第21話 買い占め
ディエルナはそれほど大きな町とは言えないが、正門近くの市場はそれなりに賑わっている。
アヴァルケン半島は古来より貨幣経済が浸透し、東方と西方の真ん中に位置することもあって商業が盛んな地域だ。
しかし、長く続く戦乱の影響で商業は古代に比べ、著しく衰退している。東方からの交易商たちの数も随分と減ってしまった。
それでも、人が集まるところには商品も集まる。生活に必要な多くの品々がこの市場では売買されている。
「魔結晶って思っていたよりも高いのね」
ルチアが、店先に一つ一つ並べられた赤や緑の宝石のような半透明な結晶を手に取る。
魔結晶は生活に役立つ魔導具の動力源となるもので、例えば、クラッシス・アウレアの艦内のいたるところに設置されている照明などにも多く使われている。
魔結晶原石の鉱山は大陸各地に点在しており、あまり貴重なものでもないのだが、近年、価格が急騰している。
その理由は、魔導艦の復活だ。古代帝国時代には、ティナたちのクラッシス・アウレアをはじめとする幾多の魔導艦が、大陸の空を埋め尽くしていた。
帝国末期の混乱とともに、技術は衰退したが、千年の時を経て、一部技術は復活の兆しを見せていた。その最たるものが魔導艦をはじめとする軍事技術である。
魔導艦はその動力源に大量かつ高純度の魔結晶を必要とする。近年の建艦ブームにより、魔結晶は市場から払底していた。
「これほどの値段とは。魔結晶の特性上、枯渇するようなことにはならないはずですが……」
ベリサリウスは魔結晶に違和感を覚える。自分たちが知識として記憶しているものよりもかなり小ぶりだ。この市場で売っている魔結晶は軍事用途ではないにしろ、古代エルトリアで一般的に流通していたものよりもかなり小さく透明度も低い。
「なんだい。うちの商品に文句でもあるのかい。冷やかしなら帰ってくんな」
店番をしていた底意地の悪そうな老婆が、しゃがれた声で言う。
「失礼だよ。ベリサリウス」
ティナがベリサリウスの脇腹を小突く。
「申し訳ありません。それではそちらの原石を購入しましょう」
ベリサリウスは店の脇に無造作に積まれた魔結晶の破片が混ざった石を指さす。
「これは商品でもなけりゃ、原石でもないよ」
辛辣そうに見えて意外にも商売に誠実な老婆は真実を伝える。
「まだいっぱい魔結晶が入っているように見えるけど」
ティナが石を手に取り、太陽にかざすと小粒の魔結晶が太陽に煌めく。
「使い物にならんのさ。魔結晶が混じっちゃいるが、それは加工の過程でできる端材。要はただの削りかすさ。あんまり多いもんだから置き場所に困ってそこに置いているだけだよ」
どうやらこの店は併設した工房で原石を精製して魔結晶を売っているようだ。
「なるほど。ヘレナ、どうですか?」
ベリサリウスがヘレナにごみと呼ばれた石を渡す。
「うーん」
ヘレナは片眼を閉じて、石に顔を近づけたり遠ざけたりして、くまなく観察する。
「うん。大丈夫だよっ。ファビウスならこれで十分だと思うっ」
ヘレナは軍団の料理番であるとともに補給部隊の長でもある。補給物資の目利きはお手の物。機械仕掛けの目を使って、魔結晶の含有量を測定した。
「では、全部いただきましょう。このほかにもありますか?」
「正気かい。あんた。こいつは使い物にならないただのゴミだよ。それにうちの工房にある分も持っていったら量も相当なもんだ」
古代エルトリアは高度な魔結晶精製技術を持ち、それを高性能なマギアマキナの動力源とした。
しかし、ファビウスたちならば、端材からでも十分に高純度の魔結晶を生成することができる。ここではゴミ扱いされていても、ベリサリウスたちには価値あるものだ。
「ずいぶんと慎重な商売をなさるのですね」
「あんたら、みたいな尋常でない連中は、カモにすりゃ後が怖いからね」
「それなら心配ご無用。むしろ、我々には到底足りないくらいですから。ティナ様に誓って、恫喝するようなことはありません」
ベリサリウスはエルトリア式の敬礼で答える。
「そんなに目立っているかな」
ティナが周りに目を向けると市場のほかの客や商人たちが興味津々に覗き見ていた。
「素人でもわかるさ。あの金髪娘が、ぞろぞろとお供を連れて帰ってきたってねえ」
