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精霊騎士  作者: 羽嵐
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7.欺瞞(ぎまん)の刃 (1)




 まだ月が世界を支配している時刻にルージュ以外の全員が屋敷の門の前にいた。ルージュはまだ夢の中にいる。エンナ達は、ルージュが眠っている隙に出発することにしたのだ。エンナはそれに異論はなかった。だって、あんなに名残惜しくなるとは思わなかったし、もし見送りにだなんてして貰っていたらそれこそエンナの決意が揺らぎそうで嫌だったのだ。だから隣ですやすや眠るルージュを起こさないように、エンナはそっと抜け出してきたのだった。


「ベル、本当に大丈夫?」

「リューリ様、心配のし過ぎですわ。先程他の騎士の方がこちらに来て下さいましたし、何も心配することはありません」


 リューリは少し不安そうに眉根を潜めながら、マリアベルと話し込んでいた。

 何故、二人がこのような話をしているかと言えば、


「あの、やはり私はここに残りましょうか?」


 ソードは馬車の御者台の上からリューリとマリアベルに提案してみた。

 実は、マリアベルの提案でルージュと彼女の護衛をしていたソードも、リューリ達と一緒にエンナの逃亡を手助けしたらどうかということになったのだ。それも出発直前になって。

 ソードもリューリも、マリアベルの案に難色を示していたが、時間の問題とマリアベルの強い意志に負けて一旦は了解した。だが、リューリはやはり乗り気にはなれないらしくこうして渋っているのだ。


「そうだね、是非ともそ」

「いいえ、ソード様。どうかソード様もエンナ様のことを守ってさしあげて下さい」


 リューリを遮ってマリアベルがソードに言い放つ。リューリは不満の視線をマリアベルへ投げた。


「ベル……」

「リューリ様、貴方はルージュ様から頼まれましたよね? エンナ様を守って欲しいと。貴方はそれを了承しました。騎士として、隊長として、何よりリューリアスとして、引き受けた任務は優先して遂行させなければ」

「それはそうだけど」


 あのリューリが。

 あの口減らずで人の揚げ足をとるリューリが言葉をぐっと詰まらせて、眉根を寄せたまま黙ってしまう。

 マリアベルはふっと表情を和らげると、不機嫌そうなリューリの頬に手を添えた。


「心配なさって下さるのはとても嬉しいですわ。でも、まずはエンナ様を確実に国外へ逃がすことを優先してお考え下さい」


 暫くの間二人は、無言しじまのまま見つめ合う。その様はまるで恋人同士が別れを惜しんでいるかのようにエンナの目には映った。

 優しく諭すマリアベルにリューリはやっと諦めがついたようだ。深い溜め息をついた後、わかったよと少しふて腐れ気味に言った。


「んじゃ、話がついたところでそろそろ」

「エンナお姉様!!」


 スラッツがソードの隣で出発! と号令を掛けようと息を吸った時だ。鈴を転がしたような可愛らしい声がマリアベルの後方から今暁前の空に響いた。皆驚いてそちらに注目する。なんとルージュが寝間着姿で息を切らしながらこちらへ走り寄ってきていた。


「ルージュ!!」


 エンナは思わず馬車から身を乗り出した。

 なんで……折角ルージュのためにも、自分のためにも黙って別れようと思っていたのに。

 ルージュは一驚するマリアベルの隣まで来ると、肩で息をしながら呼吸を整え息絶え絶えに言った。


「エンナ、お姉様……これをっ、これをお持ちになって下さい」


 肩を上下に動かしながらルージュは小袋をエンナに差し出した。


「これは?」

「何かあった時、きっとこれがお姉様のお役に立つはずです。宜しければお持ち下さい」


 エンナはルージュから小袋を受け取って手にしてみると、それは随分と軽いもので、中に何も入っていないんじゃないかと思う程だった。


「ありがとうルージュ」


 エンナはぎゅっと小袋を両手で包み込むように大切に握った。自分の気持ちが揺らめきそうでルージュと顔を合わせるのは躊躇われていたが、これがあれば寂しくなんかない。いつでもルージュのことを思い出せる。


