67-I おとうと達
馬車に揺られながら、わたしは先日言われた忠告について考えていた。堕天使、或いは学院生活に気をつけろ、か。そして、それについて聞いた時の怒ったようなシリウスの顔を思い出す。
考え事をしていた所に来たものだから、思わず堕天使について聞いてしまうと、シリウスはその表情を怒りに染めた。
「リリー、それ誰に言われた?」
「えっ?アレクだけど……」
「アレク?」
あっ、大変、より怒らせてしまったみたいだわ。ど、どうしましょう。
「え、えっと、シル……?どうしたの、怖いわ」
「……リリー、本当にアレックス王子とは何もないのか?」
「ダンスは踊ったわ。そういえばその時にシルが羨ましいって言ってたわね」
「ダンスを…」
シリウスが真剣な目つきになった。
「リリー、まさかダンス中に何かした?」
「何かって?何もしてないわよ。強いて言うなら、天使みたいにかわいいって言われたから、アレクも格好いいわ、とは言ったけれど?」
この返しにため息をつくシリウス。呆れ返って言葉も出ないという状態になってしまった。
「……一応聞くけど、アレックス王子の事はどう思ってるんだ?」
「従兄弟よ?」
「……僕とだったらどっちが良い?」
不安そうに聞いてくるシリウス。どうしてそんな事を聞くのだろう。わたしは首を傾げた。
「そんなの決められないわ。二人とも仲の良い、大事な友達よ。うーん、だけど、強いて言うなら、わたしはシルといる方が安心するわ。どうしてかしらね」
初めは落ち込んでいたシリウスはだんだん立ち直ってきて、最後にはそっと顔を綻ばせた。
「……様、リナ姉様」
「…うん?何かしら?」
シリウスの嬉しそうな顔を思い出していると、正面に座っているレオンハルトが話しかけてきた。
「用事が終わったら、一緒に魔術の練習してください」
「もちろん、良いわよ」
やった、と笑顔になったレオンハルト。その横には、完璧に正装を着こなし、それでいて優雅に剣を携える騎士が座っている。暗赤色の髪を短く整え、赤い瞳で周囲を警戒している彼は、エバート·アル·ファン、ファン伯爵家の次男で騎士団の実力者。その剣の才能で、騎士団でも一握りの上位者しかなれないという第一騎士隊に任命されていた。主に王族の警護をする第一騎士隊の彼が、どうしてここにいるのかというと……
「お初にお目にかかります、貴方様の護衛に参りましたエバート·アル·ファンでございます。私の事はどうぞエバートとお呼びください」
「はい、王宮までよろしくお願いしますわ、エバート」
そう、王子改め王太子となったシリウスの婚約者という事で、わたしの護衛を命じられたらしい。といっても、王宮に王妃教育を受けに行く時だけのもの。他にもたくさんの仕事があるのだろう。
やがて王宮に着くとレオンハルトと別れて、待っていた侍女について王妃教育の先生の待つ部屋へと向かった。もちろんエバートもついてくる。そして、通された部屋に待っていたのは。
「アイリーナ様、お待ちしておりました」
「フランジーナ先生……?」
そう、誰あろう、わたしのマナーの先生のフランジーナ先生だった。えっ、どうして先生がここにいらっしゃるの?レオンハルトとレイチェルのレッスンは大丈夫なのかしら。
混乱しながらもそれを悟られないように微笑みを浮かべていると、フランジーナ先生がふっと微笑んだ。
「流石はアイリーナ様。マナーは大丈夫ですね」
「ありがとうございます」
「では、王妃教育を始めます」
久しぶりのフランジーナ先生のレッスン。相も変わらず厳しい先生に、わたしは懐かしさを感じた。教わった事は、頭でではなく、身体で覚えている。
一通りのマナーを復習して、今後の予定を決めた所で、フランジーナ先生が終わりを告げた。
「次回からはもっと深い所も扱っていきます。覚悟は宜しいですね?」
「はい、お願いします」
