第32話 決断
太陽が地平線から再び姿を見せ始めたころ、床の上で寝ていたヴァレリアが頭を押さえながら起き上がる。
「いつつ、くっ、私としたことが、少し飲みすぎてしまったな」
常日頃から節制を心がけるヴァレリアだが、ディエルナ防衛戦、その戦後処理、守備隊の立て直し、市長としての政務と激務が続いたせいで、疲労がたまっていた。同盟で一区切りがつき、タガが外れてしまったのか、美食に酒も進み、つい酔いつぶれて眠ってしまったようだ。
多くの者が、昨晩の羽目を外しすぎたせいで痴態をさらしたが、ヴァレリアはまだましな方だ。会場には惨憺たる光景が広がっている。
「パオロ先生まで」
ヴァレリアのすぐそばでパオロが、うつぶせになって眠っている。ヴァレリアが幼少のころからパオロは隙一つ見せず笑うこともなかったが、今回ばかりはその胸襟を開いたらしい。
ふと、周りを見るとマギアマキナの軍団兵が後片付けをしていた。容姿端麗すぎるということ以外は、どこからどう見ても人間な彼ら彼女らだが、この状況でも粛々と仕事をしている様はやはり機械人形だと感じさせる。
(あの徹底した規律と疲れ知らず。あれでこの船にはまだ一万体も眠っているというからな。間違いなくクラッシス・アウレアと最後の軍団は、アヴァルケン半島の情勢を一変させてしまう)
ヴァレリアは頭の中に地図を広げて考える。
ディエルナは、自由都市同盟の諸都市でも比較的端、ルメリア大公国側にある。
そのディエルナの東、今までは、なにも存在しなかった空白地帯に突如として大規模な軍事勢力が出現した。
今は、ディエルナ以外に出会った勢力がいないため、知られていなが、このディエルナ敗北のうわさは、広まるだろう。
自由都市同盟および周辺諸国に与える影響は計り知れない。
さらに不明瞭なのはティナを頂く最後の軍団と呼ばれる集団だ。彼らが何を思い、何をしようとしているのかは、いまいち、判然としない。唯一わかるのはティナを絶対的な存在として、ティナの意思に従うところが大きいということだけだ。
「ティナがいないな」
ルチアやミリナ、バルガスは折り重なるようにして、大いびきをかきながら寝ているが、ティナの姿が見つからない。
ヴァレリアはティナを探して、テラスに出る。
テラスからは巨大な噴水を中心に据えて、色とりどりの花々で彩られた美しい庭園が見える。
そこに、暁の空を眺めるティナの姿があった。
「ティナ、こんなところにいたのか」
「ヴァレリアさん」
ヴァレリアに気付いて、振り向いたティナはどこか浮かない表情をしている。
「君は、パーティの時からそんな顔をしていたな。なにかに迷っている顔だ」
「あはは、ヴァレリアさんには、ばれちゃってたか」
ティナは自分の頬を触る。
必死に場を盛り上げようとしていたティナだが、時折憂鬱とした表情をしていたのをヴァレリアは見ていた。
「私たちは、よき同盟者であり、友人だ。少し話してみてくれないか」
ヴァレリアは、微笑を浮かべる。
「僕、今すごく幸せなんだ」
ティナの意外な答えにヴァレリアは少し驚く。
「学院に入学する予定だったんだ。でも、故郷を焼かれて、お父さまもお母さまもみんなもいなくなって、死のうと思ってた」
ヴァレンタインの襲撃からそれほど時間がたったわけではないが、今では遠い昔のことのように思える。それでも、いつもあの頃の記憶は鮮明に思い出せる。思い出してしまう。
「でも、ルチアに会えて、ベリサリウスやルーナ、ウルに、ヘレナ、ガイウス、エル、みんなに会えて今はすっごく楽しいんだ」
ルチアに出会い冒険者になってから半年足らずの激動の日々、辛いこともあったが、また生きようと思えた。
「けど、僕だけが幸せで本当にいいのかなって。世界は争いに満ちていて、みんな困っている。ヴァレンタインはまだ私を狙っているし、それにディエルナの兵士さんたちも私のせいで」
ティナは、まだ、あの日、市庁舎の戦いで、ティナの腕の中で死んでいった兵士の顔を忘れられない。忙しく日々を送ることで気を紛らわせていたが、自責の念は日に日に大きくなるばかりだ。
ヴァレリアは黙って聞いている。
「僕、怖いんだ。また僕のせいで誰かが傷ついたり、死んじゃったりするのがとても怖い」
ティナは、自らを抱きしめ、小刻みに震える。このクラッシス・アウレアで得た新たな幸せは、また奪われてしまうかもしれない。考えるだけでティナは眠ることもできずにいる。
(彼女は優しすぎる。もっと世界に無関心でもいいはずだ。人の悲しみを彼女は感じすぎてしまう)
ティナはぼーっと一日中、この庭園の花でも眺めていそうなくらい普段は、ぼんやりとしているように見えるところがある。だが、その精神構造は深く、世界の悲しみすらも、飲み込んでしまう。そしてそれを包み込むほどに、感情の量も多い。
