6.先見 (1)
「リューリ様、ありがとうございます。とても、感謝します……」
半ば混乱しているエンナを余所に、美少女は涙を滲ませながらリューリに謝意を表する。が、エンナからは決して離れない。リューリはそんな少女に微笑みを浮かべた。
「勿体なきお言葉です」
リューリが恭しく頭を垂れると、ソード、ローズとスラッツも彼に倣う。
熱烈な歓迎をその身に受けエンナが戸惑っていると、もう一人の少女がこちらに近寄ってきた。
「ルージュ様、まずはお座りになりましょう? エンナ様達もかなりお疲れのはず。それに、今のままでは落ち着いてお話もできませんわ」
少女は膝を床について、ルージュと呼んだ美少女の両肩にそっと手を添えて優しく言葉をかけた。
ルージュは、エンナに引っ付いていた身体をやっと起こして、少女の方へ顔を向ける。くりっとした目を瞬かせて、ルージュはとんでもないことをしてしまったといった具合に両頬に手をやった。
「あぁっ、そうですわねっ。すみません、エンナお姉様。わたくしったらつい嬉しくて……はしたない真似を」
しゅんっと顔を俯かせて、沈んでしまっている。
なんて愛らしい子なんだろう。
初対面なのにも関わらず、思わず、その頭を撫でたくなる衝動にかられる。
「わたしなら別に大丈夫だし、そんな気にしないで」
「エンナお姉様……なんてお優しいお言葉」
ていうか、“お姉様”って?
エンナが訝しんでいると、ルージュはふわっと花が咲くように笑った。
ヤバイ、この子無茶苦茶可愛いわ。
エンナもルージュの笑顔につられて、締まりのない笑みを浮かべた。
「さぁ、お二人共お立ちになって。こちらでお菓子でも食べながらお話し致しましょう」
栗毛の少女が二人をそう誘って、やっとエンナは我に返る。
しまった。今物凄く締まりのない顔でいた。
無防備な姿を周囲に晒して、エンナは恥ずかしさのあまり頬を赤らめる。
栗毛の少女はそれを微笑ましく見て、こちらですよと先程ルージュと一緒に座っていた席へ、エンナと彼女二人を導いた。
窓際の椅子に腰をかけ、エンナの向かいの席にルージュが座り、二人の隣に栗毛少女が席についた。
リューリ達は立ったまま待機している。ルージュが座るように促したのだが、彼らは大丈夫だと立ち続けた。ローズとスラッツは、部屋から出て行ってしまっていてここにはいない。
「まずは、自己紹介をしなければいけませんね」
栗毛の少女は、ビスケットやクッキーの入ったバスケットをエンナの方へどうぞとそっと差し出しながら続けた。
「私はマリアベルと申しますわ。宜しくお願い致します」
この人がマリアベル。
エンナはちらりとリューリの方を見た。
リューリはピンと背筋を伸ばし、マリアベル達の言葉に耳を澄ましている。
ふと、リューリがエンナの視線に気付いた。リューリはにこっと笑顔を返してくる。先程までのリューリは何処へやら。その表情から彼の不穏な様子は跡形もなく消え去っていた。
「そして、こちらの方が……」
エンナはその声にハッとなって目をマリアベルの方へ戻す。マリアベルはルージュの方へ視線を送っていて、彼女のことを紹介してくれようとしていた。
だが、ルージュが自分ですると言い出す。マリアベルは嫌な顔一つせず、穏やかに承知しましたとそっと控えた。
ルージュは始め恥ずかしそうにもじもじしていたが、やがてまっすぐエンナを見つめて口を開いた。
「わたくしはウルディアージュ、と言います。皆さんからはルージュと呼ばれてます。エンナお姉様もどうかそのように呼んでくださいね」
「うん、わかったわ。そうやって呼ばせて貰うね。で、わたしは……あー、名乗った方が良い?」
エンナは視線を少し逸らしながら微苦笑する。だって、やはり皆エンナのことを同然のように知っているのだ。正直なところ、自分が自己紹介することに何かの意味があるのか、と疑問に思ってしまう。
ルージュとマリアベルは瞼をぱちぱちと瞬いたが、やがておかしそうにクスクスと笑った。二人共エンナの心情が何となく伝わったのだろう。
「そうですわね、お願い致しますわ」
マリアベルが朗らかに促したので、それならとエンナは手短に名乗った。
「わたしはエンナ。宜しくお願いします。えーっと……」
何処からどう話を切り出そう。
エンナが困ったように口籠もっていると、マリアベルが助け船を出すように口を開いた。
「エンナ様、今回のことはルージュ様がリューリ様達に貴女様を助けて欲しいとお頼みになったのですよ」
「えっ」
この子が?
