第22話 東方の商人
「んー。あれがないよっ。あれがないと料理に刺激が足りないよっ」
ヘレナはそのきれいな桃色の瞳を凝らして、市場を物色するが、お目当てのものが見つからない。
「ちょっとそこのお嬢さん方」
市場の隅の方で店を構えている男が、ティナたちに話しかけてきた。浅黒い肌の異国風のいでたちのまだ若い男で、どことなく胡散臭い。
「何か御用ですか」
ベリサリウスが尋ねると男は露骨にいやそうな顔をする。
「俺はお嬢さん方に話しかけたんだ。野郎に用はねえよ」
ベリサリウスは好色な男をギロリと睨む。
「ひいっ。そんなおっかねえ顔すんなって。冗談ですよ。旦那」
「用がないなら、もういいかしら。行こう。ティナ」
「ちょ、ちょっと」
ルチアはティナの手を引っ張って歩き出す。
「ま、待ってくれ。別に怪しいもんじゃない。俺の名はサラディン。世界を股にかける大商人さ。ちっと商売の話がしたいだけなんだ」
サラディンと名乗る怪しげな男が頼むよとすがりつく。
「商売ですか?」
ベリサリウスいぶかしげな表情する。
この男、異国風だが、身なりは貧相で、店構えも小さい。目に付くものは、腰の細身の曲刀ぐらいなもので、とても大商人には見えない。
「お嬢さん方、豪勢に買い物しているだろう。俺が仕入れてきた商品も買っちゃくれねえかい?」
男は後ろからパンパンに何かが詰まった麻袋を引きずり出した。
「こいつさ」
男が袋を開けると、香ばしい独特な臭いがあたりに広まった。中には乾燥した黒い豆粒のようなものが入っている。
「あっ! これっ」
ヘレナが目を丸くして、袋に頭を突っ込む勢いで匂いを嗅ぐ。
「やっぱり。他にもまだあるっ?」
「おおとも。いろいろあるぞ」
男は後ろから次々とパンパンに詰まった麻袋を出してくる。
ルチアも気になって一つまみ黒い粒をとって匂いを嗅ぐ。
「うっ。なにこの匂い」
ティナもルチアの手に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「あっ。もしかしてクロージの実?」
ティナは懐かしい匂いを感じ取る。
クロージの実は、東方で栽培されている香辛料の一種だ。料理の風味付けなどに使われる。ちょっとした贅沢品で、育ちが貧乏なルチアには初めての体験だ。
「やっぱり、お嬢さん方は見る目がある。ここの連中ときたら俺が骨を折って、わざわざ東方から運んできたっていうのに見向きもしねえ」
サラディンは麻袋の封を切って香辛料を見せる。
封を切るたびに色とりどりの香辛料が独特の芳香を伴って現れる。
「全部。全部買うよっ! これくらいで足りるっ?」
ヘレナは金貨の入った小袋を取り出すと男の前に積み上げた。
「おっ。お嬢ちゃん、気前がいいね。毎度あり」
サラディンは満足げな顔で、金貨を見る。
するとぱちぱちと瞬きして、仰天する。
「がっ、なっ、こ、こいつは全部古代エルトリア金貨じゃねえか」
エルトリア金貨はエルトリア帝国全盛期に鋳造された高純度の金貨だ。一枚で一般的に流通している金貨三枚分に相当する。
「古代エルトリア金貨?」
ティナは首をかしげる。
古代エルトリア金貨は、千年以上の時を経ても、大陸でもっとも信用が置かれている金貨だ。
「やっぱり、まさか本当に古代エルトリア金貨なの」
「当然です」
ベリサリウスたちにとっては金貨、銀貨といえば、この古代エルトリア製のものしかしらない。
ティナとルチアはマギアマキナの軍団やクラッシス・アウレアを最初に見せつけられて、感覚がマヒしていたが、そんな貴重な金貨を懐から際限なく出し、ばらまいていることは異常事態だ。
商人であるサラディンが、驚くのも無理はない。
「こうしちゃいられねえ。次の仕入れ先に行かねえと」
サラディンは慌てて、エルトリア金貨をしまい込むと商品をヘレナに渡して店じまいを始める。
「あんた東方出身なの?」
ルーナが尋ねる。
彼女は当時、エルトリア帝国領だった東方地域で、踊り子として活躍していた。ルーナには、なじみ深い場所だ。
「おう、あんたも東方出身かい? 見慣れねえ服装だが、こんなところで東方出身者と会うとは今時珍しい」
「ねえ。東ってどんなところなの?」
興味津々のティナは悪意のない純粋な黄金のまなざしで商人にせがむ。
「よくぞ。聞いてくれた」
サラディンは膝をビシッと叩く。
女好きで子供好きなサラディンはまるで酔ったかのように、べらべらと語り始めた。
「俺が商品を仕入れてきたのは東方つってもそうは遠くねえ。アヴァルケン半島の東の大帝国、アルバースさ」
「アヴァルケン半島の東、アナトリコンですか」
ベリサリウスは記憶された地図を思い起こす。
「今日日聞かねえ古くせえ言い方だが、まあ、そうだな」
アヴァルケン半島から狭い海峡を挟んで東側、古代にはアナトリコンと呼ばれた地域だ。古代エルトリアの領土であったが、帝国末期に失陥。いくつかの国を経て、今はアルバースという東の大国が治めている。
