平和な日々
孝之は父親が居なくなっても平気だった
むしろ居ないほうが良いと思っていたし嫌いだった。
父親だとは認識していたが、心の繋がりはなく
いつまでも熊本に現れた時の「おじちゃん」のままだった。
親父が出て行ってからが、本当に平和な日々が訪れた。
お店の景気は大変良く、連日団体さんが訪れ
お座敷も毎日のようにあって忙しく
夜遅くまで賑わっていた。
店の奥が住居スペースになっていたので
お客さんの決して上手くはないカラオケが聞こえてきたり
酔っぱらいの声、喧騒が毎日のように聞こえていたが
すぐに慣れた。
お店は夕方から忙しく、晩御飯の用意が出来ないときが多々あった
そんな時は近所のお店で晩御飯を食べることになる
お寿司や、焼き肉、ときには喫茶店のスパゲティーそれが夕食になった。
どのお店も行きつけなので、孝之が一人で行っても
「孝之、今日は何を食べる?」
と店の主人、店員さんが声をかけてくれる。
特に週末、連休前が忙しかった。
「孝之、今日も忙しいからご飯たべてきて」
とお店の女の子の着付けをしながら
大きな声で叫んでくる。
「わかった、行ってくるー」
と近所にあるお寿司屋さんに走りカウンターに座る。
寿司屋の大将も心得たもので
お寿司をすぐに握ってくれる。孝之の好物はマグロだ。
まるで小さな社長である。
小学生低学年の男の子が寿司屋のカウンター席に
一人座って寿司を食べている姿は
どんな風に見えていたのだろうか?
お店が休みの日は、母親と一緒に温泉や
映画を見に行ってその帰りに買い物へ行ったり
その当時、フィンガー5という沖縄出身のグループが人気で
ボーカルのアキラが掛けていた
サングラスが欲しく、母親にねだって買ってもらい
似合いもしないのにかけたりしていた。
その当時、欲しいと思うものは大体買ってくれた。
ただし、高いものは(電子フラッシャー付きの自転車とか)
さすがに買ってはもらえなかった。
又、よくスナックへ来ていたお客さんで
水族館で働いているおじさんと顔見知りになり、
そのおじさんの顔でタダで水族館へ友達と一緒に
遊びに行ったりもして不自由のない、
傍から見たら少々贅沢な生活を送っていたと思う。
ただ父親の関係は完全に切れていた訳ではなく
父親からのお金の無心は続いていたらしい。
母親は孝之がいる手前完全に無視することもできず
お金を送っていた。
そんな感じで、小学校時代は過ぎていった
しかし、そんな人生で唯一
一番幸せだったその生活も終わることとなる。