第24話 脱出
「バルガスさん、大丈夫?」
ティナは、重たい金属製の手錠で拘束された手をぎこちなく動かしながら、剣で貫かれたバルガスの肩を治癒魔法で癒していく。
「おお、これはすごい。魔封じの錠をかけられているのに、治癒魔法を。しかも、もう、治っちまった」
見る見るうちにふさがっていく傷口にバルガスは目をむく。
高度な治癒魔法以上に驚いたのは、ティナの魔力量だ。ティナたちにかけられた手錠は特殊な金属が使われており、魔力を発散させて、魔法を使えなくさせる効果がある。
だが、ティナはその人間離れした魔力量で、発散されるよりも多くの魔力を供給し、魔封じの手錠をかけられていても、問題なく魔法を扱える。
「ごめんなさい。バルガスさん、ミリナさん。私のせいで」
ティナはうつむく。
ティナをかばおうとしたバルガスとミリナも地下牢に幽閉されてしまった。
「謝らないでください。悪いのは全部、ティナちゃんを捕まえようとした市長と仲間を売ったギルドマスターですから」
逆にミリナが申し訳なさそうな顔をする。
ミリナが受付嬢としてギルドに入ったころは、冒険者たちの結束は強固なものだったが、新しいギルドマスターは、功利主義に走り、その専横をギルド職員として防げなかった負い目がある。
「いや、悪いのはあの裏切り者、ルチアだ。やつが邪魔しなければ、敵を
皆殺しにできたものを。次会ったら、叩き斬ってやる」
ウルはギリギリと奥歯を鳴らす。
冒険者たちに囲まれた時、ウルは容易にその場を制圧することができたのだが、思わぬ邪魔が入ってしまった。
「そんなに怒らないでよ、ウル」
「なぜです? いくらティナ様が寛大でも、これは立派な反逆罪。万死に値します」
「ふふ、あははは、バッカじゃないの」
ルーナが、ウルの鬼のような形相を見て、腹がよじれたかのように笑いだす。
「何がおかしい!」
とウルは憤慨する。
「お恥ずかしながら私も気づきませんでした。ティナ様の策には感服いたしました」
ベリサリウスも、ようやくティナの真意に気がつき赤面する。
「なに? どういうことだ」
「ルチアの裏切りは演技だったってこと」
「演技……だと?」
「僕がルチアに頼んだんだ。あのままじゃ、みんな、殺しちゃうんじゃないかと思ってさ」
「稀代の大女優である私の目はごまかせなかったけどね」
ルーナは自慢げに鼻を鳴らす。
「あんな下手な芝居に騙される奴の方が、珍しいってもんだ。な、ミリナ」
「ええ、まあ私も途中で気づきましたけど」
バルガスとミリナもティナとルチアのくさい演技には、気づいていたらしい。
「そういうこと。敵をだますにはまず味方からってね」
ルチアが鍵束を指で回しながら、颯爽と降りてくる。
「ルチア。よかった」
「まさか、私が本心で言っているとでも思った?」
「ううん、そうじゃないけどさ」
ルチアの演技があまりに堂に入った演技だったので、ティナはやはり、ほんの少し不安だったのだが、ルチアの笑顔を見て、それも解消された。
「なんと。申し訳ありません。ティナ様。ティナ様の臣下でありながら、その御心を推し量ることもままならず」
ウルは血涙を流す勢いで、平伏する。
「ふふ、ありがとう。それだけ僕のことを心配してくれたってことでしょ」
ティナは優しく、ウルの頭をなでる。
「だらしない顔してるけど、私にはなんかないわけ?」
牢を開錠しながら、ルチアが言う。
「ぐっ、すまなかったな」
誇り高いウルにとっては、ティナ以外に頭を下げるのは耐え難い屈辱
だ。
「まあ、同じように扱ってくれとは言わないけど」
下心が見え隠れするウルの忠節ぶりにルチアは少し引き気味である。
「なーんだ。私の出番はなしか」
天井の隅の暗がりから、音もなく少女が姿を現す。
「な、なんだ。嬢ちゃんは」
バルガスもミリナも驚く。
現れたのは青白い髪のけだるげな少女のマギアマキナ、エルだ。密偵部隊の長で、ベリサリウスたちと同じ軍団長。隠密行動に優れた高性能機であるエルにかかれば、人間の認識の外からひょっこり姿を現すことなど造作もない。
エルは、ベリサリウスの命で、先行してディエルナで情報収集を行い。ティナたち到着後は陰ながら見守っていた。
「助けに来たよ。ティナ様」
エルはしたり顔でいうと
「って、かっこよく決めるつもりだったのに」
と不服そうにため息をつく。
「でも、あんまり名演技だったから、ほんとに裏切ったのかと思ってよ」
エルは皮肉っぽく笑う。目の奥は笑っていない。任務に忠実な彼女は、たとえティナの友人とはいえ、いざとなれば、素早く決断を下していただろう。
「つくづく、あんたたちが、味方でよかったわ」
