田舎の家
孝之の一番古い記憶は、古い平屋の農家の家だ。
物心がついた時にはそこに居た。
近くには川が流れており、橋を渡った対岸には商店や
郵便局等あり小さな街になっていたが家の周りは田んぼと
畑に囲まれておりのどかな田舎の風景が広がっていた。
孝之に父親、母親の記憶はなく、覚えているのは
祖父、祖母、大祖母、それと、たまに家にやってくる女性
その女性と一緒に住んでいた記憶はなく
何回か家にやってきた記憶があるだけで顔は覚えていない。
今考えれば、多分それが母親だったのだろうと思う。
孝之を実家に預けてどこか働きに出て、
年に数回実家に帰ってきていたのかもしれない。
あるいは、他の事情があったのかもしれない。
しかし、まだ幼かった孝之には
たまにやってくるその女性を母親とは認識していなかった
それだけその女性と逢った事が少なかったからだろう。
しかし、孝之は両親が居ない事など何とも思ってはなかった
不思議だとも思ってなかった。
物心がついた時から、父親、母親のいないのが当たり前だった孝之にとって、
それが普通の生活だったのだから。
家の裏手に豚2匹、鶏も数羽飼っていて孝之は
毎朝、鶏小屋から卵を取ってくるのが日課だ
それは、数少ない楽しみのひとつであった、なぜならば
沢山産んでいるときは、卵かけご飯が食べられる
当時の御馳走の一つだ。
しかし、毎回卵を産んでいるわけではなく、
産んでないときは、
卵かけご飯はお預けになった。
家の玄関から土間が台所まで続いており
台所は今では殆ど見かけないかまどが日常で使われていた。
台所の隣には風呂場、薪で湯を沸かす
いわゆる五右衛門風呂だ
脱衣所とかはなく土間で服をぬいで、
土間より一段高くなった洗い場に上り湯船に浮かんでいる
丸い木の蓋の上に乗り湯につかる。
周りの鉄に触らないように風呂窯の真ん中で
小さくなって風呂に入らなければいけない。
油断すると背中や腕が周りの鉄に触り
「あちぃ~~~っ」と声を上げることになる
正月は餅つき、春には田植え、夏は川遊び、秋は稲刈り
冬は雪が降ると外を駆け回り、それなりに不自由なく暮らしていた。
後から知ったことだが、その場所は熊本の人吉という場所だったらしい。
幼稚園の年中に上がったある日背広を着た見知らぬ
おじさんが孝之のもとにやってきた。
孝之の父親だった。