ということは、リューリ達の尊き方、“あの方”ということ?
“あの方”は占い師と聞いていたし、エンナはもっと大人で妖しい感じの女性か男性かと勝手に想像していた。
それがまさか、こんな幼い子だったとは思わなかった。
しかし、だとすると余計に疑問が残る。何故、ルージュがエンナのことを助け出してくれようとしたのか。何から助けてくれようとしたのか。
エンナが逡巡していると、どうやら何を考えているのか伝わったらしい。ルージュはその疑問に答えるように話し出した。
「エンナお姉様、実はその……」
言い辛そうに目線を忙しなく動かしていたが、ルージュは意を決したらしい。エンナの目をじっと見て決して逸らさない。ルージュのその澄んだ青い瞳に吸い込まれるようにエンナも見つめ返した。
そして、ルージュは口を開いてハッキリと言った。
「わたくしは、お姉様の妹なのです」
突然の衝撃告白。
「……は……?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかったエンナは、間抜けな声を上げてしまった。
何、この子今なんて言ったの。
「ごめん、もう一度言って貰える?」
「あ、はい。わたくしはお姉様の妹なのです」
「妹って、誰の?」
「えと、エンナお姉様の……」
「わたしの、妹……?」
ルージュはこくりと頷いた。
「えっ、待って。ちょっと待って。妹って、えぇえええ? 妹おおお?」
エンナは混乱して目を白黒させた。
妹? この子がわたしの? こんな天使のようでいて、これぞまさしくお姫様! みたいな子が?
「正確に言うと半分だけ血の繋がった姉妹なのですが……あっ、半分っていうのも語弊がありますね」
「いや、いやいやいやっ、待って待って。でもわたしは孤児なわけで……」
「あら、孤児だからとそれは関係ありませんわ。寧ろ、だからこそ可能性もあるのではないかしら」
マリアベルは、エンナの言葉に何を言っているのだろうと不思議そうに頬に手を当てた。
「可能性でしょ? 可能性! だって、こんな可愛い上にどっからどう見てもお姫様みたいなこの子がよ? わたしの妹だなんて信じられるわけないじゃない!」
ルージュははじめ褒められて頬を赤らめていたが、エンナの最後の台詞に肩を落として哀しそうに顔を俯かせた。まるで悪いことをして叱られてしまい、怒られたことや自分がしてしまったことを思って落ち込んでいる感じで、エンナはそれに罪悪感を覚える。
だがしかしだ。ずっと自分には血の繋がった家族、ましてや親戚などいやしないと思っていたエンナ。教会から出たら自分一人の力で生きていかねばならないと決意を固めていた。ところがどっこい。似ても似つかない人から何の前触れも無しに突然、自分の妹だ、などと告げられても何の信憑性も感じられない。そんなこと、信じられるわけがなかった。
「でも本当なのです。わたくしとエンナお姉様は確かに、血の繋がった姉妹なのです。お母様が亡くなる間際、教えてくれました」
「お母さん?」
「はい」
ルージュは何処かに思いを馳せるように一度瞑目した。
「お母様は亡くなる直前、病に伏した床の中からわたくしに教えてくれました。お母様にはわたくしの他にもう一人娘がいて、血の繋がった姉妹がいるのだと。最後に一目で良いから会いたかったと」
声が、出なかった。
喉がカラカラに渇いて上と下が張り付くような感じがする。
つまり、これはどういうことなのか。ルージュの母、エンナの母親でもあるその人のこともどう受け止めればいいのか。
どんな風に話を繋げて、解釈すればいい?
