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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

終末、されど安寧が続く限りは永遠なり。

作者: 名枝掛


「おはようございます。お嬢様。ラッセル様がお見えです」


 カーテンの隙間から差し込む温かい光に誘われて、いつの間にかソファの上で転寝をしていたらしい。

 ポーンという軽快音が鳴り、機械的な音声が頭上のスピーカーから流れてきた。

 それを聞いていた少女は待ちに待っていたと大変うれしくなって、思わず座っていたソファの上で飛び上がった。ぎゅむぎゅむとソファのきしむ音がする。


「こら。ミシェル。淑女はそんな真似はしないものだよ。……幼女ならばするけどね」

「ラッセルお兄様!!」


 いつの間にか開かれた扉のそばに、少女の愛しい兄――ラッセルが佇んでいた。今しがた飛び跳ねていた姿を見られた少女・ミシェルは恥ずかしそうにソファから降りる。


「ああ。髪が崩れてしまったね。丁度良い。ミシェルに新しい髪飾りを買ってきたんだよ」


 恥ずかしそうにもじもじしているミシェルを愛おしそうな目で見つめながら、ラッセルは彼女に贈り物があるとソファに近づいてきた。

 胸元のポケットから取り出したのはふわふわな白い羽のバレッタ。俯きながらも兄の持つバレッタが気になるのか、ミシェルはちらちらと様子を窺っている。


「……うん。やはりミシェルによく似合うと思ったんだ。僕の可愛い天使」

「わあ……! お兄様、ありがとう!」


 良く似合うと言いながらバレッタを妹の髪に飾り、彼女に手鏡を渡した。兄から手渡された手鏡で、バレッタを確認すると白い羽の他に小さな桃色の花も付いていることに気づいたミシェル。

 その花が彼女の一番好きな花だと知り、ミシェルは満面の笑みを浮かべた。


「今日は何をしていたんだい?」

「今日はね、先日お兄様に頂いた本を読んでいましたの! 素敵な描写の、素晴らしい挿絵がある本よ」

「ああ。『サナータと妖精の民』だね。気に入ったみたいでよかったよ」

「本当に素敵なのよ! 中盤にあるサナータと妖精の再会の場面なんて特に私大好きで……」


 ミシェルの隣に腰かけ、彼女に今日は何をしていたのか尋ねるラッセル。そんな彼にミシェルは先日彼から贈られた書物の事を語りだした。

 『サナータと妖精の民』という本は現在王都で人気な恋愛小説のタイトルだ。サナータという森にすむ少女がある日森に迷い込んでくる雲の妖精と出会い、彼の住まう雲の国へ旅に出るという冒険譚と恋愛が絡み合う物語になっている。

 ミシェルが中盤のどこどこが好き、と言うことはもう読み終えたのだろうなとラッセルは察した。


「では昨日夜更かしもしたんだね?」

「ええ! あ! いいえ、違うのよお兄様!」

「おや。違うのかい? 本が大好きなミシェルが夜更かしをしないこともあるんだね」

「……ううん。違わないわ。私、昨日夜更かしをしてしまったの……。お兄様に怒られてしまうと思って、嘘を吐いてしまったの。ごめんなさい」


 しょんぼりしてしまったミシェルにラッセルは優しく微笑んだ。


「怒ってなどいないよ。ただ、あまり夜更かしをしてしまうと、またミシェルの体に負担が掛かってしまうことを心配しているだけさ……」


 先日も熱で倒れてしまっただろう? とラッセルが問いかけると、ミシェルは静かに頷いた。申し訳なさそうに眉を下げるミシェルの頭をラッセルはそっと撫でる。


「ミシェルが自分で分かっているなら、僕もこれ以上は言うつもりないさ。ただ、そうか。夜更かししてしまったなら……続編はまた今度にしようか。今日持ってきたばかりの新作なんだけども」

「! お兄様! 私今度こそ夜更かししませんわ! お約束いたします! だから今しがた隠したその続編を……『サナータと雲の妖精王子』を読ませてくださいませ!」

「あははははっ! ミシェルは本当に本が好きだね。ちゃんと夜更かししないと約束できるなら……はい。続編だよ」


 上着の内側にこっそり隠していたその本をミシェルに手渡した。淡い水色の表紙に主人公である少女と王子だろう妖精の姿が描かれている。

 大好きな本の続編に目をキラキラと輝かせたミシェルは、大切そうに本を抱きしめた。


「ありがとうございます、お兄様!」

「どういたしまして、僕の可愛いお姫様」


 ミシェルはラッセルのこのとろけるような笑みが大好きだった。兄が妹を本当に可愛がっていると言っても過言ではない、この笑みが。


「ミシェル、もう少ししたら僕もこの屋敷に帰ってこれると思うよ」

「まあ! 本当ですの!? お仕事は、大丈夫なんですか?」


 ラッセルはミシェルが知り得ないけれど、いつも忙しそうにしていた。だから兄妹とはいえあまりラッセルに会えていないのだし、ミシェルもわがままは言わないようにしていた。

