第65話 候補者たち
期間があいてしまいました。
「第2500回アルテナ魔導学院・生徒会長選挙・立候補表明演説会」
アルテナで一番大きな劇場にでかでかと看板が掲げられている。
今年の生徒会選挙は二千五百回目を迎えるとあって、大々的に行われる。
現生徒会長は生徒会長選挙の始まりを告げるこの立候補表明演説会であいさつすべく遊学から帰ってきていた。
生徒会長の名はアルス。
劇場の控室のすみに座るその姿には哀愁が漂っている。
彼は地味な青年だ。王族でもなければ貴族でもない。さりとて人一倍優秀かと言われればそうでもない。精鋭揃いの生徒会からすればたいした存在ではない。ただ一つ長所があるとすれば、ひたすらに無欲であり、他人から恨みを買うようなことがない。
そのただ一点の長所と他に目立った存在がいなかったこと、彼の前の生徒会長であるヴァレリアから推薦があったことなど偶然の連続によって彼は生徒会長の座についてしまった。
そうついてしまったのである。生徒会にいることすら自分にはふさわしくないと考えるほどに自分という男をアルスは知り尽くしている。当然、生徒会長の器ではない。そうわかっていたから優秀な下級生に実質的な運営を任せ、自分は遊学に出ていた。
(どうしてこうなってしまったんだ)
アルスは弱音を口に出すことはない。常に沈黙していることが彼にわずかばかりの威厳をつけている。
生徒会はうまくいっているはずだった。しかし、久しぶりに帰ってみれば、彼の知っている生徒会はどこにもなかった。そればかりか、生徒会自体がなくなっていたといってもいい。
この控室においてアルスのそばにいるメンバーは二人、レリオとロゼッタという少女だけ。幹部でもない平の生徒会メンバーが二人残るのみで、他のメンバーは全員、生徒会から去っていた。
(ヴァレリア先輩になんと申し開きをすればいいか)
長きにわたって続いてきた生徒会がほとんど崩壊状態であることにアルスは学院の歴史二千年分の責任を感じている。
(生徒会長は気の毒だ)
生徒会に残っていたレリオはいつも軽口をたたいてばかりいる男だったが、今回ばかりは生徒会長になんと声をかけていいかわからない。
もう一人のメンバー、ロゼッタは、もともと一言も生徒会で発言したことがないほど、引っ込み思案の学生だ。石像のように動かずアルスの慰め役は務まりそうにない。
(こうなったのはアルス会長のせいじゃない。ティナたちが学園に来た。運が悪かったんだ)
アルスは生徒会長としては凡庸だが、決して無能ではない。それは生徒会でやってきたレリオが一番よくわかっている。アルスは我の強いメンバーをうまく取りまとめてきた。
だが、外圧には対処する術がなかった。
アルスが遊学で学院を離れている際に起こった一大事といえば、編入生の大規模な襲来だ。
(編入生はみんな優秀すぎたんだ。まあ、俺もティナにほだされちまった口だから人のことは言えないが)
レリオたち試験官は編入生たちと実技試験の相手をした。
あの時の生徒会メンバーといえば、みな、編入生の鼻っ柱をへし折ってやると息巻いていた。
レリオも例に漏れていなかったが、心技体ともに圧倒的な強さを誇ったティナに完敗し、いまではすっかりティナのファンになっている。
(あんなやばい編入生はティナだけかと思っていたが、あのパトリシアやフロイド書記まで生徒会をさっさと捨てるぐらいだからよっぽどだ)
大なり小なり実技試験でレリオが受けた衝撃を試験官になった誰もが受けていたらしい。
あの日を境に生徒会は音を立てて崩れた。ある者は編入生に心惹かれて、ある者は心をへし折られて、いずれも生徒会を去ってしまった。あとに続くようにほとんどのメンバーはいなくなってしまった。
アルス会長が帰った時には、レリオと何を考えているかわからないロゼッタだけしか残っていなかった。
レリオが残ったのは実技試験の相手がティナだったからだろう。ティナはレリオが生徒会を捨ててまで協力することを望みはしない。
(そういう俺も心はすっかりティナになびいている。せめてアルス会長が任期を終えるまではそばにいよう)
レリオは心に誓った。
アルス会長の偉いところは堂々と演説し、生徒会長選挙の始まりを宣言して、その役割を全うしたところであった。
「ひとまずは成功みたいね」
「ええ、安心したわ」
立候補表明演説のトップバッターはティナだった。
最初というだけでもかなり不利だが、ティナはティナらしい演説でしっかりと自分と学院の将来について伝えることができた。観客の感触も好調だ。
二階席からティナの演説の様子を見守っていたルチアとリントは肩の荷が下りて、ほっとしたのか椅子に深く座り込んでいる。
舞台袖の方では、付き添っていたフローラとアウローラが感動で涙を流しているのが見える。
「あと立候補者は三人、ルメリアル公国の太子レオンは欠席だから、あと二人、この二人がやっかいですね」
