61-C 呪いと孤独
僕はクラウス·サン·アイルクス。アイルクス王国第二王子で、もうすぐ十二歳になる。この国のしきたりとしては、十二歳になった貴族は全員がアイルクス王立学院に通わなければならない。
だが、僕は今まで一度だって王宮を出た事なんてない。それどころか、ほとんどの時間を自分の部屋で過ごし、滅多に人になんて会わない。会うのは父上、母上と二つ上の兄上、そして僕に勉強を含め色々な事を教えてくれる祖父上、後は一人だけいる友達くらいだ。
王子なのに侍女にすら会わない。そんな事になったのは、僕が四歳になったばかりだった。
生まれつき魔力が不安定だった僕は、その頃から部屋で過ごす事が多かった。だが、それでも侍女はいたし、体調の良い時には庭園を散歩したりする事もあった。元々人見知りだった事もあり、基本的には人と話さないようにしていた。人を見つけるたびに見つからないように隠れていた。
ある日、庭園で真っ白な毛並みの子猫を見つけた。蒼い瞳が愛らしくて手を伸ばすと、真っ直ぐ僕を見てやってきた。
そのふわふわの体を撫でていると、どこからか女の子の声がした。
「アイリス?どこにいるの?」
「ミャオ」
それに反応したように子猫が鳴く。そうか、この子は飼い猫だったのか。アイリスって言うんだな?
「また来て?」
「ニャア」
そっと囁くと、アイリスは返事をして行ってしまった。
その後行ける日には庭園に行く事にした。数日後、アイリスは再び庭園にやってきた。その日も僕はアイリスと遊んだ。その後も見かけるたびにアイリスと遊んでいた。ただ、アイリスは毎日来ているわけではないらしく、会えない時もあった。
そしてある日、ふとアイリスの飼い主が気になって、アイリスが向かった方を草陰から覗いてみた。
アイリスを抱き上げた女の子は、遠くからでも分かる金髪がアイリスにかかるくらいに顔を近づけた。そのままアイリスに顔を擦り付ける。少しして顔を上げた彼女はにっこりと微笑んだ。
その瞬間、僕は動けなくなった。後ろからとてつもない恐怖を感じて背筋が凍りつく。そのまま怒りのオーラが辺りを包んでいく。
「やっと見つけたぞ。我の計画を邪魔しやがって、許さん」
ありったけの怒りが込められた声。恐る恐る振り返ると、黒髪を腰まで伸ばした男がいた。顔は良く見えなかったが、なぜか彼の黒い瞳だけが見えて、それは激しい怒りに燃えていた。その視線の先には……
思わず一歩後ずさった拍子に、僕は音を立ててしまった。途端に男が僕に気がついた。怒りはそのままに、じっと僕を見てくる。
「……表舞台から消えてもらうか」
その呟きと共に、目の前に黒い何かが迫ってきた。
気がついた時にはベッドに寝ていた。
「気がついたか」
声の方を見ると、父上が安心したようにため息をついた。
「ちち、うえ……?」
「何があった。庭園で倒れていたんだよ」
庭園で……僕は何をしていたっけ?いつもみたいにアイリスと遊んで、その後は何を………
『表舞台から消えてもらうか』
「………!!!」
「どうした?」
思い出した。そうだ、よく分からない男がいたんだ。その恐怖に僕は父上にしがみついていた。いつもなら困ったように断る父上は、今日は何も言わずに背中を摩ってくれた。そのおかげだろうか、僕は落ち着いてきた。
「父上、て、庭園に、変な人が……」
「どんな人だった?」
「えっと……」
思い出せる限りを伝える。今考えれば王宮で会う人に変とつけるのはおかしいが、父上は何も言わなかった。
話し終わると父上がやはりな、と呟いた。そして、かなり躊躇った後、僕に衝撃の事実を告げた。
「………実はな、お前にある呪いがかけられたんだ」
「の、ろい?」
「そうだ」
言いながら鏡を持ってきたので覗き込んだ。そこにあるはずのいつも見ていた僕の顔はなく、知らない顔が写っていた。輝いていた銀髪はくすんだ灰色になり、頬には大きく焼け爛れたような跡があった。極めつけは薄緑の瞳。色は何も変わらないが、前までのような輝きはなく、ずっと見ていると背筋が寒くなってくる。僕は顔を上げた。
「こ、これは……」
「すまない、治癒をかけても何も変わらなかった。現時点ではこれを治す方法がない」
それからは辛かった。襲われた時の恐怖も何度も夢に見た。しかも僕にかかっているのは『忌避』の呪い。そのせいで僕を見た人は皆、恐ろしい物でも見たように怯えて逃げていく。どんなに僕が仲良くしようと思っても、今まで仲良かった侍女さえも、皆。これが効かないのは家族ともう一人、いやもう一匹だけ。
ずっと部屋に閉じこもっていた僕に、会いに来てくれたのだ。人に逃げられて相当傷ついていた僕は、本当に嬉しかった。
ドアの前で物音がして、少しだけドアを開けると、そこにいたのは。
「アイリス!?」
「ニャーオ」
信じられずに抱き上げたが、間違いなく本物だった。そのままあの飼い主の子がやっていたように頬を擦り付けてみた。
「ミャア」
どことなく嬉しそうに鳴いたアイリス。僕はアイリスの瞳を覗き込んだ。そうすればもっと色々分かると思って。
そこに写ったのは、僕の顔。呪いにかかる前の、本当の僕の姿。思わず隠していた手鏡で確認したが、本当に元の姿だった。どういう事、今まで何をしても元に戻らなかったのに。
「アイリス、これは………アイリス?」
聞こうと思って振り向いた時には、アイリスはもういなかった。部屋中を隈なく探しても見つからなかった。仕方なく持っていた手鏡に視線を落とすと、そこには醜い自分が写っていた。
もしかして、アイリスがいる間は呪いが解けるのか?
