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第5話 燻る熱

「っ……まだか……?」


 私に牙を立てられたまま、レオンが小さくうめいた。

 私の意識が瞬く間に過去から今へ戻ってくる。

 もしかしたら、知らずのうちに深く牙を立てすぎてしまったのかもしれない。

 私は彼をなだめるべく口を開いた。


「良い子だから、もう少し大人しくしていて」

「……良い子だから、がっつかない上品な食事を覚えてくれ」

「『子』? あなたより大人だわ。見た目だけで物を言わないで」

「見た目だけじゃない。君は事実、この屋敷の中のことしか知らない子どもだ。それに……俺は、もう君に抵抗できない子どもじゃない」


 レオンの低い声が振動となって私の体に届いて、びりびりする。

 どきどきも、する。病気かもしれない。でも妙に心地いい。

 だから、生意気な発言は聞き流してあげることにした。

 唇についた血を舐めとって、食事を終わりにする。


 彼はボタンを留め直すと、残りのコーヒーを一気に飲んだ。


「それ……変な服ね」


 私は改めて彼の格好を見て、そう言った。使用人のような、色の少ない服。

 けれど使用人のシャツやズボンと違って、ある種の優美さがあるわけではない。

 襟元がしっかり詰まっていて、窮屈そうだ。

 胸元に光る銀色の十字架だけが、やたら存在感を放っている。父親の形見だと言っていた、小さな十字架とはまた違うものらしい。


「最近の流行りだ。アンネは知らないだろうけど」


 冗談めかして答えるその声が、少し硬いような気がする。

 でも、私は気づかないふりをした。


「……俺はそろそろ寝るよ」

「そう。じゃあ、いつもの部屋を使って」


 外はそろそろ朝を迎えるはずだ。

 この光が届かない屋敷にいるときだけは、レオンも私と同じ生活をしてくれていた。


「レオン」彼が部屋を出ていく前に、そう呼びかける。

「しゃがんで」


 これは、もうひとつの『儀式』だった。

 私は爪先立って、しゃがんだレオンの額にそっとキスを落とす。

 私もレオンも、よく眠る間際に孤独に襲われた。孤独は恐怖につながり、恐怖は悪夢を呼び込む。だからこうして悪夢を退けるのだ。


「おやすみなさい。良い夢を」

「ああ」


 レオンが眉根を寄せて、少し照れくさそうな顔をする。

 私はそれをまた美しいと思い、少し悔しくなった。

 

 自慢の艶やかな長い髪に櫛を通し、やや大きすぎる天蓋付きの寝台に横になってからも、私の頭はレオンに占領されていた。


 彼は、私を置き去りにして美しくなる。

 たくましいその体と、時折私を射抜くように見つめる瞳に動悸を感じるのは、きっと恐怖から来るものだ。一緒に過ごしていると、何か大切なものを奪われてしまうのではないかと妙な不安に駆られる。


 そのくせ、年に一度やってくる彼を心待ちにして、毎日を過ごしてしまうのだ。あの甘い血には、何か中毒めいたものがあるに違いない。小鳥のそれよりもずっと甘美に、私の空腹を満たしていく。


 最初に屋敷で共に過ごした1年、私は彼の姉だった。

 自分よりも小さな存在を前にして、慈しみの心を抱き、精いっぱい面倒を見てきたはずだ。

 それなのに、彼はここ数年、私をまるきり子供扱いする。

 私としては、つい先日拾った子犬が、瞬く間に獰猛な獣に育ったようなものだった。

 これは単純に、吸血鬼と人間の生きるスピードが違うからだろう。


 ゆっくりと変化し、長い寿命を生きる私達と、刹那の時間を生きる人間。

 人間は、内面も外見も、あっという間に変化してしまう。

 だからこそ、私は彼の些細な変化も見逃さないように、彼の言葉に耳を澄ませ、彼の姿を観察する。

 表情の変化や声の調子から、誤ることなく感情を汲み取り、去年との変化を見逃すことのないように。

 

 ――だから、私はもちろん知っていた。彼は今日、吸血鬼を殺すための銀の刃を隠し持っていることを。


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