二人目の母親
勝手口から狭い通路を奥へ、突き当りは狭い庭になっていて、
縁側の奥が居間になっていた。
父親に連れられて縁側から部屋に上がると
着物を着た数人の女性と洋服の女性が一人いた
洋服を着た大柄な女性が孝之のもとへやってきて
「疲れたでしょう、さぁこっちへいらっしゃい」
その言葉が合図のように孝之は泣き始めた、
祖父に怒られた時もこんなに泣いたことはなかった
なぜ、孝之は泣いたのか分からなかった。
多分、知らない場所、知らない人達に囲まれ
それまで、抑えていた不安な気持ちが抑えきれなかったのかもしれない。
孝之は、泣き疲れてそのまま寝てしまった。
その家は女性がお酒を提供する場であり
いわゆるバーとかスナックと呼ばれるお店であった。
着物を着た女性たちは、ここスナックの従業員で
近くのホテルから要請があるとホテルの宴会場へ出かけていく
今でいうところのコンパニオンも兼ねていた。
着物の帯に、店の名前が入った栓抜きを差してお店をアピールし宴会がお開きになると二次会は自分のお店へ連れてくる
連れてくると一人に付き幾らかのボーナスが貰えるシステムだった。
そして洋服の大柄な女性が孝之の二番目の母親だった。
一人でお店を切り盛りして店の女性たちからは「ママ」と呼ばれていたが、
それが不思議と違和感なくみんなの「ママ」だった。
歳はおそらく30台後半位、身長も父親と変わらないくらい大きかった
夜の仕事のせいなのか化粧は濃く、的確にお店の女性たちに指示を与える姿は頼もしいものがあった。
お店の従業員は、4名女性とバーテンさんと呼ばれていた男性1人それと「ママ」
父親はその当時から何をしているのか分からなかった。
父親から「孝之のお母さんだから、お母さんと呼んで良いよ」と言われたが、
いきなり「お母さん」と呼べるはずもなく
しばらくは皆が呼んでいた「ママ」と言っていた気がする。
今考えると「お母さん」と「ママ」は道義なのだが
「ママ」は自然と口からでるようになった。
孝之がその家に馴染むまではそんなに時間はかからなかった。
いつも一緒にいてくれる「ママ」がいる
初めての経験であったが孝之には嬉しかった。
自分の事を可愛がってくれる
お店がどんなに遅くなっても朝ご飯はちゃんと作ってくれる。
いつのまにか、「ママ」から「お母さん」と呼ぶようになっていた。
お店は、三重県の有名な観光地にありその当時お店は大変繁盛していた。
景気が良かったのか、毎日のようにお客さんが来たし、
お店の女性従業員のコンパニオンの仕事も忙しかった。
当時は「お座敷」と言われていたが、
結構な頻度で宴会場へ出かけて行った。
「お座敷」というだけあり制服は着物であり着付けは
「ママ」が一人で行っていて
そんな場所を孝之がちょろちょろしていると
「邪魔だから、向こうへいってなさい!」と雷が落ちた。
そんな日常だったが孝之は幸せだった。