 大丈夫だ。


 エンナはルージュから貰った小袋に勇気を貰って、自ら行こうと皆に出発を促した。

 それを満足そうな笑みでリューリは見、他の仲間達もエンナの決心に感心して頷く。

 それじゃあとリューリが馬車に乗り込む素振りを見せたが、


「ベル!」


 振り向き様にリューリはマリアベルの腕を掴んで驚く彼女を引き寄せた。リューリの突発的な行動にエンナまで驚いてしまう。

 リューリはマリアベルの耳元に口を寄せると何事か囁いているようだ。マリアベルは徐々に大きく目を見開いて、口元に手を添える。動転しているマリアベルを真正面から見据え、リューリはにんっと悪戯な笑みを浮かべた。


「リューリ様……!!」


 戸惑っているような、焦っているような、動揺を隠せずマリアベルはリューリを咎めるように声を上げた。するとリューリはマリアベルに何か言われる前にさっさと馬車に乗り込んで、ソードに出すよう指示を下す。その表情は、してやったりと満ち足りた顔をしていた。

 ソードはそんなリューリに微苦笑を溢しながら、この場から逃げ去るように手綱を鳴らした。

 エンナはぎゅっと手を握る。

 動き出す馬車。それと同時に動き出す自分。

 一体この先、自分が何処へ向かうのかわからない。でも、何処へ行こうが自分には困難が待ち受けているだろう。だからといって、ルージュに救われた身の上、絶対に命を無駄にするようなことは、堕とすようなことはしない。


「ありがとう!!」


 揺れる馬車の上でエンナは身体を後ろへ向けて、ルージュとマリアベルに大きく手を振った。その手にはルージュから貰った小袋が握られている。

 別れの挨拶は言わない。言ったら本当にこのまま会えなくなってしまいそうで嫌だった。もう会うことはないだろうと頭ではわかっていても、一縷の望みを乗せ感謝の言葉を残すだけにする。

 ルージュとマリアベル、その場に残り、馬車が見えなくなるまで見守っていた。



  *  *  *



 馬車の上で揺れに揺られて数時間、空はすっかり青一色の世界に支配されていた。見事に本日は快晴だ。その一方、エンナは晴れ晴れとした天とは違って暗雲がドロドロと立ち込めていた。胸がムカムカして喉の奥で異物がつっかえているような不快感。そこから気を逸らそうと上を向いたり、景色を眺めたりしたが返って腹の底から迫り上がる圧迫感は増すばかりだった。

 エンナの隣に座るローズは落ち着かない彼女を横目でちらちらと気にしている。そして、徐々に顔色が悪くなるエンナを心配して声をかけた。エンナは気丈に大丈夫だと言い張っていたのだが、


「気持ち悪い……」


 とうとう堪えかねて、快晴な空の色と同じ色をしながら絶え絶えに訴えた。

 教会で過ごしていた時は荷馬車に乗って出かけたりしたことがあったが、乗り物酔いなどしたことはなかったのに。


 って、なんか随分昔のことみたい。


 うっぷとエンナは口元を手で押さえた。


「ソード、馬車を止めて」


 リューリは御者台にいるソードに急いで言うと、彼は頷いて道を塞がないよう脇へ馬を誘導させた後にそこへ停止させた。


「エンナ大丈夫?」


 ソードの隣に座っていたスラッツが顔をこちらに向けて心配そうに声をかけてくれるが、エンナはそれどころではなくただただ口を手で覆い、首を横に振るので精一杯だった。


「ちょっとこの辺りで休もう」


 リューリの提案に皆頷いて馬車から降りる。


「ほら、しっかりなさい」


 申し訳ないと思いつつもエンナは気分の悪さをどうすることもできなくて、ローズに支えられながら馬車から降りた。その途端ぐらぐらと頭が揺れ、エンナはその場にしゃがみ込んだ。ローズは立っていられないエンナの背中を優しく擦った。


