第25話 ギルドマスター
「無事でよかったよっ」
抱き上げられたヘレナは、ティナの胸に顔を埋める。
「心配かけて、ごめんね。でも、これは……」
ティナはヘレナの頭を優しくなでながら、ギルドの惨状を眺める。
「大丈夫だよっ。殺してないよっ」
手加減したことを褒めて欲しいとヘレナはまた頭を突き出す。
ベロード子飼いの冒険者たちは血みどろになって転がり、うめき声をあげるか、呆然とへたり込んでいる。確かに、命までは奪っていないようだが、凄惨な光景である。
「ずいぶんと派手にやってくれたようだな。おちおち眠れやしねえ」
騒ぎを聞きつけたベロードが大あくびをかきながら、ようやく二階から降りてくる。
「マ、マスター」
冒険者の一人が、地面を這って、ベロードの足元に縋りつき助けを求める。
「うるせえ、この役立たずが!」
といって、無慈悲にも蹴りつけ、つばを吐きかける。
「ひどい、なんで仲間にそんなことができるの?」
いつも穏やかな微笑をたたえるティナが、今は、怒りに燃え、黄金の眼光で、ベロードを射殺すほどににらみつける。
「ひどい? ひどいのはお前さ。お前がディエルナにさえ、来ていなけりゃこの町は平和だったんだ。大事なギルドの仲間がこんな目に会うこともない」
ベロードは嘲り笑う。
ティナの代わりにルチアが反論する。
「ティナがどこの町に居ようが勝手でしょう」
「そりゃ、勝手だろうが、来られた方は迷惑千万だ。なにせ、死神のおまけつきだからな」
「死神?」
「なんだ、知らないのか? 泣く子も黙る傭兵隊長ヴァレンタイン。あの飢えた狼みたいな男が、そこの金髪娘にご執心なのさ。そいつに我らが市長様はビビっちまってんのさ」
「ヴァレンタイン」
この大陸で、その名を知らないのは、辺境の村に住んでいたティナぐらいのものだ。
ミリナぐらいの若さならば、幼少期にヴァレンタインの話を聞かされていたことだろう。悪いことをすれば、ヴァレンタインに攫われるといえば、子供たちは言うことを聞いた。
盗賊をしながら各地を歩き回ったルチアは行く先々でその噂を耳にしたし、実際に滅ぼされた町も見たことがある。
「あの頭のおかしい連中が、何を考えているかわからねえが、この町からお前が消えてくれれば、ディエルナは、おっかねえ傭兵におびえることもない。だから、ほら、おとなしく捕まれ。みんなのためにな」
ベロードはうすら笑いを浮かべ、ティナを手招きする。
ティナは声も出せず、その場で立ちすくんでしまう。
恐ろしい傭兵隊長。ヴァレンタインの名は聞いたことがないが、すぐにわかった。ここにいる誰よりも、ティナはその男の恐ろしさを知っている。
漆黒の怪馬に乗った悪魔のような形相の男、故郷を焼き払い、父も母も、村のみんなも皆殺しにしたあいつだ。
あの怪物が、ディエルナにも来る。ベロードの言う通り、いまだに、あの傭兵がティナを追っているということは、やはり狙いはティナなのだろう。
ディエルナはいい町だ。町は古代の風情を残しつつ、にぎやかで、住民たちも親切だ。ティナはこの町を第二の故郷とすら思っている。
(また、私のせいで)
もし、再び、故郷が自分のために焼かれることになれば、ティナは耐えられない。
「ティナ様」
ベリサリウスが、ティナの横に立つ。
「ティナ様が心配するようなことは何もないっしょ」
ルーナがティナの肩を叩きウィンクする。
「敵が死神だろうと怪物だろうと私が必ず、ティナ様をお守りします」
とウルが言うと親衛隊のマギアマキナたちも頷く。
「私たちが負けるわけないよっ」
ヘレナは大輪の花のような笑顔を咲かせる。
「ティナ様を、そして民をお守りするための帝国軍、そして我ら最後の軍団です。万事我らにお任せください」
ベリサリウスは恭しく頭を下げた。
「そうね。あれを見た後だと、ヴァレンタインなんて怖くないかも」
ルチアは、黄金の巨大魔導艦と千を超えるマギアマキナの兵を思い出す。尋常ならざる傭兵団でも、この陣容を突破することは難しいだろう。
「うん、ありがとう、みんな」
ティナはベリサリウスたちに、勇気づけられ、一歩を踏み出す。
(いつまでも、逃げていちゃダメだ)
みんなを傷つけたくないから、争いは嫌いだから、そういって、ティナは見て見ぬふりをしていた。だが、本当は、ヴァレンタインを恐れ、逃げていただけだ。逃げても、奴らはまた追ってくるだろう。いずれは決着をつけなくてはならない。
「ああ、そうかい、泣かせる主従関係だ。なら、力づくでいかせてもらおう」
ベロードは長剣を引き抜く。
「さっきからずいぶんと余裕みたいだけど、この状況が見えてないわけ?」
ルチアは、ベロードを見て不思議に思う。なぜ彼は、こんなにも平静を保っていられるのだろうと。
すでにティナは脱獄し、子飼いの冒険者も全員戦闘不能、ギルドには、マギアマキナたちがひしめいている。多勢に無勢だ。
「はは、何言っていやがる。俺をそこら辺の雑魚冒険者と同じにしてもらっちゃ困るな。腐ってもギルドマスターだぜ」