「アルバースはいいところさ。商売が盛んで珍しいものが山ほどある。飯もうまい。そしてなにより美人が多い。お嬢さん方ほどじゃないけどな」
「おもしろそう。いつか行ってみたいな」
ティナはまだ見ぬきらびやかなアルバースを想像する。
「はは、その時はぜひ案内してやりたいが、当分無理かもな」
サラディンは笑う。
「昔はアルバースとアヴァルケン半島とで自由に商売できたが、最近はめっきりだ。ドラドニアともそうだが、特にルメリアとアルバースは仲が悪い」
アヴァルケン半島最大勢力のルメリア大公国は、アルバースとの交易を禁じている。自由都市同盟にも圧力がかかっていて、東方商人は、アヴァルケン半島で仕事がしにくくなっているそうだ。
(アルバースですか。知らない名前ですね。かつてエルトリアと覇を競い合った国ももはやないのですね)
ベリサリウスは古い国を思い出す。エルトリア帝国と敵対した国々も今や長い歴史の中で滅び、由来も分からない新しい国ができている。
「どこかの誰か。それこそ、古代のロムルス・レクスみてえな英雄様がさくっとこんなくそったれな時代を終わらせてくれりゃいいのにな。そうすりゃ俺だって大手を振るって商売ができるってもんよ」
「「……!」」
サラディンの一言に、ティナたちの心臓がびくりと跳ね上がる。
この男は別にティナの正体を見抜いたわけではないだろう。金髪金眼の英雄ロムルス・レクスの伝説は様々な場所で語り継がれている。ティナの容姿を見れば、そんなおとぎ話を思い出すのも自然だ。
「そ、そっか。そうだよね。誰かが終わらせなくちゃ。暗い時代はずっと続いたまま」
ティナは当然のことに気づかされる。自分だけが、ルチアや軍団兵と一緒に逃げ出してもアヴァルケン半島に住む多くの人々は終わりの見えない戦乱に苦しむことになる。
「まあ、金髪に金色の目だからってお嬢ちゃんが心配するようなことじゃないさ。生き抜けば、またいいこともある。おっと、しゃべりすぎちまったな」
「サラディンはこれからどこに行くの?」
ティナが尋ねる。
「俺はもう少しアヴァルケン半島をまわって商品を買い集める。かなり稼がせてもらったしな。今度はもっといいもんを仕入れてくるぜ。また買ってくれよ」
サラディンはそう言い残すと店じまいをして、どこかへ風のように去って行ってしまった。
ヘレナたち軍団兵が購入した商品を荷造りしている横で、ティナは地面を見つめて黙り込んでしまった。
「ティナ。大丈夫?」
ルチアがティナに話しかける。大方、さっきのサラディンの話のことだろうとすぐに分かった。
「うん。このままでいいのかなって」
ティナはたった一日で多くのものを背負わされてしまった。
皇帝、帝国の復興、そして軍団兵。平和を希求する千年に及ぶ願いは少女の小さな両肩にはあまりにも重い。
「僕は、ルチアやみんなと暮らしていければいいと思ってた」
そうすれば、村での平穏な暮らしに戻れるし、戦わずに済む。両親は仇をとらずとも許してくれるだろう。
「でも、違う。僕だけ逃げてもいいのかな」
ティナはうつむく。
誰も傷つけたくないといって、見て見ぬふりをする。力がある以上、何もしないこともまた罪悪なのかもしれない。
「いいじゃないの。別に逃げたって」
ルチアは飄々(ひょうひょう)と言ってのける。
「えっ」
「そりゃあ、私はティナに皇帝になってほしいわ。ティナが皇帝になれば、きっと平和な国になるだろうし、私もお大臣様になれる」
ルチアはティナの国で富豪になっている自分を夢想する。
スラム出身のルチアにとっては、権力と金を手に入れることは何よりの夢だ。
「でも皇帝だの帝国だの勝手に人が決めたことじゃない。やらなくていいなら別にやらなくてもいい」
そうだ。ティナがやる必要なんてない。
「けれど戦乱で苦しんでいる人は? ベリサリウスたちがいればきっと戦えるのに」
「そんなもん。知ったこっちゃないわ。人々を救おうだなんて思い上がり。私たちができることなんてたかが知れてる。うまくいきっこないわ」
「うまくいかないか……けど」
ティナはまだ結論を出せずにいる。
何がするのが正しいのか。今まで出たとこ勝負で食いつないできたルチアにも本当はわからない。
「まあ、どちらにせよ今はたいしたことができるわけじゃないんだし。やるべきことをやるべきよ」
「そうだね。もう少し考えてみるよ。ありがとう。ルチア」
ティナは微笑を浮かべた。大きな決断は一朝一夕でできる話ではない。ましてや多くの軍団兵の長であり、強大な力を得たティナなら、なおさら慎重になるべきだ。
「さあ、早く行きましょ。次はギルドでしょ。ベリサリウスたちも待っているわよ」
「うん」
柄にもなくまじめなことを言ってしまったと少し顔を赤らめたルチアはティナの手を取って、歩き始めた。




