76-I 姉妹と兄弟
「リリー!帰ってくるのが遅いよ!」
「ふにゃっ」
飛んできた人物は、わたしがそれが誰か認識する前にわたしをしっかり抱きしめた。少し早い鼓動の音と、爽やかな香りだけが感じられる。
「……シル?」
「心配したんだよ、一人で危ない所に行くなんて!無事に帰ってきて良かった…!」
シリウスはそっとわたしを離すと、わたしの手を引いてソファに座らせた。シリウス自身はわたしの右に座り、ぴったりとくっついてきた。
「どうしたの?」
「こうすれば逃げられないでしょ?」
言いながらわたしの手を取って遊び出した。楽しそうにわたしの手で遊ぶシリウスの横顔は、いたずらしている時の陛下と同じような雰囲気を持っていた。
「逃げたわけじゃないわ。迷子を探してたのよ」
「見つかったのか?」
「ええ。それも、十数人いたわ」
「はぁ?迷子が、十数人…王都で?」
「ええ、そうよ」
楽しそうに遊んでいたシリウスは、手を止めてわたしの顔を見つめてきた。いたずらっ子は鳴りをひそめ、真剣な表情になっている。
「リリー、今まで何してた?」
「ちょっと警備隊の手助けをしていたわ」
「王都で警備隊……迷子……十数人?ま、まさか……」
「リナ姉様!」
考え込みながらぶつぶつ呟くシリウスを見ていると、レオンハルトの声がした。視線を前に戻す。
「何かしら?」
「危ない事はしてないですよね?」
「もちろんよ。怪我一つしてないわ」
「良かった……あ、お帰りなさい」
安心して微笑むレオンハルト。その横からクラウス殿下が顔を出した。立ち上がろうとしたわたしは、しかしシリウスに阻まれて立てなかった。クラウス殿下も座ってて良いと言ってくれた。
「姉様、アイリスはどこかにいる?」
「屋敷のどこかにいると思いますわ。呼ばせましょうか?」
「うん、お願い」
ずっと待っていたらしく、わたしがアイリスを呼ばせると嬉しそうに笑った。
「他に何か困った事とかはあるかしら?」
「……ううん、ないよ」
一瞬シリウスの方を見たクラウス殿下は、直ぐに首を振った。
「ふふ、それは良かったわ。さあ、クラウス殿下もお寛ぎになって?」
それを聞いてクラウス殿下は頬を膨らませた。不満げな声が聞こえてくる。
「そんな呼び方は嫌だ。兄上は愛称なのに……」
「そりゃあ昔からずっと仲良しだからな」
考え事をしていたシリウスが代わりに答える。すると、クラウス殿下は拗ねたような顔になった。
「……そこまでは言わないから、せめて呼び捨てにして……?」
『シリウスでいいよ。あと、敬語もいらない』
嘗てのシリウスの言葉と重なった。そう、初回の魔術のレッスンの時のシリウスと、今目の前で拗ねているクラウス殿下は瓜二つだわ。改めて兄弟だなと思って、なぜか笑いが込み上げてきた。
「ふふふっ、本当にシリウスにそっくりだわ。改めてよろしくね、クラウス」
笑いながら言えば、クラウス殿下──クラウスはぱっと顔を輝かせた。本当、おかしいくらいに似ているわ。顔立ちこそそこまででもないものの、ふとした時の表情や行動は本当に似ているのよ。
「クラウス……」
怒ったようなシリウスの声。同時に手をぎゅっと握りしめられた。
「…何度でも言うが、アイリーナは僕の婚約者だからな」
「分かってるよ。姉様は姉様だもん。なあレオンハルト」
「そうですね、シル兄様、リナ姉様を独り占めしないでください。僕の大事な姉でもあるんですから」
二人に反論されて、シリウスがさらに手を強く握ってきた。その手は僅かながら震えていた。
「シル……痛いわ」
「っ、ごめん」
握る力は緩まったけれど、シリウスは手を離そうとはしなかった。まだ震えているシリウスの手。どうしたのかしら?