この疑問を解決出来ないまま数年が経った。
その日もアイリスと遊んでいた。他に遊んでくれる人、兄上は今年から学院に行ってしまったので、僕は寂しかった。
「ねえアイリス、話し相手になってくれない?」
「ミャオ?」
「兄上が学院に行ってしまって、寂しいんだ」
それから暫く、独りぼっちの寂しさや、やる事がなくて暇な事など、誰かに言いたくても言えなかった事を話した。アイリスは大人しく僕の膝の上で丸まっていたが、一声鳴くと飛び降りた。
「……もう帰る時間?」
いつまでも僕のわがままで閉じ込めてはおけない。そっとドアを開けると、アイリスは一度振り返ってから外に出て行った。僕はちょっと待っててと言われたような気がして、少し様子を窺っていた。
すると、誰かの困った声が聞こえてきた。ここには基本人が来る事はないので、僕は身構えた。
「……駄目だよアイリス、こんな所に入っては」
「ニャン!」
えっ、アイリス?だけど、アイリスの飼い主は女の子だったはず。今聞こえて来るのは、紛れもなく男の子の声だった。えっ、あの子はどうしたんだ?こっちに来るのは誰?
混乱する僕の前に、アイリスが現れた。そしてその後ろから、見事なまでの金髪を持った、赤と茶が混ざった色の瞳の男の子が姿を現した。
「駄目だって、父上に怒られちゃう」
「ミャン」
「だから、…………あっ、ごめんなさい、勝手に入ってしまって。すぐ出ていきますから」
「まっ、待って!」
困り果てた様子のその男の子は、僕に気がつくと申し訳なさそうな表情になった。僕を見てまず怯えを見せないのは、僕の家族だけだった。それに、どこかで会ったような気がして、思わず引き止めていた。
僕の声に驚いた男の子は、まじまじと僕を見た。その瞳にはただ困惑だけがあった。それを見て僕は慌てて続けた。
「あっ、ここじゃあれだから、僕の部屋に入って」
「えっ、で、ですが……」
「ニャー」
「あっ、こら、アイリス!……すみません、失礼します」
男の子が戸惑っている間にアイリスが部屋に飛び込んだ。迷った挙句男の子も部屋に入って来た。物珍しそうに部屋を見回している。
「わあ、すごい部屋ですね。流石王子様です」
「えっ?僕の事、知ってるの?」
呪いをかけられて以降、父上が徹底的に僕の存在を隠したので、僕が知られているはずがない。それに呪いのせいで、僕を見た人も、誰も僕が王子だなんて気づかなかった。
「いえ、シル兄様にそっくりだったので。違うのですか?」
「ううん、合ってるよ。僕はクラウスっていうんだ」
「そうですか。初めまして、クラウス殿下。僕はセイレンベルク公爵家長男、レオンハルトと申します」
そうか、宰相の息子だったのか。僕の事を分かってくれた喜びで思わず僕は今までの事を打ち明けた。アイリスのおかげだろうと、僕を見て逃げないのも、一目で王子だと見抜いたのも、レオンハルトだけだったから。
その後少し話して、レオンハルトが帰る時間になった。僕は思い切って頼んだ。
「……レオンハルト、僕と友達になってくれないか?」
これを聞いて立ち止まったレオンハルト。黙り込んでしまったので僕は不安になってくる。長い時間が経ったように感じられるが、実際はそんなに経ってなかったのだろう、レオンハルトが振り向いた。
「僕で宜しければ、是非友達になりましょう」
「…ありがとう!」
こうして僕は唯一無二の友達を得た。
レオンハルトは数日に一度来てくれて、僕達はたくさんの事を話した。ただ、この事は誰にも言わなかった。そんな事をすれば、きっとアイリスをあの子やレオンハルトから奪ってしまう。それは嫌だった。
だが、いつかはレオンハルトも学院に行ってしまう。その事に気がついて落ち込んでいたある日、父上からある話を聞いた。




