第66話 舞踊演説
また空いてしまいました。
「今度は何なの?」
次の演説の始まりは意気消沈のリントに追い打ちをかける。
「次の候補者はルーナ。何をしでかすか想像もつかない」
「そのルーナはどういう人物なの?」
リントが訪ねる。
「そうだな~」
ルチアは軍団長の中でもルーナとはとりわけ仲が良かった。といってもそれほど長い時間を過ごしたわけではないが、少しはルーナというマギアマキナの性格をわかっている。
「人を信じる所から始めるタイプね。私とは正反対。おおざっぱで楽観的、ちょっとやかましい時もあるけど、明るくて誰にでも分け隔てない。
一緒に居るだけで楽しくなるような、そんな人かな」
「えっ、もうそんなの無敵じゃん。理想の生徒会長じゃん」
「ちょ、ちょっとダーニャ」
素直に感想を言うダーニャをロレーナはこづく。
ルーナは、最後の軍団のマギアマキナには珍しく外部の人間にも好意的で、誰からも好かれる明るい性格だ。その高いコミュニケーション能力を存分に生かして、学院では友人も多いらしい。
「ルーナはかつて帝国全土に、その名を轟かした踊り子。ここよりも何倍も大きな劇場で数万人の人々を熱狂させてきた。それも何十年も。来るよ。ウルよりすごいのが」
この手の演出はルーナにとってはお手の物、まだ若い学院生たちを手玉に取って魅了することなど造作もないだろう。
パッと照明がつき、劇場の入り口を照らす。
これから始まるルーナの独壇場にルチアは目を覆いたくなったが、次の瞬間には釘付けになった。
「はーい!」
照明が照らし出した先にはルーナがいる。大勢の観衆に向かって笑顔で手を振っている。
全員が度肝を抜かれた。その恰好。とても演説をしに来た人間の格好ではない。普通はティナやウルのように制服の襟を正し身だしなみを整えて礼装でのぞむだろう。だが、ルーナは違った。
千年前、帝国時代と何の変りもない露出の多いきらびやかなステージ衣装なのである。
あまりにも奇抜な格好に落ち着いた雰囲気のこの劇場には似つかわしくないように思えたが、ルーナは一瞬で、このステージを支配した。
まず音楽が鳴り響いた。軽快なリズムの明るい音である。左右に配置された奏者たちがテンポに合わせて肩を揺らしながら楽し気に演奏している。
「いつの間にこんなものを」
きょろきょろとルチアは大がかりな仕掛けを見るが、すでに体は音楽のリズムに乗せられてしまっている。
ルーナもウル同様、軍団長らしい指揮能力を生かして、人を集めて組織し訓練して一大エンターテインメント集団を作り上げてしまっている。
光を一身に浴びたルーナは、軽やかに舞い踊り、その色香で観衆を魅了しながら壇上へと進んでいく。
「生徒たちが一体になっている。何が起こっているというの」
リントは混乱の極致にあり立ちすくむしかない。状況はリントの世界観を超えている。
劇場にひしめく生徒たちはいつの間にか音楽に合わせて手拍子をするようになり、ルーナを中心に一つになっている。
「しっかりサクラも仕込んでる。さすがはルーナ、派手好きだ」
エルの瞳には、しっかりと見えていた。学生たちの中にルーナによって配置されたであろう学生の姿が。彼ら彼女らが他の学生を盛り上げるために船頭役になっている。さらにすっかり夢中になってしまっているダーニャとロレーナの姿も見える。大衆迎合的な二人にエルは思わず苦笑いしてしまう。
そのあと、演説と呼べるようなものが行われることはなかった。代わりにルーナがバックダンサーたちの踊りとともに学生たちに聞かせたのは歌だった。
その歌詞は、陽気で希望に満ちた学生生活を歌ったものだが、演説と呼べるようなものではない。さながら劇場はルーナのライブ会場となり、その美しく耳心地の良い歌声に学生たちは、耳が溶けて脳が振るわせられるような心地よさに飲まれた。
熱狂のままにルーナの演説は幕を閉じた。立候補を表明したのかすら怪しいものだったが、学院生たちの歓声を聞けば、その支持の高まりは明らかだ。
立候補表明演説会は終了し、今年の生徒会長選挙が劇的な幕開けをした。
潮が引くように学生たちがいなくなった劇場で、ティナを待つルチアやリントたちはすでに厭戦ムードに包まれている。
「ウルさんかルーナさんか。生徒会長選挙はすっかり二分されてしまいましたね」
演技モードに戻ったエルは目を伏せる。ウルとルーナ。この二人は想像をはるかに超える強敵だった。ベリサリウスもただの遊びでティナに生徒会長になる課題を与えたわけではなさそうだ。
「ティナはすっかり蚊帳の外か……」
この絶望的な状況で勝利を得ることができるのか。ルチアには、そんな方法は思いつかない。
「すごかったもんな。あの二人。私は断然ルーナちゃん派だけど」
