に座らされている。コルセットの息苦しさからもあって、彼女は不機嫌に顔を歪めた。お腹周りがきつくて仕方ない。
ベンドールは壇上に座るエンナの姿をご満悦な様子で見上げ頻りに頷いていた。スラッツはと言えば、後頭部に両手を乗せ、壁に寄りかかり我関せずと在らぬ方へ顔を向けている。
「うんうん流石はエンナ様。よくドレスがお似合いで」
「あの、一体これはどういうことなんですか?」
誰がどう聞いたってお世辞にしか思えない台詞をエンナは容赦なく遮った。
イラッと蟀谷の部分が動いて仕方ないのだ。どうもこの男、エンナに媚びているようなのだが、自分にどうして阿るのかわからない。
「そうですな。エンナ様もご自身の正体がわからず、さぞや不安な気持ちでおられたはず……僭越ながら、私目がご説明させて頂きます」
大仰な仕草で恭しく一礼する。エンナの眉と蟀谷がピクッと動いた。
「まずは貴女様のご出生についてお教え致します。実はエンナ様は……」
咳払いをして大きく息を吸う。勿体振った話の切り方にエンナの苛立ちは蓄積していくばかりだ。
だあぁっ、もう焦れったい!
さっさと言いなさいよ!!
心の中で悪態をついてエンナは歯噛みした。
「今は亡き前国王陛下、エイブラム前国王陛下の御息女、エンナ・ティル=フィアデル様。それがエンナ様、貴女様なので御座います」
「は……?」
エンナは、あまりにもぶっ飛んだ話に一瞬何を言われたのかわからなかった。