4.変調 (1)
スラッツを新たに加えた一行は、それぞれの馬に乗ってのんびりと街道を歩いていた。
朝日も随分昇り、人々ももう起き出して忙しく動き出している時刻だ。
「さて、時期を逃してなかなか話せなかったが、俺達のことを言っておこう。こうしてゆっくり話せる機会もないと思うしな」
ローズとエンナの馬と並ばせて、シェルがエンナに声なき声を掛ける。待ってましたと言わんばかりの勢いでエンナは素早く反応した。気になって気になって仕方なかったエンナにはありがたい申し出だ。
「まずは俺達のことだが……俺達は軍人だ。軍人でも精霊騎士という身分の」
「精霊騎士……ってあの精霊騎士!?」
シェルの言葉を反芻して、エンナは目を丸くした。
精霊騎士は、この国、フェアデルフィア切っての精鋭騎士だ。他の兵や騎士達と違い、精霊術を駆使しながら剣を振るう国の守護者。王室を守る近衛部隊も精霊騎士達で編成されていることが少なくない。要はエリート中のエリート。
しかし、精霊騎士と言っても精霊使いには変わりなく、人々から畏怖される存在だった。それは精霊使い以上に、ある意味魔物以上に、恐れられ、敬遠される。
が、ここ近年では、彼らは人々の憧れの的になりつつもあった。何故なら、とある小説の影響だ。ディアナ・アクリーネという作家が精霊騎士を題材に書いた『精霊騎士物語』と『妖精の花園』という小説が原因である。そのロマンス溢るるストーリーと心を揺さ振る描写は、人々の心、特に女性の心を鷲掴むのに十分だった。
はじめは貴族間だけに読まれていたものだったが、あまりの人気っぷりに一般人にも出回るようになった。そして今、前者は乙女のバイブル、後者は裏乙女のバイブルとまで言われる程の爆裂的な人気を誇っている。
エンナもディアナ・アクリーネの熱狂的なファンの友人に前者の方を借りて読んでみたが、面白すぎて出版されている巻まで一気に読んでしまった。後者の方は、嵌ったら本当にこれはヤバいから、と何故か友人は貸してくれなかったので読んだことはないが、こちらも『精霊騎士物語』に負けず劣らず凄いらしい。
「えぇ、嘘でしょそれ!?」
あの小説のおかげで、少なからずエンナも精霊騎士に憧れを抱いている一人である。それが正に目の前にいると言われても信じがたい事実だった。目をぐるぐるさせて額を押さえる。
「ここで嘘を言っても仕方ないだろう」
「だ、だってそんな、信じられない。そんなどえらい人達がなんで」
「リューリが言ってただろう? とある方の頼みだと。これからエンナが大変なことになると予見してな。それから救い出さねばと考えた結果、俺達に守るよう命じられたんだ」
エンナは混乱している頭で必死に考える。
「それがまたわからないわ。そのとある方っていうのは、聞いてると結構偉い人そうだけど、その人がなんでわたしを? わたしその人のこと知らないし、接点なんてないと思うんだけど」
シェルはそこで無言になってしまう。
「ちょっと、何その気になる間は」
「いや、まぁそれについては本人に聞いてくれ。俺達も口止めされているしな……自分で正体を明かしたいそうだ」
納得のいかないエンナは、目を据えて「ふ〜ん」と相槌を打った。何だか物凄く怪しい。
エンナが疑わしく思っていることに気付いて、シェルは少し考える素振りを見せた。そして、言葉を選ぶように口を開く。
「ただ、そうだな……明かせるとしたら、国一の占い師、ということくらいだな。それ以上は俺達の口からは言えない」
「へぇ、国一の……なんか益々わからなくなったわ」
エンナは頭痛を覚えてこめかみの部分を押さえた。エンナに占い師の知り合いなんていない。
「因みに、なんでわたしが」
「すまないがその質問には答えられない」
エンナが言い終わる前にシェルはきっぱりと断った。何を聞こうとしたのかわかったのだろう。それでも、そんな言い方はないではないか。エンナは口を尖らせてた。
「聞き終わらないうちにそんな風に言わなくてもいいでしょ」
「別に聞かなくても予想はできる。何が大変なのか、何故狙われているのか、それが聞きたかったんだろう?」
全くその通りでエンナは言葉に詰まった。
「そこのところは、易々と言える問題じゃないんでな。申し訳ないが諦めてくれ」
「狙われている当事者なのに……?」
シェルは無言で頷く。
狙われているのにその理由すらわからないまま逃げ続けなければならないのか。そう思うと、また不安と恐怖と苛立ちがエンナの中で募った。
「酷い話ね」
八つ当たり気味にエンナがシェルを責めるが、彼は何も言わず只目を少し伏せるだけ。シェルの静かで落ち着き払った態度が逆にエンナの気を逆撫でさせてまた焦心する。
「貴女……!」
シェルを睨んでいると、見かねたローズがエンナの方へ振り返って咎めようとした。
「いい、ローズ止めろ」
「しかしシェル様……!」
「確かにエンナの言う通りだ。自分は狙われているのに、その理由も明かされないままこのまま逃げ続けろと言っているんだからな。責められて当然だ」
そのシェルの大人な対応が更にエンナの苛立ちを増長させた。まるで、全てを受け入れるという、その余裕さ加減が気に食わない。
「アンタも、それからリューリも、本当にむかつくわ」
ローズが息を呑むのがわかった。
こうなったらローズに責められようが鞭で叩かれようが知ったことか。
「えーっと、まぁ兎に角さ〜」
重い空気の中、どうにか流れを変えようとスラッツが無理矢理話に入ってきた。スラッツは一度咳払いをして言葉を続ける。
「そんな感じでオレ達は精霊騎士なわけです」