 無理。くらくらする。


「スラッツ」


 ローズは彼女の代わりにエンナの背を擦るようスラッツに頼む。スラッツは了解とエンナを預かって介抱し始めた。


「この辺りに小川か何かないか調べますわ」


 ローズは薔薇の種を地に植える彼女の精霊、ニコンを呼んだ。ニコンはすぐローズに応えるように現れた。


「ニコンやりますわよ」

「は〜い、お水探し〜お水探し〜」


 ニコンは楽しげにローズの周囲を飛び回る。


「お〜みずさん、お〜みずさん、一体どこにいるのかな。あっちかな、こっちかな。どこに流れているのかな? それともどこかでニコンたちを待ってくれているのかな〜?」


 歌でも歌うようにニコンは種の植えられた付近でくるくると弾むように踊った。


「ニコンと同じ植物の精霊さんたち、どうかニコンとロニに教えて教えて」


 ニコンはぴたりと止まると両手を広げた。

 微風のせいか辺りがさわさわと木々や草がざわつき始めた。まるでここにいる皆に何かを語りかけていようだ。

 暫くローズが森に囁きに耳を傾けているとスッと指を前方へ指した。


「リューリ様、見付けましたわ。太陽に向かって真っ直ぐ少し歩いたところに小さな湖があるようです」

「真っ直ぐね、ありがとうローズ。ここでは何だからソード、スラッツ、エンナを連れてそこへ。ローズは」

「わたくしは荷物と馬達が心配ですので、守備を施してからそちらへ向かいますわ」


 リューリは頷くとエンナに気を配りながら連れて行くソードとスラッツのあとを行った。



  *  *  *



 スラッツに支えて貰いながら少し森の中を歩いていくと、ローズの言った通りすぐ小さな湖に辿り着いた。リューリは念のため周辺を見回ってくると言ってここにはいない。

 エンナは湖畔に膝を着くと、水を両手で掬い上げて飲んだ。冷たい水が喉を通って身体に染み渡る。少しつっかえが和らいだような気がした。


「エンナ、少しは落ち着いた?」


 スラッツは心配そうに眉尻を下げてエンナの顔を覗き込んでくる。


「うん、ちょっとは」


 生気の抜けた笑顔ではあったが、笑みを向けるとスラッツはちょっと安心したようだ。なら良かったとほっと息をつく。


「乗り物駄目だった?」

「そんなことはないと思うんだけど、こうなる前はよく荷馬車に乗ってたし。多分慣れないことしてるから気分が悪くなったんじゃないかしら」

「いやいや、こんな逃亡劇に慣れてるのもどうかと思うけど」


 エンナとスラッツは顔を見合わせて笑った。確かに、こんなことに慣れているのも微妙だ。一体どんな輩だとエンナも自分自身を勘ぐってしまう。

 一頻り笑い合って、スラッツはもう平気そうみたいだなと、にこっと口端を上げた。エンナは息を大きく吸って吐き出してみる。先程より大分気分は違うようだ。笑う余裕も出てきて、エンナは元気に返事をしてみせる。


「んじゃあ、リューリさんが戻ってきてちょっとここで休んだら」


 と、スラッツが日溜まりみたいな笑顔でエンナに話している途中、彼の表情が険しく一変した。


「エンナ危ない!!」


 へ? とエンナが理解できるのを待たずスラッツは彼女を突き飛ばした。エンナは抵抗もせず、寧ろ何をされたのかわからないままに吹っ飛ばされた方へ身体を倒してしまう。

 刹那、鉄と鉄とがぶつかり合う独特の濁音が空気を震わせ響き渡った。


「ぐっ」


 エンナが慌てて身を起こすと、目に飛び込んできたのはスラッツとソードが刃を交える光景だった。何が起こっているのかついていけずエンナは固まってしまう。


 何? どうなってんの?


 スラッツは歯を食いしばって上から掛かる圧力に耐えている。そして、渾身の力でソードの剣を弾き返して、苦無くない彼の腹へ斬りつけようと走らせた。ソードは素早く後方へ跳躍してスラッツの反撃を躱すと剣を構え直す。


「ソードさん、まさか……」


 スラッツは信じられないという目でソードを見ていた。


「えっ、どういうこと?」

「その質問今答えないとダメ?」


 スラッツの凄みの利いた声に負けてエンナはたじろいだ。

 ニコニコと人懐っこい笑みを絶やさないあのスラッツが、目尻を吊り上げて鋭くソードを睨んでいる。敵意に満ちた眼差しは威圧的で、スラッツから発せられる敵愾心に圧倒されエンナまで震え上がりそうになった。