覚悟は、シリウスに婚約を申し込まれた時に決めたわ。どんな厳しいレッスンでも、辛い内容でも、決して挫けないわ。
礼をして部屋を出、レオンハルトのいる訓練所に向かう。その途中で思い出の庭園に寄り道した。今は冬で、暖かい春程ではないけれど、それでも寒さに打ち勝つ植物達が茂っていた。
何の気なしに庭園に入ろうとした所、どこからか声がした。
「何してるの?今はそんな季節じゃないよ」
声をかけられた事に驚きながら振り返ると、元の髪色を取り戻し、生き生きとしている男子が立っていた。
「クラウス殿下?どうなさったのですか?」
「どうなさったって……もう!敬語なんか使わないでよ」
「えっと、ですが……」
「お願い、僕のお義姉様?」
クラウス殿下は笑顔でわたしの方に歩いてきて、どうしようと迷うわたしの手を取った。そして、頭一つ分低い事を利用してわたしを見上げてくる。
「アイリーナ姉様は僕の義姉上なんだから、レオンハルトに対するみたいで良いんだよ」
「レオンみたいに……流石にそれは………あら?クラウス殿下、わたしの弟の事をご存知ですの?」
「えっ?…………あ」
ちょうど、失礼ながら子供っぽくて甘えてくる所がレオンハルトと似ていると思っていた所でクラウス殿下に言われ、疑問に感じた。彼にレオンハルトの事を言った覚えはないのだけれど、どうして知っているのかしら?シリウスにでも聞いたのかしら、そう思ったけれど、聞き返した時のクラウス殿下の反応からしてそうではないらしい。
クラウス殿下は動揺したらしく、目を少し見開くと手を強く握ってきた。その手をそっと撫でる。
「あの、今からレオンの元に行くのですが、一緒に行かれますか?」
「……良いの?行きたい!」
その喜びようから、レオンハルトが何かやらかしたわけではない事は分かった。しかし、一体いつ、どこで知り合ったのだろう?疑問と共に、レオンハルトの待つ訓練所に向かった。
その途中で、クラウス殿下にたくさんお礼を言われた。確かに強い呪いだったけれど、そこまで言われると何か擽ったい。逆に何があったのか聞き返してしまった。
「…誰も、僕を見てくれなかった」
少しして呟かれたその言葉は簡潔ながら、クラウス殿下の今までの苦労を十分に伝えてきた。
「僕を見てくれたのは、アイリーナ姉様と、レオンハルトだけ………」
もちろん兄上達家族もそうだけどね、そう言ったクラウス殿下は微笑んで、右側を歩いていたわたしの手をそっと持ち上げた。
「この手で、僕に触れてくれた。逃げずに向き合ってくれた。それどころか、呪いまで解いてくれた。僕は……」
ちょうど向かいから騎士が歩いてきて、わたし達に会釈していった。わたしが会釈を返した一方で、クラウス殿下は反射的にわたしの後ろに隠れた。
騎士が過ぎ去ってしまうと、クラウス殿下は大きく息をついた。
「大丈夫ですか」
「うん、どうも呪いのせいで逃げられていたのがトラウマになってるんだ」
平然として言ったクラウス殿下。だけど、わたしにはそれが強がっているように見えた。気づかれないようにそっと紋章の力を使うと、溢れんばかりの不安、そして恐怖が伝わってきた。
『どうしよう、また逃げられたら、怖がられたら………』
再び歩き出しながら見ると、確かに不安の表情が見て取れた。
「敬語はいらないって言ったのに」
さっきのクラウス殿下の反応からしても、わたしにとってのお父様やお母様のように、甘えられる人がいなかったのだろうと思える。わたしでどれくらい力になるか分からないけれど、少しでも役に立つのなら。
「分かりました、だけれど公衆の面前では勘弁してくださいね。それでいいかしら、わたしの義弟王子様?」
それを聞いて満面の笑みを浮かべたクラウス殿下。良かったわ。わたしも微笑んで、そして気になっていた事を聞いた。
「ところでクラウス殿下、レオンとはどこで知り合ったのかしら?」
一瞬固まった後、クラウス殿下は曖昧に微笑んだ。