ルチアは、エルの生気のない機械の瞳に見つめられた時、背筋にゾクリと悪寒が走った。
マギアマキナたちが、本当にルチアにとって味方なのか、それはまだわからない。
「エル。助けに来てくれてありがとう」
ティナは朗らかな笑みを浮かべ、エルの頭をなでる。
「————っ。子ども扱いしないでよ。私は何の役にも立たなかったんだから」
エルはティナの手を払いのけるが、ティナの小さな手が触れた頭を自分の手で押さえる。なぜだか、わからないが、ずいぶんと温度が高い。顔もほてり、体の芯の部分がじんわりと熱い。
今までに見られなかった状態だ。エルは困惑するが、悪い気はしない。
「僕たちがここに来る前に、いっぱい働いてくれたんだから、感謝して当然だよ」
「……悪いけど、外は大変なことになってるよ」
「どういうことですか?」
ベリサリウスが恐る恐る尋ねる。
「ほら、軍団兵って、みんなティナ様思いでしょ。特にガイウスあたりはもう止まらないかも」
「なっ、まさか、緊急の信号を送ったのですか」
「しょうがないでしょ。ほんとに捕まったと思ったんだから」
エルは確信犯的にニヤリと笑う。
(私の仕事はあくまで、帝国の再建。平和主義なんて生ぬるいやり方じゃ、面白くないからね)
観察眼に優れた密偵タイプのエルは、ティナとルチアの演技は看破して
いた。しかし、ティナの平和主義に焦れていたエルは、ディエルナ制圧を円滑に進めるために、独断専行で、外で待機しているガイウスに誇大に事を伝えてしまった。
当然、ガイウスは激怒した。金獅子と銀狼の旗を高々と掲げて、猛然とディエルナに迫っている。
「早くガイウスたちを止めないと」
「わかりました。ガイウスなら正面から堂々と来るはずです。正門に向かいましょう」
ベリサリウスは、立ち上がり、ティナの手を取る。
「ティナちゃん。あなたたちはいったい?」
受付嬢のミリナは、いまだ全く状況を呑み込めていない。
ティナは駆け出し冒険者だったはずだ。それが、眉目秀麗なベリサリウスたちに、まるで王様のように慕われている。
「どっから説明すればいいのか。まあ、面倒なことは全部終わった後で」
ルチアは頭をかく。
「とりあえず、バルガスさんも、ミリナさんも一緒に来て」
ティナはミリナの手を取る。
「なら、俺が一番乗りだ。ベロードの奴にドカンと一発やってやる」
そういって、ベリサリウスたちを差し置いて、バルガスが一番に駆けだしてしまった。
一方、少し前、冒険者ギルドは、大混乱に陥っていた。
巨大な包丁を二振り持った幼い少女が、仲間を引き連れて、大暴れしている。
ヘレナだ。
明るいオレンジ色の髪を返り血で赤く染め、大きな桃色の瞳に涙をいっぱい貯めている。
「ティナ様っ、ティナ様っ。どこなのっ?」
すでに何人かの冒険者が、血みどろになって床に転がっていた。
「くそっ。なんなんだ。こいつら」
冒険者たちは、次々と仲間が倒されていく光景に恐慌状態だ。
自分の二倍は背の高い冒険者を赤子の手をひねるかのように倒していく、恐ろしい少女。
「うおおおお!」
雄たけびで自分を鼓舞しながら、剣を手に突撃する。
「邪魔だよっ」
「ぐわあ」
だが、その小さな体からは考えられない怪力で、剣を砕かれ、巨大な包丁で、胸を十字に斬られてしまう。
「これでも食らいやがれ」
錯乱した冒険者たちは、屋内であることもお構いなしに、魔法陣を展開、最大火力の攻撃魔法を放つ。魔力を帯びた無数の炎弾や氷弾、雷弾が容赦なく、ヘレナに殺到する。
しかし、渾身の攻撃魔法もむなしく、ヘレナは虫でも払うかのように、巨大包丁で魔法を斬る。斬られた魔法はそのまま霧散してしまう。
「なっ」
冒険者たちが驚きの声を上げると、次の瞬間には、飛び上がったヘレナが目の前に現れ、二本の巨大包丁で両肩から袈裟斬りにされる。
残った冒険者たちは戦意を喪失し、膝から崩れ、途方に暮れる。
「ティナ様っ。どこっ。……こっちから匂いがするっ!」
血の匂いが充満するギルドの中を、犬のように鋭敏な鼻で、かぎ分け、ティナの匂いがする方向へとヘレナは近づいていく。
どうやら地下へと続く隠し通路の扉が、床にあるらしいことに気がつく。
軍団兵が扉を開け、ヘレナが中を覗き込もうとすると、下から一人の男が上がってくる。バルガスだ。
また敵だと思ったヘレナは振り上げた包丁を男の顔めがけて勢いよく下す。
「ヘレナちゃん、ストップ!」
聞き覚えのある美しくも迫力に満ちた声に、ヘレナは寸でのところで手を止める。
「ティナ様っ!」
ヘレナは包丁を放り投げてティナに飛びつく。
「はは、死ぬかと思った」
腰を抜かしたバルガスは、泡を吹いて、その場にひっくり返った。