 スラッツはゆらりと立ち上がると、両の手に握られた苦無を持ち直してソードと対峙する。自分に刃を向けるスラッツに、あの穏やかで物腰の柔らかいソードとは想像もつかぬ程の冷眼を送った。その瞳からはソードが何かに怒っているような、私憤が込められているような気がした。

 二人は無言で睨み合ったまま微動だにしない。いや、寧ろ動けないのかもしれない。

 指一本でも動かしたら、先に動かした方が敗者だ――という掟でもあるかのように。

 スラッツとソードと対峙しているわけでもないエンナでさえ、この張り詰めた空気に飲まれ息をするのも忘れてしまう程だった。


 息苦しい間の後、先攻を仕掛けたのはスラッツだった。

 スラッツは低い姿勢のままソードとの間合いを一気に詰めると苦無を横薙ぎに振るう。それをソードは難なく剣で弾き、迫り来るもう一つの苦無は身体を逸らして避けた。振り抜いた勢いを殺さずにスラッツはしゃがむと足払いを仕掛ける。しかし、それを予想でもしていたのか、ソードは跳び上がってそれを回避した。

 黙然と休むことなく繰り広げられる戦いにエンナはただ身動き一つできなくなっていた。まるで劇のちゃんばらでも演じているかのように、二人の動きは先に打ち合わせでもしていたみたいに洗練されている。


「どうしてっ、どうしてですかソードさん!」


 スラッツの苦無とソードの長剣が鉄の擦れる嫌な音を鳴らしながらかち合う。スラッツは苦痛に顔を歪ませて訴えた。

 ソードは何も言わない。沈黙を守ってスラッツを睥睨するのみ。

 悔しそうに下唇を噛んだ。


「信じてたのに――!!」


 今にも泣きそうな叫びを上げると、スラッツの攻撃に激しさが増す。機敏に苦無を操り、ソードに反撃の隙を与えない。スラッツの猛攻にソードは流石に「くっ」と声を漏らした。

 しかし、ソードも負けてはいない。ある程度受け止め、紙一重のところで苦無の切っ先を逃れながら、ソードは一瞬の隙をみてスラッツの脇腹を狙って剣を突き出したのだ。スラッツは危険を察しして後方に跳び退きソードの反撃を寸での所で躱した。

 ソードへ攻めていくかと思いきや。何故かスラッツは苦無を地面に突き立てたのだ。訝しく眉根を潜めたソードだったが、スラッツの手にもう一本在るはずのものがないことに気付いてハッと後ろを振り返る。

 そこには、もう一本の苦無が地に立っていた。


「しまっ」

「<糸縛しばく!!>」


 スラッツの精霊術が発動する。

 地に突き立てた苦無から糸が幾重にも吐き出されるようにソードの口から首、腕、足を、ソードの剣を絡め、苦無が杭の役割でも果たしているのか動けなくしてしまう。苦無は地面に突き刺しただけで引っ張ればすぐ外れそうなものだが、ソードが腕を動かしても不思議なことにビクともしないようだ。

 エンナが呆気にとられその場で座り込んでいると、スラッツは彼女のところへ駆け寄った。


「エンナ、ここから逃げよう」


 エンナの腕を掴んで急かすように引っ張る。だが、エンナは展開の速さについていけなくて、呆けたままスラッツに尋ねた。


「逃げるって何処へ?」

「今は何処でもいいからそんなの! 速くここから離れないと危ない」

「でも」


 エンナは戸惑ってソードの方へ視線を投げた。精神統一でもしているのか、ソードは目を閉じて身動き一つしない。しかし、気のせいだろうか。確かにソードは石像のように動かないが、彼の剣が僅かに振動しているように見えた。若干、光を放ち始めているような気もする。

 それに気付いたスラッツが慌てた様子で強引にエンナの腕を引っ張った。


「エンナ兎に角ここから逃げるんだ! あとでちゃんと説明するから!!」


 半ば途方に暮れたエンナだったが、説明して貰えるならとおずおず立ち上がる。スラッツはやっと耳を貸してくれたエンナに安堵して、彼女の腕を掴んだまま走り出した。

 スラッツに腕を引っ張られながらソードの方にもう一度目を向けると、彼は灰色の瞳をこちらへ厳しく投げていた。

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