ヴァレリアは少し考えた後で、ゆっくりと口を開いた。
「私には君を許してやることができない。君を罰することもできない。それができるのは死んでいった兵士だけだ」
ディエルナの守備兵は、立派に戦って死んでいった。それは兵士としては誇りであり、悔いを残すようなことはないだろう。ましてや勝利者として称賛されるべき行動をしてきたティナを恨むはずがない。
これがヴァレリアの武人としての哲学であり、考えだ。だが、それをティナが理解することはまだ無理だろう。
ヴァレリアは続ける。
「ヴァレンタインは執念深い男と聞く。それに君を狙っているのはヴァレンタインだけじゃない。やつを雇ったのは、ドラドニアかルメリアかそれとも別の勢力か、いずれにせよ、また仕掛けてくるに違いない。それに君たちのことはいずれ天下の知るところとなる。そうなれば、戦いは避けられないだろう」
突如として出現した巨大な軍事勢力。ティナたちには周辺を併呑する意思は毛頭ないが、一勢力が大きな力を持ちすぎれば、当然、周りは怯え、均衡を保つために、排除しようと試みるだろう。
ドラドニア王国とルメリア大公国の抗争は、激化しており、争いは、自由都市同盟にも波及している。アヴァルケン半島は非常に不安定な状態だ。クラッシス・アウレアが、大戦乱を巻き起こす最後の一押しにもなりかねない。
「解決策はただ一つ」
ヴァレリアはティナの目をまっすぐ見る。
「そんな、解決策があるの?」
ティナは目を輝かせる。聡明なヴァレリアならきっと思いもよらない策があるに違いない。
「簡単だ。皇帝になって国を作ればいい。大きな国だ。誰もが平和に暮らせる大きな国を」
皇帝になれ。ヴァレリアの言葉はもう何度もベリサリウスたちに聞かされてきた言葉だった。しかし、ベリサリウスたちとは違った思い、違った重さがある。ティナの心に大きく響いた。
が、ティナは反射的に拒否しようとする。
「僕は皇帝には……」
「まあ、待て。話を聞いてくれ。戦乱を鎮め、世界に安寧をもたらす方法は、古来一つしかない。争いあう者たちを一人の王のもと一つにまとめる必要がある」
人々は長い歴史の中で争い続けてきたが、必ず戦乱の中から一人の英雄が生まれ混沌に終止符を打ち、秩序と平和をもたらしてきた。長続きしたためしはないが、とにかく方法はそれしかない。
「どうせ、敵の方から襲ってくるんだ。その前に」
ヴァレリアは何かを握りつぶすように、両手をパンと叩いた。
「全部、平らげてしまえばいい」
いかにも武人らしい直線的な考えだが、ティナの心にはすとんと落ちた。
「うん。でも、僕にできるかな。僕が国を束ねて皇帝になるなんて」
貴族令嬢とはいえども、ほとんど村娘だったティナには想像もつかない。
ヴァレリアは、内心、ティナこそ皇帝になるにふさわしい人物、いや、そう運命づけられているように思えてしかたないがあえて、ここでは言わない。
「最初から皇帝にふさわしかった人間なんていないさ。君はまだ若い。よく学び、よく鍛え、そして世界を知る必要がある」
ティナはまだ十五歳。ここまで、がむしゃらに生きてきたが、知っている世界といえば、故郷の村とディエルナだけだ。
「まあ、そういう私もまだ未熟だろうとパオロ先生には言われてしまうかもしれないな」
ヴァレリアは笑った。
じっと黙った後で、ティナは息を吸って吐いた。
「ありがとう、ヴァレリアさん。皇帝になるかは、まだわからないけど、もっと勉強して、もっと鍛錬して、それから世界を見てみたい。それで答えを出したいんだ」
ティナの決断を祝福するかのように噴水の水が吹きあがり、朝日に照らされて、瞬いた。
「それが君の決断なら私はなにも言わない。ただ、できる限り協力させてくれ。そうだ。ティナ君は学院に通うつもりだったのか?」
「うん。アルテナ魔導学院に通うつもりだったんだ。入学手続きもしたし、学生服も作ったよ。焼けちゃって今は残ってないけどね」
「アルテナ魔導学院か。奇遇だな。私はそこの卒業生だったんだ。入学するつもりだったなら学院に通ってみるといい」
「でも、入学はとっくに終わちゃったんじゃ……」
「いや、確か編入試験で入れたはずだ。入学からそれほど時間も経っていないはずだし大丈夫だろう」
「学院か~。もう二度といけないものだと思っていたけど」
「学院に通わずとも、ティナ君ならベリサリウス殿やウル殿から学問や剣術を学ぶことはできるだろうが、アルテナ魔導学院には、アヴァルケン半島中から生徒が来る。世界を知るにはいいと思うぞ」
「そっか。なら僕、学院に行きたい。行ってみたいよ」
ティナがそういった瞬間、何かがはじけるような音が艦内に響いた。すぐに、クラッシス・アウレア中に緊急事態を告げるサイレンが鳴り響き始めた。