かなり無理のある結び方だった。
「なんですの、その締めくくりわ」
「いいじゃん。結局はそういうことなんだからさ」
でも、スラッツのおかげでその場の雰囲気は和らいだような気がした。
不機嫌に睨むローズにスラッツは戯けて笑う。
「ってなわけでエンナ、ついでだし守護使について説明してやるよ。宿で答えてあげられなかったし」
気になってたろ? と人懐っこい笑みを浮かべてスラッツはエンナに問うた。
「そうね、お願いするわ……」
流石のエンナも少しの罪悪感を覚えていたので、スラッツの申し出はありがたかった。この煮え切らない自分の気持ちを紛らわせる意味も含めて快く受ける。
スラッツはエンナの答えを聞いて満足気に笑みを広げた。
「宿で税金の話をしてただろ?」
「あぁ、うん。あそこの町長が税を払わないだのっていう」
「そっ、本来ならその仕事は、文官である税務官達のものなんだ」
と、スラッツは話し出す。
軍人は、大抵税吏が地方に訪問する際の護衛をすることが仕事で、介入するなんてことは滅多にない。ましてや精霊騎士なんかは普通の兵士、騎士よりも税務なんてものには関わり合いがなく、魔物が多く出る危険区域には護衛として一緒に行くこともあるが、それでも付き添いの人数は一人か二人くらいだという。でも、今回は税吏抜きで、しかもスラッツ達、精霊騎士だけで徴収しに行ったらしいのだ。
「ふ〜ん、そしたら今回のってなんか特殊なのね」
「その通り! 精霊騎士が督促するってことは、政府の最終手段でもあり、最終警告を意味する。これ以上納めるのを遅らせると、どうなるか知らねぇぜってな感じで。こんな風に精霊騎士が介入して派遣されることを守護使っていうんだ」
適当に相槌を打ちながら聞いていると、ローズは気に入らなさそうに鼻息を荒くした。
「全く不愉快ですわ。只でさえ精霊騎士は人手不足ですのよ? そのようなことに手を回している暇なんてありませんのに。税務官達で解決すれば良いものを……ハンデル様もハンデル様ですわ。本当に人使いが荒いというか、落ち着かないというか」
「それは仕方ない。あのお方は仕事ができる分ちょっとのことでも見過ごせないからな。特に今回は公租が絡んでたわけだから神経質になるのもわかる」
シェルがハンデルという人のフォローを入れるが、ローズは納得のいってなさそうな顔だ。
「それにしましても、そう軽々しく守護使制度を使わないで頂きたいものですわ」
「確かにな」
シェルもその意見には同意のようで軽く頷いた。
どうやら、精霊騎士の彼らにしてみると、守護使制度は良い迷惑といったところで、あまり快く思われていないようだ。
エンナには遠く離れた話しすぎていまいちピンとこないが、それくらいはわかった。
「にしても、あの町長の慌てようは滑稽だったなぁ」
と、先日のことを思い出してスラッツが空を仰ぎつつ言った。
急に話が変わったので、ローズもエンナも眉を潜める。シェルは表情を崩さず、ちらっとスラッツを見ただけに終わった。
「いきなりなんですの」
「いやさぁ、あそこの町長さん。オレ達が突然現れたもんだからスンゲー顔青くして、腰まで抜かしちゃってさぁ。仕舞には化け物呼ばわれまでされちゃって……まっ、本当に化け物だから仕方ないけど」
スラッツは皮肉の混じった笑みを浮かべた。スラッツの発言にローズの顔色が少し悪くなる。
「スラッツ、貴方なんてことを……!!」
「だって実際そうじゃん。オレ達、人であって人でないんだから」
嘲笑気味にスラッツは口にする。
それは一体どういう意味なのだろう。
精霊使いが“化け物”と表現されることは知っていた。しかし、エンナはどうしてそのように言われるのか詳しくは知らない。エンナが暮らしてきた教会や近くの村、町では、精霊使いに対してそこまで嫌悪を示してはいなかったし、彼女自身そこから他の所へ出掛けたことがないので知らないのも無理はなかった。
それに例の小説。精霊騎士を題材にしてはいるが、精霊騎士についても、精霊使いがどういうものなのかということでさえ記述はあまりされてはいない。恋愛が主体なだけあって、その辺りは不自然じゃない程度に省いているのだろう。または、自分なりにアレンジを加えているか、だ。
だから、他の地域で色々と悪く言われているのは、漠然的に彼らが普通の人とは異なる力を持っているからだろうとエンナは思っていた。
が、彼らの反応からして、もっと深い何かがあるのかもしれない。
「スラッツ、言葉が過ぎるぞ。ここでは控えておけ」
シェルは至って冷静に、そして静かに窘める。スラッツは頭を掻きつつ気のない返事をした。スラッツの態度にローズはむっと顔を顰める。シェルはそれに対して気にしていないようで、前を向いたまま何も言わない。
「ところでシェルさん。聞いてなかったんですけど、リューリさんは? それに、今どこに向かってるんですか?」
スラッツはローズの反応には気付かないふりをして、シェルと馬を並べた。
すると、益々ローズの機嫌は悪くなっていく。また今朝のような変な気を纏い始めて、スラッツを見ていた。エンナはそれが怖くて、できることなら馬から降りてローズから距離を置きたいと思った。
「あぁ、リューリとは別行動でな。二日後にロロの噴水の前で落ち合う約束をしている」
「そうだったんですか。成る程」
が、それでもスラッツはローズの不穏な空気に素知らぬ顔で、シェルの答えにただ納得と頷いた。
誰か助けて下さい。
エンナは、ローズにまとわりつく黒い気にあてられながら、切実に願った。