4-I レッスン
翌朝、朝食を食べたわたしは、ダンスホールへ向かった。そこではすでにミレーユさまが待っていた。腰まである長い栗色の髪を一つ結びにして、灰色の瞳をこちらに向けている。
「ミレーユ先生、おはようございます」
「リーナ、おはよう。あら、後ろにかわいい子がいらっしゃるわね」
後ろを振り返ると、アイリスがちょこんと座っていた。
「いつの間に……先生、この子はアイリスです。昨日街に行った時に連れてきました」
「アイリス…良い名前ね、おいで」
ミレーユさまはかがみ込んでアイリスを撫でた。微笑んでいる。
「アイリーナ様に良く似ていらっしゃるわ」
少しして立ち上がったミレーユさまは、レッスンの時の顔になっていた。
「さあリーナ、レッスンを始めましょう。まずは前回のステップから」
ミレーユさまがお手本を見せ、見よう見まねでステップを踏むわたしに、優しく手取り足取り教えてくれる。少ししてステップが出来るようになると、手の動きもつける。手と足、両方に意識を向けて動かすのはとても難しい。それを優しくもきっちり教えてくれるので、彼女も彼女のダンスレッスンも大好きだ。
「今日はここまで、お疲れさま」
「ありがとうございました」
ミレーユさまはふっと顔をほころばせた。
「ところでアイリーナ様、アイリスという名前はどなたがお付けになったんでしょう」
「名付け親はレオンです」
「まあ、レオンハルト様が……」
しっかり特徴を捉えてらっしゃるわ、ミレーユさまが微笑んで言った。
ダンスホールから出たわたしは、食堂に向かう。今日のマナーレッスンは食事の際のものでございます、と朝ミルに言われたからね。
食堂に入って席に着いたわたしは、フランジーナさまが来るのを待った。五分ほどして現れた彼女は優雅に深緑色の髪をなびかせながら歩いてくる。真剣なその茶色い瞳を見て、わたしは一層気を引きしめた。
わたしは習った通りにゆっくり立ち上がり、丁寧にお辞儀した。
「フランジーナ先生、本日もよろしくお願いします」
「リーナ、よく出来ました。前回までの内容は大丈夫なようですわね」
「ありがとうございます」
「今回は、食事の際のマナーを学んで頂いた後、言葉の使い方も学んで頂きます」
「わかりました」
フランジーナさまはとても厳しい。手の位置を少しずらすだけでビシッと注意される。しかし、レッスン以外の時はとても穏やかで優しいの。
わたしはこの厳しさはわたしのためのものだと思っている。大人になった時に困らないように、物語のお姫様のように優雅に振る舞えるように。真剣にフランジーナさまの言葉を聞き、動作を見て、体で覚えていく。
食事が終わると、フランジーナさまについて場所を移動し、言葉のレッスンを受ける。先生によれば、わたしは普通の五歳の貴族令嬢よりもはるかに言葉が発達しているらしい。わたしはこれが普通だと思っているし、他の子と比べたことなどないのでよくわからないけれど。
「お疲れさまでした、本日はここまでです。しっかり復習しておいてくださいね」
「はい先生、ありがとうございました」
礼をして自分の部屋に戻る。椅子に座ると思い切り伸びをした。まだ日は傾いていないけれど、気分は夕暮れ時。
(疲れたぁ)
ふうっと息をついて気持ちを切り替えると、本棚から裁縫の本を取り出した。何度かお母様にやらせて欲しいと頼んだものの、やんわりと断られてしまった。だけど、見るだけならいいはず、そう思ってお母様の部屋に向かうことにした。
ノックをすると、すぐにドアが開いた。
「リーナ、いらっしゃい。今日は何を学んだのかしら?」
「今日はダンスとマナーを学びましたの」
部屋に入り、椅子に座ると、お母様に聞かれた。わたしは今日学んだことを体を使ってお母様に伝える。ダンスなら実際に動き、軽くステップを踏む。言葉の使い方も、お母様を相手に使ってみる。
そうして今日やったことを伝えると、部屋から持ってきた裁縫の本を差し出した。
「お母様、裁縫しているところを見せて欲しいです」
「あら、やることは諦めたの?」
「いいえ。とてもやりたいです。でも、いつかやる時のためにやり方を見ておこうと思って」
「まあ」
えらいわね、そう言ってわたしの頭を撫でると、机の引き出しからハンカチと針、糸を取り出す。
「まずは玉結びといって………」
お母様は丁寧に説明しながら刺繍を作っていく。わたしはお母様の手元をじっと見つめた。出来上がってくるのは白い猫の刺繍。そして、その下に小さくI·Sの文字。
「………最後に玉止めをして、糸を切って目立たないようにして出来上がり。これは真面目で勉強熱心なリーナにプレゼントよ」
「お母様、ありがとうございます」
お母様からハンカチを受け取ったわたしは、その出来栄えに目を輝かせた。
「ふふ、リーナが魔術を習い始めたら、一緒に裁縫しましょうか」
「はい!」
礼をしてお母様の部屋を出る。
自分の部屋に戻って本を戻すと、ノックをしてミルが入ってきた。
「アイリーナ様、夕食の準備が出来ました」
「今行くわ」
うち、セイレンベルク公爵家では、どんなに忙しくても夕食は家族いっしょに食べる。今日からはレイチェルもいっしょだったはずね。
食堂に入ると、昼のマナーのレッスン通りに腰かけ、家族がそろうのを待った。
「お待たせみんな。さあ食べよう」
「「「「いただきます」」」」
レッスンを思い出しながら丁寧に食べる。レイチェルに食べさせていたお父様とお母様が少し目を見はった。
「リーナの物事の吸収力はすごいな」
「ええ、とても賢くて真面目ないい子だわ」
お父様たちが何か話しているようだけど、マナーに集中しているわたしには聞き取れない。フランジーナさまに今は食事中に話してはいけないと言われているので、黙々と食べる。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
食事を終え、紅茶を飲みながら談笑する。
「テオ様、二週間後に新年祭がありますわ」
「そうだな、今のところはここで迎えるだろうが、正直どうなるか」
「おとうしゃま?どこかいくの?」
「いいや、行かない…いや」
お父様はみんなの顔を見回した。
「一つ聞きたいんだが…みんな、王都で暮らす気はあるか?」
「お父様、どういうことでしょう」
「おうと?」
「ああ、実は少し前から父上に言われていてね。無理そうなら仕方ないが、出来れば王都に来て欲しい、と」
「私は構いませんわ」
お母様が答える。そして二人してこちらを向いた。
「リーナ、レオン、どうだ?ここより綺麗で華やかなところで暮らすのは」
「レオン、おうといく」
「わたしも、行きます」
「じゃあ決まり、今年の新年祭は豪華だな」
お父様が微笑む。お母様は心配そうにしていたけれど、お父様に何か言われて頷いた。
こうしてわたしたちは王都に行くことになった。