ティナ陣営に加わった最後の軍団、軍団長の一人エルは演技を忘れて忌々しい顔をしている。
確かにティナの演説は教科書通り満点だった。ベリサリウスの教育のたまものだろう。だが、それだけでは、ほかの二人には勝てそうにない。
「そんなにあとの二人って強いの?」
生徒会選挙にあまり興味のなかったダーニャは不思議そうな顔をする。
「ダーニャ、知らないの? もっと周りのことにも目を向けなきゃダメよ。今学院で話題の二人よ」
真面目なロレーナも学院の話題やゴシップは仕入れている。もっともいやでも耳に入ってくるが。
ブザーが鳴り、幕が開く。
「始まった」
ルチアは身を乗り出し、リントはオペラグラスをのぞく。
「誰もいない?」
幕が開いても、ダンジョンには誰の姿もない。
そう思ったのも、つかの間、壮麗な音楽とともに、劇場中央部のライトがまるで道を作るかのように一斉に点灯する。
「まるで軍事パレードね」
ルチアの目の先、整然と列をなす生徒たちが高々と旗を掲げている。剣と翼の紋章があしらわれたもので、学院の紋章ではない。
それに列を作る生徒たちは一様に学院の制服とも違う紅と金の軍服と着ていて、その腕の腕章には風紀や綱紀粛正を意味する言葉がつづられている。
劇場の扉が開き、一人の女子生徒が、生徒たちを兵士のように従え、行列をなして颯爽と歩いてくる。
目を見張るような美人だ。長身で足が長く、切れ長の真紅の瞳は眼光鋭い。肩で風を切り、燃え上がるような真紅の髪をなびかせている。
男子女子両生徒がその壮大な演出も相まってくぎづけになっている。
「あれはウルね」
ティナやルチアの予想通り、生徒会長選挙一人目の相手は最後の軍団、軍団長の一人、ウルだ。軍団長の中でも特にティナを愛するウルだが、この気合の入れようを見るに手を抜く気は一切ないらしい。
「これが噂の風紀委員」
リントは驚愕する。
人数とそれ相応の事前準備を必要とする演出。すでに自分の支持層を組織化している証拠だ。ただの学生にしてはできすぎている。
「それにあの子、パトリシアね」
オペラグラスでウルのとなりにいる女子生徒を見る。
生徒会幹部でリントを慕っていた一年生のパトリシアだ。
パトリシアは筋金入りの伝統主義者で、編入生を目の敵にしていたが、どうやら考えが変わったらしい。
事実パトリシアは編入試験の際、ウルと戦った。戦いが終わるころにはその強さと美しさに魅了され、今では生徒会を捨て、ウルの信奉者になっている。
「諸君」
とよく通る声で始まったウルの演説はすさまじいものだった。
「私は古来、アルテナ魔導学院において生徒会と両翼をなし、学院秩序を守ってきた風紀委員会を復活させた。これは荒廃した学院秩序を取り戻すためである」
三年生から学院に編入したというのにもう何年も前からいたような口ぶりである。
風紀委員会というのはかつて学院内に存在した生徒による治安維持組織である。が、それは五百年以上も前の話だ。
ウルは選挙戦でティナと戦うにあたって塵も残っていなかったこの組織をにわかに復活させ、瞬く間に一大組織を作り上げた。風紀委員会はすでに学生組織の枠を超え、ウルとその配下のマギアマキナ、パトリシアを筆頭とする元生徒会メンバーの手によって軍隊じみた組織になっている。
「この学院は腐っている!」
そう叫び、ウルは学院の旧弊や悪習のことごとくをののしり、教師から学院長に至るまでを痛烈に批判した。
風紀委員を正式な学院の組織とし、生徒会長と風紀院長を兼任することで学院秩序を立て直すという。
多感な学院生たちは現状へ反逆的なウルの演説に熱狂した。
「これではただの扇動者だわ」
最初からウルのことを敵と見ているリントには異様に見えた。
学院秩序は別に崩壊というほどでもないし、学院自体は平和そのものだが、ウルの巧緻な扇動によって生徒たちはとりつかれたように、今の学院のすべてが悪いように見えてきている。
「そんなことウルはきっと全部わかっている。すべては選挙に勝つため。手段は選ばないってこと」
ルチアはいう。
ウルも自分が大衆扇動的であると分かったうえで、ティナの障壁となるべく演じ切っている。
テュロン学院長を筆頭に教師陣が顔を青くしたのは言うまでもない。ウルが言っているのは一生徒つまりはウルによる学院の支配といっても過言ではない。
「私は三年生だが、生徒会長当選の暁には学院秩序回復までこの学院で諸君らとともに戦うだろう!」
ウルは演説を締めくくり、熱狂のうちに幕は閉じた。
二階席のティナ陣営の面々は唖然とするしかない。
「これは……」
「厳しい戦いになりそうね」
ルチアもリントももう余裕ではいられない。
劇場はもうウルの勝利で決まったかのような雰囲気だ。これを打破するのは非常に難しい。
だが、まだこれで終わりではない。
あと一人候補者がいる。
再び、劇場は暗転した。