ベロードが、ギルドマスターになれたのはその経営手腕や人望、経験を買われてのことではない。すべては冒険者としての力量だ。ヘレナが倒した並みの冒険者とは隔絶した実力の持ち主だからこそ、粗暴で学のないベロードのような男が、ギルドマスターの椅子に座ることができた。
(ま、相当まずいんだがな)
ベロードは、ろくでなしの小悪党だが、愚か者ではない。実力者なだけに、相手の力量も正確に推し量ることができる。
形勢は圧倒的に不利といっていいだろう。
(あの化け物みたいな子供、他の奴らも同じかそれ以上だろうな)
ベロードも気づかぬうちに、一瞬で、ギルドを制圧したヘレナだけでも、相当手ごわい。それに武器は取り上げたとはいえ、他の連中もかなりの実力者だ。
百戦錬磨のベロードでも、手に余る。
今にも逃げ出したい気分だったが、ベロードにもベロードなりのやり方で、ギルドを守ってきたという矜持がある。それにここで逃げおおせても、追われる身になるだけだ。
いっそ刺し違えるつもりで、ベロードは剣を抜いた。
その時、またも状況は好転した。
「僕がやる。みんなは手を出さないで」
ティナは軍団兵の一人から剣を借りる。
「ティナ様。ここは私たちにお任せください」
ベリサリウスは必死に止めるが、ティナは聞かない。
「たとえギルドマスター相手でも寄って、たかって、倒すなんて僕にはできない。それにこれは僕がけじめをつけなくちゃいけないんだ」
ティナは鞘から刃を引き抜く。
誰にでも分け隔てなくおおらかで優しい。田舎育ちの箱入り娘で、どこかのほほんとしている。虫も殺せない臆病ともいえる性格のティナだが、いざとなれば動じない胆力がある。
悪徳を嫌い、誠実であろうとし、どんな状況でも卑怯を憎み、正々堂々としている。ティナは理想的貴族としての素養とも呼べるものを多分にその精神に宿している。
「僕はギルドマスター、ベロードに決闘を申し込むよ」
「ぶはは、お前、馬鹿か。お前ごとき底辺冒険者が、この俺に勝てるわけねえだろうが」
「なら、やめる?」
ティナの瞳に揺らぎはない。本気だ。
駆け出しの冒険者とベテランのギルドマスター。実力の差は明白である。
ベロードにとって、ベリサリウスたちは未知数だったが、ティナのことなら知っている。回復魔法は多少、上手かったが、まだ魔物もろくに倒したことがないはずだ。
姿を消していた一日の間に何があったかは知らないが、そう実力が伸びることは常識的に考えてあり得ない。
だが、その駆け出しからは感じないような迫力に、ベロードは言い知れぬ不安を感じる。しかし、ベロードは常識にとらわれてしまった。
「ちっ。馬鹿にしやがって、良いだろう受けて立ってやるよ!」
ベロードは、不安をかき消すように叫ぶ。
同時に、魔力を体内に循環させて、身体能力を極限まで高め、飛び上がり、魔法で刃に炎を宿す。
(先手必勝。いかなる実力者でも俺のスピードにはついてこれない。首を跳ね飛ばせば終わりだ)
ギルドマスターだけあって、ベロードの獲物は神器である。炎刃の切れ味は、ティナのか細い首など触れただけで、斬り飛ばしてしまうだろう。
不意を突いたベロードの神速の一撃は、格上の相手であろうとも見切れない自信がある。
「もらった!」
ベロードの剣がティナを捕えたかと思うと、その線上に、一筋の雷電の柱が、現れ、その一刀をはじいた。
(こいつ)
目が合った。ティナの黄金の瞳が輝く。完全にベロードの動きを捉えている。
ベロードはそのまま、後ろに飛び下がり、その勢いを利用して、膝をばねのように曲げ、もう一度、角度を変えて攻撃する。また、弾かれる。
ベロードは、ギルドの中を風のように縦横無尽に駆け回り、何度も攻撃を仕掛けるが、すべて雷光の壁に弾かれてしまう。並の冒険者なら十回は死んでいるであろう猛攻だ。
何度も繰り返すうちに、魔力が切れ、身体強化の負荷に耐えかねた体が悲鳴を上げる。そして、ついに膝をつく。
「これで終わりだよ」
ベロードが立ち上がろうとするよりも早く、ティナが剣の切っ先を向ける。
雷光を帯びたティナは、剣先に魔法陣を展開する。魔法陣から一筋の黄金の雷撃が、放たれ、ベロードを襲う。
「ぐあああああ!」
鋭い雷撃をもろに浴びたベロードは絶叫する。
(馬鹿な、奴のどこにこれほどの力が……)
ベロードは意識を手放し、その場に倒れた。
「すごい……」
ミリナは息をのむ。
これまで受付嬢として数多くの冒険者を見てきた。その中でも、ベロードは別格の存在だ。そのベロードもティナは一歩も動くことなく、瞬きする間に倒してしまった。圧倒的勝利だ。
「さすがはティナ様だ」
ベリサリウスたちは、まるで、一つの演劇を鑑賞した後のように余韻に浸り、拍手している。ティナの動じない戦いぶりは、まさに理想の皇帝そのものだ。
「……」
黙って見物していたエルにも思うところがあったのか、ティナのことをじっと見ている。
(ずいぶんと差がついちゃったな)
皇帝継承者とスラム生まれ。天と地ほどの差があるのは重々承知していたが、ルチアは一抹の寂しさを感じていた。もっともそれで落ち込むほどルチアの精神は、細くない。
「終わったよ」
柔らかな笑顔が戻り、威風堂々たる迫力は消え、ティナは、いつのまにか小動物のような愛らしさを取り戻していた。