「断然、ウルさんよ。すっごくかっこいい。今思い出してもほろぼれしちゃう」
ダーニャはすっかりルーナのファンになってしまっている。ロレーナすらウルにすっかり心酔している。
「二人ともあれ」
ルチアはリントを指さす。
「あっ」
その姿にロレーナとダーニャは手で口をふさぐ。
いつも王族らしく居丈高にふるまうリントが、腑抜けになってしまっている。戦いが始まる前から勝利を確信し、自信に満ち溢れていたリントだ。自分の想像をはるかに超えた敵に、めためたにやられてしまった。立つ瀬がない。
「そんな……あの堅物のフロイドまで……」
涙で前がにじんでよく前が見えないが、潤んだ龍眼はルーナの横で他のメンバーに指図するフロイドの姿があった。フロイドは生徒会の書記を務める男で、有能だがルールに厳しく冷徹で機械的に業務をこなすだけの男だった。それが今ではルールとは対極の存在であるルーナの下でマネージャーのようになっている。
「パトリシアはウルに、フロイドはルーナに。在りし日の生徒会はもはやないのね」
リントとてティナにつきっきりになり生徒会を放棄した身だが、一度は生徒会に情熱を傾けていた。それだけに自分の知る生徒会が完全に地上から消え去ってしまったことにショックを受けた。
「もう、おしまい……」
リントは魂の抜けたようになり、吹けば飛んでしまいそうな灰のように頼りない存在になってしまった。
立候補演説が終わり、学院生たちが待ち望んでいた夏季休暇がやってきた。
ルチアとティナも一度、ディエルナに帰るために支度をしていた。
「実家に帰らせていただきます」
突然、ティナとルチアの部屋に現れたリントは、ひどくやつれた表情だ。
「どうしたの? 急に。夏季休暇なんだから故郷に帰るのは当然でしょ」
かばんに荷物を押し込みながらルチアが言う。
「今回の失敗はすべて私の責任。もうティナさんのそばにいることはできない。私は学院をやめるわ。今日は最後にお別れを言いに来たの」
「ちょ、ちょっと、あんた、正気?」
ルチアはリントの横に侍るイオンを見る。イオンは目を伏せたまま、首
を横に振った。どうやらリントは相当な覚悟らしい。
「僕はあの演説会、失敗だ、なんて思ってないよ」
ティナはきれいに服をたたんでカバンにしまう。
「でも、あれでは。私はティナさんを生徒会長にするって約束したのに……」
リントはその場に泣き崩れてしまう。
「ううん、リントがいなくちゃ、ここまでうまくできなかったよ。確かにウルやエルの演説は派手だったけど、僕たちだって、みんなで一生懸命、準備して、最高の演説をすることができたと思う。僕は胸を張ってそう言える。リントのおかげだよ」
ティナはしゃがんでリントの肩に手を置く。
「夏が明けたら生徒会選挙は本番。リントにはもっと手伝ってほしい」
「ティナさん……」
「それに学院をやめるなんて言わないでよ。選挙なんて関係ない。僕たちは友達だよ。リントがいなくなったらとってもさびしい」
「ティナ!」
邪気のない純真な笑顔を向けるティナに胸がいっぱいになったリントは抱き着く。ティナと強く抱き合いながら泣き叫び、友情とは無償のものであるとリントは知った。
「やれやれ、お騒がせな」
ルチアは安心したように息を吐いた。
「……見苦しいところを見せたわね。一度、ドラドニアには帰ります」
「え、結局、帰るの?」
「ドラドニアの王女として、やらなければならないことがあるの。面倒だけれど」
「なるほど、そういえば、お姫様だった」
ルチアは思い出したように頷く。あれほど嫌いだった王侯貴族だというのに毎日一緒に居るうちにそのことをすっかり忘れてしまっていた。
「また学院に戻ってくる。その時は、必ずティナさん、いいえ、ティナを生徒会長にしてみせるわ」
リントは力強い龍眼をぎらつかせ、まっすぐにティナを見つめた。
「うん、ありがとう。僕も頑張るよ」
愛らしい笑顔で応じるティナ。リントはわなわなと震える。
「やっぱり、私はティナと一緒に居たいわ!」
我慢できなくなったリントは、ティナにしがみつく。
「姫。ご容赦ください。ドラドニアの姫として公務はしっかりと行っていただきます!」
従者イオンがリントを引きはがして無理やり連れていく。
「いや~ティナと一緒にいる~」
そのままリントは子供のように駄々をこねながら、イオンの小脇に抱えられて行ってしまった。
「王族も大変ね。って、それはティナも一緒か」
「うん、僕たちも行こうか。久しぶりのディエルナに」
「たまにはゆっくり羽を伸ばしたいわ。最近色々ありすぎて」
「確かに休む暇がなかったね。大丈夫、ディエルナならゆっくりすごせるよ」
「だといいけど」
ティナたちは魔導艦に乗り込み、久々のディエルナへと向かった。