 それなのに突然帰ってこれるという。いったい何があったのか。

 そんな考えがミシェルの表情にありありと出ていたのか、ラッセルは面白そうに噴き出すように笑った。


「別に仕事を打ち切られたわけではないよ、はは。ふっ、ちょうど見切りが見えてきたってだけで」

「そう、なんですの……? では、お兄様とまた一緒に暮らせるんですか?」

「ああ。そうだとも。これからはずっと、いや……これからも一緒だとも」


 ラッセルの言葉にミシェルは本を貰った時以上に嬉しそうな顔をした。

 大好きな兄が今まで以上に共にいてくれる、こんなに嬉しいことがあるのかというようにミシェルの表情は輝いているようだった。既にラッセルとしようと決めていた諸々の計画について、あれやこれやと語り始めている。

 対し、ラッセルは何処か悲し気な笑みを浮かべていた。ミシェルの頭をそっと撫で、彼女の話を静かに聞いていた。


「ねえ、お兄様!」

「なんだい、ミシェル」

「私、とっても楽しみで、お兄様と過ごせるのが嬉しいです!」

「ああ、僕もだよ。ミシェルと一緒に居るだけでも本当に幸せだよ……」


 互いが互いを尊重している兄妹の穏やかな雰囲気の中、ポーンという軽快音が頭上から響いた。


 ――ラッセル様、至急中央センターまでお越しください。


「おっと。呼び出しを食らってしまったみたいだ」

「まあ、では早く向かいませんと!」

「ああ、でも……うん。すぐに帰ってこれると思うよ」


 ラッセルの仕事の件なのか、慌ただしくも落ち着いて行動し始める兄をミシェルはいつものように送り出した。


「行ってらっしゃいませ、お兄様!」

「行ってきます、ミシェル。良い子で待っているんだよ」





 ――おかえりなさいませ、ラッセル局長(・・)終末医療機関(・・・・・・)中央センター、アナウンスはAIミカエルがお送りしています。

 ――人類補完計画開始まで残り後三日となっております。他全人類の脊髄データ保管終了、肉体の廃棄完了、全システムバックアップも随時終了致します。残るはラッセル局長のみとなっております。指示をどうぞ。


 透明な形のカプセルの蓋が開き、僕はゆっくりと体を起こした。シンとしているこの部屋の惨状にももう慣れてしまった。

 過去の血だまりももうない。酸素にさらされて黒くなって、薄くなってしまったのだから。

 この星が人が住めない星になってしまうと、二年前に気づいてから多くの事があった。ヒトのまま自殺するもの、誰かを道連れにして殺すもの、大金を渡してくるもの、ただ嘆く者、ギリギリの今まで動いた者。

 僕は今まで動いた者の中でも最後の存在だ。今この星に僕以外の人間はいない。皆、僕らの創った終末医療機関という世界規模のヴァーチャルワールドに脊髄データだけ移管して肉体を廃棄したのだから。

 そして、僕も。もう間もなく肉体を棄てる。ずいぶん前に亡くなった妹が、妹が遺してくれていた脊髄データが健気に僕を待っているのだから。

 だけど、ああ――独りで逝くのはとても寂しいことなんだな。

 僕は、最後にこの星の、今を見た。荒廃した世界は静かで、音がない。さようなら、僕らの星よ。今までありがとう、最期まで一緒に居てくれてありがとう。

 僕は今一度透明なカプセルに横たわる。そして今度は言うのだ。


「ラッセル・エンドの脊髄データ回収及び世界への転送、計画完了後ラッセル・エンドの肉体を廃棄」


 ――了承いたしました。今まで大変お疲れさまでした、ラッセル様。どうか貴方も安らかな夢を。――


 カプセルの蓋が閉まっていく。それと同時に永眠剤ともいえる睡眠ガスがカプセルの中、僕の視界を覆っていく。AIミカエルの労わる声を聴きながら、僕の意識はゆっくりと遠のいていった。

 




「――ただいま、ミシェル。僕の大切な妹」

「! おかえりなさい、ラッセルお兄様! これからはずっと一緒ですよね?」

「ああ、勿論。ずっと一緒だよ」


 僕らの創った機関が亡くならない限り、ヴァーチャルワールドの中でなら僕はこれからも生きていけるのだから。

 この妹が、あるいは僕以外の人類が、自らはもう死んでいていないのだと気づかない限り。このヴァーチャルワールドは有り続け、僕らはずっと生きていく。

 僕が何も告げなければ、誰も星の事も何もかもを思い出さないで幸せに生きていく。

 それでいい。

 すべてを知っているのは、最期にヒトとして残っていた僕だけでいい。


 ――独りでいるのはもう、たくさんだ。



 

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