エンナは混乱に混乱して、呆然とルージュのことを見つめた。
「エンナお姉様、わたくしが混乱を招くようなことを言っているのはわかっています。すみません……でも、これは本当のことなのです」
ルージュは瞳を潤ませながら切望した。
「それは、でも……」
戸惑いを隠せず、エンナは狼狽えた。
そんな重大事実を突き付けられて、簡単に受け入れられる人は何人いるだろうか。受け入れられる人、受け入れられない人の比率が五分五分であれ、偏りがあったとしても、エンナは後者の“受け入れられない人”の類だ。そんな容易に頷けるわけがない。
「わたくしの……妹の存在を認めて、とは言いません……」
自分のことを否む発言をしたルージュの声は震えていた。声だけではない。身体の方も少し身震いをしていた。
「ですが、どうか、どうか、ほんの少しでも良いです。信じてください」
ルージュは必死の表情で言い募る。その瞳は不安に潤んで、哀色に沈んでしまった。ルージュの苦悲が伝わってきて、エンナは罪悪感と哀切を覚える。
こんな幼い子になんてことを言わせてしまったのだろう。
自分を否定する言葉を自ら口にするなんて、どれ程辛楚な思いか。
他者にそんな言葉を投げられたら、刃物のように鋭利な凶器になって心が傷つく。なのに、それを自分で言語として口に表現してしまったら? 自分では気付かない意識していない心の奥底で、きっと何かがひび割れて、それが続けばいつかきっと崩れてしまうだろう。
呪術にも似た言をさせてしまったことにエンナは酷く後悔し、己自身を譴責した。
「ごめん、違うの。わたしはそんな難しいことじゃなくて、いきなりのことで実感というか、自分のこととは思えないというか……」
上手く自分の考えを説明できない上、その後が続かない。
酷いことを言わせて、思わせた張本人がむやみやたらに言葉を並べ立てたら、逆に傷つける種になる。
あまりにも言葉も知らず、経験も浅い自分自身にエンナは呪いたくなった。
でも、これだけは伝えなくてはいけない。
「兎に角、わたしはルージュを信じるわ」
ここまで言ってくれて、喜色を称えながら瞳を涙で潤すルージュが人を騙すような嘘をつくとは到底思えない。
第一、この子は恩人なのだ。面識もないのにエンナがただ“姉”だからという理由で助けてくれようとした。
それだけで十分ではないか。疑う理由なんてどこにもないし、ないに等しい。
ルージュは嬉しそうに表情を綻ばせると、ありがとうございます、と小さく呟く。ルージュの健気な姿にエンナも自然と微笑みを浮かべた。
あぁ、この子は純真でとても優しい子なのだろう。きっと、いや、間違いなく皆から慕われ愛し愛される子だ。だからリューリ達は、ルージュのことを尊いと表現し、敬愛しているのだ。エンナもルージュのことをこのほんの少しの会合にも関わらず、愛しいなと心の片隅で蝋燭の光が灯るように温かく思えた。
ルージュになら、何だか安心して次の疑問も聞けるような気がする。
「それで、ルージュは一体わたしを何から助けてくれようとしていたの?」
「それは……エンナお姉様、どうかお気を悪くなさならいでくださいね」
ルージュは神妙に顔を曇らせる。彼女の意味深な言葉にエンナは静かに頷いた。
「実は、お姉様は……二日前に亡くなってしまうはずでした」
エンナは、あまり動揺はしなかった。大体、何を言われるのか予想はできていたのだ。今までの経緯から自分の命が狙われているのは明白だったし、きっと生死に関わることだろうと思っていた。だから、自分が二日前に死ぬ予定だったと言われても、モヤモヤと思い悩んでいたことがハッキリ見えてスッキリする程だ。
勿論、それで怖いという念が拭えたわけではないが。
「それは他殺ってことよね」
「はい……もし、わたくし達が何も行動を起こしていなければ、確実にお姉様の命は奪われていました」
となると、森の中を逃亡している時に遭遇したグラなんとかって人の一味に殺されていたのかもしれない。
そう思ったら一瞬、背中に悪寒が走った。リューリ達にあそこで助けて貰わなければ、エンナは今この時、既にこの世にはいなかったことになる。指先から身体の体温が一度ばかり下がったような気がした。
エンナはその恐怖心を拭い去るように首を振って喋り出す。
「で、それをどうやってルージュは知ったの? 国一の占い師って聞いたけど、やっぱり占いで?」
国一だなんてと照れながら、ルージュは頭を縦に振って肯定した。
「エンナ様、ルージュ様の占いは本当に凄いのですよ。何せ、占った結果は百発百中ですから」
「そ、そんなマリアベル様、そんなことありません……」