「どうしたの?」
「……………」
暫く俯いていたシリウスは、顔を上げた時にはすっかりいつものシリウスに戻っていた。だけれど、何でもない、そう言って笑ったシリウスの言葉を、そのまま信じる事は出来なかった。
「失礼します」
ちょうどわたしがシリウスに話しかけようとした所で、アイリスを探しに行っていた侍女が帰ってきた。早速嬉しそうにアイリスを抱き上げるクラウス。もっとも、連れて来たのはアイリスだけではなく。
「お姉様、わたしも入れてください!」
レッスンを終えたレイチェルもついて来ていた。わたしはそっと立ち上がるとレイチェルの元へ向かった。ついでに侍女に紅茶の用意を頼む。
「チェル、いらっしゃい」
わたしが良いと言うまできちんと部屋の外で待っていたレイチェルは、それを聞くやいなや控えめにわたしの懐に飛び込んできた。
「お姉様!」
「ふふ、レッスンお疲れ様。今日は何を学んだのかしら?」
「はい、今日は王族の方に対する正式な礼儀を学びましたわ」
九歳のレイチェルの、ちょうどわたしのみぞおちの下辺りにある頭を撫でながら聞く。レイチェルは顔を上げながら答えた。王族に対する正式な礼儀、ならばちょうど相手がいるわ。
「ねえレイチェル、練習したい?」
「お姉様が相手をしてくれるの?」
「いいえ、もっと適任の方よ」
おいでと言って一緒に向かった先は、もちろん。
「チェル、此方はシリウス王子殿下とクラウス王子殿下よ」
「えっ、嘘……!」
「ん?リリー、何か言った?」
レオンハルトと話し込んでいたシリウスとクラウスの所。若干人見知りのレイチェルは口に手を当てて驚き、わたしの後ろに隠れてしまった。
わたしの声に、話し込んでいた三人が振り向く。小さく震えるレイチェルを宥めながらシリウスとクラウスにレイチェルを紹介した。
「この子、わたしの妹なの」
「ああ、そういえばリリーとレオンが言っていたな」
「そうなの?僕初めて知った」
「それでね……」
小声で協力をお願いする。シリウスは任せてと囁いた。クラウスは、自信ないなと言いながらも頷いた。お礼の代わりにそっと微笑むと、わたしの後ろに隠れているレイチェルに向き合った。
「チェル、大丈夫よ。お姉様もお兄様もついてるわ」
「………はい」
不安そうに瞳を揺らしてレイチェルがわたしを見つめ返した。
「……だけど……まさか本物がいるなんて………」
「ここは正式な場ではないわ。失敗しても大丈夫よ」
頭にそっと手を乗せた後、レイチェルの背中を押した。その前ではシリウスとクラウスが微笑んでいる。
「初めまして。アイルクス王国第一……」
第一王子と言いかけて、しまったとシリウスが頭に手を当てた。
「……間違えた。……アイルクス王国王太子、シリウス·サン·アイルクスです」
シリウスが間違えてはいけないだろう。ただ、そのおかげでレイチェルの緊張も幾らか解れたようだわ。
「アイルクス王国第二王子、クラウス·サン·アイルクスです」
「……お初にお目にかかります、セイレンベルク公爵家次女、レイチェル·フォン·セイレンベルクでございます」
膝を軽く折り、スカートをつまんで顔を伏せる。シリウスが良いと言ったのを聞いて顔を上げたレイチェルは、わたしの方を振り向いた。
「お姉様……上手く出来ましたか?」
「ええ、とても上手だったわ。ねえシル」
「ああ。寧ろ僕の方が練習が必要だな」
苦笑いしたシリウスに、レイチェルが漸く安心したように笑った。
「それにしても、まさか王子様を練習に付き合わせるなんて……」
レイチェルが呆れたように言う。そして、再びシリウスの方を向いた。どうやら先程震えていたのは相手が王子だったからみたいね。もはや以前から知り合いだったかのように話しかける。
「王子殿下、お姉様の言う事を、何でも聞かなくても良いのですよ?」
「いや、リリーは滅多に頼ってくれないからな。このくらいどうという事はない」
「………そうですか」
いつもの優しい笑みを浮かべたシリウスを見て、レイチェルがなるほどと納得したように頷いた。そしてわたしの顔とシリウスとを交互に見つめてくる。
「チェル、何してるの?」
「いえ、流石お姉様ですわと思いまして」
「一体何が?」
分からずに聞き返したわたしを見て、シリウスが目に見えて落胆した。
「王子殿下、苦労していらっしゃるのですね……」
「ああ、全く伝わらなくてな………」