「まあ、目立たないっていう方が無理ね」
老婆とルチアは笑う。
一応、行商人風の変装はしているつもりだが、まるで意味がない。
「全部でおいくらほどですか」
ベリサリウスは気にも留めない。
「さっきも言った通り、これはごみ。処分に困っていてね。なにせこの量だ。引き取ってくれるだけでも助かるよ」
「ただというわけにも参りません。では、これくらいでいかがでしょう」
ベリサリウスは袋から金貨を取り出して、老婆に渡す。
皇帝と皇帝の栄光ある軍団が、たとえどんな事情があろうとも民から施しを受けるわけには行かない。メンツというものがある。
それに安定的な供給も望んでいる。
「本当にもらっちまうよ」
この老獪な商人は金貨を握りしめてなお、鋭い眼光を保っている。
「ええ、今後ともいい御関係を築ければ、幸いです」
「ふふ、この老骨をこき使おうとはとんだ鬼畜だね。期待しときな」
老婆は、ベリサリウスの意図を察するとすばやく金貨を懐にしまい込み、にやりと笑った。
ヘレナの指揮のもと軍団兵たちが荷車に大量の魔結晶原石の端材を積み込み始めた。
「意外ね。あんたたちなら皇帝陛下の名のもとに召し上げるとか言い始めるのかと思ったけど」
スラム生まれのルチアからすれば、皇帝や王、貴族といった連中は搾取するというイメージだ。
働きもしないで、税だなんだと言って汗水たらして働いた民から何もかも奪い去ってしまう。
「善き皇帝とは民を守り治めるものです。寛大な皇帝は、統治すべき民から無理やり奪うような真似はしません。ティナ様ならそう仰せになることでしょう」
魔王との戦いや異民族との戦いの中で常に強い指導者を求めた。哲学者から民衆に至るまでが、理想の皇帝像を論じた。
ベリサリウスの言う皇帝は長きにわたる古代帝国の歴史の中で練り上げられた理想の皇帝像である。
しかし、いくら皇帝といえども所詮は人間。巨大な帝国というものを支えきれずにつぶれ、短命に終わるか、悪しき皇帝へと落ちた。それが何代も続くと帝国も滅びてしまった。
「確かに。ティナはお人よしだから。ティナが本当に皇帝になってくれたら、みんなは幸せに暮らせるのかもね」
ルチアはふとそんなことを考えた。
ティナは純粋で心優しい少女だ。貴族出身にもかかわらず、平民を見下したりしない。人を疑うということを知らず、私利私欲も多少はあるかもしれないが、かわいいものだ。
ティナが皇帝になりさえすれば、自分のようなスラムに生まれて真っ当でない人生を送る子供も減るかもしれない。
「どうしたの? ふたりとも、次は食べ物を買いに行こうよ」
別の店で食材を物色していたティナとヘレナが、話し込んでいたベリサリウスとルチアを呼ぶ。
ルチアは首を横に振って野望を振り払う。ティナは皇帝になることを望んでいないし争いも好まない。が、ルチアの頭からティナが皇帝になればという幻想が、とりついて離れなくなってしまった。
ルチアの悩みを吹き飛すかのように、ヘレナによる怒涛の買い占めが始まった。
生活必需品や食料を中心に市場にあるものを片端から買いこんでいる。肉や小麦、野菜、果物を大量に購入しては魔法で凍らせ、荷車に乗せて、運んでいく。
市場はヘレナたちの大盤振る舞いにお祭り状態だ。
「いっぱい買ったね。どんなおいしい料理が食べられるのか楽し
みだよ」
ティナは昨晩食べた豪華な食事を思い出す。
ティナの母親は貴族出身だったが料理上手でいつも美味しい料理をふるまってくれた。ヘレナの極上の料理は、母の手料理で舌の肥えたティナをうならせた。それにヘレナの料理は、思い出の中の母の味に、どことなく似ていた。
「楽しみにしててっ、いっぱい美味しい料理を作るからっ」
ヘレナの頭には、すでに、いくつもの料理のレシピが浮かんでいる。
「あの勢いで毎日食べたら、さすがに太るわよ」
「食べるだけで太るなんて、人間って不便ね」
ルーナが憐れむ。
「マギアマキナには、わからないでしょうね。せっかく食べるものがあるのに我慢しきゃならない、この屈辱が」
ルチアは口元からあふれそうになったよだれをぬぐう。
森で調達した食材だけでも、ルチアが見たことすらないような料理の数々。市場で売っている豊富な食材を使って作ったらどんなものになるのか、もはや想像がつかない。