更にマリアベルが褒め称えると、ルージュは顔を真っ赤にさせて縮こまってしまう。その反応が初々しくて、何だか可愛らしかった。エンナも、マリアベルも、リューリやソードも、皆微笑ましく口元を綻ばせている。
そこで、マリアベルは良いことを思い付いたといった具合に手を合わせた。
「ルージュ様、今エンナ様の占いをして差し上げては如何でしょう?」
「今、ですか?」
「はい、やはり実際に見て頂いた方が一番良いと思いますわ。それに今後のことも気になりますし」
「そうですね、それは良いかもしれません。えと、エンナお姉様が宜しければ、ですが……」
遠慮がちにルージュがエンナに視線を送る。エンナは数度瞬いてから言った。
「わたしは一向に構わないわよ。占いって結構興味あるし」
エンナも他の女の子達同様占いは好きな方だった。よく女の子同士の話題にもなっていたし、特に恋愛ものの占いは面白い。自分はいいとして、他の子の話を聞くのは楽しかった。
「それでは決まりですわね」
マリアベルは両の掌を合わせウキウキと楽しそうにしている。エンナと同じく、彼女も占いが好きなのだろう。
話が纏まると、見計らったかのようにソードがお菓子の入ったバスケットを退けた。そこへ、リューリがテーブルの上に水盤を置く。直径三十センチ程度で底が浅く、水が張ってあった。ルージュはリューリとソードにお礼を言うと、どこからともなく円状の鏡を取り出す。それを水盤の中へそっと静かに沈めた。
マリアベルはリューリに部屋の明かりを消すように頼む。リューリは一つ頷いて、パチンと指を鳴らした。部屋の中が一瞬のうちに薄暗くなる。
部屋が暗くなるとルージュは目の前のカーテンをそっと開けた。外はもう夜が支配していて、星がキラキラと輝いている。月が水盤の水面に映り、水と鏡に反射して淡く煌めいた。
月の光が水面に浮かんでいるのを確認して、ルージュは両の手を水に浸す。
今から何が起こるのかと、エンナは興味津々に見守った。こんな風に本格的に占って貰うなんて初めての経験なのでドキドキする。
ルージュは目を閉じた。
「アルディ、ミラ」
ルージュの掛け声に答えるように、彼女の側に少女のような姿の小人と見たこともない動物がエンナの目に映った。でも、それはほんの一瞬のことで、幻だったのではないかと思う程すぐに空気と同化して消えていってしまった。
その後、ルージュの髪が、ドレスの裾がふわっと揺れ動く。風なんて吹いていないのにも関わらず、そこだけ下から微風が吹いているように、ふわふわと動いた。形容しがたい不思議な光景だ。
ルージュはそっと蕭やかに半分だけ目を開けた。その瞳は虚ろで、焦点があっておらず何処を見ているのかわからない。
「――周囲を欺き潜む者 ついに刃を向けて 背を向ける
駆け抜けた先 沢山の闇の中 かの人 隠れた真が告げられよう
月輝く夜 それは優しく包むでもなく ただただ冷たく心傷つける
でも どうか絶望しないでと 寄り添うように花が頬撫でる時
かの人 それを信じて手を取れば 檻の中から抜け出せるだろう――」
まるで、ルージュではない人が彼女の中に入って喋っているようだった。声も若干低くなって、随分と大人びて聞こえる。
そこまで言って、ルージュの顔が曇りだした。手が震い始め、水面が細かく波紋している。
「あぁ、そんな……いや、いや……」
ルージュは喘ぐように声を漏らし、悲痛に顔を歪めて首を振って嫌がる。一体どうしたと言うのか。
マリアベルもルージュの様子が心配で、ルージュ様? と呼びかけている。
「いやー!」
「ルージュ様!?」
ルージュは濡れた手のまま顔を覆うと、金切り声で叫んだ。
「エンナお姉様ー!!」
ふつり、と糸が切れたみたいにルージュの身体から力が抜ける。彼女の身体が傾いて倒れ込んでしまうところをすんでの所でリューリが受け止めた。マリアベルは血相を変えて、椅子から立つとルージュの肩を軽く揺さ振って彼女の名を呼びかけ続ける。
ソードは、これは大変だと部屋の外へ出て行った。きっとローズ達に知らせるためだろう。案の定、すぐにスラッツが部屋に入ってきて、慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。
「ルージュ様どうしたんですか?」
「悪い夢を見てしまったんだと思う。大丈夫、只の失神だから。兎に角、ルージュ様を急いで寝室へ」
リューリはルージュの横抱きにして、軽々と持ち上げる。ルージュの身体は華奢で小さいとはいえ、まさかリューリがこんなに力持ちとは思わなかった。やはり、彼も見た目に反して男なのだ。
エンナは何をどうすれば良いのかと、突然のことについていけず、ただ呆然とルージュが連れて行かれるのを見守っていた。